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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
112/128

44 アキのバレンタイン




「アキ~? そろそろ焼けた? 見える?」


「うーん、よくみえな~い。でもタイマーはあと三分だよ」


「そう、じゃああと三分待ってから開けてみましょ」


「うん!」


 台所中に甘い匂いが漂っている。葵と亜希はお揃いのエプロンをつけ、何やら作っているようなのだが。


「なぁ、ナツ。二人は何を作ってるんだ? なんだかすごく甘い匂いがするけど」


 日曜日の今日、出かける用事のないおれは、新聞を読みながら居間でくつろいでいた。同じくコタツで本を読んでいた奈津に尋ねてみると、奈津は憮然とした表情で言った。


「……ケーキだって。チョコレートケーキ。ほら、バレンタインでしょ、明日」


「へーなるほど。バレンタインか」


 言われてカレンダーを見ると、確かに明日は二月十四日、バレンタインデーだった。

 バレンタインの日といえば、出会って最初のバレンタインからずっと、葵はおれにチョコレートをくれていた。チョコレートといってもいろいろだ。どこで調べてくるのか、チョコレートクッキーだったり、小さなケーキだったり、名前はおれにはわからないけれど、とにかく毎年工夫して作ってくれるのだ。そう、毎年手作り。さっと買って済ませないところが葵のすごいところであり、しかも毎年おいしいので、いやはや全く、頭が上がらない。


「それでどうしてそう不機嫌な顔してるんだ? ナツ。ナツはチョコレート嫌いだったか?」


 漂ってくる匂いに我慢ならないのかと思って聞くと、奈津はさらに眉間にしわを寄せて、唸るように言った。


「……嫌いじゃないけどさ。だってアキ、誰のために作ってると思う? クラスの男子だよ? ありえない、あんな低レベルの奴らのために」


 ほー、なんだか面白そうな話だな。


「クラスの男子? なんでまた。というか、お前たちまだ二年生だろう? こんな低学年のうちからチョコレート渡したりなんてやるものなのか?」


「やるさ、いちぶの女子だけだけどね。それが今年はアキまで……。くっそ、あのとき早くわってはいってればこんなことには」


「ん? 何があったんだ?」


 最近の奈津の言葉遣いはなんだか大人びているというか悪ぶっているというか、少し引っかかるんだけど、おれ自身の言葉使いが悪いせいかとも思うので口出しはできない。今はイライラしているから余計そうなんだろうと、それには触れないでおく。

 おれが水を向けると奈津は思い出しながらも憤慨したようで、感情たっぷりに話してくれた。


「先週、アキのクラスの女子たちがさわいでたんだ。バレンタインデーにだれにどんなチョコをあげるかって話で。女子って声が高くてキャーキャーもり上がるでしょ? それで男子たちが『うっせー、お前らのチョコなんてだれもほしがんねーよ』ってはやしてさ」


 うーん、目に浮かぶようだ。小二でそこまでおしゃまだったかどうかは覚えていないが、よくある話ではある。


「で、とうぜん女子がキレて。『あんたたちになんてあげないわよっ! もっとかっこいい男子にあげるんだから!』って返したら、『へっ、お前らみたいなブスからはいらねーよ!』『はぁ? 去年のバレンタインにぎりチョコあげたらめちゃくちゃ喜んでじまんしてたくせに!』『んなわけねーだろ! ブスからもらってじまんできるかよ!』……ってちょうしで続いて」


