8 前門のドラゴン、後門のブロッドビースト
『は、はは……勘弁してくれよ』
洞窟の最奥で、乾いた笑いを漏らした。
目の前には、文字通りの災厄。
巨大な影。
漆黒の鱗を持つ、シャドウドラゴンだ。
ブロッドビーストの群れから逃れるために、必死で逃げ込んだ俺たち(俺と屍食鬼のボディ)にとって、これは完全に詰みを意味していた。
背後からは、血の塊が蠢くようなブロッドビーストのグチャグチャとした足音が迫ってきている。
前はドラゴン。
逃げ場なんて、どこにもねぇ。
前門の虎、後門の狼ならぬ、前門のドラゴン、後門のブロッドビーストかよ。
よりにもよって、ラスボス級かよ。
いくら最強のメガネを目指してるっつっても、まだレベル上げの途中なんだが?
愚痴をこぼしながら、冷静さを保とうと努める。
装着者である屍食鬼のゴツゴツとした骨ばった右手で、メガネをクイっと上げる。
シャドウドラゴンは、俺たちに一瞥をくれる。
その黄金色の瞳には、一切の感情がない。
まるで、俺の足元にいる埃か、飛び回る羽虫でも見るような、完全な無関心と軽蔑。
威圧感だけで、俺の耐久力230の心臓が軋みを上げそうになる。
『クソッ、これが格の違いってやつか。いくら屍食鬼が骨肉を纏って強くなったとはいえ、相手が悪すぎるだろ』
脳内で、即座にマップ作成スキルが作動し、周囲の地形と魔力の流れを把握しようとする。
狭い洞窟だが、天井は高く、ドラゴンが体を動かすスペースは十分にある。
そして、その巨大な体には、確かに大きな傷があった。左側の脇腹から腹部にかけて、皮膚が大きく裂け、黒い血が乾いた跡が生々しい。
……あの傷、相当深いな。戦闘で受けたものか?
それとも、誰かにやられたのか。
不幸中の幸というやつか。
傷を負っているにもかかわらず、この威圧感。
本調子だったら、瞬きする間に蒸発していただろう。
だが、この傷こそが、俺が戦うことを選んだ理由だ
作戦は一つ。
逃げられないなら、最悪の選択を取るまでだ。
やるしかない。
勝たなくてもいい。
生き残るために。
それに背後のブロッドビーストの群れは、間もなくこの場に到着する。
ドラゴンと群れに挟まれたら、本当に終わりだ。
ドラゴンのいるこの場所に入って来るかは、わからないけど最悪を想定するしかない。
『屍食鬼のスキル共有だ。今の俺たちのステータスを最大限に活かすぞ!』
「グガァ……」
気持ちを上げるため唸り声を出す。
現在のステータスを再確認。
• 攻撃力: 150
• 魔力: 10/330
絶望的に足りない。
だが、ここで使えるカードはすべて切る。
『気配察知、暗視、マップ作成、死肉探知は常時発動。そして、最優先は――毒付与と麻痺付与だ!』
あのドラゴンの軽蔑は、俺たちが毒や麻痺といった「低級な状態異常」を与えられる存在ではないと高を括っている証拠。
その油断を突くしかない。
一瞬の隙、それはドラゴンの視線が僅かに動いた瞬間だった。
『行くぞ! 初級剣術!』
屍食鬼のボディが、岩壁を蹴って一気に加速する。
速度だけは、さすが元スケルトンの骨格と、屍食鬼になって得た俊敏さだ。
シャドウドラゴンは、その突進を視認したのだろうが、動かない。
まるで、飛んできた小石を避けようとしない大岩のように。
『チッ、舐めやがって!』
屍食鬼の右手にある剣に毒付与と麻痺付与を纏わせた一撃を、ドラゴンの左翼の傷口目掛けて振り下ろした。剣には、スキル毒付与と麻痺付与によって、高濃度の神経毒と麻痺薬がコーティングされている。
ガキンッ!
