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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
20/128

17 探し人、おらず


 十一時半。昨夜からずっと待ち続けていた昼休みがやってきた。


 アルの熱は今朝になっても下がらず、相変わらず分厚い布団の中に包まっている。起こしても起きないのでどうしたものかと思っていたが、結局仕事の時間になってしまってお袋に任せて家を出てきた。おれが今日やるべきことはただひとつ。アーレリーに話を聞くのだ。

 仕事場の昼休みは本来十二時からだが、昨日親父に言ったとおり、おれは三十分ほど早く休憩に入らせてもらった。市役所の窓口にいると言う黒髪美人の休憩時間は分からないが、おそらく十一時半から一時くらいだろうと予測してのことだ。役所の窓口へ行って早く捕まえるためにおれは軽トラに乗り込みエンジンを掛けた。事情を知らないほかの職人達が不思議そうな顔をしてこちらを見てきたので、「ちょっと用事で」と軽く頭を下げつつ現場を出てきた。

 

 役所は現場からさほど遠くなかった。駐車場に軽トラを停めるとすぐ走って役所に向かった。ロビーを抜けると昼休みに入ったためか、室内の人影はまばらだった。

 来る時間を誤っただろうかとおれは思った。探している群青のような黒髪の美人は、それどころか女性が窓口に見当たらなかったからだ。窓口に置かれた『休憩中です』のプレートを眺めつつ、ロビーをうろうろし、一体アーレリーはどの窓口なのだろうと焦りつつ探した。窓口と言っても市役所だけあって大きい。様々な部署の様々な窓口がある。市民課、納税課、福祉課、建設課……と一周したところで途方にくれた。


「役所って言ってたよなぁ……。でも昼休憩中ならもう少ししたら戻ってくるかなぁ」


 どうしようもなくロビーの隅に置かれた椅子に腰掛けてため息をついた。弁当を持って来るんだったと、空腹を訴えてくるお腹を押さえて思った。弁当は軽トラの助手席に置いてあるが、弁当を取りに戻ったときに黒髪美人とすれ違いになるのが怖くて動けない。




 おれは待った。待って待ってそのまま、時計の針は一時をさした。


「うわ……まさかの展開」


 思わず声に出して頭を抱えた。待っている間中考えていた最悪のパターンが現実のものになってしまった。役所の休憩時間も終わり、次々に引っ込んでいく『休憩中です』のプレートをぼんやりと眺めつつおれはため息をついた。もう帰らなくてはならない。現場の休憩も終わる時間だし、おれは三十分早くでてきたのだから本来三十分早く帰らなければならなかったのだ。


 頭をがりがりと掻きながら不機嫌に立ち上がった。傍から見れば異様な雰囲気を出した不審人物に見えたかもしれない。格好も木屑だらけの汚い作業着だし。近くの窓口の若い女性が目を見開いてこちらを見た後でさっと目を逸らしたのが視界に入った。どうでもいい、人にどう見られようと。それより今はあの黒髪美人がいないことが問題だ。まさかこの役所ではなかったのだろうか。隣町? まさか。


 おれは業務を再開した窓口のひとつに近づいていき、眼鏡のおじさんに声を掛けた。


「すみません、ちょっと聞きたいんですが」


「はい、なんでしょう」


「この役所に黒くて長い髪のすごい美人って勤めてます?」


「はい?」


 おれとしては単刀直入にわかりやすく尋ねたつもりだった。だがおじさんは眼鏡の奥で瞳を丸くして聞き返してきた。質問が意外だっただろうか。そりゃそうだ、ここは『老人介護係』の窓口なのだ。


「えっと、いるかいないかだけ知りたいんですが。黒い、群青っぽい長い髪で、切れ長の瞳で、すごい美人な女性、いません? 名前は」


「あ~アンナちゃんかな、それ」


「は、アンナ?」


 おれが黒髪美人の特徴を言い直すと、おじさんは誰のことなのか思い当たったらしい。目を輝かせておれに答えてくれたが、『アンナ』という名前ならば人違いかもしれない。


「すっごい美人ってほどでもないけどね、うちの役所で長い黒髪っていったら神原(かんばら)アンナちゃんだねぇ。いつもはそっちの市民課のね国際交流係にいるんだけど、今日は多分出張。外国人のご家庭にねぇ、定期訪問するんだよ、大変だよねぇ」


