3.アルベルト・ライトニングという男
悪女のような笑みに、背筋がぞくりと粟立つ。ふとディアナと目が合った。瞬時に和やかな表情へ変化する。
「ふふっ、ごめんなさい……つい」
「気持ち悪い女だな」
「ほんっっと嫌な男ね。だからギデオンさまがモテるのよ」
わかる。
「ねぇ、レティーツィアさん。私のためにも、この男の手綱を握っててね」
「はい……?」
わたしは思わず首を傾げていた。しかし、ディアナはお構いなく力説している。
「こんな男と婚約なんて御免なの。結婚するならギデオン・ルパートよ! 優しくて包容力があって、笑顔が素敵な男性でないとッッッ」
すごくわかります。
「それに、私はあなたたちのカップルが好きなの。眺めているだけで、とっても悦なの」
こっそり耳打ちしてくる内容が、オタクのそれである。ガッツポーズで語る姿は令嬢からかけ離れており、言葉の節々にも引っかかりを覚えた。
もしや、ディアナも憑依者ではないのか。わたしだって憑依者だし、あり得ない話じゃない。
とはいえ、ヒロインとギデオンが結ばれるなら、わたしの夢は叶う。ディアナはギデオンしか見えていないようだし、わたしもギデオンの幸せを願っている。
「……ディアナさんって『薔薇を散らす獣たち』を知っているのでは」
「安心して、私はギデオンを推してるけど、レティーツィアも推しなの」
唇に人差し指を立てて、ウィンクをするディアナはまさに妖精。無意識に「かわいい……」と漏らしていた。
ふるふると身悶えていると、腕の拘束が強くなる。手綱を握れと言われたが、命を握られているのはわたしのほう。
「推しがなんのことか知らないが、レティーツィアは俺のものだからな」
「わかってるわ。でも、泣かせたら許さないから」
とてもいい流れだ。ギデオンにハッピーエンドが訪れるなんて、夢みたい。
幸せで胸を膨らませていたけれど、アルベルトはどうなるのだろう。レティーツィアの中身が違う人物だと知って、ショックを受けるのではと心配になる。
わだかまりは燻ったまま、心に残り続けて、3日経っても消えなかった。
◇◇◇
今日はアルベルトとデートの日である。どういうわけか、先日別れた際に誘われたのだ。
『大事な用がある。逃げるなよ?』
あのセリフはなんなのか。乙女ゲームか。手の甲にキスを残して立ち去るなんて、おのれイケメンがっ。
ギデオンの問題が解決したというのに、投げかけられた言葉が脳内を巡っている。
ライトニング公爵家特注の馬車は、座席が柔らかくクッションも効いていて、中は広いし揺れも少ない。
対面に座るアルベルトといえば、気怠げに窓へ寄りかかり、視線は明後日の方向。
わたしだけ、妙に意識しているみたいだ。さすがに耐えられず、話題を切り出す。
「あの、大事な用って……なに?」
「ん? ああ、今は言えないな」
一瞥したアルベルトの眼差しは、とても真摯だった。思えば格好も、コートやベストが様になっていて、2次元の衣装は豪奢で目の保養。髪型だって乱れなく決まっている。
いつもの軽さはなく、見慣れない姿。ちょっとカッコいいと思ってしまった。すごく悔しい。
「まだ、なにかあるのか?」
あまりにも、ジロジロと眺めてしまっていたようだ。アルベルトから、呆れた視線が浴びせられる。
「ぅ、え、えっと……ディアナさんのことで」
折角だからと口を開く。わたしはギデオンを幸せにしたかったけど、アルベルトの幸せを奪うつもりはない。
本来ならば、アルベルトとディアナが結ばれるはずだった。彼らの姿を見て、どう思ったのだろう。
「……気になるのか?」
けれど、予想外にもアルベルトは、冷やかな態度を崩さなかった。
興味がない、と言い放ったときと変わらない。わたしは、きゅっとドレスの裾を掴む。
「だって、ルパート卿に取られるかもしれないじゃない」
「何故、ギデオンの名を?」
瞬間、凍りつくような寒気が襲う。眉間に皺を刻み、赤いオーラを滲ませる。
金色の瞳に業火を湛えているようで、魔王と対峙している気分だ。
「だ、だって、約束って言ってたから、特別な関係かと、思って」
もはやパニックだった。白状すると、なにを口走っているか、自分で理解できていない。
でも、目を見開くアルベルトの相貌で、やらかしたことはわかった。
「あ、えっと、だから」
「……まさか、嫉妬をしているのか?」
はい……?
なにを言い出したのか、この人は。笑い飛ばしてやりたかったが、確かにわたしの発言は独占欲丸出しである。
自滅もいいとこ。いっそ、消えていく砂になりたい。
頭を抱えて嘆いていると、アルベルトの呟きが耳に届く。
「ふっ……かわいいやつ」
いま、なんと?
