19 都合がいい
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「人間と天使との違いは結構たくさんあってね。逆に共通しているのは外見だけって言ってもおかしくないのかもしれないわ」
そんな語り出しで、アーレリーは話し始めた。
天使は元々、誰かのお腹の中から生まれるものでもなく、神の手によって能力と目的を持って生み出される存在である。外見だけ人間に似ているのは、神が人間の形を気に入っているからという理由で、神の美意識に基づいて美しいものしか生み出されないから、天使は総じて美しく生まれるのだという。だからこそアーレリーもアルも、人間では持ち得ないような美しい顔と肢体を持ち且つ、食べることがないから本来必要ではない歯であったりまた爪であったり、そういった天使としては無用の部分も持ち合わせている。
さて、誰かのお腹から生まれるわけではない天使は、誰かを産み出すこともないため生殖機能を持ち合わせていない。外見のみ人間とそっくりではあるが、消化器官や呼吸器官に至るまで中身は何も共通していないのだからそれも当然である。
アーレリーは人間社会の中で紛れて生きるために、身体の中身を、つまり消化器官や呼吸器官など必要な部分を能力によって作り出した。アルもまた、同じように人間の機能を手にした。しかしアルの身体の変化はそこまででは止まらなかった。今アルの身体にもたらされようとしているのは、生殖器官、つまり子供を作るために必要な機能であると考えられる。
「せ、生殖機能って……それってつまり……えと」
「だってなかったら結婚したって子供ができないじゃない。人間の社会って結構残酷でしょう? 嫁いで子供できなくて離婚させられたとかいう話、結構聞いたわよ?」
アーレリーは呆れたような馬鹿にしたような口ぶりでそういった。おれとしては今、人間社会のアレコレとか離婚の話に考えを向ける気にはなれない。
つまりアルは、アルが今高熱を出して苦しんでいる理由は……
「名実共にあなたの奥さんになれるようにってことでしょうが。何か問題でも?」
「…………」
……まさかとは思うが、天使には心を読み取る能力もついているのだろうか……
「ないわよ。ただあなたって無表情のようでいて結構感情表に出てるわよ。正直なのね、いいことよ」
アーレリーはそう言って肩をすくめた。完全に読まれていると思うが、ないと言われてしまったらもう尋ねることもできない。生殖機能云々の問題もどこへやら、呆気にとられて口を開けたままでいると、アーレリーはおれへの興味を失ったらしい。遠くを見つめてため息をつき、綺麗に整った髪に指をいれかき乱すように頭をかいた。何かイライラしている様子だ。
「……ああ、でもやっぱり気に食わないわ。何もかも手の上って気がするもの。上手くいきすぎて不自然」
またも独白のようにおれには分からないことを言い出したアーレリーだったが、おれに聞こえるように言うのだからきっと、話したい気持ちもあるのだろう。
「何が、と聞いてもいいか?」
冷静さを取り戻したおれは、アーレリーに向かって尋ねた。もうどんな話が来たって驚かない。……いや、驚くだろうが受け入れよう、そうするしかおれにはできないのだから。考え込むのも悩むのも、あたふたするのもその後でいい。
「……あなたがそうやって私やアルを受け入れるのも、もしかしたら計算のうちなのかもよ……?」
夜を映す瞳が不安げに揺れ、おれを見つめてきた。ため息とともに吐き出された言葉もどこか不安定なような。
「ふう、まぁいいわ。なるようにしか、ならないのだし。……いい? そもそもあの子がこの世界に落ちてきたのがおかしいのよ。ありえないことなのだから、世界の扉が開くことなど」
「……世界の扉?」
「そうよ、あの子が地上へ、この世界へ来たいと願っていることは私も知っていた。でも叶うはずのない願いだった。だって天使は目的を、仕事と使命を持って生まれるのだから、生まれた以上天界で与えられたするべき仕事を全うすることしかできないの。ただあの子は、これも何の因果か感情を持っていたから、ずっとその願いを抱えて存在してきた」
……そうだ、アルは自分ひとりだけ感情を持っていたから、ずっと寂しかったんだという話をしていた。地上へ行きたいとずっと願っていたと。でもそれとこれとがどういう関わりが?
