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婚約破棄現場の後始末

掲載日:2026/09/24

いつもお読みいただきありがとうございます。是非お読みいただけると嬉しいです。

ワイン作りが盛んなファラード王国では、新酒の解禁日に、一年で一番盛大な舞踏会が行われる。

国内の各地域から集められた全ての新酒のワインと、デビュタントを迎えた貴族の子女のお披露目が行われるので、それはそれは華やかな日となるのだ。


本日がデビュタントであるレティシア・コバード子爵令嬢は、同じくデビュタントの令嬢達の列に並んでいた。

ドレスはデビュタントの決まりである純白を着ているが、襟を立てたようなデザインの首元と、腕全部を覆うパフスリーブのレースの長袖に、マナーとして手袋をしている。


他の参加者が、チューブトップやノースリーブ、背中が大きく開いたデザインだったりと、美しい肌をこれでもかと見せつけるようなドレスなのに、自分だけは肌を全く晒さないので野暮ったく見える。

目立ちませんように、と願うけれど無理な相談だ。

背が高い上にハイヒールを履いているので、他の令嬢達よりも頭半分出ている。


こんな事なら、農作業の時、ちゃんと長袖を着て肌を隠していればよかった。

両親に『日焼けをしないように』といつもガミガミ言われていたのを、無視した結果がこれだ。

しかも、イマイチ綺麗にできないカーテシーに、考えながらじゃないと話せない綺麗な言葉。

せめてもの救いは、父譲りの新緑を思わせる瑞々しいペリドット色の瞳と、母譲りのミルクティー色の髪が珍しい組み合わせで、王都では人気ということだ。(嫁いだ従姉妹から聞いた情報だから本当かはわからないけど)