 どうでもいいが、男の子と女の子の声色をうまく使い分ける奈津の話し方がとてもうまい。こんな才能もあったのかと思いながら頷いた。


「おれとなりのクラスじゃん、でもとなりまで聞こえてくるくらいうるさくってさ、ようすを見に行ったんだ。そしたらアキが『いいかげんにしなさいよ、みんなのめいわくよ』って立ち上がってさ。どうも本を読んでたみたいなんだけど、あまりのさわぎに注意したみたいなんだよな。でも男子が『うっせー、ひっこんでろ』とか言って、今度はアキにつっかかったんだ。わざわざアキの席まで歩いて行ってさ、肩をこう、こづく? みたいな。アキっていつもはおとなしくて意見とかあんまり言わないから、たぶん男子になめられてるんだよ。それでそいつらはでかいたいどとったんだと思うけど……。そしたら女子たちがさ、『うわ、あんたたちサイテー。今年は本当にぎりチョコもあげない!』って言って、そのまま教室出てっちゃったんだ。んで、とりのこされた男子たちがさ、一瞬ぽかーんてしたあと、われに返ってアキに言ったんだ。『お前のせいでチョコもらえなくなった』って。おれ、その場でぶんなぐってやろうと思って教室の中に入っていったんだけど、なぐりかかる前にアキが、『……ごめんね、私が代わりにあげるから』って……」


 は~なるほどなるほど。奈津が怒るわけだ。


「あ~今思い出してもイライラする! ぶんなぐりてぇ、あいつら!! それでそのあとどうだったと思う? 男子ども、手のひら返してアキにすりよってさ、『ありがとありがと、感謝する!』ってちょー喜んでんの。まじむかつく! お前らにアキのチョコなんて百万年早いんだよ! だれのチョコだって喜ぶくせに!」


 手足をジタバタと動かして怒りをあらわにする奈津を、こちらはニマニマしながら見つめた。昔っから亜希が大好きだった奈津ではあるが、大きくなっても全く変わっていない。双子だからかクラスは分かれてしまっているのだが、ほぼ常に見張っているのではないかと思われるほど、奈津は亜希の情報を正確に握っている。今回の一件は、亜希のガードマンたる自分を出し抜かれたようで非常に悔しいのだろうが、仕方がない、そういうこともある。

 イライラをうまく発散できない様子でいたので、新聞の一部を手渡してみたら、即座にびりびりに破いていた。古典芸か。誰に教わった?


「ナツ~。仕方ないだろう、アキだって自分で考えて行動してるんだ、アキがその子たちにチョコレートをあげるって言ったんなら、アキの好きにさせてやらないと」


 まだ憤慨し続けている奈津に、苦笑いでそういうと、散らばった新聞紙を踏みつけながら奈津が振り向いた。


「お父さん……そんなよゆうな顔してていいの? もしアキがあいつらのうちのひとりとつきあうとか言い出したら……? バカな男の一人や二人、いや三人四人五人くらいはかんちがいしちゃうかもしれないじゃん! ほんめいかもって! そしたらあれだよ!? うちにあいさつとか来ちゃうんだよ!? どうするの、お父さんは、そうなっちゃったら!!」


 あまりに思いつめた顔をしているので、笑うこともできずにただ瞬きだけをした。……奈津よ……。


「それはあまりに考えが飛びすぎだよ、ナツ」


 すたすたと歩いてきた羽留が、本で奈津の頭を軽くたたきながら通り過ぎた。お、クールなお兄ちゃん、どう返す?


