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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第一章
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16 暗闇に光

 優しい、柔らかい温かさに包まれている。いや、おれが包んでいるのだろうか。真綿のようなふわふわした小さいものを。なんだかいい匂いもしているし、幸せってこういうものかなぁ。ああ、温かいなぁ。離したくないなぁ、なんだろう、このふんわりした手触り。クマのぬいぐるみみたいだ。でもふにゃっとしているし、すべすべだし、不思議な……


 

 ハッと目を覚ましたときに、一瞬いまどこにいるのかと視線を彷徨わせて戸惑った。見慣れた客間の様子にほっと一息ついて、


「……なんだ、客間か」


 と言った後でまた腕の中にある何かを抱きしめて違和感を感じた。


 ―おれは何故客間で寝ているんだ。

 ―この腕の中のあったかい物体は何だ。


 どっと出てきた冷や汗を感じながら布団の中を見つめると、そこには予期した通りのアルがすやすやと眠っていた。そうして一瞬のうちに覚醒した意識で記憶を探り、あの後アルを抱きしめたまま眠ってしまったのだとすぐに分かった。昨夜といい今日といい、おれは眠気に弱すぎる。温かいぬくもりの中で目を閉じてしまったのが今回の敗因だった。


「はぁー」


 おれは盛大なため息と共に大きく頭を逸らせた。ごすっと畳に頭を打ち付けて痛かったが、必要な痛みだと思う。ダメな自分を処罰するための。


 ……本当に、呆れる。呆れるほどに浅ましい自分がいる。


 アルの布団に入ったときに、アルがくっついてくるだろうことは予想できていた。そしてアルにくっつかれていたら自分も抱きしめてしまうだろうと、むしろ抱きしめることができるだろうと内心で喜んでいた。確かにそれ以上の疚しい気持ちはなかったが、このままアルを抱きしめて柔らかさの中で眠ってしまいたいとはっきり願った。そして結果がこうだ。

 ……自分を罵る反面、おれの身体はいまだアルを離そうとはしない。腕の中にしっかりと納まった重さを離したくないと願って止まないし、いつの間にか絡み合った足もその重みも愛おしく、解きたくない。


「……おれって、こんなに自制心のない人間だったっけ」


 ぽつりと漏らすも呟きはすっかり夕暮れの様相となった日差しの中にすっと消えていく。頭だけをそちらに向け、開けっ放しだった障子の向こう、縁側の向こうのオレンジ色の空を見た。さわさわと風に揺れるひまわり。昨日と同じ、大きな花と葉を揺らしているだけで何も言わない。言うはずもないが。


「アル……ごめん、ダメなおれで」


 何に対する謝罪なのかもはっきりしないまま、ただ謝った。少しづつ積もっていく罪悪感は確かにある。裸を見てしまったり、寝ている彼女に口移しの延長でキスをしたり。それも何度も。髪の毛の感触にさえ興奮したり、抱きしめて眠ったり。彼女の了承を得ないまま自分の感情の、欲望の赴くままに行動してしまった数々のことが心に引っかかっている。


「ごめん……」 


 逆さまに見えているひまわりがまた、風に揺れた。どんどんマイナス方向に転がっていく、寝起きのぼんやりした頭の中でそれでも分かっている唯一の想い。


 こんなにダメな自分でも、もうどうしようもなくアルのことが好きだということ。ダメな自分ごと、受け入れてもらえはしないだろうかと願っていること。好き過ぎて、他のことなど何も考えられないこと。


 ―愛している


 だから、こんなおれだけれども、好きになってはくれないか?



 勝手すぎることは重々承知の上で、頭を起こしまたアルを抱きしめた。これで最後にするから、と心の中でまた謝って。すると押しつぶしすぎてしまったのか、アルが声を漏らした。


「……う、ん……」


 奇しくもその声は、さっきのおれの独白と重なって了承の返事のように聞こえた。


「……はは、重症だな」


 自嘲の笑いを零しつつ、おれはアルをそっと解放した。アルの下にあった腕を引き抜いて離れようとした瞬間、アルの手がおれのシャツを掴んだのには驚いたが、


「もう十分だよ」


 と笑って離した。彼女がおれを離したくないと、少しでも思ってくれるのならその想いだけで十分だった。


 おれの浅ましさに彼女が汚されないうちに離れたかった。これ以上、彼女の意思が確認できないのにおれが暴走してしまう状況は避けたかった。だって彼女に顔向けできない。アルはいつだってキラキラした目でおれを頼ってくれるのに、信じてくれているのにおれは彼女に話せない秘密ばかりが増えていく。嫌われたくない。少しだけ、彼女も自分を好きかも知れないと思えるそういう希望が見えるから。アルが、おれを頼っておれに縋ってくれたから。


