2.尊ッッッッッッッッッ
「え……?」
立ち上がるなり、見下ろす双眸には威圧感が滲んでいた。
ひどく、喉が渇く。怒りを湛えて立ち去る背中を眺めていたが、ふと我に返る。ぐっと袖を握り締めて、どうにか耐えた。
アルベルトは王家の血筋である、ライトニング公爵家の令息。きっとプライドが許さなかったに違いない。だから、嫌がらせに解消を拒否したんだろう。
「なんて、ひどいの……」
──どうせ、レティーツィアを捨てるくせに。
アルベルトにとってレティーツィアとは、魔力の相性で婚約しただけの存在だった。
わたしから見れば、何故アルベルトがヒーローなのか、わからないくらい意地が悪い。
でも、物語はヒロインの視点で進行する。ヒロインの目線によるアルベルトの立ち位置は、不遇な環境から助けてくれた王子様なのだ。
同じく悲惨な過去があっても、愛される努力をしても、レティーツィアやギデオンに救いはない。
スポットライトが当たるのは、いつだって愛し合うふたりなのだから。
とはいえ、アルベルトはレティーツィアを残して帰ったけれど、会計は済ませてたし、馬車も手配してくれていた。
心に穴が空いたような、侘しさを覚えるのはどうしてだろう。多分、こんな然りげ無い気遣いが、胸に染みているせいなんだ。
「推し……推しが、足りないのよ……」
無駄な感情に振り回されるのも、ギデオンに会えないからだ。
きっと、きっとそう。推しはなによりの癒しになる。ギデオンの顔を拝めたら、ぜんぶ忘れられる。辛い過去なんて、なかったことにできるはずだから。
◆
木の陰から覗き見る姿は、まさに不審者。陽の光に負けない輝きは絵画のごとく、視線を釘づけにする。
「ほ、本物……本当に存在してる! これぞSSR……美術館が建つわ」
探しはじめて2週間後。王都の公園に、ギデオンがようやく姿を現した。同じ酸素を吸っているなんて、信じられない。
ベンチに座って本を読んでいるのだが、なんとメガネをしている。メガネ派だとは聞いてないのですけど。レアではないのか。
もっと近くで拝み倒したい。瞬きすら愛おしい。しかし、近づけば焼かれて死んでしまう。
いいや、そんな死に様も、褒美にして至高。はい、よろこんで。
「あら、ちょっと微笑んでる……? かわいい……すごくかわいい……かわいいしか出ない」
「なにをブツブツ言っている?」
「っ、ッ!?」
いつの間にか、アルベルトが真後ろにいた。どういうわけか、不愉快さを隠しもせず、しかめっ面である。
咄嗟に口を覆ったが、一歩でも遅かったならホラー映画並みの悲鳴が漏れていただろう。いっそ、漏らせば良かった。
「……いいから、ちょっと来い」
「い、嫌よ……今は忙しいの、放っておい、きゃっ」
腰に触れられたかと思えば、ふわりと身体が浮く。気づいたときにはすでに遅し。
公衆の面前で、アルベルトに抱き上げられている。公 衆 の 面 前 で。
一気に顔は真っ赤で、涙目だったし、パニックになっていた。
「やっ、いや! おろして……っ」
「少し黙れ。今すぐ、その口をふさいでやろうか」
「ぅ、ッ」
即刻、口を閉じた。人目がある場所で拷問なんて、死んでも嫌。
わたしは今にも羞恥心で意識が飛びそうなのに、アルベルトは恥ずかしくないのだろうか。
多数の視線に晒される中を、しっかりとした足取りで歩む。想像よりも力があって、逞しい腕の中。数メートルほど歩いたところで、ようやく降ろしてくれた。
王都の公園は円状の造りになっており、何処にいても中央の噴水が見える。
12時ジャスト。水が空に向かって伸びて、華麗なパフォーマンスを披露しはじめた。
いつもより目線が高いせいか。光を受けて反射し、大きな虹を創り出す様が、より美しく映る。
「綺麗……」
呟くなり、アルベルトがフッと吹き出した。ベンチに座らせてくれたけど、目の前から去ってくれない。
「……なによ」
「まるで、毛を逆立てた子猫みたいだな」
膝をつく姿は貴公子そのもの。手のひらを包まれ、あたたかい空気が触れる。
よく見ると、アルベルトの周りに赤い靄のようなものが漂っていた。
魔力はオーラとして具現化する。おそらく、この赤い輝きがアルベルトの魔力なのだろう。
手のひらから流れてくる熱が、体内で溶けていくのを感じる。心地良く馴染むのは、相性のせいか。
「まったく、アレルギーも気にせず無闇矢鱈に花に触れて……」
「え? あ、アレルギー……?」