「……はぁ」


「夕方になったら帰ってくると思うけど。あなたアンナちゃんの彼氏? ……というわけではないか、彼氏なら知ってることだものねぇ」


「はぁ。あの、その人明日だったら昼にいますかね」


 おじさんの言う『アンナ』が果たしてアーレリーなのかは分からない。おれが前に会ったときの印象は、芸能人以上に何かオーラを放つ、ものすっごい美人だったから、そんなに美人じゃないなら別人なのかもしれない。けれども会ってみなければ判断の付かないことなので、おれはそう尋ねた。おじさんは上から下まで品定めするようにおれを眺めてから口を開いた。


「うーん、いると思うよ。もっとも女の子たちは十一時半にご飯で出ちゃうから会えないとは思うけどねぇ。狙うなら一時の業務開始前だね。ほら、この時間なら空いてるし。いやぁ、アンナちゃんにねぇ。まあとびっきりって程じゃないけど美人だよね、ふふふ。おじさんはおじさんすぎてもう声もかけられないけどねぇ。頑張ってよ、お兄さん」


「……どうもありがとうございました」


 何を勘違いしたのか応援され、おれはとにかくお礼を言ってその場から離れた。結局『アンナ』がアーレリーなのかはわからなかった。だがもしかしたら名前を変えている可能性だってある。とにかく『アンナ』は夕方にならないと帰らないのであれば、今はここにいる必要もない。早く現場に戻らなければ迷惑を掛けてしまうだろう。

 おれは興味津々、といった目つきでおれを見つめてくる老人介護課のおじさんを無視し、急いでロビーを後にした。





「……会えたのか? 黒髪美人」


 現場に戻って親父のところへ行くと、開口一番そう聞かれた。親父もなんだかんだアルのことを気に掛けている。期待させてしまって悪いが、今回収穫はほぼゼロだ。力なく俯いて首を振りつつ、会えなかったことを報告した。


「それが、それっぽい人の話は聞けたんだけど、その人出張中で会えなかったんだ。おれが会った黒髪美人かどうか会ってみないと分からないし……。親父、悪いけど明日また一時前後に抜けたいんだけど、いい?」


「役所が終わる頃にもう一度行ってみたらいいだろう。で、会えなかったらまた明日行け」


 本当は夕方また役所に行って確かめたかったが、昼も長い時間抜けてしまったから夕方も早く抜けるなんてとても言えなかったのだが、親父は分かっていたのだろうか。自然な気遣いができる優しさは本当に尊敬できる。おれはちょっと泣きそうになりながら礼を言った。


「親父……ありがとう」


「ああ、ほら、洋二(ようじ)んとこ行ってやれ。あいつ一人じゃきつい」


「おう」


 頭を下げてから近くにいた洋二の仕事を手伝いに行った。洋二が持とうとしていた材木のもう片方を持ち上げ、二階へ運んでいく。なん往復かしてずべて運び終わった後で、窓なんてまだない二階の木枠から、家のあるほうを眺めてため息をついた。 


 ……アルは大丈夫だろうか、熱は下がっただろうか。


 仕事をしている間も心配で心配で仕方がない。お袋はおれよりしっかり面倒をみてくれているだろうと思うが、どうにも心が騒ぐ。昼休みにアーレリーに会えなかったことも、夕方会えるか分からないことも、更に不安を深めていく。ああ、早く仕事を終えて何とかあの黒髪美人を捕まえて話を聞かなければ。心の中でぐっと握りこぶしを作って決意した後、今はとにかく仕事だと振り返ると、そこにはにやけた顔をした洋二が立っていた。


