私の余命を知った婚約者が、急に妹を愛で始めました
「セレスティア、見てくれ。この薔薇を君に」
柔らかな陽光が差し込む王宮の庭園で、私の婚約者であり王太子でもあるアルフォンス殿下が、朝露に濡れた真紅の薔薇を一輪、差し出した。太陽の光を浴びて輝く金色の髪、空の色を映したような真っ直ぐな青い瞳。彼が微笑むたびに私の胸は甘い音を立てて高鳴る。
「まあ、綺麗……。ありがとうございます、アルフォンス様」
受け取った薔薇を胸に抱けば、芳しい香りがふわりと広がった。私たちは幼い頃からの許嫁として共に育ってきた。彼が王太子として、私が公爵令嬢として、互いに立場を理解し支え合ってきた。そして何より、深く、深く愛し合っていた。
「君の髪の色と同じ、美しい薔薇だ。……セレスティア、来年の春には、私たちは夫婦になる。この庭園を、君の好きな花でいっぱいにしよう」
「嬉しいですわ、アルフォンス様。でしたら、白いカスミソウも植えたいです。可憐で、控えめで、まるで私の可愛い妹のようですから」
「リズのことか。ああ、あの子も喜ぶだろうな」
私の妹、リズことリゼットは、姉の私とは対照的に栗色の髪に穏やかな茶色の瞳を持つ、控えめで心優しい少女だ。いつも私の後ろをついて歩き、「お姉様、お姉様」と慕ってくれる可愛い妹。アルフォンス様も、幼い頃からリズを実の妹のように可愛がってくれていた。
この幸せな時間が、永遠に続けばいい。
心の底からそう願うけれど、神様は残酷だ。
一月前、私は侍医から非情な宣告を受けた。
王家の血を引く女性にのみ、稀に発症するという不治の病。原因は不明、治療法もない。そして、私の余命はあと一年。
胸が張り裂けそうなほどの絶望に襲われた。けれど、涙はアルフォンス様の前では決して見せなかった。彼を悲しませたくない。私がこの世を去った後も、彼には国の次期国王として、強く、凛々しく、幸せに生きていってほしいのだ。
だから、この事実は誰にも告げず、残された一年を、愛する人との思い出で満たそうと心に決めた。私が死んだ後、彼が私を思い出して少しでも微笑んでくれるように。それが、私にできる唯一のことだったから。
「セレスティア?どうかしたのか、顔色が優れないようだが」
「いいえ、何でもありませんわ。アルフォンス様の隣にいられて、幸せを噛み締めていただけです」
私は微笑んで嘘をつく。
愛しい彼の指が、そっと私の頬に触れた。
その温もりだけで、泣きそうになるのを必死に堪えた。
その日を境に、すべてが変わってしまった。
王家主催の夜会でのことだった。いつもなら、アルフォンス様は一番に私の元へ来て、エスコートしてくれるはずだった。
けれど、その日の彼は違った。
ホールに入場した彼は、私を一瞥しただけでその隣を通り過ぎた。そして、壁際にぽつんと立っていた私の妹、リズの元へと真っ直ぐに向かったのだ。
「リズ、一人でどうしたんだい?さあ、こちらへ」
アルフォンス様は、呆然とするリズの手を優しく取り、ダンスの輪の中心へと誘った。会場中の視線が、二人に注がれる。誰もが困惑していた。王太子の隣にいるべき公爵令嬢は、私、セレスティアのはずなのだから。
「お姉様……」
リズが助けを求めるように私を見る。私はただ、笑顔の仮面を貼り付けるだけで精一杯だった。
何かの間違いだ。そう思いたかった。
しかし、その日からアルフォンス様の態度は、決定的に変わった。
