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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
126/128

58 子供たちの眼差し






 土曜日の午後はすることがなくて困る。特に今日みたいに曇りで寒い日には、何もすることが起きないから困る。

 せめて太陽が出ていて暖かければ、どこかへ行こうかなという気にもなれるのに。

 趣味のないおれは、ただ縁側に座ってぼんやりしていた。


 だんだん冷えてきて、そろそろ夕飯の献立を決めて買い物に行かなきゃいかない時間かな、と暮れていく空を眺めながら思っていたとき、小さな声がおれを呼んでいるのに気づいた。


「ぱぱ……」


 あれ、芙柚の声だ。最近おれが近づくと嫌がるから、呼ばれたのも久しぶりだ。


「フユ?」


 小さな声のする方を向き、芙柚の姿を探してみると。

 大きな何かを持った芙柚が、少しよたよたしながら歩いてくる。背負うように抱えていたものは、ひまわりの花。


「フユ……これ、どうして……」


 この寒い冬に、ひまわりなんてどこから? と思ったら、それは造花だった。造花だけど本物と同じくらいの大きさに作られて、遠目で見たらきっと造花かどうかわからない。そんな大きなひまわりを何本も抱えてきた芙柚が、おれの前まで来てそれを下ろした。


「ぱぱに」


「おれに……くれるのか?」


 わけもわからず尋ねると、芙柚は目を瞬かせながら頷いた。


「ぱぱ……ひまわり、すきでしょ? いつも、みてた、ふゆ、しってる」


 一瞬で目頭が熱くなって、ふいっと芙柚から目を逸らした。……なんだよ、それ、芙柚。


「いま、ひまわり、ない。でも、はるちゃん、かってきた。ぱぱに、あげる。ぱぱ、げんきないから」


 たどたどしくも紡がれる言葉に、自然と涙が出てきた。


「フユ……ひまわりが好きだったのは、ママだったんだよ……」


 泣きながら芙柚に手を伸ばした。芙柚は嫌がるかな、と一瞬思ったけれど、腕の中に納まってくれた。背中に回された小さな手が、おれの服をしっかりつかんでいるのがわかる。おれの腹をくすぐるように、顔をくっつけたままの芙柚が言った。


「でも、ぱぱも、すきでしょ? いつも、みてたでしょ?」


「フユ……」


「ままと、みてたでしょ。ひまわり。だから、ぱぱに、あげるね。げんき、だしてね」


 ああ、小さい小さいと思っていたけれど、芙柚もちゃんと見ていたんだな。おれたちのことを。おれと葵がどうやって過ごしていたのかを。


「おとうさん……」


 控えめな声に呼ばれて振り向くと、壁に半分隠れるようにして、羽留と奈津と亜希がいた。

 おれが慌てて涙を拭っている間に三人はおれに近づいてきて、無言のうちに抱きついてきた。


「うわっ」


 三方向から抱きつかれたのでなんとかバランスは保てたが。腹に抱えていた芙柚がつぶされそうだったので、芙柚の両脇を掴んで持ち上げた。


「ぱぱー」


 嬉しそうにおれに手を伸ばす芙柚。また涙が浮き上がってきて、慌てて拭こうと思ったけど、両手はふさがっているし、頭もたぶん羽留がのしかかっていて動けない。


「なんだよみんな、急にどうしたんだよ」


 仕方なく鼻水を啜りながら言うと、亜希が顔を上げて言った。


「パパ、元気出してよ。ママが死んじゃって悲しいけど、パパまでずっと悲しい顔してたら、私たちも悲しい」


 すると反対側から奈津の声がした。


「お母さんがいなくなっちゃった分も、おれたちが頑張るからさ、ひとりで頑張らなくたっていいんだよ、お父さん。おれたちもう小四だよ、なんだってできるよ」


 右腕を上げて覗き込んだら、真剣な目をした奈津と目が合った。芙柚を膝の上に下ろし、空いた右手で奈津の頭を抱え込んだら、擦り寄るようにくっついてくれた。左側から亜希が服を引っ張るので、同じように抱え込んでやる。


「まだ……頼りないかもしれないけどさ、頼ってよ。お父さんの思ってること、聞かせてよ」


 おれの首に両手を回し後ろからくっついた羽留が、おれの頭のすぐそばで言う。恥ずかし気に俯いているから、表情は見えないけれど。


「お父さんがひとりで頑張りすぎちゃってさ、もしお父さんも病気になっちゃったりしたら、僕たちどうしたらいいのかわかんなくなっちゃう。だから、そうなる前に、頼ってよ。できるだけのことはするから、ね?」


 ああ、もうなんだっていうんだよ、みんなして。

 おれの涙腺決壊させて。おれの泣き顔なんて見たって楽しくないだろう?


「……馬鹿、ハル。もうとっくから頼ってるだろ? なんでもお前たちに頼ってやってもらって、お父さん一人だけじゃ絶対生活なんてできないって」


 ぼろっと零れた涙が、芙柚の頭に落ちてしまった。あ、ごめんごめん。慌てて拭うけど、それにすら芙柚は嬉しそうに笑う。


「みんながいなかったら、お父さん、料理できないし、作る気にもならなかったし、掃除だって面倒だし、たぶん、まともに生活できなかったよ。助けてもらってる、ずっと。ありがとな、みんな」