コバード子爵領は、王都から馬車で1週間かかる場所にあり、隣は辺境伯領というこの国の端の方である。

長閑な農村地帯が広がり、特産品は貴腐ワイン。


他の地域では作れない甘味の強いワインで、大変人気が高く、子供から大人まで領民総出で作業を行う。

領民が少ないのに生産量が多いので、貴族平民関係なくみんなで働くのだ。


その環境にいれば誰も綺麗な言葉なんて話さない。

農作業が忙しく、他の貴族との交流会にレティシアは参加しなかった。

子供の頃から、交流会を拒否し続けたし、王都の学校に行くように言われても、葡萄作りの方が楽しかったので行きたくないと駄々をこねて、家庭教師をつけてもらっていた。

そのせいで、他の地域のことも他の貴族のことも知らないから、「きっとちゃんとできる人は少ないわ」なんて思い込んでいた。

家庭教師から言葉が訛っていると指摘されても、全く気にしていなかった。

しかし、今この場で他の令嬢達の所作や話しぶりを初めて目の当たりにして、驚愕している。

皆、綺麗な話し言葉に、美しい所作。


家庭教師からガミガミ言われて注意されていたのに、言葉も所作もなんとか披露できる程度にしか練習しなかったので、今どうしたらいいのか後悔に苛まれている。

どうしよう。

誰にも話しかけられない。

周りのご令嬢達からは、香水のいい匂いがするし、今いる控室は見たこともない豪華な調度品に、毛足の長い絨毯が敷かれているから、場違い感が半端ない。


会場は建国時からのお城で、この国のシンボルだ。

硬貨にもデザインされているくらい有名なお城で、今は文化財として保守されているので普段は立入禁止になっている。


入るまでは教会みたいな建物だと思っていたのに、実際は全く違う。

アンティークの豪奢なシャンデリアに、旧様式の大理石でできた柱。

見るもの全てが豪華すぎる。


謁見の間では、高位貴族の令息や令嬢が1人ずつ国王陛下への挨拶を行なっているので、その声が控室に微かに聞こえて来ていたが、終了したのか扉が開いた。

場違い感で居心地が悪いのに、それに緊張も加わって嫌な汗が止まらない。


子爵以下の令息令嬢は一列に並び、名前を呼ばれた後、全員でカーテシーをするだけでいいから、ここさえ乗り切れば大丈夫。

なんとか気持ちを奮い立たせ、謁見の間に足を踏み入れた。


天井は大聖堂の天井よりも高く、美しい絵画で満たされている。

なんて華やかなんだろう。

この場の空気に飲まれないように今やるべきことに向き合わなきゃ。


待ち時間は気が遠くなる程長かったのに、挨拶はあっという間に終わってしまい、渡り廊下を進んで、舞踏会参加のために迎賓館に足を踏み入れた。


御伽話の中に紛れ込んだかのように別世界でどうしたらいいかわからない。

メイン会場であるダンスホールは青を基調としており、一度に千組以上がダンスを踊れるらしい。

休憩や談笑のためにある部屋はいくつもあるが、メインはサロンと談話室。

サロンには、数百脚の座るのを躊躇うくらいの豪華な手織りの布張りソファーが数百脚置かれ、バンケットコーナーがある。

談話室は白を基調としており、庭園に面しているため、室内から庭園を眺めるための大きな窓ガラスもある。

そのほかにも、2階に上がる階段があり、柱時計の広間と、広くて開放的なバルコニーもある。

ここも大変素敵だし、沢山の人がいると母が言っていた。


沢山の人の熱気に押されながらも、会場を歩く。

流行のドレスを纏った美しい令嬢達に、スマートな身のこなしのシュッとした令息達。

父や母と同年代の貴族達は優雅な立ち居振る舞いで談笑を楽しみ、社交に勤しんでいる。


会場があまりにも華やかすぎてどうしていいかわからず、一番落ち着いた雰囲気の談話室にやってきた。

談話室といっても、扉はなくオープンスペースなのでダンスホールの様子がよく見えるが、音は聞こえない。

この城は魔法のお城で、色々な魔法が見られると母から聞いたのを思い出した。

この部屋はこの部屋でピアニストが心地よい音楽を奏でてくれている。


お城の魔法の事は、子供の頃聞かされて憧れていた。

魔法使いもちゃんとした魔法も見たことがないからワクワクしていたはずなのに。


レティシアは、庭園に面した窓ガラスに映る自分を見てため息を吐いた。

誰よりも野暮ったく見えるドレス。

全身を覆い隠すドレスの中で、これが一番素敵だった。

でも、他の参加者の華やかさを見てしまうと、気後れどころか、自分の存在感を消したくなるレベルだ。

私では引き立て役にすらなれない。


先ほど覗いたサロンでは、沢山の男女が甘い空気を醸し出しながら談笑し、大きなダンスホールはオーケストラの生演奏に合わせてワルツを踊る人で溢れている。

会場のあちらこちらで交際の申し込みや婚約の申し込みが行われているので、大変賑やかだ。

男性貴族はこの日に婚約を申し込む人が多いと聞いた。


この舞踏会には暗黙の決まりがある。

一つ目は、デビュタントの令嬢は白いドレスで、令息は白いタキシードを着なければいけない事

二つ目は、胸に薔薇の花を挿して参加する事。

胸に赤い薔薇を挿しているのはパートナーがいる証で、白い薔薇は恋人募集中。

恋人は探していないけどフリーの人はピンクの薔薇で、黄色い薔薇は意中の人がいる証。

赤の薔薇以外を胸に挿した人がカップルになると、薔薇を外して、女神像の前に置くのだ。

すると、聖女様から虹色の薔薇を頂き胸に挿す。


デビュタントだからといって例外ではない。

レティシアは白い薔薇の蕾を胸に挿している。

恋人も婚約者もいないので、この舞踏会で見つけたいと考えていた。

それは皆同じなのか、国王陛下への挨拶の列に並んでいた令嬢達の殆どが白い薔薇を挿していた。


私も皆と同じように頑張ろうと思っていたのに、デビュタントで同じ列に並んでいた令嬢が、もう虹色の薔薇を挿して騎士服の男性とダンスの輪に加わっている。

羨ましいけれど、虹色の薔薇の人は一握り。

楽しそうに談笑する男女も、ダンスを踊っている人たちも、白い薔薇やピンクの薔薇はつけたままだ。

ということは、まだカップルにはなっていないのね。

どんな会話をしたら、虹色の薔薇をもらいに行こうという気になるのかしら?


気になる事はたくさんある。

だから、壁際から一歩踏み出して、誰かに話しかけてみたい。

待っていたら誰か私に話しかけてくれないかしら?

話しかけられたら話しかけられたで、考えながらじゃないと上手く話せないから言葉に詰まってしまうし、言葉を発しない方がラクと言えば嘘になる。

でも眺めているしか出来なくて歯痒さも感じる。

純白のドレスの子達もダンスや談笑を楽しんでいるのに、話し相手すら見つけられない。


話し相手になってくれるであろう両親は、国王陛下に直接お会いしてワインの献上をするのでここにはいない。


両親はデビュタントの舞踏会で出会い、トントン拍子で結婚に至ったと聞いていたので、自分もそんな人と出会いたいと考えて、期待を胸に参加したはずなのに、今年はお相手を見つけられないわ。

次の舞踏会までに、所作や言葉遣いを勉強し直そう。


せめて楽しい気持ちで帰りたい。

まずはダンスホールの天井のアンティークのシャンデリアを壁際から眺めようとホールに足を踏み入れた時だった。


溢れる笑い声と音楽の中、男性の冷たい大きな声がホールに響き渡った。

「この性悪女!いい加減嘘ばかりつくのはやめろ!その気持ち悪い顔は二度と見たくない」

幸せオーラの溢れる会場を引き裂くような声に、皆何事かと動きが止まる。

オーケストラも驚いて演奏を止めたので、広い会場は無音になった。


「そのような事実はありません」

無音の中でも、辛うじて聞こえるくらいのか細い声の女性が返事をする。

どうやらホールのど真ん中で男女の喧嘩が始まったようで、皆が音を立てないように壁際に移動を始めた。

そっと動く人の波の切れ間から、怒っている男性が見え隠れする。

特徴的な外見だわ。

黄金を思わせる濃い金髪に、サファイアのような美しい瞳。

鼻筋が通った整った横顔は、この国の第三王子であるブルーム王子殿下だ。


「しらばっくれるのもいい加減にしろ。お前みたいな女がこの国の王族になっては、この国は終わる!」

相手の女性は婚約者のミレディ・アレクトス公爵令嬢だ。

貴族新聞に度々写真が載っているのでお顔は知っていたが、白黒だからどんな雰囲気なのかはわからなかった。

写真だと、無表情のわがままそうな人に見えたのに、実際に見るとストロベリーブロンドに、アクアマリンのような瞳の愛らしい美人だわ。


「わたくしが何をしたというのです?」

「お茶会や夜会で、我が従姉妹であるカロリーナに嫌がらせを繰り返していたそうじゃないか!カロリーナはノースフォーク伯爵家の令嬢であり、公爵家と比較すると家格は下かもしれないが、我が母の血縁であるのだ。何故そのような嫌がらせをするのだ」

しんと静まり返り無音であるため、皇太子殿下の荒い息遣いまでもホールに響く。


母君の血縁の令嬢と、婚約者の関係が悪いことを怒っているんだろうけど、この場でやることかしら?

そう思っているのは私だけではなく、この場にいる沢山の人が同じことを考えているらしかった。

『やるなら他所でやってくれないかなぁ』

誰も口には出さないけど、そんな空気が会場に漂っている。


「わたくしは嫌がらせなど行なっておりませんわ」

「そういうところが嘘くさくて信用できないんだ!何故、毎月の茶会にカロリーナが招待されてないのだ!」


「それは主催が我が母ですから、どなたに招待状を送ったのか存じ上げませんわ」

「先週はドレスデザイナーを招いてのお披露目会も公爵家であったそうだが、それにもカロリーナは招されていない。殆どの貴族令嬢が招待されていたにもかかわらず、だ!」


ダンスホールの真ん中に誰もいなくなったせいで、3人の様子がよく見えるようになった。

ブルーム王子殿下がカロリーナ・ノースフォーク伯爵令嬢を庇うように立っており、その向かいにはの婚約者であるミレディア・アレクトス公爵令嬢が立っているから、2対1の構図だ。


