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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
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48 呼び名は大切

本日二話目の投稿です。





 おじいさんとアンナさんは帰国後すぐにうちに挨拶に来てくれた。うち、というか親父たちのところだ。だからおれは葵と子供たちを連れて実家に行った。

 二年ぶりではあったが、おじいさんもアンナさんもさほど変わっていなかった。いや、アンナさんは変わるはずもないのだが、おじいさんは心配していたよりもずっと元気に帰ってきた。


「いろいろお世話になりました。家も庭もしっかり管理してくださって」


 おじいさんが親父とお袋に頭を下げた。お袋がパタパタと手を振って応える。


「いいえ、特別なことは何もしてませんよ。たまに行って空気の入れ替えをしてちょっと掃除したくらいですから。庭は洋一君がみてくれてたの。やっぱりプロだから違うわね~」


「ああ、洋一君が。後でお礼に伺わないとな、アンナ」


「……ええ、そうですね」


 この会話にちょっと白々しさを感じたのはおれだけだろうか。……まぁいい。その後おじいさんの頭の中で洋一とアンナさんの関係がどのように展開されたかはわからないのだ。

 居間にみんなで集まっているからおれは隅の方に座っていたのだが、子供たちがなにやらそわそわしている。こそこそと耳打ちをして何かを話しているが、どうしたんだろう。


「ハル、ナツ、アキ、どうした? 何かあったか?」


 葵の膝の上で大人しくしている芙柚は、まだおしゃべりには参加できないので省く。


「お父さん、あの、ちょっとアンナさんに聞きたいことがあるんだけど、いい?」


 もじもじと羽留が切り出したので、首を傾げつつも頷く。すると羽留はアンナさんの方へ向きなおり、言った。


「あの、アンナさん。アンナさんって僕たちからすると……おばさん、なんだよね?」


 話しかけられたアンナさんは、訝し気な顔をしながら頷いた。


「ええ、そうだけど、それが何か?」


「そしたらアンナおばさんって呼んだほうがいいの?」


 ……いきなり何を言い出すんだ、羽留。

 おれが呆気に取られていたら、アンナさんはすごくいい笑顔になって言った。


「どうしたの、ハル? 今までずっとアンナさんって呼んでくれてたじゃない、赤ちゃんの頃から」


 羽留はその笑顔から発せられる得も言われぬ圧力にたじろぎながら答えた。


「えっと、その……僕も中学生になって、アンナさんがおばさんにあたるって理解したんだよね。それで、友達が自分のおばさんのことを○○おばさんって呼んでたから、その方がいいのかなって思って……」


 言いながらもなんとなく奈津の後ろに隠れようとする羽留。奈津は盾にされているのがわかって、微妙な顔をしながら後ずさっている。


「あら……そう、そういうこと。でもね、ハル。それからナツ、アキ?」


 アンナさんは納得したように眉を動かした後、再び笑った。大輪の薔薇が一気に咲いたような豪奢な笑みなのだけれど。


「私のことは、アンナさんで。おばさんって呼んだら、ぶっ飛ばすわよ」


 薔薇も一瞬で凍り付くような、ブリザードが吹き荒れた。なんだろう、ものすごくきれいな笑顔なのに。


「わ、わかりました!」


 羽留が目を大きく開けて、口元を引きつらせながらそういうと、奈津と亜希もぶんぶんと首を振って同意を示した。


「ふふ、よろしくね」


 アンナさんの高圧的な気配は収まった。……嵐は、過ぎた。


「アンナ、おばさんと呼ばれたくらいでそんな、威嚇するようにしなくても」


 おじいさんが窘めるように言ったが、それは眠ったライオンを起こすようなもの。


「おじいさま? 私、おばさんと呼ばれるような年齢ではありますが、そんなに老けてはいないと思ってますの」


 再び、一瞬にして空気が凍り付く。

 でもそれもそうだ。アンナさんは年齢設定的には葵のお姉さんだからもう四十過ぎているのだが、アンナさんの顔だちは二十代後半といっても通る。肌もつやつやだし。まぁ大人っぽいから三十代前半くらいがいいとこか?

 おれが変なことを考えていたら、一瞬アンナさんの鋭い視線がこちらへ飛んだ。……ひぃっ!