 両手で奈津と亜希の頭を撫でたら、嬉しそうにしつつもどこか不満そうだった。口をとがらせるこの表情。


「そうじゃなくって、お父さん」


 羽留が苛ついたように言う。


「気持ちの問題だよ、心の! お父さんはひとりでなんでも考えすぎだと思う!」


 うんうん、と頷く双子。ああ、その顔。葵そっくりだ。


「悲しいなら悲しいって言って。寂しいなら寂しいって言って。僕たちも言うからさ、お父さんもそう言って。あと、」


 羽留はいったん言葉を切って、おれから離れた。何をするのかと思っていたら、おれの前に回り込んで、目を見つめてくる。


「お母さんの話をしようよ。してもいいでしょ? 死んじゃったって、ここにいなくたって、お母さんはお母さんなんだよ。お母さんといたときの楽しい話したいんだよ、お父さんからも聞きたいんだ」


 四対の目に見つめられる。

 みんなくりっと大きくて、まつげも長くて。茶色の虹彩の中に、緑色が一筋、にじんでいるように見えた。


 ……こんなところにも、いたんだ、葵。


 おれは耐えきれなくなって、四人全員を無理やり抱え込んで泣いた。いきなり声を上げた泣いたもんだから、子供たちもびっくりしたようだったけど、つられるようにみんな泣き出した。


「ごめん、ごめんな……お父さんが悪かった」


 泣きながら謝る。

 子供たちはちゃんと見ていたんだ、気づいていたんだ。


 おれが悲しんで悲しんで寂しがっていることも、故意に葵の話をしなかったことも。


 でも子供たちだって悲しかったし、寂しいに決まってる。お母さんのことも話したかったに違いない。でもおれがずっと怖い顔をしていたから、葵の話をしなかったから、できなかったんだ。言いたいことが言えなかったんだ。

 それで心配を掛けて。ひまわりの花なんて買ってきてくれて。


「ごめんな、お母さんの話、しような。たくさんしよう、して悪い話なんてないんだ、いつだってしよう」


 なんて優しい子供たちなんだろう。

 そしておれはなんてダメな父親なんだろう。


 おれは葵を失った。だけど同時に子供たちの父親だ。

 ちゃんと面倒をみているつもりで実は、子供たちの気持ちをないがしろにしていた。そんなの父親失格じゃないか。


「ごめん、ごめんな……」


 おれはこれから、生きていかなければならない。子供たちの父親として。

 ちゃんと育てていかなければならない。母親がそばにいなくても、立派に。


 涙で霞んだ視界の中に、造花のひまわりの黄色と緑が鮮やかに映る。やっぱりこの花は夏の花だな。グレーの空には合わない色だ。明るい夏の日差しの中に、青く澄んだ空の中に、映える花だ。……風を受けてほほ笑む、君のように。


 ……葵、今おれのことを見てるか? 情けないって笑っているかな。



 なぁ、君は、もしかして、知っていたのだろうか。

 君が、おれよりも先に、おれを置いていってしまうことを。


 君は残してくれたのだろうか。子供達という、君がいた証を。おれの生きる意味を。



 おれにしがみついたまま、泣いていた子供たちの呼吸が落ち着いてきた。芙柚がつぶれてしまったか? とヒヤッとしたが、羽留の下に隠れていつの間にか眠ってしまっていた。三人が顔を起こし、照れくさそうしていたから、「顔を洗いに行こうか」と笑ったら、三人も笑ってくれた。それぞれ涙の跡を擦って立ち上がる。

 パタパタと洗面所へ走っていった三人の背中を見送って、芙柚を抱えてひまわりを見下ろした。


 ……葵、また君が、おれを助けてくれたのかな


「まま……」


 眠ったままの芙柚が、寝言を言いながらおれにしがみついてきた。


「ごめんな、ママじゃなくって」


 小さく呟いておれも歩き出した。

 ママの分も、しっかりしてあげないとな。芙柚なんてまだ小さいから、ママが必要だもんな。

 

 玄関の扉が、カラカラ……と開く音がした。誰だろう。


「こーんばーんはー。……あれ、案外平気そうな顔してるね、魔法の水の力は必要なかったかな?」


 ひょっこり顔を出したのは洋一で、日本酒とおぼしき一升瓶を顔の横で振って笑った。

 その訳知り顔に、おれはピンと来た。ははぁ、洋一の入れ知恵か、羽留が相談にでも行ったのかな。


「……魔法の水より、お前の料理に関する魔法の腕が必要だな。夕飯よろしく」


 まったく、みんなして人の心配ばかりして。

 心配をしてもらっている立場で、その立場が妙に照れくさくて、誇らしくて、顔がにやけてしまう。

 本当におれは幸せ者だよ。こんないい友達といい子供たちに囲まれて。


「仕方ないな~栄くんの笑顔に免じて作ってやるか~」


 最初からそのつもりで来たのだろう、洋一の手にはスーパーの袋が下がっていた。野菜と肉か何かのパックが見える。


「あ、洋一さんだー! なになにー、お料理教えてくれるのー?」


 嬉しそうにやってきたのは亜希だ。ああ、今日はおいしい夕飯が食べられそうだな。

 羽留も奈津もやってきて、きゃあきゃあと楽し気な声が上がる。子供たちのこんな声をしばらく聞いていなかったことにも、気付いていなかった。周りを、全然見ていなかったんだなぁ。

『ちゃんと面倒をみる』と最後に葵に約束したのに、その約束を守っているつもりで全く守れていなかった。


 悪かったな、これからはちゃんと、もっとちゃんと父親やるから。

 葵にがっかりされないように、頑張るから。


 楽しそうにはしゃぐ子供たちの顔を見ながら、おれは心の中で強く誓った。

 もう二度と、間違ったりしない。迷ったりしない。

 おれはここで、子供たちを守って生きていく。子供たちと一緒に生きていく。

 いつか葵が戻ってくることを信じて、ずっと。



 ……ありがとう、みんな。







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