想像を絶する硬度。
剣は、傷口の黒色の分厚い鱗に弾かれ、凄まじい金属音が洞窟内に響き渡る。
やっぱ駄目か!?
硬すぎだろ。
しかし、鑑定スキルが、微かな変化を捉える。
【シャドウドラゴン:ステータス異常(極小:毒)】
『まじかっ! わずかでも効いた!』
弾かれた剣から、微粒子となった毒と麻痺の成分が、傷口の奥へ、ごく僅かだが侵入したのだ。
だが、その効果は、文字通り極小。
毒耐性、あるいは抗毒スキルによって、瞬時に打ち消されるレベルだろう。
その瞬間、ドラゴンの黄金色の瞳が、初めて俺を捉えた。
その視線に宿ったのは、軽蔑ではなく、明確な苛立ちだった。
目の前を飛んでいるうざったい虫を見るかのような目で見てくる。
ドゴンッ!
ドラゴンの尻尾だけを動かし、羽虫を追い払うが如く振るってくる。
やばいっ。
屍食鬼の跳躍力で咄嗟に飛び、なんとか回避するも地面に叩きつけられた尻尾から、破片が飛び散ってっくる。
地面の破片が当たるだけでも致命傷だ。
なんとか避けるも続け様に攻撃をしてくる。
ゴオオオオオッ!
轟音と共に、ドラゴンの口から黒い霧が噴き出す。
それは、ブレス。
純粋な闇の魔力が凝縮された、文字通りの死の奔流だ。
『避けろォ!』
さっきの攻撃で飛び散った岩石の破片を念力で周囲に浮遊させ、ブレスの進路に叩きつけながら、屍食鬼の身体を真横に転がす。
ドォオオオオン!!
黒いブレスが岩石を、そして洞窟の壁を飲み込み、跡形もなく消滅させる。
そこには、ただの虚無が残された。
『ぐ、うわぁ!』
ブレスを直撃こそ免れたが、その余波と熱量、そして魔力に接触しただけで、屍食鬼の左腕が激しく損傷する。
【屍食鬼:耐久力 30】
【翔:耐久力 100】
クソッ、一瞬でこれかよ! 腕が炭になったぞ!
俺自身の耐久力も減ってるじゃねーか。
それに屍食鬼の左腕も完全に消し飛んだぞ。
自然治癒が発動しているが、焼け焦げた骨と肉を元に戻すには時間がかかる。
そして、背後からついに、ブロッドビーストの群れが押し寄せてきた。
ズブズブ、グチャリ。
血と泥とが混じったような悍ましい足音。数十体はいるだろう。
挟み撃ちか! ふざけんな!
結局、ドラゴンのところまで入ってくんのかよ!
最悪だ!
ドラゴンは、優雅に頭を上げ、ブロッドビーストの群れを一瞥する。
そして、その巨大な尻尾を一振り。
バシュッ!