彼は私と会う時間を極端に減らし、公の場では常にリズを隣に置いた。まるで、自分の婚約者は彼女だとでも言うように。
「リズ、これを。君が好きだと言っていた菓子の店の新作だ」
「リズ、大丈夫か。少し顔色が悪い。疲れているなら私が部屋まで送ろう」
「リズ、その髪飾り、とてもよく似合っている」
彼の口から紡がれるのは、リズへの甘い言葉ばかり。私に向けられるのは、氷のように冷たい視線だけ。
ある日の午後、廊下で彼とすれ違った。思わず声をかける。
「アルフォンス様……!少し、お話が」
「……何の用だ、セレスティア。今、リズのところへ行くので急いでいるのだが」
「なぜ、なのですか……。なぜ、急にリズばかり……」
「なぜ、だと?……君には関係のないことだ」
彼はそう言って、私を突き放した。その瞳には、かつての愛情など微塵も感じられなかった。
部屋に戻り、一人になった途端、涙が溢れてきた。
胸が痛い。病のせいではない。心が、軋みを上げて悲鳴を上げていた。
(ああ、そうか……)
そこで、ふと気づいてしまった。
彼は、私の余命を知ったのだ。
いつ、どこで知ったのかは分からない。けれど、きっと知ってしまったのだ。
そして彼は、私が死んだ後、公爵家との繋がりを保つために、私の妹を妃に迎えるつもりなのだ。
だから、今のうちからリズに愛情を注ぎ、周囲にも「次の相手」として認知させようとしている。
なんて、合理的で、王族らしい判断なのだろう。
私のことなど、もう過去の女なのだ。
(そうよね……。死にゆく女より、若くて健康な妹の方が、未来の王妃に相応しいに決まっているわ……)
分かっている。
頭では理解できる。
彼が国の未来を考えれば、それが最善の策だということも。
けれどーー心がついていかない。
あんなに愛を囁き合った日々は、全て嘘だったのだろうか。
来年の春、ここで結婚式を挙げようと誓ったあの言葉は、幻だったのだろうか。
絶望が、私の心を黒く塗りつぶしていく。
愛する人の未来を想い、身を引かなければ。
そう決意する一方で、彼の冷たい仕打ちに、私の心は静かに壊れていった。
アルフォンス様の心変わりは、もはや誰の目にも明らかだった。
夜会や観劇、視察に至るまで、彼の隣にはいつもリズがいた。甲斐甲斐しく世話を焼かれ、優しい言葉をかけられる妹。その隣で、私はまるで存在しないかのように扱われた。
周囲の貴族たちは、憐れみと好奇の入り混じった視線を私に向ける。
「まあ、セレスティア様がお可哀想に…」
「王太子殿下は、リゼット様に乗り換えられたのかしら」
「公爵家も大変ですわね。姉から妹へとは…」
心ない囁きが、鋭い棘となって私の胸に突き刺さる。
一番辛かったのは、リズの苦しむ姿を見ることだった。
私の部屋を訪ねてきたリズは、泣きそうな顔で俯いていた。
「お姉様、ごめんなさい……。私、どうしたら……」
「リズ、あなたが謝ることではないわ」
「でも、殿下は私にばかり構って……。お姉様がいるのに、私が隣にいるなんて、間違っているわ。何度も断っているのに、殿下は聞いてくださらないの」
震える声で訴える妹を、私はそっと抱きしめた。この子は何も悪くない。ただ、優しいだけなのだ。アルフォンス様の強引な誘いを、断りきれないだけで。
「いいのよ、リズ。これは、殿下がお決めになったことなのだから」
