MID NIGHT
固有名詞がいっぱい出てきますが、わからない人はごめんなさい。
1984年。
日本は、超三大国家〈イースタシア〉に併合されてはおらず、おれと、げらぐと、あにめは、中3だった。
げらぐ、あにめ、というのは、2人のあだ名だ。
おれたちは、多摩川の神奈川県川崎市側の河口近くで夜釣りをしていた。
蒸し暑い夜だった。風は生あたたかく、どぶ川の臭いがした。
背後には工場の高い塀が迫り、塀のスペースを30メートルくらい使って[ISUZU MORTORS]と書かれたネオンサインが、赤々と光っていた。
周辺は何から何まで真っ赤に染まって、おれはいつか映画で見た潜水艦の中にいるような気分だった。
おかげで視界は良好だ。
平日の夜だったが、翌日は国鉄のストがあるとかで、学校へは10時半に登校すればいいことになっていた。明け方まで夜更かしをして、10時まで寝坊できるというわけだった。
おとといは、横浜の三ツ池公園まで(園内では禁止されている)テラピア釣りに遠征したし、今度の日曜日には、大黒埠頭でサビキ釣りに行く計画を立てているほど、毎週、どこかしらの釣り場で糸をたれる釣り馬鹿なおれたちは、チャンス!とばかりに、自転車をすっ飛ばしてきたのだった。
釣りは、おれたちの共通の趣味のなかでは上位にランクしているが、どちらかといえば、げらぐとは『ビートたけしのオールナイトニッポン』仲間と映画仲間、あにめとは、ナムコ仲間としてのつながりが強い。
げらぐとあにめは、洋楽仲間だった。
洋楽が流行っていたが、おれは2人ほどは聴いていなかった。
コンクリート・ブロックの斜面に立ち、おれはロッドを振りかぶってスプーンルアーを遠くに飛ばしては、リールで巻き戻す動作を繰り返していた。
狙いは、フッコ。フッコは生長とともに名前が変わる出世魚で、成魚のひとつ手前の呼称だ。
ちょうど満潮時で水位が上がり、すぐ足もとにまでさざ波が打ち寄せている。
東京湾から遡行してきたスズキがヒットするかもしれなかったが、昼間の部活動で疲れ気味のうえ、仮眠もとっていないので、スズキのエラ洗いなどと格闘するのは体力的にキツイ。
もしスズキが釣れたら、魚拓を取って『とびだせ!釣り仲間』に送るつもりだが、ともかく今夜はフッコで十分だ。
と夢想してみたものの、たかだか2年あまりのキャリア、おれがいままでに釣った一番大きい魚は、24センチのアイナメだ。
釣り開始から小一時間がすぎた。
おれたちの竿には、一度も当たりがきていない。
げらぐは、仕掛けの針にエサの青イソメを引っかけて投げ釣りをしていた。
キャスティングし終わると、当たりを知らせる鈴が先端についたロッドを立てかけておいて、所在なく広川太一郎吹き替えによるミスター・ブーの声真似をして、おれとあにめを脱力させていた。
妨害するつもりで、おれはトランジスタラジオのスイッチを入れた。
カッコつけてFENにダイアルを回すと、〈カーマは気まぐれ〉が流れてくる。
あにめは、岸から3メートルくらい先の川面に浮かぶ、蛍光イエローとオレンジのツートンカラーの電気ウキを凝視していた。
(こいつは、このまえ上州屋で買った電気ウキの使い勝手をためしてみたいだけなんだろうな。)
鈴が鳴ってもいないのに、げらぐが急にリールを巻きはじめた。
「ん? 重い・・・。引きはないけど重いぞ、カレイかな?」
(カレイは時期的に冬の魚じゃなかったか? おおかたゴミでも引っかけたんだろう。)
そう思いながら、おれはげらぐの様子を見守った。
「なんだよ、コレはよォ?!」
げらぐが仕掛けを上げてみると、3本ついている針の1本に、5センチくらいの、丸くてボコボコした物体がぶら下がっていた。
げらぐはロッドを置いて、サーチライトをつけてそれを照らした。
ヒトの大脳をギュッと圧縮した感じの、白い半透明で、テラテラした気味の悪い物だった。
ラジオから、『ミステリー・シアター』のおどろおどろしいテーマ曲が流れてきた。
見たこともないその“大脳”は、生物なのか何なのか、不明だった。
(もしかして、げらぐは新種の生物を発見したんじゃないだろうか?)
広い地球、いまだ学者に知られていない生物のひとつやふたつ、多摩川で見つかったっておかしくない。
アレの学名には、発見者げらぐの名前がつくのだろうか?
