6 下層の歓迎
激しい光と魔力の渦が収束し、肉体を地面へと叩きつけた。
『ぐっ……!』
全身を覆う鈍い痛みに耐えながら、よろめきつつ立ち上がった。
翔の五感は、前の場所とは全く異なる環境を即座に捉えた。
『体が重い、、』
重力だ。
物理的な変化はないはずなのに、地面に足が吸い付くような、重く湿った空気が全身に圧し掛かる。
ここは、先ほどまでいた場所より、遥かに地の底に近いことを本能が告げていた。
ここはなんかやばい気がする。
さっきのところとはレベルが違う。
周囲を見渡す。
そこは先程の粗末な場所とは違い、巨大な天然の洞窟だった。
天井は遥か高く、薄暗い空間には、洞窟の壁を伝って滴る腐臭の強い水音だけが響いている。
壁面は、苔やカビがびっしりと生え、その黒と緑のコントラストが、深層の不気味な生命力を感じさせた。
そして、最も戦慄したのは熱だった。
冷気と湿気に満ちているにもかかわらず、地面の下から、地熱のような、あるいは不浄な魔力のような、生温かい熱気が常に湧き上がっているのを感じる。
『鑑定』
名称:タラスクの洞窟(下層)
『最悪だ……まさか下層へ直通の転送罠だったとは』
地上に出るつもりが、下層に来るなんて。
さっきからやばい気配がビンビンするし、早く脱出しないと。
とりあえず、常時隠密を発動させておこう。
遥か頭上を見上げても、元の階層に戻る手段はどこにも見当たらない。
宝箱という餌に釣られ、自ら進んで深淵に突き落とされたのだ。
足元で光を失いつつある魔法陣を睨みつけた。
その時、洞窟の闇の奥から、石の上を何か重いものが引きずられるような音が聞こえた。
先ほどのスケルトンたちとは違う、生々しく、飢えた気配だ。
剣を握り締め、腹を括った。
クイっと顔のメガネを押し上げる。
周囲は、先ほどの石室とは比べ物にならないほど深く、鉄と腐敗の混じったような重い空気が満ちていた。
気配察知と暗視、そしてマップ作成が即座に起動する。
洞窟は広く、湿気が強い。
そして、その闇の奥から、一つの強烈な気配が迫っていた。
『なんだ、この気配は……』
今まで戦ってきた魔物とは気配が全然違うぞ。
警戒する中、闇から現れたのは、赤黒い不定形の塊だった。
『なんだ?これは』
それは常にドクドクと脈打ち、地面を滑るように移動し、血が凝固したような獣の形を成している。
『鑑定』
名称:ブロッド・ビースト(血液の獣)
もっと情報がほしい。
即座に試しでメガネ魔法と鑑定の合体スキルを発動させ、魔物の情報を読み取った。
名称:ブロッド・ビースト(血液の獣)
種族:不定形・魔力生命体
ステータス:攻撃力450 魔力500 耐久力?
特徴:血液を操り、攻撃を無効化する。出血部位に即座に反応する。
弱点:魔力凝固、完全な蒸発
詳細がわかるぞ。
魔力生命体?攻撃を無効化?
って無敵じゃねーか。
厄介すぎるだろ。
俺と屍食鬼の耐久力では、攻撃力450の魔物の一撃は受けられない。
下層に来て、早々にピンチかよ。
ブロッド・ビーストは獲物を見つけると、その肉塊の一部を鋭い鞭のように変形させ、猛然と襲いかかってくる。
『うおっ』
初級剣術で防御を試みるが、不定形の攻撃は予測が難しい。
剣で斬っても、その部位が瞬時に回復し、次の攻撃に繋がる。
切っても切っても瞬時に回復するじゃねーか。
反則だろ。
パシャッ!
ブロッド・ビーストの鞭状に変形した一撃が、盾を構えた左肩を掠めた。
凄まじい衝撃が骨を砕き、皮膚を引き裂く。
『ぐっ……あぁあ!』
左腕は、肉が千切れ、骨が剥き出しになった状態で、もはや力を失った。
剣も盾も、重い音を立てて石畳に落ちる。
激痛と失血が、意識を強烈に揺さぶった。
ブロッド・ビーストは、左肩から噴き出す血の匂いに歓喜したかのように、肉塊を膨張させながら距離を詰めてくる。
『ここで……終わりか……?』
絶望が支配しようとした瞬間、屍食鬼の本能が激痛と恐怖を上書きした。
――死ぬな。その血を、奪え。全てを、喰い尽くせ。
「グ……グガァ!」
左腕の傷口から激しく血が噴き出す中、翔は残された右手の爪に、毒付与と麻痺付与のスキルを魔力を込めて乗せた。
右腕は、もはや命を奪うための汚い道具でしかない。
ブロッド・ビーストは、血を吸おうと、その不定形の肉塊を伸ばしてきた。
『奪わせてたまるか』
隠密と気配察知駆使し、左腕の痛みを力に変えて、回避ではなく、特攻を選んだ。
『来い、化け物……喰わせてやるよ!』
右手の鉤爪を、ブロッド・ビーストの最も濃く、血が凝固している中心部へと、自らの血を犠牲に叩き込んだ。
ブチブチブチッ!!
鉤爪が深々と食い込み、毒液が注入される。
ブロッド・ビーストは、毒と麻痺により、その肉塊全体が激しく痙攣し始めた。
『よし、効いた!でも急所がない……!』
魔物が麻痺と毒によって僅かに動きを失った、その刹那。
右手で顔のメガネを押し上げ、残りの魔力すべてを注ぎ込んだ。
『メガネ魔法・真理の解析!』
視界は、血の嵐から青白く精密な世界へと変わる。
ブロッド・ビーストに物理的な核はない。
だが、メガネは、魔物を構成する魔力の流れそのものを解析した。
――血液が凝固する、中心の一点。魔力の結節点。
『これだ……これが核の代わりだ!』
地面に落ちていた剣を念力で掴み、左腕の断面から噴き出す血を無理やり捕食変換で魔力に変えた。
魔力が最後の力を振り絞ぼる。
狙うのは、メガネが示した魔力の結節点だ。
『アイスバインド!魔法回路を凝固させろ!』
残された右手を震わせながら、目の前のブロッド・ビーストへと向けた。
そして、枯渇寸前の魔力を、メガネが示す魔力の結節点の経路へと、無理やり流し込んだ。
魔力がもう残り少ない。
頼む、凍れ。
ブロッド・ビーストの肉体が、内部から急速に凍り付くかのように、赤黒い氷の塊へと変貌し始めた。
最後の力を振り絞り、念力で浮かせた剣を、凝固した魔物の心臓部へと突き立てる。
『うおぉぉお!』
ガキィィィン!!
硬質な破壊音。
ブロッド・ビーストは、灰となって崩壊した。
崩れ落ちた魔物の残骸の上で、その身を横たえた。
全身は魔物の血と自身の血液で濡れ、意識は朦朧としている。
屍食鬼の貪欲さとメガネの知力、そして自身の左腕を代償に、この戦いを制した。
『……はぁ……はぁ……なんとか……勝った……自然治癒、頼む……』
もうこんな戦いは懲り懲りだ。
生と死の境で、自身を繋ぎ止める自然治癒で回復するのを待つしかなかった。