「殆どのご令嬢を招待したわけではなく、我が家と家業の上で繋がりのある方のみをお招きしたのですわ。ノースフォーク伯爵領と我が領は、きっと中心産業が違うのでしょう」


「言い訳ばかり、いい加減にしろ。もうお前の顔など二度とみたくない!お前との婚約を破棄する!ここにいる全員が証人だ」


「ブルーム王子殿下、どうか再考くださいませ。この婚約は…」

アレクトス公爵令嬢がいい終わる前にブルーム皇太子殿下は、手袋を投げつけた。


その行為に皆どよめく。

手袋を投げつけるということは、決闘を申し込んだということだ。

「私がどんなに本気なのか思い知らせてやる!お前はこの瞬間からもう私の婚約者では無い!お前の数々の悪業をもう見過ごすことはできない!」

そう言いながら、オブジェとして置いてある鎧まで歩いていく。

鎧の側にはオーケストラが控えており、演奏家達の顔が引きつっている。

しかし、ブルーム王子殿下は気がついていないようで、脇差の剣を抜くとアレクトス公爵令嬢の前に戻った。


「ミレディアは、商人と癒着して武器の密輸を繰り返し、国家転覆をはかっている!そして、養護院への寄付なども着服し、王室からの贈答品を売り払っているようだな。カロリーナへの嫌がらせだけには留まらず数々の犯罪を行って!お前は未来を脅かす反逆者だ」


怒り狂ったブルーム王子殿下は、剣をミレディア・アクトレス公爵令嬢に突きつけた。

あと数センチでアクトレス公爵令嬢の左頬に触れそうで、見ているこちらの肝が冷える。


どんな理由であろうが、令嬢に決闘を申し込むなんてあり得ない。

高位貴族の令嬢は、きっとペンより重いものを持ったことなどないだろうに。

この異様な光景を何故誰も止めに入らないのかしら?

傍観者である貴族達の顔を見ると、沢山の女性が青い顔をしていて、今にも倒れそうだ。

ブルーム王子殿下のあまりの乱暴な態度に卒倒しそうになっているようで、パートナーの男性は女性を支えるのに精一杯の様子で、止めに入る人はいない。


その時、静まり返り返ったホールに誰かが歩いてきた。

「ブルーム、このめでたい日に何をしているんだ?」

近づいて来たのは、ブルーム殿下と同じような黄金を思わせる濃い金髪だが少しウェーブがかった顎まである髪を綺麗にセットした、サファイアのような瞳の男性だった。

年は30代半ばだろうか。

王族であるのは間違いないけど、貴族新聞ではお見かけしない方だわ。


「叔父上、邪魔しないでください」

叔父上という事は、王弟殿下?

「今日は皆、お祝いのために集まったんだ。それなのにブルームは全部をぶち壊す気か?」

王弟殿下は笑顔だが目は怒っている。


「違います!この性悪女がどんな悪事を働いているのか大勢の場で糾弾しているのですよ。ここの皆は証人です。現に、ほら。皆ちゃんと私の話を聞いて、私を見ているではありませんか」

勝ち誇ったかのように言うブルーム殿下に対して、王弟殿下はため息を吐いた。


「この会場全員に『今から聞く話の証人になってくれ』とお願いしたのかね?違うだろう?」

そう言って指をパチンと鳴らす。

「今、魔法でダンスホールを封鎖したよ。この場にいた者たちには申し訳ないけど、まだ何も見聞きしていない人達を巻き込みたくはないからね。幸い、ダンスホールの音はサロンや談話室には漏れない設計になっている」

そう言いった後、ダンスホールの真ん中で王弟殿下は肘を突いて騎士の礼をした。壁際に避難した貴族達に向けた礼だった。


「皆の時間を奪い申し訳なく思う。デビュタントを迎えた皆も、今日婚約したカップルも。幸せな気持ちをぶち壊したこのバカな王子の行動を許してほしい」

王族に誠心誠意の謝罪をされて怒る人はいない。

むしろこの暴走を止めに入ってくれた王弟殿下に感謝の眼差しを向ける。


その後、王弟殿下は立ち上がると、アクトレス公爵令嬢を見た。

「ブルームが決闘など申し込んで申し訳ない」

そう言われたアクトレス公爵令嬢は少し笑顔を見せた。

「わたくし、この場を終わらせるために決闘を受けてたちますわ」

「それはダメだ。君の将来に関わる!」

王弟殿下は慌てたが、アクトレス公爵令嬢は納得していない様子だ。


「わたくしの名誉に関わる事ですから。色々な悪事を働いていると、この場の皆様に勘違いされた方が将来に関わります。大丈夫ですわ」

王弟殿下に笑顔を向けた後、無表情になりブルーム王子殿下とノースフォーク伯爵令嬢をじっと見た。

見る見るうちにアクトレス公爵令嬢の顔が険しくなり、先ほどの可愛らしい顔とは打って変わり、眉間に皺を寄せ目力の強い表情になる。

滲み出るオーラは怒り狂う魔王のようだ。


「おい、お前!」

ドスの効いた低い声でアクトレス公爵令嬢が叫ぶ。

皆、何が始まったのかわからずに更に場が凍りついた。


「王子だか何だか知らないけどよ!お前、アタシの事舐めてるだろ?普通の令嬢だったら、手袋を投げつけられた時点で泣いてるぞ?それどころか気絶してるよ。レディに対してのマナーもわかんないのか?」

あまりの変わりように、ブルーム王子殿下の顔が青ざめる。


「ウチの領は騎士や軍人を多数輩出している、それはそれは有名な場所でさ。オンナだって言うだけで舐められないように、ちーさい頃から剣や銃を持って、山歩きをさせられるわけよ。そんなアタシがお前に負けるとでも思ってんのか?オ・オ・ジ・サ・マ」


上から睨むような視線が怖い。

ドスの効いたホールに響く声も、まるで魔王が話しているようだ。


「返事しろよ!」

皆が注目する中で、ブルーム王子殿下は何も言わない。

言わないというか言えないようだ。

恐怖でブルブル震えている。


「なーんにも答えられねぇのかよ?あぁ?弱いなぁ。今までしおらしくニコニコと笑ってるアタシしか知らないから、簡単に力でねじ伏せれると考えていたようだな。バカとしか言いようがないよ!何とか言ったらどうだい!!!」


