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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
115/128

47 見つからない言葉



 もって、二年。

 それがあの神に告げられた限界だった。


 だから芙柚の二歳の誕生日を迎えたときにはほっとすると同時に言いようのない不安に押しつぶされそうになった。

 あと、どれくらい保てるのか。残された力はあとわずか。でもあの神がなんだかんだ言いながらも少し力を分けてくれたのかもしれない。そうでなければ私は芙柚の三歳の誕生日をお祝いすることもできなかっただろうから。


 芙柚の三歳の誕生日まで、あと数週間に迫った。

 お祝い自体はいつも通りだ。お父さんとお母さんがパーティーをしようと言ってくれているので、あちらに行ってみんなでご飯やケーキを食べる。私も早めに行ってお料理の手伝いをするつもりだ。


 大きすぎる力を内包した芙柚は、最初はどうなるかと心配したけれども、うまく力はしまい込めたようで、奈津や亜希と同じように表には見えてこない。奈津と亜希の場合は、途中で力の譲渡を行っているのでたぶんそれもよかったはずだ。ただ、元々は私の力ではあったものの、生まれがこの世界だからなのかふたりの減ったはずの力は、徐々に回復しつつあった。芙柚もどうせなら誰かがあの余剰の力をもらってくれればいいけれど、そうはいかないだろう。あれは必要とされて与えられた力。この先の未来のどこかで、大きな役割を果たすために与えられた力なのだから。


「フユの力を私が受け取れたら、もっとここにいられるのだけれど」


 ぽつりとつぶやくと、アーレリーの声が聞こえた。


「それが無理だから悩ましいんでしょう」


「……そうだよね」


 私たちはまた、夢の世界で会っていた。

 アーレリーとおじいさまがロシアに旅立ってから度々、こうして夢の中から呼び合って、落ち合って話をしていた。離れてから二年近く。でも全然離れている気もしなかった。


「フユの力は私たちには取り出せないわ。あの結界にくるまれた部分だけなら、私の力が作用しているから干渉もできるかもしれないけれど……何とも言えないわね。あの神が黙っているとは思えないし」


「うん、そうだね。今もこの会話、聞いているかもしれないね」


 今私が悩んで苦しんでいることも、きっとお見通しで笑っているに違いない。だから言ったでしょ、とか言いそうだ。


 神の手の上で遊ばれているのはわかっている。でも、もがいたっていいではないか。私にはそれが可能な思考があるのだから。

 人間と同じ。何の力も持たないのに、目の前の運命に立ち向かっていく人間と同じ。今の私は、天使として生まれた体を持っているだけで、ちっぽけな存在だ。その体も、もうすぐ朽ちていこうとしているけれど。


「どうするの、これから」


 私の力の残りがほんの乏しいことを知っているアーレリーが、心配そうに尋ねてきた。

 どうするもこうするも、私にできることは一つしかない。


「そうね、最後まで粘るわ。力がなくなったら……危なくなったらたぶん、強制的に天界へ戻されちゃうけど、それまでは張り付いてでもあの家にいるわ。そういえばアーレリー、あなたあの家の周りに結界張ってくれたの? 私も自分で張ってから気づいたんだけど、あなたの力を感じて」


「ええ、少しでも足しになればと思ってね。私の力を内に放出するように設定したの。だからアルの体も少しは楽なんじゃないかしら」


「え、でもそれじゃ、アーレリーの力が」


 それは結界を張り続けている限り、永続的に力を失い続けるということだ。いくら普段使わない力だからと言って、使い続ければアーレリーだって私と同じように……


「大丈夫よ、放出量はごくわずかだから。それに私は、おじいさまと一緒にいれたらそれでいい。この先おじいさまがいなくなってしまえば、私が地上に存在する意味はなくなってしまうから、天界に戻されようとも消滅しようとも、どちらだっていいのだし……」


「アーレリー……そこまで……」


 そこまで、おじいさまのことを大切に思っているのか、という驚きと、そこまで私に力を貸してくれるのかという感謝で胸が詰まった。


「ねぇ、おじいさまは、どうなの……?」


 アーレリーがこう言うということは、おじいさまの死期が迫っているのだろうか。


「今のところはね、まだ元気にしてるわ。病気のお姉さんの看病をずっとしていて、そのお姉さんも一週間前に亡くなったの。おじいさまは弟さんの手伝いをして、いろいろまだやっているけれど、落ち着いたら日本へ戻るって言っているから、たぶんもう少ししたら帰るのだと思うわ。おじいさま、死ぬときはおばあさまの近くがいいんですって。お墓も一緒にしてほしいって」


 アーレリーはふっと笑いながら言った。眉が寄っていて、苦しそうな、切なそうなほほ笑みだった。


「そういうことを言い出すんだから、おじいさまもきっと、自分が長くないって思ってるんだわ。なんとか……体調が保てるように私もいろいろやっているけど……寿命というものはどうにもならないから。少しくらいなら誤魔化せても、体に決められた時間は長くは引き延ばせないわ」