「兄貴ぃ、さっきからどこ見てるっすか」


「……別に、どこも見てない。空の様子を見てただけだ」


 完全に嘘だが、洋二にいろいろ話すつもりもない。


「嘘でしょ、さっきから同じ方向ばっかちらちら見てたじゃないっすか。……ま、いいですけどね。それより……」


 そっけなくあしらえば諦めるかと思ったが、洋二はおれがそわそわしているのを感づいていたらしい。にやにやした表情を更に深めた洋二は機を得たり、と詰め寄ってきた。


「……黒髪美人って誰っすか?」


 洋二にはおれたちの会話が少し聞こえていたらしい。期待に輝く瞳を向けられたおれは逆に無言で睨みつけてやったが、洋二は怯まない。どんな美女を妄想しているのか、洋二はにやにやとやに下がった顔つきでおれに迫ってくる。


「さっきちょっと聞こえちゃったんす。兄貴の彼女さんっすか? この間教えてくれなかったっすよね。教えてくださいよ! いいなぁ、黒髪美人! おれ結構和風美人が好きなんすよ。」


 興奮気味の洋二をこのまま放っておけばひとりで話し続けるかなとおれはゆっくり退却を始めたが、洋二はそれに気づいて距離を縮めてくる。今日はいやに食い下がる、何故だ。


「兄貴も黒髪美人好きなんすね! ああいいなぁ~、おれにも紹介して欲しいっす、出会いが欲しいっす!」


「いや、彼女は黒髪じゃなくて茶色でくるくるした……、あ」


 洋二に決め付けるように言われて思わず心の中で反論した。おれは別に黒髪の和風美人が好みだとは一言も言っていないし、おれが好きなのはアルだ。アルは茶色のくるくるの髪が可愛いんだぞ。と思ったら、それをうっかり口に出してしまっていた。

 目の前で洋二がぽかんと固まっているのを見てハッと口ごもる。さっと顔を背けたら、洋二はおれの顔を覗き込むようにしたから見上げてきた。


「あ~に~きぃ~。やっぱ彼女さんいるんすね~? しかもなんすか、茶髪でくるくる~? 可愛い系っすか~?」


 ぽつりと零したおれの言葉をしっかりと拾っていた洋二はまた興奮し始めた。おれは額を押さえてため息をつく。ああ、なんだって洋二にこんな話を……。

 おれが頭を抱えているのをすっかり面白がっている洋二はしきりに「会ってみたいっす! 兄貴の彼女さん!」「どんなひとっすか、可愛いんすか、それとも美人系っすか?」とおれを覗き込んでくるので、いい加減うざったくなってデコピンをお見舞いした。容赦ないデコピンをもろに食らって、洋二は涙目で「兄貴、ひどいっす!」と言ってきたが、おれはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 ひどいと言われようがどうしようが、おれは洋二にアルのことを話すつもりはなかった。洋二はまだ十九で若いし、顔も髪型も今風でカッコよくて、接しやすい性格もあって女の子によくもてる。おれとは間逆を行くような男だ。そんなヤツに彼女を会わせるなんてできない。


 ……万が一にも……そう、万が一、アルが洋二を好きになってしまったらと考えると、心が狭いと言われようがそんな危険性を負うことなどできないじゃないか。


 おれが内心の葛藤を見せずに腕を組みまた空を見上げると、ふくれっつらをしていた洋二ははっと何かに気づいて手を叩いた。何だろうと思ってそちらをみると、洋二は先ほどまでのキラキラした瞳を取り戻しておれに近づいてきた。


「兄貴……兄貴の彼女さんが茶髪のくるくるだとするとですよ? 黒髪美人って彼女さんとは違うんすよね、ね?」


 おいしい餌がもらえると分かっているときの子犬のような目で見つめられたおれは、思わず後ずさった。期待感に満ち溢れた瞳は物言わずとも気持ちを直接ぶつけてくる。……どれだけ出会いに飢えているんだ、洋二。


「い、いや……まぁ、その……」


「彼女さんじゃないんでしょ? 紹介……してくれますよね、兄貴……!」


 両手を胸の前で組んで肩膝を付いた洋二は、神に祈るキリスト教徒のような格好でおれを見上げる。普段はそっけない態度を取ってあしらっているが、お調子者で賑やかな洋二を弟のように思っているおれは、その目を直視できずに目を背けた。洋二……できればおれだって紹介してやりたいよ、でも……


