ご当主様の変化
「――わっ!?」
いつもの夢の中はぼんやりした薄暗い世界なのに、今日は強い風が吹いていた。
ただ、嫌な感じはしない。黒い靄を払うような清浄なる風のように思える。
ヴェルノワ公爵家のご当主様の姿は見当たらない。こんなの初めてだ。
「ご当主様~~! ご当主様~~!」
「オデット!」
その声は前回聞いたときよりも年若い、青年のような溌剌とした声だった。
背後から聞こえたので振り返ると、竜巻のような風があがる。
竜巻は辺りにある黒い靄を吸収し、浄化しているようにも見えた。
「わあ!!」
私の身までも吹き飛ばされてしまいそうな風だったが、その中心に人影があるのに気づいた。
背が高く、手足がすらりと長い、男性のシルエット――。
「ご当主様、ですか?」
返事はない。その代わり周囲にあった黒い靄はきれいさっぱり消え、風も収まる。
そして、目の前に一人の青年の姿があった。
「あ、あなたは――?」
美しい金色の髪にキリリとした切れ長の瞳、青い目、整った目鼻立ち――軍人みたいな詰め襟の制服に外套を合わせた姿をした、二十五歳くらいの見目麗しい青年がいた。
「今日の風はなんだ? こんなの初めてだ」
「あの、あの――」
「どうした?」
「ご当主様、ですよね?」
「そうだが?」
なぜ!?!?!?
目の前にいる青年は八十代の老人に見えない。
「本当の本当にご当主様ですよね!?」
「そうだと言っているだろう。なぜ、そのように聞く?」
「それは、ご、ご当主様のお姿が、若返っていらっしゃるからです!!」
「若返る?」
ここで初めて、ヴェルノワ公爵家のご当主様は自らの姿がいつもと異なることに気づいたようだ。
「ああ、たしかにいつもは影みたいな、真っ黒な姿だったな」
「ええ、そうなんです!!」
そして、現実のヴェルノワ公爵家のご当主様は肌が黒ずんだミイラみたいな姿をしているのだ。御年八十歳で、六十六歳の弟君がいる。
それが私の夫だと紹介を受けた。
「も、もしや、お若いときの姿ですか?」
「若い?」
なんというか、こんなにきれいな人を見たことがない。それくらい顔立ちが整っていた。さすが、竜の血を引き継ぐ一族と言えばいいのだろうか?
「私は、いったいいくつだったのか?」
「記憶は戻られていないのですね?」
「ああ、そうみたいだ」
こうして夢の中で本来の姿を取り戻せただけでもよかったのだろう。
「ちなみにお名前はわかりますか?」
「……いや」
「まだ石版の欠片が足りないみたいですね」
しょんぼりする私に、ヴェルノワ公爵家のご当主様が「迷惑をかける」と申し訳なさそうに言った。
「いえいえ、迷惑だなんて。家族を助けるためですので、今後も精一杯やらせていただきます!」
「家族、か」
「どうかしたのですか?」
「いや、母は早くに亡くなって、父は仕事が忙しく、姉弟はいない。そんな状況で、家族を実感したことなどなかったな、と思って」
「そう、だったのですね」
ヴェルノワ公爵家のご当主様は私をじっと見つめ、淡く微笑みながら言った。
「いつも私達一族のために奔走してくれて、心から感謝する」
ヴェルノワ公爵家のご当主様は私の手を両手でぎゅっと握ってくれた。
「呪いをかけられたとき、私は絶望していた。けれどもオデットのこの手に、何度も救われたのだ」
薬湯を浸した布で清拭するたびに、心が癒やされていたと言ってくれる。頑張ってよかった、と改めて思う。
「石版の修繕も、一緒にできたらいいのだが」
「大丈夫です! ケロ様がいらっしゃるので!」
「ケロ様、か。あの気難しい黄金竜を親しくそう呼ぶのはオデットくらいだろうな」
「とってもお優しいお方ですよ」
「そうだな」
ヴェルノワ公爵家に嫁いできてから大変な日々の連続だった。けれども頑張りがこうして目に見えるようになったので、やりがいを感じている。
石版の欠片回収もあと少しだろう。なんとか探し回って発見し、呪いを解きたい。
ここで聞いておきたい話を思い出す。
「ああ、そうだ。ご当主様に報告があったんです」
「なんだ?」
「ご子息が発見されたそうですよ」
「ご子息? 誰のだ?」
「ご当主様のご子息様ですよ」
「は?」
ヴェルノワ公爵家のご当主様は顔を思いっきり顰め、何を言っているんだ、という顔で見つめてくる。
「ロマン、というお名前だとお聞きしました」
「聞いたことがない」
「はい?」
「私に息子なんぞいない。それどころか、子どもを産ませるような関係にある女性も存在しないのだが」
「ええっ!?」
いったいどういうことなのだろうか?
ヴェルノワ公爵家のご当主様には霊廟の管理をし、行方不明だったご子息がいたはずなのに。
「記憶を失っている、というわけではないですよね?」
「失った記憶ともともとない記憶くらいはわかる。私に息子はいない」
以前までは記憶について何もわからない状態だったようなのだが、今は戻りかけているからか状況が変わっているようだ。ならば、と別の質問を投げかけてみる。
「では、前妻――以前の公爵夫人の記憶はありますか?」
「なんだそれは!?」
ヴェルノワ公爵家のご当主様は衝撃的な言葉を発する。
「今も昔も、私に前妻などいない! 妻は世界でただ一人、オデットだけだ」