何の魔力も込められていない、ただの物理的な一振り。
それだけで、最前列にいた十数体のブロッドビーストが、血飛沫となって岩壁に叩きつけられ、原型を留めない肉塊と化した。
『……味方すら、容赦なし。まさに、圧倒的な力』
その行動は、俺たちを潰す前に、邪魔な存在を排除しただけ。
その事実が、ドラゴンの格の違いを、さらに鮮明に突きつけた。
『だが、この状況を打開する鍵は、その圧倒的な力じゃなく、お前の傷だ!』
俺は、頭の中で最悪のシナリオをシミュレーションする。
このままでは、ジリ貧だ。
ここで、ユニークスキルを使うしかない。
だけど、魔力がない。
急いで、魔力をかき集めるしかない。
魔力は残り10くらいしか残っていないため、捕食変換を使い、飛んできたブロットビーストの肉片を食べまくる。
『 今ある全魔力をメガネに集中させろ!』
「グオオオォ!」
屍食鬼の胸部にある魔力貯蔵器官から、膨大な魔力が俺のレンズへと注ぎ込まれる。
俺の魔力ゲージが、底をついたのか頭の中で警報が鳴り始める。
【警告:ユニークスキル発動準備完了。使用者、魔力枯渇の可能性99%】
『いいさ、枯渇上等だ! これで決めなきゃ、どうせ死ぬ!』
右手でフレームをしっかりと握りしめる。
レンズが、青白い、神々しい光を放ち始めた。
『見せてやるよ、シャドウドラゴン。これが最強のメガネの、ユニークスキルだ!』
ユニークスキル:メガネ魔法
『メガネ魔法――【視界操作】!』
メガネ魔法:視界操作は、視界に介入する魔法。
これは、対象の相手に幻影を見せる魔法だ。
『対象は、シャドウドラゴンの傷口! 視覚情報を書き換えろ!』
レンズから、透明な魔力の波が放たれ、ドラゴンの身体へと吸い込まれていく。
傷口の周囲に、微かな虹色の光の膜が張られた。
ドラゴンは、その変化に気付いたのか、初めて驚愕の表情を浮かべる。
その知性の高い瞳が、僅かに揺れる。
『効いたか!? いったい何を……』
俺が書き換えた視覚情報。
それは、『傷口が治癒した』という幻影だ。
ドラゴンは、自身が負っている傷が、まるで塞がったかのように見えているはず。
その結果、どうなるか?
『治癒したなら、傷口に近づいてもそこまで気にしなくなるはず!』
ドラゴンは、自身の体内に残っていた魔力、そして周囲の魔力を、自然治癒や魔力回復のために傷口に集中させていたはずだ。
これは、強者の傲慢を利用した、一か八かの作戦。
俺が求めるのは、魔力の摂取。
『捕食変換だ! そのままドラゴンの傷口に突っ込むぞ!」
「グォオオ!」
魔力を限界まで使い果たし、肉体を酷使しているにもかかわらず、屍食鬼は驚異的な速度で再び突進する。左腕は消し飛び骨は剥き出しだが、左腕の治癒を待つ時間は無い。
今、シャドウドラゴンの傷口には、治癒のために大量の魔力が集まっているはず。
そこに、屍食鬼の捕食変換が発動する。
これは、物理的な接触を通じて相手の魔力や生命力を奪い、自らのステータスに変換する、屍食鬼のスキル。
『喰らえ! 捕食変換!』
屍食鬼の歯が、治癒の幻影に惑わされたドラゴンの傷口の奥深くに、無理やり突き刺さる。
ブシュッ!
今度こそ、硬い鱗ではなく、生身の肉と魔力の層を突き破った感触が、俺の脳内に伝わってくる。
ズウウウウンッ!!
洞窟全体が、凄まじい轟音と共に揺れ、岩が崩れ落ちる。
シャドウドラゴンが、初めて、激痛に顔を歪ませ、絶叫を上げた。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!!」
その咆哮は、先ほどの威圧とは異なり、純粋な苦悶の叫び。
【屍食鬼:捕食変換発動。魔力+500(上限突破)/攻撃力+200(上限突破)】
『やった……! 成功だ!』
俺の魔力は残り少なく、身体中の魔力が枯渇し、視界がブラックアウトしかけていたが、捕食変換でドラゴンの魔力に輝いている!
『 この魔力が尽きる前に、逃げろ! 』
俺たちの目標は、ドラゴンを倒すことじゃない。
生き残って、最強のメガネになることだ。
致命的な傷口に再度傷を負わされたドラゴンは、一時的に無力化された。
この瞬間こそ、唯一の活路。
ドラゴンの傷口から歯を引き抜き、その体躯から噴き出す血の霧を回避しながら、一目散に洞窟の奥へと走り出す。
背後から、怒りに満ちた、本気のブレスが放たれる音を聞きながら、俺は、全身の骨が軋むのを感じていた。
『ハハ……メガネに転生して、まさかドラゴン相手に捕食変換で一矢報いたんだ。最高のネタだ……』
俺の意識は、限界だった。
ドラゴンのブレスが迫ってくる中、視界はブラックアウトし、そこで途切れた。




