7 チキンレースはお好き?
「多分、社の軒下に隠れていたんだと思う」
僕を追いかけたアライグマの話だ。
「近づいてきたんだとしたら、物音が聞こえないはずがない。僕、ウサギだったんだから」
「バンちゃん、久々の化身でボケてたんとちゃうの?」
満が鼻で笑う。
「雪が降る音はちゃんと聞こえていた。で、周囲には積雪があって、雪を踏めば必ず判ったはずだ」
「そうだね。幾らバンちゃんがボケてても、雪を踏む音に気が付かないってのはないと思う」
朔、それはフォローと思っていいのかい?
それじゃあさ、と満が言う。
「アライグマ、社を守っているとか?」
「社の軒下なら、雪も降らない。塒にしているだけだろ」
「でもさ、朔。塒にするなら、軒下よりも木の洞や、地面に掘った穴のほうが暖かいやん」
「軒下に穴掘れば?」
「いいね、それ。一気に居心地、よくなった」
「だけどアライグマには穴を掘る習性はないはずだ」
朔と満が微妙な会話をしているところに
「アライグマって冬眠しないんだ?」
僕が疑問を投げる。と、朔が鼻で笑った。
「獣がみんな冬眠すると思うな。冬眠じゃなく、活動を抑制する『冬ごもり』が主流だ」
「バンちゃん。自分が箱に入って冬眠するからって、みんなが冬眠すると思ってるんでしょ?」
「満、それを言うなら箱じゃない、棺桶だ。しかも冬眠じゃない」
「箱にも棺桶にも僕は入らないってば!」
僕が否定しても、
「だって、隼人が『バンちゃんは密室が好き』って言ってた」
と満が言い、朔が
「狭いところに閉じ込められると安心するらしい、と言っていたな」
ニヤリと笑う。
「なんだったら、今夜は押し入れで寝るか? 落ち込むとクローゼットに籠るらしいね」
「包帯でぐるぐる巻きにする?」
ウキウキしている満を、朔が馬鹿にして笑う。
「それはミイラだ、満。でも、面白そうだな」
……隼人、僕がミイラにされる前に迎えに来て。いや、待てよ、ミイラと聞けば隼人も一緒に喜びそうだ――マジでクローゼットに籠りたい。
隼人が工務店に頼んで僕の部屋に造り付けてくれた横幅六十センチの特注クローゼットが恋しい。寄り掛かると僅かに傾斜するあのクローゼット……僕に押し入れは広すぎる。
「イヌワシはアライグマ、捕まえたのかなぁ?」
ぽつりと満が言う。
「アライグマの叫びは聞いてない。逃げ切ったんじゃないかな?」
もしイヌワシがアライグマを捕らえていれば、ウサギだった僕の耳にアライグマの断末魔の叫びが聞こえているはずだ。僕が宿舎に辿り着く少し前にイヌワシの上昇音が聞こえたから、アライグマは逃げきったのだろう。
「だとしたら、アライグマはどこに隠れたのか……足跡を追ってみるか?」
「アライグマを見つけてどうするの? 朔、食べる気? 美味しくなさそうだよ」
「食いはしない。だけど社にいたってのは気になるかな。どっちにしろ、ここでボーっとしているのもどうかと思うし、せめて村の散策をしたい」
朔、あるいは退屈しているか? 退屈かどうかは別として、現状が時間の浪費だってのは確かだ。でも……
「何かに化身してっていうなら、僕はもう行かないよ。今度こそ、イヌワシに目を付けられそうだ」
「狼になったらウサギを襲わない自信がない」
満が笑う。それを朔が鼻で笑い、
「人形で村の中を見てまわろう。ひょっとしたら、村長以外の村民に会えるかも」
フェイクファーのコートを着込む。
三人で行くぞ、と朔が言う。
「どうにもこの村に来てから落ち着かない、胸騒ぎがする。一緒にいたほうがよさそうだ」
広縁で外を見ると雪がやむ気配はない。それなのに庭の積雪量に大した変化を感じられない。村長は『東京の人には骨が折れる』と言っていたが、それほどの雪にも思えない。
満は朔と同じフェイクファー、僕はダウンのコートを着込んで、朔に続いて宿舎を出た。いや、出ようとした。
「ドア、開かない……」
朔が玄関で、ドアに体重を掛けて開けようとするがびくともしない。
「どゆこと?」
戸惑う満に、
「ここにいろ。庭に回って外を見てくる」
朔が静かに言って、奥に消えた。