ブルーム王子殿下は震えながら小さな声で「すいませんでした」と答えた。

アクトレス公爵令嬢は大股で歩き、ブルーム王子殿下の顔を至近距離で覗き込む。

覗き込まれた方は、視線が合わないように目を晒した。


それを見て、はぁ?という顔をした後、2人の周りを大股でゆっくりと歩く。


「聞こえねーな!大きな声で謝れ!『レディに手袋投げて、申し訳ございませんでした』ってな。いい加減にしろ!」

恫喝する声はダンスホールの端まで聞こえるほどよく響く声で、先ほどまで見ていた儚げで可愛らしいレディから出る声だとは思えない。


「それからよぉ。お前、なんて名前だっけ?お前の事、気にもしてなかったから知らないけどさ。お前に何ができるわけ?」

鼻で笑いながら、ノースフォーク伯爵令嬢に話しかける。


「お前って…。わ、わたくしにはちゃんとした名前があります。それに、ブルーム王子殿下が愛しているのは貴女ではなく私ですわ」

強がりながらも、ノースフォーク伯爵令嬢が反論する。


「へぇ。アタシに無視されたとか、仲間はずれになったとか。仲間はずれ?お前と仲良くもないのに?」

「わたくしの事は、ブルーム王子殿下からお聞きになっていたでしょう?」


「だから何だよ。知らないヤツと仲良くなんてしねぇよ。意地悪されたとか、仲間はずれになったとか、些細な事で騒ぎ立てて。お前、そこら辺の小石より小さくて役に立たねえオンナだな。王族に嫁ぐのにお前みたいな奴が、一番向かねえな」

そこまで言い、仁王立ちになる。


「王族を名乗るからにはな、このひろーい国土の隅々の事まで考えて生活してかなきゃいけねえんだよ。それを何にも考えずに、『お茶会に呼ばれない、ドレスの発表会に呼ばれない』だと?そんな事よりももっと慈善活動しろよ!お前、何の活動してんだよ」

「王都東部の養護院に、チャリティで集めた魔道具の寄付とか…」


それを聞いて、アクトレス公爵令嬢の顔が更に曇り、思いっきりノースフォーク伯爵令嬢を睨む。


「お前か!ボロボロの魔道具を贈ったヤツ。養護院は恵まれてないから、古い物でも喜ぶだろうなんて、常識はずれな事考えやがって!それを新品と交換したから、コイツに養護院の寄付を着服したと詰られたんだよ」

吐き捨てるように言った後、その顔のままブルーム王子殿下を見る。


「じゃあ、お待ちかねの決闘といこうか。お前は何でアタシと戦うんだ?剣か?魔法か?どっちも使うか?」

そう言われて、ブルーム王子殿下が剣を構えると、剣が炎で包まれた。

それを見てもアクトレス公爵令嬢は余裕のようで表情は変わらない。


「3カウントで勝負といこうじゃないか」

ブルーム王子殿下が頷く。

「1・2・3!」


ブルーム王子殿下の剣が動く前に、アクトレス公爵令嬢は右手を天井に向け、大きく振り下ろした。

その瞬間、ブルーム王子殿下とノースフォーク伯爵令嬢の髪が燃え、直後にバケツをひっくり返したような水が降って来て、ブルーム王子殿下とノースフォーク伯爵令嬢がびしょ濡れになる。


その結果、ブルーム王子殿下の剣に纏っていた炎が消え、髪がチリチリで全身水に濡れて、見るも無惨だ。


「弱いなぁ!第三王子の役割って何だかわかってんのか?」

ブルーム王子殿下に向かって言った後に、ノースフォーク伯爵令嬢を見る。


「お前は、アタシの代わりにコイツを支えられるのか?体力も運動神経も人並み。知力は足りないからお前みたいなオンナに引っかかる奴だけど」


「できるに決まっているわ。それに、ブルーム王子殿下の事、バカにしないでください」

びしょ濡れのノースフォーク伯爵令嬢が、さっきまでの威勢のいい態度とは打って変わって、小さな声で反論する。


「このバカに求められているのは軍部の最高責任者だ。戦争になったら、最前線に立つ責任者だよ!」

「そんなの支えるに決まってるわ」

ノースフォーク伯爵令嬢が静かに答える。


「人並みの剣術しか使えないから戦えないし、知力もないから軍事作戦も立てられないけどな。だから妻に求められるのは、人を送り込む事なんだよ」

アクトレス公爵令嬢はそこまで言うと、大きく息を吸い込んだ。


「人質にならないように陰ながら守り、作戦を立てて実行して。手柄まで立てさせてあげる。その軍事力を我が領が提供する予定だったんだ。今後はノースフォーク伯爵家が後ろ盾になってやるんだよな?」

そこまで言い終わった顔は挑発的だ。


「ブルーム様は何でも出来るもの。それに軍の最高責任者になっても王都からは離れないって、ブルーム様が…」


「バカも休み休み言えよ!最高責任者は戦地に出向かないといけねーんだよ。コイツは、作戦を立てられない、かと言って先頭に立って戦えないお飾りだからな、足手纏いなだけだろうな。勝ってもコイツは手柄は立てられない」


「勝てば手柄はブルーム様のものなんじゃないの?」

「違うね。作戦を立てた者の手柄だよ。もう、陰ながらこの王子を支えるのはやめるから、後はご自分で手柄を立てな。これまで沢山の手柄を差し出してやったから、この地位なんだよ?手柄が無いなら、とっくに魔物討伐部隊に入れられて、山奥送りだよ」

「そんなわけないわ!そんな危険な仕事、させるわけないじゃない!」


「魔物討伐部隊の司令官も、兼任してるんだよ?本人もわかってないだろうけどな。そうそう。先日、怪しい武器商人を捕まえて武器を差し押さえして、手柄を譲ってやろうとしたんだよ」

腕を組み、鋭く睨み、バカにしたようにブルーム王子殿下を見ている。


「でも、何を勘違いしたか、うちの兄が国家転覆を目論んだと騒ぎだして、国王陛下を困らせたんだよな。コイツバカだよ?テメェの手柄として報告した事に、訳のわかんねえイチャモンつけるんだからな!」