「そんな……!お姉様は、それでいいの?殿下のこと、あんなに愛しているのに!」
「……愛しているからよ」
私は、喉の奥から絞り出すように言った。
「愛しているから、あの人の未来の邪魔はしたくないの。……リズ、あなたは、ただ殿下の側にいて差し上げて。それが、あの方の望みなのだから」
「お姉様……」
リズは何も言えず、私の胸でただ泣いていた。
ごめんなさい、リズ。あなたを、私の身代わりのようにしてしまって。
けれど、これも愛するアルフォンス様のため。彼が、彼の未来のために選んだ道なのだから。
私は、覚悟を決めた。
その夜、アルフォンス様の執務室を訪ねた。
書類に目を通していた彼は、私を見るなり、不機嫌そうに眉をひそめた。
「何の用だ。もう遅いだろう」
「……大切なお話があって、参りました」
私は震える足を叱咤し、彼の前に進み出た。そして、ずっと前から練習していた言葉を口にする。
「アルフォンス様。私たち、婚約を解消いたしましょう」
彼のペンが、ピタリと止まった。ゆっくりと顔を上げたその青い瞳が、私を射抜く。その瞳の奥に、一瞬だけ激しい動揺が走ったのを、私は見逃さなかった。けれど、それも束の間。彼はすぐに冷たい表情に戻る。
「……ほう。ようやく、その気になったか」
「ええ。殿下のお気持ちは、もうリズにあるのでしょう?でしたら、私がいては邪魔になるだけですわ」
「……分かっているなら、話が早い」
「リズは、私よりもずっと健康で、若くて、可愛らしい妹です。きっと、殿下の素晴らしい妃になることでしょう」
一言、一言が、刃となって自分の心を切り刻んでいく。
お願い、もうやめて。
これ以上、自分を傷つけたくない。
けれど、ここで退くわけにはいかない。彼の未来のために。
「……それで、君はどうするつもりだ?」
「私は……修道院に入ろうと思います。静かな場所で、神に祈りを捧げる余生も、悪くはないでしょう」
嘘だ。
本当は、あなたの隣で最期の瞬間まで笑っていたかった。
涙が溢れそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死にこらえる。
アルフォンス様は、しばらく黙って私を見つめていた。その表情は、闇に閉ざされて読み取れない。やがて、彼は重々しく口を開いた。
「……分かった。君がそこまで言うのなら、婚約は白紙に戻そう。父上や公爵には、私から話しておく」
「……ありがとう、ございます」
礼を言い、背を向けた瞬間、堰を切ったように涙が頬を伝った。
もう、ここにはいられない。一刻も早く、彼の前から消えなければ。
私が執務室の扉に手をかけた、その時だった。
「……本当に、それでいいのか」
背後から聞こえた声は、微かに震えていた。
振り返ることはできなかった。もし今、彼の顔を見てしまったら、私の決意は脆くも崩れ去ってしまうだろう。
「……ええ。それが、殿下と、リズと……そして、私のための最善の道ですわ」
そう言い残して、私は部屋を飛び出した。
廊下を走りながら、嗚咽が止まらない。
終わった。これで、すべて終わったのだ。
愛する人に、自ら別れを告げる痛みが、死の恐怖よりもずっと恐ろしいものだと、私は初めて知った。
―・―・―
セレスティアが去った執務室で、アルフォンスは一人、崩れるように椅子に沈み込んだ。
(……最善の道、だと?)