そういえば、樹の幹に触れていた。けれど、魔力のおかげなのだろう。指の腫れや手首の発疹は治まり、滑らかな肌に戻っている。
「何故、花を贈らないと思っている。また倒れたいのか」
「興味のない女にプレゼントを……?」
「興味がないと言ったほうが、君の負担にならないだろ」
息苦しさを覚えた。胸の奥を鷲掴みされているようで、鈍く痛む。
無理やりあてがわれた婚約者でも、アルベルトはレティーツィアを目にかけていたんだ。ただ、運命に抗えなかった。
好きなものしか見えてなくて、アルベルトの苦悩など考えたこともない。ヒーローとは決められた幸せが待っているけど、果たしてそれは幸せと言えるのか。
アルベルトだって、生きているひとりの人間だ。ヒロインと結ばれたルートが、彼の望んだ結果じゃなかったとしたら──わたしは、どうすればいいのだろう。
スッと顔を背けて、木陰を眺めた。
すると、高い身長、端麗な顔立ちにして、圧倒的な存在感。歩く天然記念物が視界に入ってくる。
「あわわわわわ、な、なんてこと……大変。わずか数歩先に、いるっ、立って息をして……え、待って……?」
あり得ない光景が飛び込んできて、立ち上がろうとした。けれども、動くより先に、ベンチの背凭れに手をついたアルベルトから行く手を阻まれる。
視界いっぱいがアルベルトで埋まった。何故なのか。
「ちょっと、なにして」
「……誰を見てた?」
「え?」
「俺といるのに、誰のところへ行こうとしている?」
屈むなり、アルベルトが問い詰めてくる。前髪から覗く金色の瞳は眇められ、凄まじい圧を放つ。
明らかに怒っている。男性から、至近距離で責められるのは、はじめてのこと。とてもじゃないけど、声なんて出せなかった。
「君は一体、誰の婚約者なんだ?」
静かなのに、身体が震える。波のない声音が、逆に恐怖を抱かせた。
冷やかな空気に煽られ、肌の表面がヒリついていく。しかし、明るい声の主が沈黙を破った。
「あれ? アルベルトじゃないか!」
「今は構っている暇はない」
「もしかして、その子が婚約者の……」
し、喋った。推しの声が聞こえる。推しが話している。
高くもなく、低さもない。安定した爽やかな音色。鼓膜が溶けそうだ、と思ったときには地面に崩れ落ちた。
近い、推しの革靴が視線の先にある。なんてことだ。もう、数十センチもないではないか。悲鳴を上げていないだけ、褒めてほしい。
まったく反応をみせないわたしの前に、手のひらが差し出される。艶のある爪と細い指。顔を上げると、ギデオンの隣にいたヒロイン、ディアナだった。
「えっと、レティーツィアさん、ですよね。よければ、掴まって?」
オーマイガッッッッ。なんて可愛いのか、まるで天使のようだ。推しと並んでいる姿を拝めるとは、このまま天に召されてもいい。
「あ、ありがとう、ございます」
「いいえ、邪魔をしてしまったお詫びです」
微笑むディアナは、お人形と変わらない愛らしさがある。
なのに、アルベルトは火に油状態。まったく眼中にないのか、怒り心頭の様子でディアナを牽制した。
「俺を押し退けてまで邪魔をするとは。さっさとギデオンを連れて行け」
「あら……お約束が違うのでは?」
「約束ならひとりのときにしろ」
約束という単語に血の気が引く。もしやディアナとアルベルトは物語通り、婚約をするのではないか。と、不安が過る。
ふたりは物語の制約に逆らえない。ならばせめて、ギデオンが恋心を抱く前に、わたしが動かなくては。
推しと会話をするのはハードルが高いが、無心で相手を彫刻品だと叩き込む。
「あ、あの、ルパート卿にお話が……っん!?」
不意に腰を引かれて呆気に取られる。喋るなと言わんばかりに、口元を覆われ、たじろいだ。
振り返ると、全身を腕の中に囲ったアルベルトが、ギデオンを威嚇している。
わたしは疑問符だらけ。アルベルトとギデオンは仲が良かったのではないのか。
「そんなに睨まなくても手は出さないよ、アルベルト」
「さあ、どうだか。軽いお前の言うことなど、信用できない」
「軽いなんて、ひどいじゃないか」
眉尻を下げて笑みをこぼすギデオン。天使が増えた。困った表情も、大変美味い。
美味いがこの状況は如何なものか。さすがにアルベルトに抱き締められたままでは、恥ずかしくて死にそう。
熱くなる頬を隠そうともがいたとき、ディアナが口角を上げた。目を細め、面白くて堪らないといった顔つきだ。