アクトレス公爵令嬢は仁王立ちになり、2人を見下ろした。


「このバカとの婚約破棄を受け入れてやるよ。これで私財を投じてまで守る必要も無くなったしな。って、まだやる気か?この後始末は自分でしろよな」


ここまで言うとアクトレス公爵令嬢は可愛らしい顔をして、王弟殿下を見る。

そして、大股で歩いていたのが幻だったのかと思うほど小さな歩幅で王弟殿下の側に歩いていく。


「とっても怖かったですわ」

可愛らしい声を出すが、もう何が本当かわからない。

その二面性に恐ろしさを感じるが、王弟殿下は困ったように笑う。

怖いと思わないのね。


「この空気を見てごらん?だから止めたのに。ミレディアが怒ると、止められる人は君のご両親か兄上くらいだよ」

「あら、王弟殿下も止められるじゃない?こんな空気にしてごめんなさい。でも、我慢できなかったの」

ティータイムのお菓子を食べすぎた事を咎められた時のような可愛らしい言い方だけど、現実は違う。

髪をチリチリにされ、ずぶ濡れになって身動きが取れない2人が、ダンスホールの真ん中で茫然自失になっているのだ。


「こうなった責任は王室は取ってくださるの?」

アクトレス公爵令嬢が控えめに聞くと、王弟殿下は困ったように笑う。

「そうだね」


王弟殿下は答えながら、自分の側近達に目で合図を送った。

側近達はびしょ濡れで茫然自失のブルーム王子殿下と、ノースフォーク伯爵令嬢をそっと立ち上がらせて、どこかに連れていく。

すぐさま魔導士がやって来て、濡れた地面を一瞬で乾かした。


「わたくし、この国での結婚は難しいから他国に嫁ぎたいわ」

夢見るかのようにうっとりと話すアクトレス公爵令嬢は、先ほどのドスの効いた声の持ち主と同一人物とは思えない。


「ブルームとノースフォーク伯爵令嬢の逢瀬を君に伝えて、もしも婚約がなくなってしまったらどうする?と。すると君は『王弟殿下が私を貰ってくださいませ』と笑いながら言ったね」


「ええ、申しましたわ。もしかしてブルーム王子殿下の今日の行動、前もって予測していらっしゃったのですか?」

おかしくて堪らないとでも言いたげに、アクトレス公爵令嬢が笑う。

なんて豪胆なお嬢様なのかしら。


「君を子供の頃から見ていて、素直で素敵な人だと思っていたよ。7年前、私の妻が天に召されるまで、私達夫婦とよくお茶をしてくれたね。その後、1人になった私をいつも気遣ってくれた。そんな君がいなくなるのは嫌だ」