などと考えているあいだに、げらぐは、
「固い。」
とつぶやきながら“大脳”を針から外して、広川太一郎風に、
「アラスカとタンザニアに行っちまえ、このスカタン!」
と悪態をついて、川に投げ捨てた。
青イソメを針につけ直している最中、げらぐはおれを振り返り、
「そのラジオ消せよ」
と真顔で言った。
「川に死体が沈んでるんだよ。おまえが釣ったのは、そいつの脳だよ・・・。」
おれは、精一杯低い声でからかった。
あにめは、おれたちのやりとりにも動じず、ひたすら電気ウキを注視していた。
当たりが来ないまま、さらに2時間ばかりすぎた。
携帯コンロで作った夜食のクイック・ワンをズルズルすすりつつ、あにめが持っている〈スリラー〉のダビングのダビングのメタル・テープを、ダビングしてもらう約束を取りつけているおれに、〔EIGA NO TOMO〕でも落ちてやしないかと、ライト片手にあたりをうろついていたげらぐが、いきなり、
「河口に行こうぜ!」
と叫んだ。
げらぐが言うには、ポイントが悪いから当たりがないのだそうだ。
こんな中途半端な場所ではなく、河口だろうと防波堤だろうと、魚は角や突端に群れる習性があるという。
「おまえら、釣りをはじめたの中1からだろ? おれは小4からやってるんだ。年季がちがうよ。ネンキが入った国民ネンキン!」
数時間前、自分が
「ここで釣ろうぜ。」と提案したことは、覚えていないようだった。
「まだ時間はある。」
デジタル腕時計のライトをつけて、げらぐは時刻をチェックした。
げらぐの強引な説得で、おれとあにめは道具を片づけて、自転車にまたがった。
外灯すらない薄闇を切って、2台の自転車がやっとすれちがえる幅の土手の砂利道を、おれたちは一列になって東へ向かった。
右手は工場の塀とまばらな木々が、左手はヨシの群生がとぎれとぎれ現れては消えていく。
10分も走って、土手のどんづまりに到着した。
鉄柵に囲まれた小さな建物があり、外灯がひとつ灯っている。建物の内部は真っ暗で無人のようだ。
川はまだ続いているが、建物の裏手は運河で、右手は工場だ。
深夜のしじまを破り、工場の機械がうなっている。
近くに橋もなく、これ以上東には進めない。
左手は、いつのまにかヨシもなくなり、開けていた。
さっきより大きな波が打ち寄せている。
もう、ここは海と言って良かった。
川幅は500メートルはありそうで、はるかかなたに羽田空港の常夜灯が見はるかせた。
それを見ていると、だんだん恐ろしくなってきた。
川幅が恐かった。
川が口を裂いておれたちを飲みこもうとしている、そんな錯覚に襲われた。
いま、ここから川に落ちたら、二度と岸にはい上がれない気がした。
運河に目を転じる。
埋め立て地に林立する工場群の、白やオレンジの無機質なイルミネーション。
赤のランプが規則的に明滅している。
その夜景も恐ろしげではあったが、SF映画に登場する近未来都市のようだ、と興奮を覚え、川崎の濁った星空より美しいと、おれは少なからず感動した。
釣りを再開したはいいが、当たりの女神からおれたちは見放されているようだった。
気がつくと、3人とも口数が少なくなり、あくびが多くなっていた。
おれたち以外、生きとし生けるものは死に絶えたかのような雰囲気が漂っていた。
おれは、学校の図書室で画集を見て以来、気に入っているホッパー描く〈ナイト・ホークス〉気取りで、真夜中の孤独感に浸っていた。
対岸をながめて、マンハッタンに思いをはせた。
タイムズ・スクエアに煌めくネオン・ライツを想像して胸が高鳴った。
(遠くから、運河を渡ってくる貨物列車の轟音は、ニューヨークの地下鉄の音だ・・・。)
自由の国、夢の国、未来の国、アメリカ。
心のせまい日本人とちがって、国土の広さが心の広さに比例した寛容なるアメリカン。
『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』を生み、2001年にふたたび宇宙をめざす国、VIVAアメリカ!
(ニューヨークへ行きたいかー?)
(オー!)
21世紀が来たら、車が空を飛び、高さ1000メートルのビルが建ち、海底と空中に都市が造られて、テレビは3Dになって、街中にロボットがいて、月と火星に旅行して、死後の世界が解明されるはずだった。
映画・マンガ・SF小説は、来るべき世紀に備える啓蒙書だった。
それらから吸収した教示は、定員オーバーの水槽に詰めこまれた魚が、共食いに明け暮れているような学校生活で学ぶことより価値あるもので、おれの人格形成を方向づけていた。
おれは、現実を信用せず、空想の世界を信じていた。
おれが心待ちにしていたのは、友好的な異星人の来訪だった。
神秘的な輝きを放つマザー・シップから、彼らが降りてくる場面に立ち会ったリチャード・ドレイファスに、自分を投影していた。
ファースト・コンタクトの際には、おれも例の5音節のシグナルで彼らと対話するつもりで、手の振りもマスターしていた。
m&mチョコレートを与えたら、彼らはどんな反応を示すのか?
ひそかなもくろみだった。
文字通り、地球外知的生命との接触で、日本は黒船来航以来の大維新を迎えるにちがいなかった。
この国の矛盾に満ちた慣習、因習を木っ端みじんにしてくれないかと期待していた。
きっと彼らは、人類をより良い未来へと導いてくれるだろう。
終わる世界、新たなる希望、すべては輝かしく再構築され、進化の階をステップ・バイ・ステップ・・・
大人の階段のぼる
おれはまだ
ピーターパンさ
おれは、バブル前夜の夢を夜空に描いた。
未来は約束されている。
おれたちは、21世紀を信じていた最後の世代だったのかもしれない。
空が、じょじょに青みがかってきた。
新しい朝が来た。
希望の朝だ。
おれたちは釣りを切り上げて、帰りじたくをはじめた。
釣果は、校則で決められているおれたちのヘア・スタイル、ボウズだった。
不意に、水面でボラがはねた。
「ほら! 魚いただろ? いまごろ姿見せやがって・・・」
げらぐが、言いわけがましく同意を求めたが、おれもあにめも無反応だった。
気持ちは次の段階に切り替わっていた。
大黒埠頭でのサビキ釣り。
この夏公開の超大作映画うんぬん。
おれたちは自転車をこいで、来た道を引き返した。
こんなチュー坊でした。実話を基にしたフィクションです。