すぐに冷たい風が奥から吹いて、暫くするとTシャツを着ながら朔が戻ってきた。狼に化身して見てきたんだろう。
「道路を除雪した雪がドアの前に山積みになっている。わざと、だろうな」
とにかく今、ドアから出たら今度はこっちが不審がられる。客が来ていると知らない村人がしたことと言われれば、それを否定できない。
「でも、除雪する音にバンちゃんはともかく、あたしや朔が気づかないはずない」
ふてくされ顔で満が言うが、
「気が付かないはずないって、どう村長に説明するんだ? それにシャベルでもないとドアの前の雪は退かせない。化身しなきゃ、庭から外に出るのも無理、ドアの前の雪をどける手段はない。村長が来るまで中にいるしかない」
そう言いって朔が、僕だって怒っているさと付け加える。
「あたしたちを閉じ込めたのはなんのため?」
「それが判れば苦労はない。この依頼が怪しいのはこれで確定したけどな。行方不明者がいるっていうのも信用できなくなった」
行方不明者もそうだけど、
「この村って村長以外に誰かいるのかな?」
と、僕が言うと
「建物の中の気配は確かなものだった。人かどうかまでははっきり言えない」
朔が答える。
「人じゃないことに気が付かれないために臭いを消している?」
そうかもしれない……朔がため息をついた。
「どっちにしろ、僕たちは油断しすぎた。こうなると、村長が人間ってのも怪しいぞ」
「人間じゃないとしたらなんだろう?」
「……バンちゃん、臭いを消して正体を隠しているって自分で言ったじゃないか」
だから判らないんだよな? と、朔が僕に呆れる。
「どうせ妖怪とかの類でしょ」
と、言った満の腹がグゥと鳴って、朔が笑った――
「……でもさ、朔と満が気付かないうちに、どうやって家の前に雪を積んだんだろうね?」
僕の質問に、朔も満も答えない。二人は冷凍庫にあったレバーを解凍して食べている。勿論わざわざ調理するなんて手間は掛けない。
「妖力? 人間に化けられるってことはそれなりに力がありそうやん」
満、口の周りが真っ赤だぞ? それ、口紅じゃないよな。
「向こうはこっちが人間じゃないって知ってるのかな?」
僕が言うと、朔が
「知らないでいて欲しいものだ」
と、溜息を吐いた。
「知ってるとしたら、僕たちをやり込める自信があるってことだ。それなりの物の怪ってことになる。知らなきゃ人間相手と馬鹿にして、向こうに隙ができるから好都合」
「知られるようなヘマ、隼人がするかなぁ?」
これは言わずと知れた満の発言。それを朔が
「隼人は食わせ物だからな。知ってて僕たちを寄越した可能性も否定できない」
鼻で笑う。
「えーー、朔、隼人を信じてないの?」
「もし知ってて寄越したなら、隼人は僕たちで大丈夫と判断したってことだ。あるいは……」
と、その時、僕たち三人は耳をそばだてた。
「最初から、隼人は後からくるつもりでいた――満、窓、全開に!」
僕たちが耳をそばだてたのは『ピュー』と口笛のような音が遠く微かに聞こえたからだ。満が慌てて、広縁の障子戸を開け、その先のガラス戸を開け放つ。
寒風が部屋に吹き込んだ。そして、受け止めるため引っ張り出した毛布を、朔が広げる。
庭から何かが飛び込んだ。そして庭に何かがドスンと落ちる。飛び込んできたのはハヤブサだ。隼人だ。勢い込んで朔が広げた毛布に突っ込み、見る見るうちに人形に変わる。
「やぁ、満。元気だった?」
「隼人ぉ~」
満が喜んで駆けまわりそうだ。毛布に包まれて、隼人がニッコリ満に笑いかける。
サラサラと流れるうっすら茶色味掛かった黒髪、そしてレモンイエローと灰銀色のオッドアイが朔に頷いてから、僕を見た。そしてキラリと光った。
マズッ……慌てて逃げようとしたが遅かった。しかも後ろを見せてしまった。
「バンちゃん、ピューピューピュー」
背中を蹴られてぶっ倒れる。その背中に再びハヤブサに化身した隼人が乗っかり、その上に毛布がヒラリと舞い落ちる。
「やめろぉぉぉーー!!!」
「ピューピューピピュー」
暴れる僕の上で、バランスを取るため隼人が羽ばたく。くちばしで僕の耳を甘噛みする――おい! ソコを僕に擦り付けるな、おいっ!
