第五章 九歳、報告書と形式
九歳になって、実習の内容が高度になった。
報告書を書く課題が増えた。
形式がある。項目がある。書く順番がある。何をどこに書くか、細かく決まっている。
俺はその形式を、最初に覚えた。覚えながら、ずっと思っていた。
なんでこの形式なんだろう。
ある日、担当の先生に聞いた。
「この報告書の形式の、どれが一番大事ですか」
「全部大事です」
「全部が等しく大事、ということはないと思います。どれかが変わっても報告書として機能するものと、これがなくなったら報告書じゃなくなるものと、あると思います」
先生は少し困った顔をした。
「今は形式を覚えることが先です」
「覚えてから、そういうことを考えるということですか」
「そうです」
「わかりました。じゃあ今は全部覚えます」
先生は少し安心した顔をした。
しかし俺は覚えながら、考え続けた。
形式のどれが本質で、どれが慣習なのか。
ソラに話した。
「形式を覚えてから、形式を問うほうがいい、とタジマ先生も言いそうだ」
「おそらくそうだと思います。形式を知らずに破ることと、形式を知った上で逸脱することは、違います」
「どう違うの」
「知った上で逸脱するなら、なぜそうするかを説明できます。知らずに逸脱すれば、ただ間違えているように見える」
「形式は、道具だ」
「そうですね」
「道具を知ることが先で、道具を使うことが次。道具に使われることは、違う」
「その通りだと思います」
「ただ——」俺は少し考えた。「道具を使うためには、道具の限界を知ることも必要だ。形式の限界を知らないと、形式で表せないものを、表せないまま諦めてしまう」
「形式の限界を知る、とは」
「形式がどんなときに機能しなくなるかを、知ること。そのときに何を使うかを、準備しておくこと」
「誓い3の方向に、また繋がりますね」
「情報を使って何かを生成する——形式で表せないものを、別の形に作ること、かもしれない」