「それにおばさんと呼ばれるようになったら余計に老ける気がして。ほら、お姉さまも言っていたでしょう? 私のことをおばあちゃんと呼ばないでって。だから私も習って、おばさんと呼ばれたくはないんです」


「ああ、そうか、そんなことを言っていたね。ふふ、それなら仕方ない」


 ふーん、ロシアにいたときにいろいろあったんだな。おれが心の中で納得していると、隣に座っていた葵が、感心したようにうなずいていた。一体何に感心しているのやら。


「確かにアンナちゃんはいつまでたっても美人だから、おばさんは似合わないわねぇ~」


 黙って話を聞いていたお袋が、お茶を飲みながらのんきに言った。隣で親父が頷いた。


 その後は他愛ない話が続いた。ちょうど芙柚の誕生日が迫っているが、その前にクリスマスもあるので、そのパーティーをどうしようかとかいう相談など。おじいさんはロシアで料理の腕を磨いてきたらしく、披露するぞと張り切っている。葵に料理を教わってだいぶいろいろ作れるようになってきた亜希がその話に敏感に反応し、おじいさんに対抗して自分も料理を作ると言い出した。おいおい、大丈夫かよ。

 退屈してきた芙柚が、葵の膝から降りてなにやら不思議な歌とともにダンスを始め、それがものすごく可愛くて、親父が「ビデオ、ビデオカメラはどこだ!?」と慌てて探したり、芙柚に対抗したのか奈津が、習得した武術の技を披露したり(部屋が狭いのでやめろと止めたのだが)、なんだかもうパーティをしているかのように盛り上がった。


 そのまま夕飯も食べましょうということになって、めんどくさいから寿司を取った。

 子供たちは喜んで、おおはしゃぎした。ここのところ、なかったような盛り上がり方だ。おじいさんとアンナさんが帰ってきたことがうれしいんだろうな。こんな風にして部屋の中は熱気でいっぱいだった。だから、届いた寿司を受け取りに玄関の外に出たとき、初めて雪が降っていることに気づいた。


「中が暖かいから気づかなかったね」


 一緒に玄関に出てお金を払った葵が、財布の口を閉めながら言った。お金の出どころはおじいさん&うちの親父だ。ごちそうさまです。


「ああ、積もるかな。積もったら困るんだけど。まだスタッドレスにしてなかった」


 今年は暖冬だなんてテレビで言っていたから、油断してタイヤを交換するのを忘れていた。でも降り方を見ているとそんなに積もるほどの降りじゃない。ちらちらと舞って、今にも止みそうである。それに、積もったら積もったで……


「積もったら、歩いて帰ればいいじゃない。それも楽しそう」


 葵が笑ってそう言った。


「そうだな、そうしよう」


 奇遇だな、同じこと考えてた。まぁ何年も夫婦やってるんだもんな、思考も似てきて当然か。


「寒いから入ろう。寿司も重いし」


 おれが抱えるほど大きな寿司桶が三段届いたのだ。一体何人前を頼んだのやら。


「うん」


 カラカラ……と玄関の扉を閉めた。騒がしい居間とは障子を隔ててシンと静かな玄関で、そういえばあの話は、と不意に思った。


「葵、あの……」


 声を掛けるとサンダルを脱いで上がろうとしていた葵がこちらを向いた。


「ん? なぁに?」


 障子から漏れてくる光が差すだけで、明かりをつけていない薄暗い玄関に、葵の無垢な表情が浮かんだ。

 ……今する話でもないか。


「いや、やっぱりいいや、なんでもない」


 誤魔化して視線を落とすと、葵は一瞬何か言いたげにしたが、同じように視線を落とした。


 また再び、降ってくる沈黙。


 やっぱり、何か話したいことがあるんだ。でも積極的に話したい話じゃないんだな、けど話さなきゃいけない話なんだろう。

 葵の横顔から、おれはそう推し量った。

 推し量ったけれど、今聞く話ではないのだろうと、何も聞かずにおいた。いつか話してくれるだろうとのんきに構えていた。



 そのいつかが、あまりに突然で、あまりに衝撃的で、後戻りができないことを、知らないままに。







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