ところで、隼人が僕の背中に鉤爪を立てるなんてことは絶対にない。背中から落ちることもない。巧いもんだと感心する……やめろと言いつつ、僕もそこまで嫌じゃない。
「三秒くらい我慢だね、バンちゃん」
「一秒で終わるって聞いたよ?」
「満、それは一ラウンドの話だ」
朔と満がクスクス笑うのが聞こえた。
と、隼人がケラケラ笑いだし、僕の上から降りる。どうやら満足したようだ。暫く離れると、決まってこの儀式だ。って、まだたった一日じゃん。そんなに寂しいなら僕を一人で行かせなきゃいいのにと、いつも思う……隼人は人形に戻ると毛布に包まって座り、大笑いしている。
「久しぶりのチキンレースで興奮しすぎた、あはは……可哀想に、ボクを追いかけたイヌワシのヤツ、地面に追突したね」
どうやら隼人、イヌワシと地面めがけて追いかけっこしたようだ。ハヤブサとイヌワシでもチキンなんだと、変なところに感心する。ドスンと庭に落ちたイヌワシは、まさかハヤブサが人家に飛び込むとは予想していなかったのだろう。
「イヌワシ、食べていいの?」
満が涎を垂らす。
「ダメだ、羽根の始末に困る。脳震盪を起こしただけだ。ほっとけば目が覚めてどこかに逃げる」
朔がガラス戸を閉めながら笑う。
「で、隼人、服はどうしたの? いつものバッグがないね」
服に着いた抜け羽根を取りながら隼人に聞くと、
「奏ちゃんが持ってくるけど、まだ着かないね……満に借りようかな」
車で奏ちゃんと一緒に来た。でも、道が途中で塞がってたから、ボクは一足先に来た、と隼人が言う。三つ目入道の奏さんは道を塞いだ木を退けるか、車をひょいっと道の先に置き直すかするのだろう。
「あたしの服? いいけど、なんで?」
「満を見たら、今日は女装しようかと思いついた。化粧道具もあるよね?」
「ある、あるぅ~。隼人が使ってくれると嬉しい!」
隼人は人形のとき身長百六十五センチ、百七十ある満より低い。身体も細いから女装しても違和感がない。ちなみに朔は百八十、僕は百七十二、奏さんは……自在に変わるから何とも言えない。最大四メートルのはずだ。普段の見た目は朔と同じくらいで、朔は細マッチョだけど、奏さんは見るからに筋骨隆々といった感じ。
「実はね、今回の依頼は『女性の調査員で』って言われているのさ。女性五人で、と言われて、二人がせいぜいって言ったら、それでもいいって言うから請けた」
「依頼だけど、なんかヘンだぞ、隼人」
僕と朔の声が重なる。
隼人が満の服を着て化粧するのを眺めながら、朔がこれまでの報告をする。すると隼人が珍しく真面目な顔で言った。
「ふぅん、まぁ、宿舎の前の雪は奏ちゃんがなんとかしてくれるよ。そろそろ着くんじゃないかな」




