2 人狼は雪の中で遊ぶ
「ゆうきぃはぁ降る……あぁなたはっ来ないぃ、って来た、来た」
降車駅には時間通りに着いた。で、鼻歌交じりで待っている男がいた。コイツが村長? なんかイメージが違い過ぎる。
「おぉお! 痩せっぽちで貧弱そうで、メッシュの入った茶髪……所長さんのなんだっけ? が、言ってた通りの見た目。ニイちゃんが調査員で間違いないな」
『そう』とも、『違う』とも言う暇を与えられず、スーツケースを取り上げられ、ワンボックスの後部座席に押し込まれる。
今の電車でこの駅に来たのは僕一人、僕じゃなければこの人も困るだろう。しかもこの駅は単線の終着駅、無人駅で今日はもう電車が来る様子もない。
見渡すと駅前には一台も停まっていないタクシー乗り場があるだけだ。雪が多く残る広場に人影は一人のみ。この無精ひげの目立つ、強引な男が迎えじゃなければ僕も困る。
でもこの男、見た感じだと四十をちょっと過ぎたくらい、高めの背にがっしりした体躯、短めの黒髪は天然なのかパーマなのか、ちょいとクルクルしててボサボサで、凡そ村長のイメージじゃない。
村長に頼まれて代わりに迎えに来たのかと思っていると、
「遠くまでご苦労さん。俺が名吉村、村長の御供所っす」
エンジンを掛けながら言ってきた。
コイツが村長なんだ――僕は、自分が持つ『村長』のイメージを更新しなきゃならない……よね?
「ニイちゃん、名前は?」
村長が話しかけてくる。かなり気安い。
居酒屋で隣り合わせた、知り合いでも顔見知りでもなんでもない酔っ払いに絡まれている気分だ。
「探偵事務所『ハヤブサの目』調査員、地搗渢です。このたびはご依ら――」
「で、車酔いする?」
「え、いや、しませんが」
「あ、そ、じゃ、飛ばすから。で、堅苦しいのは苦手なんで、よろしく」
返事を待たずに走り始める。雪道でこの急発進、大丈夫なのか? ガタガタ音がして揺れるのは、タイヤチェーンを装着しているからだ。
駅前の広場を出ると疎らに人家が見えたがそれもあっという間、道は木々に囲まれる。しかもチラホラ雪が降り始め、見る見るうちに大降りになる。
「おぉ、来た、来た。これから大雪になる。急がないと村に着く前に埋もれちまうぞ!」
ますます村長、スピードを上げる。道はどんどん登っていく。
そうこうするうち、大きく右に曲がった。
「よぉ~し、ここからが本番だ!」
「本番……?」
「舌、噛むなよっ!」
村長の雄叫び(?)とともに、今度は大きく左に揺れる。
「!!!!!」
そこからは右に左に大暴れ、
「今、後輪、すべ、すべ!」
滑った、って言いたいが、揺れに揺れてて言い終えられない。
「おぅ! たまに落ちるヤツもいるぞ、覚悟しとけ!」
がははっと笑うのは村長だ。
(落ちる?)と、窓の外を見る。なんか木が生えているけれど、幹がずっと下に伸びてないか? 車の側面を覗きこむと、道、ギリギリを走行中、僅かにズレれば下り斜面に落っこちる。
反対側を見てみれば、すぐそこは雪の壁だ。
「た、対向車、は?」
「たまに来るぞ」
来るんかぃ!
隼人ぉ、なんで僕をここに寄越した? もう僕の事、いらなくなったのかよっ?