「ダメだ」


「えーーー!!!」


 洋二の絶叫が床板しかはられていない二階部分を突き破って当たり一面に響く。おれは思わず耳を塞いで声が途切れるのを待った。絶望的なときにしか取らないあのポーズで、わざとらしくも拳を床に打ちつけながら洋二が泣いている。


「兄貴のいけず~! けち~!」


 もちろん嘘泣きなのは承知の上で、おれはため息をついて言った。


「……床板が抜けるぞ、洋二。まだ仮張りの状態だって忘れたのか?」


 冷たく言い放っておれはひとり階段へ向かった。そっと振り返ると洋二はけろりと起き上がっておれの後についてきている。階段を慎重に下りながらおれは思う。


 ……アーレリーを洋二に紹介して、もし彼女もアルも天使だとばれることがあれば厄介だ。もしアーレリーが洋二を気に入るのであればそれもいいのかもしれないが、あの黒髪美人はそういうことを望んでいない気がする。むしろものすごく怒られそうだ。


 一階に下りたところでぶるりと身震いし、気を取り直して道具を運びに軽トラへ向かうと後ろから洋二が暢気な調子で言った。


「……兄貴最近ちょっと変わったっすね。前はおれが話しかけてもあんま話してくれなかったし」


「は? そうか?」


「そうっす、最近ちょっと優しいっす、兄貴。へへ、おれ嬉しいっす!」


「……そうか」


 何がなんだかよく分からないが、洋二が照れたように笑うのでおれもなんだか恥ずかしくなった。多分いつもと同じ仏頂面を保てているとは思ったが、顔を隠すように軽トラの荷台から必要な道具を取り出しては洋二に渡し、その後洋二を先に戻らせた。軽トラのサイドミラーで顔を確認したら、やはりいつも通りのおれがいた。優しくなったと言われてすぐに思い浮かんだのはアルの顔だが、それこそニヤついてしまいそうになったので慌てて顔を引き締めて作業に戻った。

 洋二は洋二でそれからずっとにまにまとおれを見てきたのでちょっと気持ち悪かった。耐え切れなくなって「洋二、お前顔変だぞ」と言ってやったらきょとんとした後で更ににやけて笑った。おかしなヤツだ、でこぴんの打ち所が悪かっただろうか。






 黙々と作業をしていたら親父がやってきておれの肩に手を置いた。集中していて親父がいつのまにか後ろに立っていたことにも気づかず、びっくりして立ち上がる。


「おい、そろそろ行った方がいいんじゃないか? 役所は閉まるの早いだろ」


「あ、そうだね。サンキュー、親父」


 洋二の視線から逃れることに必死で集中しすぎていたらしい。時計を見たら四時四十五分。役所が終わるのが五時だとして、今から車を飛ばせば間に合うだろう。

 親父が声を掛けてくれなかったら間に合わなかったかもしれない。おれはひとつの原因を作った洋二をぎっと睨みつけてから作業着の埃を払った。洋二はこちらを見ていなかったのでおれの冷たい視線には気づかなかった。運のいいヤツめ。


「じゃ、すみませんがちょっと用事あるんでお先です。お疲れ様でした! お先失礼します!」


「おーす、お疲れ~」


 現場中の人間に聞こえるように大声で言って、おれは軽トラに乗り込んだ。現場も五時になったら作業を止め、帰ることになるのでちょっとだけ先に上がる形だ。みんな片付けに入っている状態で道具を片手に手を振ってくれた。洋二は「何で!?」といった様子だったが、すぐに意味ありげな表情でにやっと笑ってきた。……無視する。


 仕事の後で木屑やら埃やらで汚れた格好だがそんなことを気にしていても仕方がない。おれはそのまま役所に向かい、五時五分前に役所にたどり着いた。




市役所の描写はイメージで書いています。ご了承ください。一昔前の役所って昼休憩ありましたよね!?でもあくまでイメージです!○○課なども適当です。すみません!

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