王弟殿下は跪き、ブルーのベルベットの箱を取り出して開けた。


「ミレディア・アクトレス。結婚してださい。君を誰にも渡したく無いんだ」

「喜んでお受けいたします」

頬を赤らめて、王弟殿下の手を取ると、王弟殿下は立ち上がり、アクトレス公爵令嬢を抱きしめた。

完全に2人の世界だ。


「実は、そろそろ行動を起こすだろうと予想していたけれど。まさか今日、このタイミングだとは思っていなかったよ」

聞き取れたのはここまでで、2人は何かを囁き合い、そしてあついキスを交わした。


しかし、私達傍観者は、急展開すぎてついていけない。

ブルーム王子殿下とカロリーナ・ノースフォーク伯爵令嬢が起こした婚約破棄と決闘騒ぎ。

その後の王弟殿下がミレディア・アクトレス公爵令嬢に求婚して、今に至る訳だけど。

もう頭が爆発しそうだわ。


そんな私達など視界に入っていないのか、婚約を受け入れたアクトレス公爵令嬢と王弟殿下は幸せそうに抱き合っている。


このタイミングで、誰かが拍手をした。

つられて私達全員が拍手をする。

この場を何とかしないといけないという気持ちに駆られての拍手だ。

「おめでとうございます」

祝福を述べる声も多数聞こえてくる。


2人は仲睦まじく腕を組み、王族専用通路へと消えて行った。

姿が見えなくなった後、拍手が止む。

やっと終わった。

ダンスホールにいる沢山の人は、何とも言えない疲労感に襲われている。

喉も乾いたし、少し座りたいなどと声が聞こえて来た。

そして、沢山の人がサロンや談話室の方を見るが、まだ空間は封鎖されたままだ。

肝心の王弟殿下が魔法を解かずにいなくなってしまったからだわ。

沢山の人が口々に何かぼやいているが、人が多すぎて聞き取れない。

しかし、突然しんと静まり返った。


国王陛下がいらっしゃったのだ。

「諸君、愚息と、愚弟に代わりお詫びする。たまたまダンスホールに居ただけで、皆には不快な思いをさせてすまなかった。さあ、もう一度パーティーをやり直そう」

国王陛下が両手を広げると、掌から虹色の星が沢山出て来て、それがアーチを作り、違う部屋への通路になった。


「皆を特別な場所へと案内しよう」

国王陛下のお気持ちを拒否なんて出来る人はいないので、ダンスを踊っていたペアで虹の通路に入っていく。


私は1人でダンスホールに居たけれど、そもそもダンスをするために足を踏み入れる場所なのだから、ペアしかいない。

だから、国王陛下の言う新しい場所に行ってもひとりぼっちなんだわ。

当然だけど、両親とも合流できないだろうし。


沢山の人が虹の通路に向かう中、3人組の女性が近づいて来た。

カラードレスを纏っているので私より年上だわ。

3人ともドレスのカタログのモデルのように抜群のスタイルで、整ったお顔をしている。


「ごきげんよう。私はドーズ侯爵家のクラリスよ」

ブルーのマーメイドラインのドレスがスタイルの良さを際立たせている。

所作からも気品が感じられ、すごく素敵な方だわ。


「ごきげんよう、ブラウスト伯爵家のコレットですわ」

ブラウスト伯爵令嬢は、パステルパープルのプリンセスラインのドレスを纏った、可愛らしい雰囲気の方だ。

「ごきげんよう、ロードスト伯爵家のケイトですわ」

ゴールドに近い淡いブラウンのAラインのドレスが優雅で、多分3人の中で一番年上なのに、最後に挨拶をくれたということは、家格順に挨拶をしてくださったのね。


「ごきげんよう。コバード子爵家のレティシアです」

カーテシーをすると、3人ともにっこりと笑いかけてくれた。


「あなたも、たまたまダンスホールを通りがかって巻き込まれたんでしょ?私達もなの」

「1人で心細かった時に、ドーズ侯爵令嬢が話しかけてくださって。ひとりぼっちであの虹の通路に入らなければいけない心細さから、解放されたのですわ」

ブラウスト伯爵令嬢がにっこり笑う。


「もう、あのゴタゴタを見せつけられて疲れちゃったから、マナーとかどうでもいいわ。楽しくおしゃべりしましょ。初めて参加した舞踏会がこれじゃあ、疲れちゃったわね」

3人は私を気遣ってくれる。

私も1人で心細かったし、どうしたらいいのか途方に暮れていたので、嬉しくなる。


「すごく疲れました。慣れないドレスに、沢山の人。それから使い慣れない言葉…。すいません。思わず愚痴が…」


「いいのよ。もう疲れたんだし、気を使わなくても。確かコバード子爵領は王都からは北に位置するのよね。北部の方言って、可愛いから好きよ」

「そうよ。気にせず普段通り話しましょう?今日はもう不敬とか無しよ。呼び合うのもお互いに名前でね」

クラリス・ドーズ侯爵令嬢が提案してくれたので、お姉様方をお名前で呼ばせてもらうことにした。

素敵なお姉様方に着いていこうと決めて、3人のお姉様方の後について、虹の通路に入る。


歩きながら、今しがた起こったブルーム王子殿下の婚約破棄と、その後の求婚騒ぎについて今見たことの一部始終を語り合う。


「アクトレス公爵令嬢、迫力満点のならず者みたいだったわね」

「本当すごかったわ。あんな風に男性に凄むなんてなかなかできないわよ。カッコいいわね」

意外にも皆、アクトレス公爵令嬢に対して好意的だ。


「皆様はアクトレス公爵令嬢が怒ると、シェイクした炭酸飲料みたいだってご存知だったんですか?」

私の質問に全員が笑い出す。

「シェイクした炭酸飲料!確かに、封を開けたと同時に爆発的に溢れ出してくるわね。その表現サイコーよ」

「封を開けるまでは、リボンをかけた炭酸の瓶だったってわけね」

補足されてキョトンとなる。


「レティシア様が言ったのに、一番わかってないみたいね。貴女が言った『シェイクした炭酸飲料』って、ちょっとした比喩としてひねりが効いた表現で素敵なのよ」

皆が言うには、炭酸飲料はワインと同じように綺麗な商品ラベルが貼られた美味しそうな瓶で売られている。

瓶を手に取った時は美味しそうだし、誰かがシェイクしたとしても瓶を見ただけではわからない。

しかし、開封すると勢いよく吹き出してとどまるところを知らず溢れて、手やテーブルや床を汚すし、びっくりしてこちらも慌てる。


まさに、ミレディア・アクトレス公爵令嬢も、皆と同じように夜会に出たり、お茶会に出たりしていて、皆と同じような令嬢に見えた。

でも、怒りが最高潮に達して怒りの蓋が開くと、溢れ出すモノを誰も抑えられない。

まさに、シェイクした炭酸飲料と同じ。


「あんなに豹変するとは思いませんでしたわ」

「本当凄かったわね」


虹の通路の途中に分岐点があり、左右に分かれている。

右は『未来』、左は『夢』と書いた立て看板があり、笑顔の小人が立っていた。

「お嬢さん方は右だよ」

言われるがままに進むと、私達の前に歩いていた3人組のうち、1人の女性がキョロキョロと周りを見ながら心細そうにゆっくりと歩いている。

3人一緒に通路に入ったのに、2対1に別れるように言われたんだわ。

お姉様方も同じように思ったのか女性に声をかけてお互いに自己紹介しあう。


「わたくしはクランネル伯爵家セーラーですわ。姉夫婦は左に進むように言われて心細かったのです」

「一緒に行きましょう」

「ええ!」

新婚の姉夫婦にファーストダンスを見守って欲しいと言われて、ダンスを見ていた時に、あのドタバタ劇が始まったらしい。


歩き出し、カーブを曲がる。

すると、品のいい女性が5名立っていた。

年はバラバラだが、全員が30センチほどの長さの細い杖を持っているので上級魔法使いであることには間違いない。

それぞれの前には小さなテーブルがあり、その上には20センチくらいの水晶玉が置かれている。


「お嬢様方には、1人ずつ順番に水晶に触れていただきます。この道は『未来』ですから、お嬢様方は水晶に触れる時に自分のなりたい未来を思い浮かべてください」