「……反省の意を込めて行水でもするかな……」


 ぐっすりと眠るアルにきちんと布団を掛けてやってから、熱を測るために額に手をやった。ものすごい熱ではなくなっていたが、まだ熱は残っているようだ。たぷたぷに溶けてしまった氷枕を手に取り、おれは客間を後にした。







 同窓会がそんなによかったのかにこにこして楽しそうなお袋と、いつも通りの親父を見比べて首を傾げながら夕飯を囲んだ。なんの記念日でもめでたい日でもないのになぜか赤飯がでて、でもあのもっちりとした食感はわりと好きなので何も言わずに食べた。


「それで栄。アルちゃんの熱はどうなの? 多少は下がったのかしら?」


「ああ、ちょっとは下がったと思う。でも昨夜も下がったと思ったら上がったし、どうなるかまだ分からない。もしかしたら明日も上がるのかもしれないし……。このまま下がってくれればいいんだけど」


 おれは赤飯を飲み込んでお袋の問いに答えた。アルが熱を出してからかれこれ一日半。熱は上がったり下がったりするものだけれども、アルの場合は少し変な気もする。


「そうねぇ、あんまり高い熱が出続けると脳がおかしくなっちゃうって言うでしょう? お母さんはそれが心配なのよね。アルちゃんには解熱剤も使えないし」


 確かにそんな話を聞いた事もある。赤ん坊などは大層危険だという話だ。アルは一時三十九度近くまで熱を出していた。赤ん坊ではないから大丈夫だろうと思いたいが、昼間ものすごく寒がっていたときはもしかしてそれ以上の熱を出していたかもしれない。ああ、せめて医者に相談できれば……


「せめてねぇ。誰かに相談できたらいいのに。あらそういえばアルちゃん、お友達の天使さんが近くにいるとか言ってなかったかしら。栄も会ったんじゃなかった?」


「……ああ! あの黒髪美人!!」


 すっかり忘れていた人物を思い出しておれはぽんと両手を叩いた。あの美人、アーレリーとか言ったっけ、あの人に聞けばアルの身体のことも薬を使っていいかどうかも分かるかもしれない。どうして今まで忘れていたんだろうか。


「サンキュー母さん。おれ明日聞きに行ってみるよ」


 暗闇に光が挿したような明るい気持ちでお袋に笑顔を向けると、お袋は瞬きをして首を傾げた。


「あら、その人がどこにいるか知っているの栄?」


「ああ、役所の窓口にいるって、平日は」


「……じゃあちょうど良かったな、明日月曜だ」


 事の成り行きを静かに聞いていた親父が急に口を挟んできた。あ、そうか。もし今日黒髪美人を探そうとしても日曜だから探しようがなかったか。どっちにしても明日まで待つしかなかったんだ。


「だが休みにはできないぞ。明日は二階のあの部分を……」


「いいよ、昼休みに行ってくる。ちょっと早めに出てもいいかな?」


 親父が申し訳なさそうに言うのを遮っておれは元気に言った。さっきまでものすごく後ろ向きにしょげていたのが嘘のように、体中から希望が溢れてくる。輝きが表情から漏れていたのか、親父が苦笑して頷いた。傍らでお袋も笑っていた。


「よし、明日の昼だ」


 握りこぶしを作って明日のことを考えた。もしアルの熱が今晩引いたとしても、アーレリーには会っておきたいと思う。アルの身体について知っているのは彼女だけだ。今後アルに何かが起きたときにきちんと対処できるよう知識として知っておいたほうがいい。そうと決まれば明日が待ち遠しかった。


 おれは残りのご飯をかき込む様に口に押し込み、食べ終わった食器を下げ、すぐに客間に向かった。足取りは軽く、でも音を立てないよう慎重に。


「……アル?」


 小声で呼びかけてから部屋の中を覗くと、アルはまだ眠りの世界にいた。暗がりの中、呼吸に合わせてゆっくりと上下する布団だけが見える。縁側から入る月明かりを背に、おれはアルの枕元にしゃがんだ。


「……アル。明日アーレリーに聞いてくるから。そしたらきっと楽になるよ、な」


 ふわりと巻く髪を指先で避け、額に手を当てたらじんわりと熱が伝わった。この熱をなんとかするんだ、と確かな使命感が胸に灯る。


「アル……もうちょっと、頑張ってくれ……」


 ゆっくりとした一定のリズムを刻んで聞こえる寝息が、彼女は確かにここにいるのだとおれに教えてくれた。確かにここに存在している、命。温かく、この上なく大切な命が確かに脈打って存在する、その奇跡。

 


 ……繋ぎとめる、おれが。




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