「アキはまだ二年生だし。ということは男子だって二年生、その程度だよ。ただチョコレートもらってはしゃいでるだけでしょ、お付き合いとかまで発展するわけないじゃん」


 羽留はコタツで勉強を始めるらしい(ちなみに小6である)。教科書やノートを広げ、鉛筆を削りながらそっけなく言う。

 奈津は叩かれた格好のままで、じっと羽留の話を聞いている。何かいい知恵を授けてくれまいかと集中しているのがわかる。


「それに大丈夫だよ、ナツ。もし勘違いするやつらが出てきたら、ほら、僕たちの方でお話しすればいいでしょ? ちょっと呼び出して、ちょいちょいって、ね?」


 非常に爽やかな笑みで繰り出された言葉であったが、あまりに黒かった。……羽留さ~ん……。

 しかしその言葉を聞いた奈津はとてもすっきりした顔でぱっと笑った。


「さすがハル兄ちゃん! そうだよね、そうすればいいよね! なーんだ、心配することなかった!」


 そして鼻歌を歌いながら、散らかした新聞紙を拾い出した。

 羽留は何事もなかったかのように勉強を始めてしまった。そしてそんな兄弟の間に座って、なんだかなぁと思うおれ。


「……結論はそれでいいのか……?」


 そもそもどうしてこんな話になったんだ? と悩んでいたら、アキが台所からひょこっと顔をのぞかせて言った。


「なっちゃん、はるちゃん。あんまり変なこと言ってると、二人にチョコあげないよ? 大体、私、あの子たちにチョコあげないし。これ、パパにあげる用だし」


「「「え?」」」


 見事に三重に重なった疑問の声に、亜希はにっこり微笑んで続けた。


「あのね、あのあと女の子たちと話をしたの。けっきょくだれにあげたいの? って。そしたらやっぱりあの男子たちにあげたい子もいたの。だからね、私がかわりにわたしてあげるから、チョコはよういしてって言ったの。ふふ、ちょくせつわたすのはてれくさいみたいだったから、ぎゃくにかんしゃされちゃった」


 男三人はぽっかーんと口を開けたまま、亜希の話を聞いていた。なんとまぁ、一枚も二枚も三枚も上手なやり口。


「で、でもそれじゃかたちてきにはアキが男子にあげてるようじゃんか! 見てるやつらがかんちがいするんじゃ……」


 奈津が反論するも、亜希はコロコロと笑って寄せ付けない。


「だっててきとうに呼び出してわたせばいいじゃない? 『はい、○○ちゃんからだよ』って言えば本人もかんちがいしないし」


「でもそれじゃアキばっかりめんどくさいんじゃ? メリットはあまりないように思えるけど……」


 羽留も考え込みながらそう言った。おいおい、小学生なのにメリットデメリットを天秤にかけるなよ……。しかし。


「あら、私にもいいことはあるのよ。なっちゃんとはるちゃんあてのチョコは、私がふたりにわたすから、ちょうだいって言ったの。そしたら女の子たちいいよって言ったから、ふふ、はるちゃんとなっちゃんのチョコは私がいただきなの」


 うふふ、と可愛らしく小首を傾げながら、つまりは横取りをする、と亜希は言った。

 すると羽留が納得したようにうなずきつつ、念押しするように亜希を見つめた。


「そっか、アキにもメリットがあるんだね、ならいいや。もし変な男子が出てきたら必ず僕らに言うんだよ? あと、女子はしつこいから、一応誰からチョコもらったか後で教えてね? あげたもらってないって毎年もめるんだよ」