 人間に与えられた、老いという時間の蓄積。私たち天使は生まれてからずっと容姿が変化することはない。だから年齢を気にすることなんてしない。そもそも天界に年齢という概念はないし、生き死にの概念さえもこの世界とは違っている。だから。


「こんな風に残酷だとは思ってもみなかったわ……」


 私は呟いた。資料で読んだ中には、人間は生まれて年を重ねてそして死んでいくと書かれていた。でもその内容がこんな風に温かくて、悲しくて、喜びに満ちていて、そして残酷だなんて、天にいる誰が知っているだろうか。人間の世界が、どれだけ豊かでどれだけ儚いものか、説明したってきっとわかってはもらえない。そう、これは私とアーレリーしか知らないこと。


「私たち、貴重な体験をしているのね」


 たぶん、おじいさまのことを思い浮かべているのだろう、うっすらと目に涙を浮かべながら、アーレリーは言った。


「そうだね。天界では誰にも信じてもらえないだろうけど」


 私は苦笑いで答えた。胸が詰まっていたけれど、涙は出なかった。悲しすぎるとき、逆に涙が出なくなることも最近知った。

 アーレリーは私の答えに頷いた。これはどうしようもないこと。あの世界には豊かな感情はないから。


「そういえばアル。あなた日向さんにはちゃんと話をしたの? おじいさまより先にあなたが限界になってしまうんじゃ……?」


 ふと気づいたようにアーレリーは言った。私はすぐに返事ができなかった。触れられたくない話だった。


「あら、その様子じゃまだなのね? でも……言っておかないとならないんじゃない? あなたがいくら頑張ったとしても、天に戻らなければならないことは……覆らない」


 ……うん、そうだね、そうなんだけど。

 思っていても口に出せなかった。何も言えずただ頷いてうなだれた。


 栄に話そうと思っていた。もうずっと前から、話さなければならないと。私たちは夫婦だから、隠し事はなしだと、いつか栄が言ったから、私もそうしようと思って話さなきゃってずっと考えていた。

でも。


「……なんていったらいいか、わからないの……」


 聞こえないくらいに小さな声しか出なかった。それでもアーレリーには伝わったようだった。


「アル……」


 気遣わし気な瞳に、また言葉を見つけられなくなって目を閉じた。


 ……ああ、だって。

 栄になんて言ったらいいの? なんて言ったら栄は傷つかずに済む? だって絶対に泣いてしまうでしょう? 栄が私のことを好きなこと、ちゃんとわかっているもの。

 一日仕事をしてきて、子供たちの相手をして、すごく疲れている時でも、私を見るとすごく優しい顔になるの。あおい、って呼んでくれるの、笑ってくれるの。

 見ててわかるもの、私のことを好きでいてくれてるんだって。出会った頃とずっと変わらずに、私のことを見ていてくれているの、わかるんだもの。


 気づいた時には目からボロボロと涙が出ていて、そんな私をアーレリーが抱きかかえてくれていた。

 ゆっくりと頭を撫でてくれる。ああ、アーレリーもそうされると落ち着くことを、知っているんだね。


「いつか……ちゃんと話す。でもまだ言えない……」


「ええ……そうね……大丈夫よ、アルならちゃんと言えるわ」


 自分の嗚咽の声の間から、アーレリーの優しい声が聞こえた。


 わんわん泣きながら、いつの間にか眠ってしまったようだ。夢の世界でさらに眠るというのはおかしな話のようだが、夢の世界の中での意識を手放すということだ。


 気が付いたら私はいつものように、温かいベッドの中にいた。隣には芙柚と栄。似たように体を丸めて熟睡している。


 ……ここが、私の居場所だと思うのに。

 栄の隣、子供たちの傍。安心して心やすらかに過ごせる唯一の場所なのに。


 私は天使だから、ここが本当の居場所だと思ってはいけないのね。

 いっそ人間に生まれればよかったのにと思ったけれど、考えても意味のないことだった。

 今私にできることは何だろう。この体を繋ぎ止めるためにできること。そして栄や子供たちのためにできること。


 まだまだ夜は明けそうになかった。

 最近はこうして、夜中に起きて考えていることが多くなった。もう、ほとんどの器官を人間の仕様ではなく天使のそれに戻してしまった。力の浪費を押さえるために。だから本当は睡眠も必要ない。少し眠った方が頭を休められる気がするからそうしているけれど、長い時間眠ってはいられなくなった。

 もぞもぞと体を動かして栄の方を向く。芙柚がふいに伸ばしてきた腕を受け入れ、抱きしめた。

 ああ、芙柚なんてまだこんなに小さいのに。こんなに小さいうちに離れたら、私のことは忘れてしまうかもしれないね。


 悩みは尽きなかった。考えなければいけないことは山ほどあって、そして一人きりの夜は長くて。

 いくらでも考えられたけれど結論など見つけられないまま。


 カーテンの向こうに朝日が表れるのを、今夜もじっと待つほかなかった。







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