ふざけるな。
君のいない未来など、私にとっては地獄と同じだ。
アルフォンスがセレスティアの病を知ったのは、偶然だった。
一月ほど前、王家の書庫で古い文献を調べていた時、彼は侍医長とセレスティアの父である公爵の密談を耳にしてしまったのだ。
『セレスティア嬢の病は、やはり王家に伝わる“薔薇の呪い”で間違いないでしょう』
『なんと……。では、残された時間は……』
『もって、一年かと……』
血の気が引いた。足元から世界が崩れていくような感覚。
信じたくなくて、その夜、侍医長を問い詰めた。彼は最初こそ口を閉ざしていたが、王太子の必死の形相に根負けし、全てを話した。
絶望が、アルフォンスの心を支配した。
なぜだ。なぜ、私が愛したセレスティアが、死ななければならないのだ。
何日も眠れず、食事も喉を通らなかった。彼女を失う恐怖に、狂いそうだった。
そんな時、彼は王家の禁書庫で、一冊の古文書を見つけた。
それは、初代国王が魔術師に書かせたという、禁断の儀式に関する記述だった。
“薔薇の呪い”は、愛を媒介とする呪いなり。これを解く鍵は、対象者が最も愛した者への情を絶ち、憎しみへと転ずることにあり。愛より生まれし鎖は、愛を捨てし意志によって断たれ、呪いは己の根を失う。かくして、愛の鎖が断たれし時、呪いもまた、静かにその形を失わん。
つまり、セレスティアを救うには、私を嫌いになってもらうしかないのだ。だからこそ、彼女の妹であるリズに、セレスティアに対する以上の愛情を注ぐフリをして浮気をしている愚鈍で最低な王太子だと思わせる必要があった。そして、条件が整った状態であくる日の夜に魔力を込めて祈りを捧げる必要があるというわけだった。
(……なんという、非道な儀式だ)
成功の保証はない。
成功してもしなくても、私たちの幸せな日々は失ってしまうだろう。
だが、他に方法はないのだ。セレスティアが、日に日に衰弱していくのを、ただ黙って見ていることなどできなかった。
アルフォンスは、賭けに出ることを決めた。
心を鬼にし、セレスティアに冷たく当たる。彼女を絶望させ、傷つけることになると分かっていても、そうするしかなかった。リズに愛情を注ぐフリをする度、胸が張り裂けそうだった。リズの困惑した顔を見るのも、セレスティアの悲しげな瞳を見るのも、地獄の苦しみだった。
そして今夜、彼女は自ら別れを告げてきた。
(これでいい。いや、これがいいのだ)
彼女が私から離れていけば、儀式はさらに進めやすくなる。
彼女を救うためだ。彼女の命を救うためなら、私は悪魔にだって魂を売ろう。
アルフォンスは、机の引き出しの奥から、小さなビロードの箱を取り出した。
中には、月の光を宿したような、美しい指輪が収められている。
来年の春、セレスティアの指にはめるはずだった、誓いの指輪。
「待っていてくれ、セレスティア……。必ず、君を救い出してみせる。そして、もう一度、私の名を呼んでくれ……その時は私のことを恨んでいてもいい…。君が元気でいてくれるならそれで…」
青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、愛する女性の命を救うため、全てを懸けた王太子の、悲痛な誓いだった。
―・―・―
婚約を解消してから、私の体調は目に見えて悪化していった。
咳は止まらず、夜は熱に浮かされ、起き上がっていることさえ億劫になった。部屋の窓から見える空の色が、日に日に遠くなっていくように感じる。
(ああ、もうすぐ、お迎えが来るのね……)
死の恐怖は、もう感じなかった。ただ、アルフォンス様の顔が、声が、温もりが、消えることのない痛みとして胸に残り続けていた。
彼がリズと幸せそうに笑い合う姿を想像するたび、心の灯火が揺らめき、小さくなっていく。
そんな私の様子を、リズは片時も離れずに看病してくれた。
「お姉様、薬のお時間ですわ」
「……ありがとう、リズ。ごめんなさい、あなたにまで辛い思いをさせて……」