意地悪なことを言って、人をからかって。ふとした瞬間に、気遣いをみせて翻弄する。アルベルトの本心は何処にあるのだろう。
今だって、視線を逸らし目も合わせてくれない。なのに、興味がないと突き放した男が、耳を色づかせて照れていた。
心臓が苦しいくらい高鳴っている。これはレティーツィアの想いなのか、自分のものなのか。
わからない。気づきたくない。秘めた感情に名がつく前に、この場から逃げ出したくて堪らなくなった。
◆
そびえ立つバロック様式の建物。外観が宮殿のようで、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
扉を開けてくれたのは、髭を蓄えた老紳士だった。洗練された立ち振舞は見事で、お辞儀すらブレがない。
「ようこそ、ライトニング小公爵さま」
「頼んでいた品は用意できているか?」
「もちろんでございます」
ここは一体、どんな場所なのか。理由もわからぬまま、ついていく。
アルベルトのエスコートで室内に入り、わたしは昏倒しそうになった。
「あ、あの……ここは……?」
「王家専用の宝石商だ」
「な、なぜ……?」
「大事な用があると言っただろ」
慣れた足取りでアルベルトとともに、個室へ向かう。宝石商とかけ離れたイメージの、華やかな内装。貴族の邸に似ているが、調度品は高価なのだろう。
青いベルベットのカウチソファーに、そっと腰をおろす。もちろん、アルベルトはわたしの隣である。
「小公爵さま、お待たせしました。揃いの指輪です」
「そうか、ご苦労」
トレイにのせられた指輪を見て、震えが止まらなくなった。細身のリングに、ブラックダイアモンドが連なった装飾。
いくらわたしでもわかる。この指輪ひとつで邸が建てられるだろう。
「手」
差し出された手のひらに、パシッと左手をのせた。条件反射だ。犬じゃないのに。
即座に引こうとしたところ、手首を掴まれる。反射神経か。アルベルトも負けていない。
「じっとしてろ」
素直に反抗をやめた。すると、薬指に例の指輪があてがわれる。
さっきは顔を赤くしていたが、今は真っ青だ。血流も忙しくて、心臓が悲鳴を上げている。
「あわわ、な、なんで」
「これは婚約指輪だ。結婚指輪は別に用意してやる」
そんなことは聞いてません。邸が指についている。汚れても責任なんて取れない。
「ち、ちが、なんで指輪……」
「婚約者なのにおかしなことか?」
ぴったりと嵌った指輪を見て、アルベルトは唇に曲線を描く。綻んだ表情は年相応に愛らしく、胸を鷲掴みにする。
だけど、わたしは指輪を受け取る資格がない。レティーツィアであって、レティーツィアではないから。
「……受け取れません」
「婚約は解消しないと、言ったはずだが?」
「信じられないかもしれませんが、わたしはレティーツィアじゃないんです……だから」
「安心しろ、知っていた」
は……い……?
何故、「夕方から雨が降るそうですよ」「そうだな」くらいのノリなのか。中身が別人ならば、普通は驚くか、引くだろう。
「疑わないのですか……?」
「俺が一度でも君を『レティーツィア』と呼んだか? そもそも俺は、レティーツィアを愛していない」
ますます混乱していく。レティーツィアを愛していないのに、解消もせず指輪を贈っている。
しかも、見知らぬ女に。これではまるで、わたし自身を好きみたいじゃない。
どうしてだろう。胸の奥がきゅっと締めつけられて、心臓が壊れそうなほど暴れている。
顔が熱くて堪らない。逃げたいけれど、手を離してくれないから、立ち去ることができずにいた。
「これからは、俺の『レティーツィア』として生きてくれ」
「む、無理、です……だって、わたしはこの世界の住人じゃない……消えるかもしれないのに」
好きな小説の中で、推しに出会って、声を聞いて。すべてが夢のような世界だった。
夢みたいだからこそ、約束はできない。今のわたしはレティーツィアでも、いつ元の世界に還るかわからないから。
黙っていると、薬指にぬくもりが触れる。視線を這わせれば、唇を寄せたアルベルトがなにやら呟いていた。
「なに、を」
「俺たちが相性で結ばれたと知っているな?」
ふたりを囲むよう赤い光に包まれ、文字が浮かび上がる。鎖のごとく蠢き、互いの指輪がオーラを放つ。
同じくして、わたしの体内の魔力が反応を示した。仄かな熱が広がり、鼓動が落ち着いていく。
「相性とは魂の繋がりを意味する。もしも君が還るというなら、俺が阻止してやろう」
「どういう、意味で」
「還る場所を失くせばいいだろ」
一瞬にして、冷や汗まみれである。やはり危険だ、指輪を捨てよう。
外そうと試みるが、まったく抜けない。無理やり力を込めていると、アルベルトが止めに入る。
「やめろ、傷がつく」
「なんで外れない……っ」
「一度着けたら外せない。次の結婚指輪まで我慢するんだな」
外せない指輪の存在を知り、とうとう頭を抱える。微笑むアルベルトは楽しそうで、わたしはなにも言えなくなった。
おそらく、魔力量が桁違いなアルベルトに、勝てる者はいない。指輪に刻まれた術式は、ギデオンでも消せないだろう。
アルベルト・ライトニング。卒なくなんでもこなす合理主義者、それが彼のイメージだったのに。
こんなに取扱注意の男だなんて、わたしは一言も聞いてない。
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