私はふくよかな女性の前に立ち、なりたい自分を思い浮かべる。

私の場合は、結婚して嫁がないといけない。兄が跡を継ぐのは決まっているもの。

兄は今、海外のワイナリーに修行に行っているけど、戻ったら結婚して領主補佐をする事が決まっている。

だから、嫁ぐならやっぱりワイン農家がいいわ。

ブドウを育てるのが好きだし、ワインの仕込みも好きだもの。

コバード領では、ワインを仕込む日はお祭りになっている。

昔は素足でブドウを踏むのが神事だったから、その日がお祭りの日と決まっていたけれど、今は機械でブドウを絞るが、お祭りだけは残っているのだ。

あの日が一年で一番好き。


そんな事を考えながら水晶に触ると、触れている掌から銀色の霧が出てきて体を包んだが、その霧を胸に刺した薔薇が吸い込んで蕾になった。

「この薔薇は願いの薔薇ですよ。この薔薇は貴女の希望、そして未来です。花が咲いたら、庭に植えてくださいね」


魔法使いのおばあさんに手を振って先へと進む。

「上級魔法使い、初めてお会いしました。うちの領にはいないので」

コバード領には中級魔法使いまでしかいない。

そもそも、国民で魔力があるのは一握りで、その大半が貴族だ。

だが多くの貴族は、ごくごく簡単な事しか出来ない。


「薔薇が蕾になったわね」

「私達、全員が白い薔薇を胸に刺していたのね」

お互いにどんな人が希望なのか話しながら歩いてると、だんだん明るくなってきた。

「国王陛下はパーティーをやり直すって言ってたら、どこにつながると思う?」

「ガーデンパーティーじゃないかしら?」

「普段、式典やパーティーを行うのがホワイト宮殿だから、きっとそこよ」


薄暗い通路から外に出て驚く。

大きなガラス張りの広間で、外は夜景が見える。

夜景を楽しむためなのか、照明は控え気味だ。

「ここホワイト宮殿じゃないわ。外にホワイト宮殿とさっきまでいたお城が見えるもの」

「こんなに高い場所で、沢山の建物が見えるってどこなのかしら?」

王都にあまり詳しくない私は想像がつかないけど、お姉様方はあれこれ考察している。


流行りの音楽が流れる中で、給仕は動物のコスプレをして、配られるのはワインではなくカクテル。

突然すぎて頭が追いつかない。


その時、目の前の小さな舞台に誰かが駆け上がった。

舞台上にスポットライトが当たり、皆自然にそちらを向く。

「これで全員かしら?」

マイクを通した声が会場に響いた。

舞台に上がったのは、クラリス王女殿下だ。

ブルーム王子殿下のお姉様にあたる方で、トレードマークは眼鏡ときっちりと結ったお団子頭。

会場から誰かが「クラリス王女殿下!」と声をかけたのでわかったけど、あまりにも新聞と雰囲気が違いすぎて同一人物かわからない。


貴族新聞で読む限り、公務に勤しむ大人しいお姫様って感じなのに、舞台上のクラリス王女殿下は、大勢の人がいるのにリラックスして楽しそうに笑う魅力的な美人だ。

圧倒的なオーラと美貌に皆んなが舞台に釘付けになった。

皆んなが注目する中、綺麗に結っていた髪をほどき、ヘアアクセサリーを後ろに控えている女性に渡すと、代わりにカクテルグラスを受け取る。


「皆さん、今日は私の家族が大変ご迷惑をかけました。え?私が誰かって?」

クラリス王女殿下はクスクス笑う。


「眼鏡が無いとわからないかしら?」

咳払いをして片手持ったグラスを置き、美しいカーテシーをする。

それから顔を真っ正面に向けた。

その顔は本当に品よく美しいく、ロイヤルのオーラって凄いと感じさせる者だった。

「ごきげんよう。自己紹介が遅れて申し訳ございません。第二王女のクラリスですわ。皆様、以外お見知り置きを」

と言った後、キリリとした顔から普通の顔に戻り、カクテルを飲み干す。


「フフフ。どう?王女っぽかった?今日ここにいるのは、あのゴタゴタを見た人のうち、白い薔薇とピンクの薔薇を胸につけた若い貴族だけなの。恋人募集中のオジサン貴族とか、オバサン貴族は混ざってないから安心して」

楽しそうに笑うクラリス王女殿下は、後ろに控えている側近から新しいカクテルを受け取る。


「今のは失言。忘れてね。もちろん、素行の悪い人も抜き。そもそも素行の悪い人はあの会場で大人しくダンスなんて踊っていなかったから居なかったんだけど。だから皆んな、安心してパーティーを楽しんで。コンセプトは、サーカス!」


スポットライトが消えて、音楽が戯けたような愉快なものに変わると、ピエロが数人飛び出してきた。

ピエロは目の前にいた令嬢の顔を見て、礼をすると楽しそうに踊り出した。

一緒に踊ろうという仕草をしている。

他のピエロも目の前の令息や令嬢をダンスに誘い、踊り出す。


ワルツと違って手や体に触れない向かい合って踊るダンスで、簡単そうで楽しそうだ。

誰も見た事のない踊りと音楽だから、上手いとか下手とか無いし、女性同士でも踊ってもいいみたいで、私達も踊り出した。


しばらく踊った後、喉が渇いたので会場の奥にある椅子に座り、みんなでテーブルを囲んでおしゃべりをする事にした。

お姉様方は、私の訛りも気にしないので楽しく色々な話をする。

お話してみると、家業がそれぞれ違うので、所属している商業組合などが違い、交流の機会が少ないから、出会えてラッキーね、という話になる。


伯爵家以上の家格だと、社交場で交流があるらしいけど、それも男性の社交クラブなので、女性が友達を作るなら学校に通うそうだ。


「レティシア様は学校に通ってないの?」

「はい。父にお願いして家庭教師をつけてもらってます」

「高等教育を指導できる家庭教師っていいお値段するのよ。王都ならまだ探せるけど、ほかの領に来てくれる家庭教師は稀だから、きっとすごく高いわよ?学校に通った方が安上がりだわ」

「コバード子爵様は太っ腹ね」

お姉様方の話を伺うと、人気なのは女学院で、少人数制らしい。

しかも、人気の女学院の試験は狭き門だそうだ。


「同じくらいの年齢でも、所属の組合が違うと行事も違うし、出会う機会って夜会くらいしかないからこうやってお友達になれてよかったわ」

「あんな事件がなかったら、このパーティーは無いし、私達話す事もないものね」


色々な話をして盛り上がっていると、私達のテーブルにピエロがやってきて、セーラ様の手を引いて立ち上がらせた。

「何?どうしたの?」

困惑するセーラ様の手を引き、ダンスフロアへと行こうと身振りで誘う。


「私にもう一度ダンスの輪に入れと?」

ピエロが何度も頷く。

「行ってらっしゃいよ。ピエロのご指名よ」

「そうそう!」

私達はセーラ様に手を振ると、困った顔で笑いながらピエロに手を引かれて踊っている人の方に歩き出した。

しかし、驚いた事に別のピエロが男性を引っ張って来て、セーラ様とペアになって踊るように身振りでお願いしている。


しかも、このタイミングで曲が変わり、南部の民族音楽になった。

向かい合わせの2人が手を繋いで踊らないといけない舞踏曲だ。

「あの男性、セーラ様とお似合いに見えない?身長差もちょうどだし。誠実そうだし」

なんて話していたら、次は動物の仮装をしたスタッフ達がやってきて、私達全員をダンスフロアに身振り手振りで誘う。


「みんな誘われているわね」

「私はキリンと踊ってくるわ」

「私はゾウ」

それぞれ誘ってくれた動物と踊る事にする。

私は猫だった。


猫は、ダンスフロア人混みを掻き分けて進むので、こんな真ん中で踊るのかと思っていると、ダンスフロアの真ん中で、もう1人の猫の仮装のスタッフと落ち合った。

もう1人の猫は男性の手を引いている。


男性は背が高く、鼻筋の通った整った顔立ちをしている。正面から見ると、光の加減によっては空色にも灰色にも見える瞳が空模様のようで素敵だし、ヘーゼルナッツ色の艶のある髪が高貴さを醸し出している。