「そんなこと言わないでくださいまし!お姉様が元気になるなら、私はなんだってしますわ!」
健気な妹の言葉が、唯一の救いだった。
しかし、そのリズの顔にも、日増しに不安と疑念の色が濃くなっていることに、私は気づいていなかった。
ある夜、リズは意を決して王宮のアルフォンス様の執務室を訪ねた。
「殿下、夜分に申し訳ありません。どうしても、お伺いしたいことがございます」
「……リズか。どうしたんだ」
アルフォンス様は、ここ数日ろくに眠れていないのか、目の下に濃い隈が浮かんでいた。
「単刀直入に申し上げます。殿下は、なぜお姉様ではなく、私をお選びになったのですか?お二人が深く愛し合っていたことを、私は誰よりも存じております。それなのに、あまりにも……あまりにも、不自然ですわ!」
リズの真っ直ぐな瞳が、アルフォンス様を射抜く。
彼は一瞬言葉に詰まり、そして、苦しげに顔を歪めた。
「……君には、関係のないことだ」
「いいえ、大ありですわ!お姉様は、日に日に弱っていらっしゃいます!まるで、命のロウソクが消えるのを、ご自分で早めているかのようです……!殿下の心変わりが、お姉様をどれだけ苦しめているか、お分かりにならないのですか!?」
リズの悲痛な叫びに、アルフォンス様の心の壁が、ついに崩れ落ちた。
彼はよろよろと書斎の奥へ向かうと、一冊の古文書をリズの前に差し出した。
「……これを、読め。……私が、どれほど愚かで、無力な男か、分かるだろう」
リズは恐る恐る、その古文書を開いた。そこに書かれていたのは、にわかには信じがたい、禁断の儀式の内容だった。
“薔薇の呪い”は、愛を媒介とする呪いなり。これを解く鍵は、対象者が最も愛した者への情を絶ち、憎しみへと転ずることにあり。
「まさか……。殿下は、お姉様を救うために……私を、利用して……?」
「そうだ」
アルフォンス様は、絞り出すような声で認めた。
「彼女を失うくらいなら、私はどんな罪でも背負う覚悟だった。たとえ最愛の人に嫌われようとも…」
その告白は、もはや王太子の威厳など微塵もない、ただ一人の女性を愛する男の、悲痛な魂の叫びだった。リズの瞳から、大粒の涙が溢れた。誤解していた。なんて、大きな間違いをしていたのだろう。
この人は、誰よりも深く、強く、私の姉を愛してくれていたのだ。
「……殿下。儀式は、いつなのですか」
「……今夜だ。新月の夜、魔力が最も弱まる、ただ一度の機会……」
その言葉を聞いた瞬間、リズは踵を返して駆け出した。
行かなければ。伝えなければ。
この、あまりにも切なく、悲しい、真実の愛の形を。
その夜、私は夢を見ていた。
アルフォンス様と初めて出会った、幼い日の夢だ。
庭園で迷子になった私を、彼が見つけてくれた。泣きじゃくる私の頭を、優しく撫でてくれた、大きな手。
『大丈夫。これからは、私がずっとそばにいる』
その言葉が、どれだけ私を支えてくれたことか。
ああ、アルフォンス様……会いたい……。
意識が、闇の底へと沈んでいく。指先から、命の熱が失われていくのを感じた。
その、瞬間だった。
「お姉様っ!!」
扉が勢いよく開かれ、リズが部屋に飛び込んできた。その顔は涙でぐしょぐしょだった。
「リズ……?どうしたの、そんなに慌てて……」
「聞いて、お姉様!殿下は、あなたを裏切ってなんかいなかった!」
リズは私のベッドに駆け寄り、震える手で私の手を握りしめた。そして、堰を切ったように全てを話し始めた。
アルフォンス様が私の病を知り、絶望したこと。
古文書を見つけ、無謀な賭けに出たこと。
私を救うためだけに、心を鬼にして冷たい態度をとり、リズを愛でるフリをしていたこと。
「殿下は、ずっと苦しんでいらしたのよ……!お姉様を救うためなら、悪魔にだってなると……!あなたの命を救うためだけに……!」
リズの言葉が、雷のように私の心を撃ち抜いた。
嘘……。そんな……。
あの冷たい瞳は、私を救うためのものだった?
リズへの甘い言葉も、全ては私の身代わりにするための、悲しい芝居だった?