「おれもわかった。わたすときは見張ってるから安心しろよ、アキ!」


「あ、あとね、変な形のチョコとか、明らかに焼けてないクッキーとか、焦げたクッキーとかは食べちゃダメだよ。匂いかいで、変なのあったらすぐ捨てること!」


「大丈夫、ハル兄ちゃん、おれ見てるから!」


 ツッコむタイミングを失ったおれが呆気に取られている間にも、兄弟の話はおかしな方向に展開していく。

……あれ、なんでうちの子、みんなちょっとブラックな感じなのだ……? 奈津は過剰にシスコン気味だし。ちょっと怖いくらいに。

 育て方間違ったかな、と頭の隅で考えながら呆気に取られていると、亜希の後ろから葵が顔をのぞかせた。


「なんだか楽しそうね。アキ、ケーキ焼けたよ? お母さん取り出しちゃった」


 鍋つかみを装着した葵の手には、ホカホカと湯気をたてるケーキがあった。甘いチョコレートの匂いが部屋中に立ち込める。


「わぁ、きれいにふくらんでる!」


 ケーキを一目見て、亜希はぴょこんと嬉しそうに飛び跳ねた。つられるようにして奈津もそちらに向かい、羽留も鉛筆を放り出し、いそいそと立ち上がる。


「おーい、さっきそれはパパ用って言ってなかったっけ?」


 意地悪くもそう言ってみると、羽留と奈津からの咎めるような視線が刺さった。おー、痛い痛い。


「ははは、冗談冗談。アキ、それは家族用か?」


 笑ってごまかすと、亜希が満面の笑みを浮かべて、みんなを見て言った。


「うんっ! 家族みんなにバレンタインなの!」


 亜希の晴れやかな笑顔を中心に、羽留も奈津も、葵もみんな笑った。微笑ましくて、可愛らしかった。やっぱりこうでないとな。


「やったー、今年はお父さん二つゲットだな。葵も用意してくれたんだろ?」


「え? 今年は亜希のと合同よ?」


「えっ」


 予想外の切り返しに、続く言葉が見つからなかった。……そ、そうか、今年は亜希と合同か……。うん、まぁ仕方ないというか、いや別に、ないわけじゃないんだし?

 動揺していると羽留が余裕の声をあげてにやにやとおれを見た。

 

「わー、僕お父さんの記録には勝てる自信あるな~最低十個は来るもん」


 なんと、お前おれと競っているのか? 最初から勝負にならないことをおれは知っているが。学生時代だって最高で五個しかもらえなかったおれだぞ?(ちなみにうち一個はおふくろで、もう一個は洋一のお母さんだった)

 すると羽留の隣で不安げな表情をした奈津も変なことを言い出す。


「おれはどうかなぁ~でも二個はもらえるのかなぁ~」


 それはだれとだれからの二個なんだ? お前ももてるってことか、奈津。


「なっちゃん、私が代わりにもらう分も数に入れたらいいよ。きっと五個はもらえるから!」


 ちょ、亜希? 何その提案。


「やった、じゃあおれもお父さん以上だ!」


 だからなんでお前までおれと競ってるんだよ!?


「だってお前たちは学校でみんなにもらえるだろ? お父さんは一体ほかに誰からもらえばいいんだよ!?」


 おれは競うつもりもないけど、ここまで低く見積もられたままなのも、負けている感じもなんだか悔しい。しかしもらえる当てなどないのだ。あまりの理不尽さに声をあげると、葵がのんびりした顔で指を折って数え始めた。


「あら、八百屋の奥さんと、魚屋の奥さんでしょ、あとはお肉屋さんのお嬢さんもくれなかった? 去年は。それから……」


「あおい、それは義理もいいとこのただの営業ってやつでえっと、あなたは本来やきもちを焼くとこなんですが……」


「おもち? おもちだったらお正月のは食べきっちゃったけど? 食べたいの?」


「お母さん、そのモチじゃないんだよ~」


「え~?」


「お母さん、やきもちっていうのはね……」


 チョコレートの香りと笑い声に包まれながら、冬の日の午後は過ぎていく。昼寝をしていてずっと静かだった芙柚が目を覚まして泣き声をあげるまで、きゃらきゃらとした楽しい雰囲気は続いた。




 夜、バレンタインデーにはフライングだったけど、みんなで亜希の作ったケーキを食べてまた盛り上がった。

 初めて作ったにしては上出来だとほめると、亜希は照れくさそうに笑った。亜希が料理上手でよかった。おれに似なくて。

 そう思いながらふと羽留を見たら、心の声が漏れていたようでにらまれてしまった。うっかりした。



 ちなみにこの年のバレンタインの記録は、羽留十五個、奈津六個、亜希二個(!)、芙柚三個(!!)という結果だった。

 亜希の二個は兄宛てのものではなく本当に本人宛のもので、ひとつは女の子から、もう一つは男の子からであった。なぜ……。芙柚の三個は商店街のおばちゃん&お姉さんからで、芙柚のところに行ってしまったおかげで、おれへの義理チョコはゼロに……。

「記録更新!」と喜ぶ羽留に、「ホワイトデーのお返し大変だな」と言ってしまったのは、やはり大人げなかっただろうか……。





亜希が栄を「パパ」と呼ぶのは、クラスの友達の影響でしょう。前は羽留にならって「おとうさん」って呼んでましたからね~。こどもってそんなもんですよね。

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