「私達が踊るの?」

猫に聞くとうんうんと頷いき、男性に私の手を取るように促してきた。


男性がダンスの前の礼をしたので、私も礼をすると、男性が優しく私の手を取る。

猫の仮装をした二人組が踊れと囃し立てるので、私達は踊り始めた。

「挨拶をさせてください。私は、第二近衛師団スラウトス伯爵家リチャードです」

「私はコバード子爵家レティシアですわ。今日は本当に驚きました。びっくり…」

ここで、訛りが出てしまい恥ずかしくて下を向く。

本当は、びっくりして身動きが取れなかったと言いたかったのに。

「ごめんなさい。どうしても訛ってしまって」


「北部のイントネーションですね。耳馴染みが良くて私は好きです。気にする必要はないですから普段通り話しましょう」

「ありがとうございます」

「私の事はリチャードとお呼びください。うちの分家が北部警備の要塞を守っているダラス家なのですが。スラウトスは発音がしにくいと皆申しておりますから」


「確かに発音しにくいですね」

思わず苦笑いをする。

「気にしないでください。ダラス家の者はみんな、リチャードと名前で呼びます。その代わりと言っては申し訳ないですが、私もレティシア嬢とお呼びしても?」

「もちろんですわ」


リチャード様は近衛師団所属なだけあり、体幹がしっかりしているせいか踊りやすい。

しかも背が高いので、並んでも私の大きさが目立たない。

きっと近衛兵の帽子をかぶると一際目立つだろうな。

この整ったお顔にあの帽子は素敵に違いない。


「今日はデビュタントなのに災難でしたね。ダンスホールのゴタゴタの時は…どなたかとダンスを?」

「いえ。1人だったんです。両親は国王陛下の謁見に行っていて。友人もいないから会場を見て回ろうとしている時でした」


「お一人であの現場に居合わせたのならさぞ心細かったでしょう。アクトレス公爵令嬢の強さは並ではありませんでしたね」

「ええ。凄すぎましたわ。その時、リチャード様はどなたかとダンスを?」

「私はダンスホールの警備中でした」

「お仕事だったのですね。それは大変でしたね。いつも…」

次の言葉を言おうとした時、濡れた床を無防備に踏んでしまい、バランスを崩して倒れそうになる。

咄嗟にリチャード様が背中に手を回してくれて、なんとか転ばずに済んだけれど、抱き抱えられてしまった。


「危なかった!溢したワインを踏んでしまったようですね。転んで怪我でもしたら大変です」

「あっ。ありがとうございます」

なるべく意識しないように気をつけなきゃ。


「すっ、すいません。女性を抱きしめるなんて失礼を」

優しく腕を解いてくれたので、一歩下がる。

胸がドキドキしてる。

これは偶然。

そう自分に言い聞かせながら、リチャード様の顔を見ると、少し照れているみたい。


「その、まだこの辺りは濡れていますから、危ないですし。一旦ソファーに座りましょうか」

紳士的に掌を出してくれたので、そっと手を触れると、優しく握ってくれた。

まだドキドキしていて、心臓がうるさい。


「ありがとうございます。このツルツルした床に苦戦してしまいますわ。歩き慣れないからですね」

普段から社交をしていれば、イレギュラーな事にも対応できるかもしれないけど、そんなことを全てしてこなかったから、肝心なところで恥をかいてしまう。

もっとスマートに振る舞えれば、リチャード様に好意的に思ってもらえるかもしれないのに。


なんとか空いてる席を見つけて、椅子に座る。

空いていたのは、柱の陰になるような場所にあるベンチだった。

会場からは陰になるけれど、外の景色がよく見える場所だ。

あまり人がいない場所だから、訛りとか気にせずに色々な話をした。

世間話から始まり、近衛騎士団の事や、王都での過ごし方など、色々なことを聞かせてくれた。


私はコバード領は冬はマイナス気温で寒い事や、ワイン作りが楽しい事など、普段の生活について話す。

その話をちゃんと聞いてくれた上で、仕事が好きなんて素敵ですねと言ってくれた。


「本当は今も、警備の仕事をしないといけないはずなのに。魔法省に警備に当たらせているのが、王女殿下の凄いところです。魔法と剣は互角ですから。威圧感を与えずに警備ができる」

「リチャード様も仕事が好きだし、気になるんですね」

「そうだね。気になるよ」

柔らかい笑顔を向けられるので困ってしまう。


「レティシア嬢は将来どうしたいのですか?」

「本当はワイナリーに嫁ぎたいのですが、きっと難しいのでしょう。有名なワイナリーを営んでいるのは、伯爵家や侯爵家。全て格上ですし、私は葡萄作りしかしてこなかったので世間知らずです」

デビュタントを迎えて、この場に来て、初めて自分が世間知らずだったとわかった。


「いつか嫁がないといけない私に、両親は花嫁修行として王都のワイン協会の受付をしろと申すのです」

「レティシア嬢は行きたくないのですか?」

「まだ嫁ぐなんて考えられません。でも…嫡男は兄ですし。兄に迷惑はかけられませんから。来年から王都に来ないといけないのかもしれないですね」


「レティシア嬢の年で、行儀見習いとして王城で侍女をするご令嬢もいますからね。私は飛び級で学校を卒業して、16歳で近衛師団に入っているのですが、そのようなご令嬢を沢山見てきました」

「16歳から!凄いですね。という事は、リチャード様は今おいくつなのですか?」

「20歳です。近衛師団は出会いが少ないのに、うかうかしていたから婚約者はまだ見つけられないのですよ」


リチャード様はこんなに素敵なのに。

王都の女性ってどうなっているのしら。

おかしくて笑い、それを隠すために持っていたワインを飲む。


その時、少し離れた場所にある、やはり会場から隠れた位置にあるベンチに誰かやってきた。

「カミーユ殿下、これで会場は丸く収まったかしら?」

「大丈夫だよ、クラリス。大成功だったじゃないか」


声の主は、この会場を仕切っているクラリス王女殿下と、その婚約者である隣国のカミーユ王子殿下だ。

2人が話し出したので、私とリチャード様は動くに動けず。

話すに話せない。

2人の邪魔をしてしまう事になるし、もしかしたら不敬にあたるかもしれない。


「バカな弟のブルームの婚約破棄と決闘騒ぎ。それから、オジサマがアクトレス公爵令嬢に結婚を申し込んだ事。なんであんなに会場の空気を読むことができないのかしら?」

「まあ怒らないで。クラリスのおかげで全てなんとかなったよ。ほら、会場には沢山のカップルが成立している。これで、クラリスの手腕が認められるよ」

「急ごしらえのパーティーは大変なんだから」

「わかっているよ。ほら、これを飲んで機嫌なおして。そろそろみんなゴタゴタを忘れたから、元のパーティーに戻そう?」

「そうね」


2人はワインを飲むと、会場の舞台へと向かった。

私とリチャード様は、このパーティーが終わると悟り、次に会う約束をした。



これが、この国に残る伝説のパーティー。

このパーティーに意図せず出席する事になった貴族の子女たちから、沢山のカップルが誕生したので伝説と呼ばれた。

私、レティシア・コバードは例外に漏れず、リチャード様と結婚して、自分では簡単に発音できないスラウトス伯爵夫人になった。

お姉様達とは、その後もずっと交流が続いている。


婚約破棄を目撃した事は、悪くなかったのかもしれないわね。


作中に書き忘れましたが、なぜブルーム第二王子があのタイミングで婚約破棄をしたかというと、国王が謁見でいないから、この間に婚約破棄してしまおうという狡い魂胆だったんです。

書き忘れてここで書きました。

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