「アルフォンス様……」
名前を呼んだ途端、涙が溢れて止まらなくなった。
私はなんて、愚かだったのだろう。
彼の深い愛を、信じることができなかった。彼が一人で 抱えていた絶望と苦しみに、気づくことさえできなかった。
違う。彼は私を捨てたのではなかった。
彼は、私のために、たった一人で世界に戦いを挑んでいたのだ。
「会いたい……!アルフォンス様に、会って謝りたい……!」
その時だった。
私の胸の奥から、温かい光が、ふわりと生まれた。
それは、アルフォンス様への愛おしい想い。彼に生きていてほしいと願う、強い、強い祈り。
光は瞬く間に私の全身を包み込み、部屋中を眩い輝きで満たした。
時を同じくして、王宮の地下祭壇で儀式を行っていたアルフォンスは、異変を感じていた。
呪文を刻んだ魔法陣が、独りでに激しい光を放ち始めたのだ。それは、古文書にあったような邪悪な黒い光ではなかった。どこまでも温かく、優しい、黄金の光。
「な……なんだ、これは……!?」
光は、アルフォンスの身体を通り抜け、天へと昇っていく。まるで、呪いそのものを浄化していくかのように。やがて光が収まった時、祭壇には静寂だけが残されていた。
儀式は、失敗した。
しかし、アルフォンスの心には、不思議な安堵感が広がっていた。
(セレスティア……!)
彼は、何かに導かれるように、地下祭壇を飛び出し、私の部屋へと向かって走った。
部屋の扉を開けたアルフォンス様は、息を飲んだ。
私が、ベッドの上に、きちんと身体を起こして座っていたからだ。
あれほど私を苦しめていた咳は止まり、頬には血の気が戻っている。
「セレスティア……!君は……」
「アルフォンス様……」
私たちは、ただ互いの名前を呼び、見つめ合った。
彼の青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「すまなかった……!君を、あんなにも傷つけて……!」
彼は私のベッドの傍に崩れ落ち、私の手に己の額を押し付けた。
「謝るのは、私の方ですわ……。あなたの愛を、信じられなかった……。ごめんなさい、ごめんなさい……!」
私たちは、子供のように声を上げて泣いた。
リズも、そんな私たちの姿を、泣き笑いのような表情で見守ってくれていた。
後に侍医が私を診察して、奇跡だと叫んだ。
私の身体から、病の兆候は跡形もなく消え去っていたのだ。
禁断の儀式は、成功しなかった。
けれど、アルフォンス様が命懸けで私を救おうとした愛。
リズが身を挺して真実を伝えようとした愛。そして、私が彼の真実の愛を知って、再び生きることを強く願った愛。
三つの愛が重なった時、それはどんな禁断の魔法よりも強い力となり、呪いを打ち破る本当の奇跡を起こしたのだった。
それから、一年後。
かつてアルフォンス様が私に薔薇をくれた、あの庭園で。
「綺麗……」
私の目の前には、真紅の薔薇と、真っ白なカスミソウが咲き誇っていた。純白のウェディングドレスを纏った私の隣には、凛々しい正装に身を包んだアルフォンス様が、優しい眼差しで微笑んでいる。
「君のために、約束通り庭を花でいっぱいにした」
「ええ……。まるで、夢のようですわ」
彼はそっと私の手を取り、その薬指に輝く指輪に、口づけを落とした。
「もう二度と、君を不安にさせないと誓う。これからは、私が君の陽だまりになる」
「はい、アルフォンス様」
私たちは、もうすれ違わない。
たくさんの涙と痛みを乗り越えて、ようやく結ばれたこの手を、もう二度と離すことはないだろう。
陽光が降り注ぐ庭園で、私たちはそっと唇を重ねた。
それはーー
永遠の愛を誓う、甘く、優しい口づけだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
浮気だと思っていたけど、実は…というところをテーマに書いてみました!
短編のため省きましたが、ちなみに補足として、突然、王太子がセレスティアを遠ざけ、妹のリズのことを愛してるような振る舞いをしたことは、あの後周りの人達にはきちんと説明しました。じゃないと王太子は姉→妹→姉に乗り換えた本当のクソ野郎になってしまうので笑
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