と、急に
「やばっ!」
村長が叫んで、更にアクセルを踏み込んだ。その割にはスピードが増さない。むしろ止まりそうだ。
後部車輪が横にブレるのを感じて振り向くと、
「雪崩!?」
リアガラスを包むように雪の塊がある。それがずるずると、崖のほうに動くのが見える。このままだと車もろとも僕たちも雪の中だ。さらに村長がアクセルを踏む。
ギュルギュルギュル! ズン! 引っ掛かっていた何かが外れ、いきなり車が突進し、身体が後ろに持っていかれる。って、前も雪の壁だ! 隼人! 先立つ僕を追って来い、必ずだ! 思わず僕は目を閉じた。
ギギギギッ、と響くブレーキ、ドン! と言うか、ぐわっしゃ、と言うか、そんな音を立てて車が止まり、猛烈な勢いで前のめりになる身体、前席の背もたれに叩き付けられる! と、思ったら、寸前でシートベルトに締め付けられた。
していて良かった、シートベルト――
でも、鎖骨、折れたかも? ま、いっか……村に着くころには治ってる。
「ニイちゃん、大丈夫か?」
運転席から振り向いて、村長が僕を覗きこんだ。
「まぁ、なんとか……」
「そうか、後で痛みが出るかもしれないから、村に着いたら医者に診て貰ったほうがいいよ」
「ご心配ありがとうございます」
医者には行けないとも言えずそう答えるが村長の興味はもう僕から消えているようで、僕が言い終わる前に車の外に出ている。車の具合を見るのだろう。
リアガラス越しに見ると雪に押し倒されたのか、雪に埋もれた太い木が道を塞いで倒れている。五メートルほど後方だ。タイヤ痕がそこまで真っ直ぐ続いている。
フロントを見ると折れた小枝混じりの雪で覆われていて、助手席も雪に埋まっているが運転席の横に雪はない。そりゃそうか、村長が今、そこへ降りた。
と、人影が現れドアが開く。
「またしばらく村から出られなくなっちまった」
村長が乗り込んで、他人事のように言う。
「んじゃ、行こうかね」
「車、動くんですか?」
問題ないと車をバックさせ、少しハンドルを切って走り始める。
「よく雪崩が起きるんですか?」
「敬語じゃなくっていいって……まぁ、しょっちゅうだね」
「……」
「心配ないって。閉鎖されても三か月は持つように、村には蓄えがあるから」
「随分な蓄えですね」
敬語じゃなくていいと言われても、『はいそうですか』とはいかない。
「で、また飛ばす。もう少しだし、この先は曲がりくねりも大したことないから」
大したことないと村長は言ったけれど、やっぱり大いに揺らされた。が、暗くなるころには傾斜を感じなくなり、道もほぼ真っ直ぐになった。そして暖房の効きが悪くなる。
「あれ? こんなところに犬?」
村長が車を停めると窓を開けた。
雪が舞い込み、冷気がスーーーっと車内に入る。急な冷えが僕を震えさせる。
「でっかい犬が二匹、駆けまわっているように見えたんだが……」
村長は首をひねり、僕は頭を抱える。あの犬っころめ、大喜びで雪遊びしていやがった……こんな場所で、でかい二匹の犬ならば双子の人狼、大賀美朔と満に違いない。
すると、村長が窓から身を乗り出して前方の暗闇に声を掛ける。
「おぉい、あんたたち、なにしてるんだ?」
ヘッドライトの灯りの中に人影が見えてくる。こちらに向かって歩いている。
「名吉村に行こうと思ったんだけど――おじさん、まだ遠い?」
グレイのロングヘアの女が村長に問いかける。続いて灯りの中に、男も姿を現した。人狼たち、暗闇にさっと身を隠し、人形に変化してから出直してきたんだ。
「嬢ちゃん、俺はおじさんじゃないが名吉村に行きたいなら乗せてくよ。そっちのニイちゃんも」
うちの調査員だと紹介すると、村長は二人をかなりお気に召したようだ。後部座席、僕の隣に朔が乗り、続いて満が乗り込んだ。
「このニイちゃんなら頼りになりそうだ。駅から乗せたニイちゃんより、ずっと胸板が厚い」
と、朔にニコニコし、女の装いの満には
「東京の女は綺麗だねぇ」
鼻の下を伸ばす。もちろん、『そいつは男だ』なんて僕が言うはずもない。
「村長さん、今夜のご馳走はなぁに?」
止める僕に気が付かないふりで満が甘ったれた声を出す。
ここまで歩いてきたのか訊かれるんじゃないかと冷や冷やしている僕の肩に、さり気なく朔が腕を回し、大丈夫だよと囁いた。何を根拠にと思ったけれど、ふわっとした温かさを感じて僕は黙った。僕が寒がっているのに気が付いて、温めてくれる気らしい。高体温のお犬さまさま……
「うーーん、何がいいかなぁ。猪鍋なんかどうだい?」
「イノシシ! いいね。鍋より焼いた方がいいけれど。シカはいないの?」
ここでコッソリ、やっぱ生でしょと朔が呟く。後部座席の朔の小声は、村長には聞こえていまい。なにしろ車内はタイヤチェーンの音で喧しい。
「シカかい。たっぷりあるよ。ミチルちゃん、ジビエ好き?」
「うん、好き、好き、好き! だぁ~い好き」
隼人の名前を憶えてなかった村長、ミチルの名前は一発で覚えた。たぶん、僕の名も朔の名も覚えちゃいない。
三か月分は保管していると言っていたけれど、肉の在庫は持つのだろうか……この二人、肉しか食わないぞ。一度に五人前は食うぞ。朔はもっと食う。十人前じゃあ、足りないかも――
こんな感じで僕たち探偵事務所『ハヤブサの目』の調査員三名は、名吉村に到着した。




