糸を垂らして
しいなここみ様主催『 華麗なる短編料理企画』の一品です。
アタナの知らない世界へようこそ?
ヒュン
釣り竿が空を切る音と共に錘を付けた糸が飛ぶ。
僕の住む街から一時間ほど車を走らせた港町。 その漁港から船を出す事、更に一時間。
僕は何人かの釣り人達とともに船上の人になっていた。
ここで狙うのはキスやメゴチにカレイと言った砂場の魚だ。
今時期は特にカレイが旨く、僕の狙いもそこにある。 妻や息子には大漁発言をしており、少なくとも釣果無しだけは避けたいところだ。 とは言っても既に二回、エサだけを取られてしまっている。 時間制限もある事だししっかりせねば。
待つ。
待つ。
待つ。
そこへ竿が引かれる感触。
だがまだだ。
さっきはこのタイミングで引いて、逃げられてしまった。
待つ。
強い引き! 今だ!
「よしっ!」
一気にリールを巻き上げる。
引きが強い。 これは大物に違いない!
期待に胸を膨らませる。 家で待つふたりの顔を想像し、にやけた顔のまま竿を振り上げた。
「………………………………えっ?」
糸の先にぶら下がる物を見て、顔が強張ったのが分かった。
いや、待て。
なんでこんな物が釣れる?
海だぞ?
陸が遠くに辛うじて見えるくらいの沖合だぞ?
そんなところに垂らした釣り糸だぞ?
なんで……
なんで……!
そこになんでレトルトカレーが引っかかるんだよ!!??
どうなってるんだ……?
何も理解出来ないまま、たまたま流されたカレーに糸が引っかかっただけだろうと結論づけ、針を外す。
「…………………………マジか……」
エサがない。
針の先に付けたはずのイトミミズがいない。
見たところパッケージの中に入り込んだ様子もない。
「…………喰われ……た?……」
よく分からないまま、持参したクーラーボックスにカレーを入れる。 首を傾げるがそれで理解が及ぶものでもなさそうだ。
無心に釣り糸を投げ入れる。
ぴちゃん
クーラーボックスで何かが跳ねる音が聞こえた。
ゾクッとした自身を律する。
己を律して釣り糸を垂らす待つ事しばし。
引いた。 釣った。 引いた。 釣った。 それを繰り返した。
……………………
……………………
……………………
が
「…………………………マジかぁ……」
何故かクーラーボックスの中はレトルトカレーで一杯になっていた。
ご丁寧な事に各種銘柄がそろい踏みである。
「バー門戸」に「ぐりっ子」に「カレーの王女様」「華麗なカレー」といった有名どころから「ミルクターキーカレー」や「味噌スープカレー」「迎賓館カレー」「北の千代カレー」なんてマイナーどころまである。 しかも甘口から辛口まで。
ちなみに、周囲の釣り客は口々に「活きが良い」だの「大きめだ」だのと言っているが、ちらりと視線を向けるとやはり針に掛かっているのはカレイではなくカレーだった。
――活きが良いレトルトカレーって、何だ?
――大きめ、って、サイズは殆ど一緒だろう?
たまに聞こえる「大漁だ」には同意する。 もっとも「大漁」ではなく「大量」だと思うが。
そして、陸に戻ってこっそり確認した釣果はレトルトカレーが28箱だった。
(……釣果? 釣果って言うのか? カレーだぞ、釣れたのは。
カレイじゃなくカレー。 駄洒落か!?
つーかただの駄洒落で何でレトルトカレーが釣れるんだよ!?
しかも誰も違和感を感じてる風がなかったよ!)
自分の思考が混乱しているのが解る。 錯乱していないのは幸いだが、そうなった方が楽ではあったろう。
混乱しつつもハンドルを握り、帰路に就く。
妻と子どもに何と説明したら良いのか。 ただそれだけを考えて。
帰り道には一時間半ほどの時間が掛かってしまった。 無意識にスピードを緩めてしまったのかも知れない。
気乗りしないまま、降車し家へ。 これならボウズの方が余程気が楽だったろう。 溜息が出るがそれで解決できることなどひとつもない。
「……た、ただいま」
擦れた声は気持ちの表れか、それでも一家の大黒柱たらんと、声を出す。
それでも俯いてしまっているのは、度量が足りないか度胸がないか。
「おかえりなさい。 ほら、パパが帰ってきたわよ」
妻の声に安堵しつつも、胸の中に澱が残るのが解る。 解ってしまう。
「ぱぱぁー、おかえりぃー!」
幼い娘がバタバタと走ってくる声と音。
「つれたの? つれたのぉ?」
そう問いつつ、答えを聞くのももどかしいのか、自らの手でクーラーボックスを開けようとする。
「ああ……、それなんだが……」
ああ、何と言えばいいのか、結局答えは見つからなかった。
だが今にもクーラーボックスは開かれるだろう。
一体何と答えるのが正解なのか……。
「わあ~!」
「まあ!」
耳に入ってくるふたりの声。
悪い様な口調に聞こえないのは、自分がそう望んでいるからなのか。
「大漁ね、あなた」
「たいりょー!」
どう聞いても喜びの口調に、彼は何時の間にか俯いていた自身の顔を上げた。
そこには見覚えのない家族の顔。
(………………………………ん?)
思わず外に出て表札を確認するが、間違いなく我が家だ。 家も、近所も、家の中も間違いなくウチだ。
妻の声は妻だ。 ただ顔は違っている。
そもそも、娘?
僕に居るのは息子だ。
だがふたりの見知らぬ家族は温かく僕を迎え入れる。
僕はどうやら妙な世界へ迷い込んだらしい。
異世界転移?