「私たちのいた“天界”とここ、“地上”は、何も空と地にあるわけじゃないの。まったく別の世界に存在している。異次元、と言えば早いかしらね?」
アーレリーがおれを見て、理解しているかどうか確認する目線を送ってきた。おれとしては、分かるような分からないような、だ。異次元、別の世界。……うん、漫画の中とかによくあるアレだな。
「……本来、行き来が困難な場所よ。いくら強い力を持った天使だろうと、神だろうと、そうそうに破ることのできない壁がある。だからアルも、アル自身も天使としては高位の強い力を持っていたけれど、自力で突き破ることなどできるはずがなかった。……ところが、よ。今の状況ってどう? 何がどうしたのかは分からないけれどもアルは地上にいる。偶然なんてありえないのだから誰か高位の神がいたずらした可能性が一番高いとは思うけど、それに」
徐々に興奮してきた様子のアーレリーが、息を吸うために言葉を切った。大きく深呼吸を繰り返してから、また話し出す彼女は、何かに対してものすごく怒っているようだ。
「あの子が身体を変化させたきっかけを与えたのは私だけれど、こうまで……生殖機能をもつまで変化できるのは、あの子自身の力が強かったから。もし同じように何らかの原因で他の天使が来たのだとしても、子供を生めるようになる身体にはなれなかったはずよ、力が足りなくて」
「えー、それって、つまり……」
何か引っかかりを覚えておれは聞きなおした。アーレリーはなんてことないようにさらりと言い放つ。
「ええ、私も予測してなかったのよ。あなたにあの子を嫁にしろって言ったときは。たとえ子供ができなくたって、あなたはアルを大事にしてくれそうだったから任せたの。……文句、ある?」
つまり、最初にこの川原で出会ったとき、『連れて帰って嫁にしろ』と言ったとき、アーレリーはアルには子供が産めないと思っていた。確かにおれは、きっとおれは、たとえアルが子供を産めなくてもずっと一緒にいるだろうと、それくらい好きになってしまったけれど……ああ! なんだかちょっと納得いくようないかないような、むず痒さがある。
「……ないわよね、あなたには。そこまでアルのことを愛してくれて、私としては嬉しいのだけれど、でもちょっと逆に都合が良すぎるのかなって思うのよ」
先ほどからのアーレリーの苛立ちはまだ収まっていなかった。
「世界の扉が開いて、落ちたのがアルで。アルだからこそ限りなく人間に近づけて。そしてあなたはそんなアルを受け入れて愛するなんて。……なんだか出来過ぎていて気持ちが悪いのよ。一体誰なの、こんなことをするのは!」
ぶるりと身を震わせて自分を抱きしめるように縮こまったアーレリーを見て、彼女の苛立ちの原因がようやく分かった。
何もかもが上手くいっていることが逆に不自然に思えるのだ、きっと。そしてアルの存在の、人生を転がすようなやり方が気に入らないのだろう。おれがアルのことを好きになったのも含め、全てが誰かの計算通りに思えて怖いのだろう。一体誰にそんなことができるのか、おれには全く分からないが、彼女には予測がついているのかもしれない。だからこそより一層、苛立ちも増すのだろう。
「……でもさ」
おれは思う。確かに考えてみればいろいろ都合が良すぎて笑っちゃうけれども、今大切に思えるのは。
「アルはずっと、ここに来たがっていたんだろう? だったら誰のせいとか考えなくても、別にいいんじゃないかな。アルが喜ぶなら、おれはそれが一番だと思う」
おれがそういうと、アーレリーは呆気に取られた様子で、小さく口を開けたままで固まってしまった。美人が台無しだぞ、と思ったがそのくらい崩れていたほうが逆に話しやすい。
「それにおれは……おれ自身、なんでこんなにアルのことを好きになったんだろうって思うよ。もしかしたら誰かの策略で、この感情も作られたものかもしれない。けどそれよりもさ、アルがおれの前に現れてくれて本当に良かったって思える自分がいるんだ。誰か他の人ではなくて、おれのところへ来てくれて、たとえ策略でも良かったって思うんだ。……おれはアルのことが、その、大好きだから、むしろありがとうって言いたいよ。都合良くってありがとうって」
別の世界の話とか、神様の話とか、正直よく分からない。誰かが人の運命を操れるのだとして、今こうある運命が誰かに転がされたものだとしても、おれはむしろそれに感謝したい。転がしてくれてありがとう、アルをおれの元へ連れてきてくれて、ありがとうと。
正直に思ったことを告げると、アーレリーは大げさなくらい大きなため息をついた後で不意に笑い出した。くすくすと、可笑しくてたまらないといった様子で、肩を震わせている。そんなに面白いことを言ったつもりはないのだが、彼女の笑いが収まるまで放っておくことにした。
「……っく、もう、あなたって本当に面白いわね!」
ひとしきり笑った後、涙を浮かべながらアーレリーは言った。笑いを取れてどうも、という感じでおれは頭を掻いた。とはいえ何がそんなに面白いのかはやっぱり全く分からないのだが。
「あの時アルを見つけてくれた人があなたで、そしてあなたに任せてよかったわ。私の人間を見る目もあながち曇ってはいないのね」
ほっと落ち着いたように吐息を零しながら微笑んだその顔は、今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。美人はいつだって美人だが、こういう風に笑うとき人は一番綺麗だ。それまでどこか遠かった、壁を感じていたアーレリーとの距離感が一気に縮まった気がした。彼女がおれのことを認めてくれた、ような。
「……お褒めにあずかり光栄です、と言うべきか?」
なんだか嬉しくなってそんなことを言ってしまった。アーレリーはアルの友達だ。妹みたいとか言ってたっけ。だからなんだか、家族に認められた気分だった。
気づくと顔がにやけてしまっていて、口元の歪みにハッとして頬に手を当てた。その動作が面白かったのだろう、じっとおれを見ていたアーレリーはまた声を上げて笑い出した。
笑っている間に辺りは薄暗く夜の色に染まってきた。太陽は地平線ぎりぎりを粘っているが既に光は届かないところまで落ちた。吹きさらしの土手の上、初夏の涼しくも生暖かい風に吹かれながらそのまま、アーレリーのくすくすという笑い声だけを聞いていた。




