石版の欠片を戻しに霊廟へ
帰宅してすぐに、ケロ様を桶で作った寝台に寝かせてあげる。先ほどよりも穏やかな息づかいになったので、もうすぐしたら目覚めるだろう。
ヴェルノワ公爵家のご当主様には乾燥させたカレンデュラで作った薬湯で体を拭いた。
カレンデュラは肌荒れに効果があるので、ミイラみたいにカサカサになった肌が修復されますように、と祈りを捧げながら清拭を続ける。
「ご当主様、今日も石版の欠片を発見しました。なんと、執務室にある机の三段目に仕込まれた引き出しの中にあったんですよ」
これを隠したのは義弟なのか。それともヴェルノワ公爵家のご当主様なのか。それ以外の人なのか謎である。
「一応、石版の欠片の有無を確認したときに持ち出したのがバレないよう、ダミーの石を入れておきました」
そんな話をしていると、ヴェルノワ公爵家のご当主様の指先がぴくんと動いた。
「執務室にある石版の欠片について、何かご存知ですか?」
答えはない。今晩、夢の中で話を聞けるだろうか。
ご子息が発見された話も夢の中でしよう。
一段落したところで、朝に仕込んで寝かせていたパン生地を焼かなければ。
その前に、少し仕上げをしないといけない。
耐熱容器に生地を入れ、木の実油を垂らし、小麦粉を振った指先で穴を開けていく。
その穴にローズマリーを差し込んだあと、岩塩を振りかけて焼くのだ。
薬草フォカッチャの完成である。
これに合わせるのはベーコンのクリームポタージュ。擂ったジャガイモを入れたのでトロトロだ。
昼食をケロ様のもとへ運ぶと、鼻先をひくひくさせたあと、ハッと目覚めた。
『何やらいい匂いがするゲロ!』
「昼食の用意ができました」
『いただくゲロ~~!』
ケロ様は嬉しそうに焼きたてのフォカッチャを頬張る。
『なんだゲロ!? この、むちむちしていて、しょっぱいパンは! おいしいゲロ!』
尻尾を左右に振りつつ、上機嫌な様子で平らげてくれた。
義弟とのやりとりは忘れていたようでよかった――と思った瞬間に思い出したようだ。
『はっ!? そういえば、あのふざけた男はどうしたゲロか!?』
「その、お屋敷にいらっしゃいます」
『この、絶対に許さんゲロ! 全力でこらしめてやるゲロ!』
「その前に、石版の欠片を回収したので、霊廟に行きませんか?」
『ゲロ?』
掃除をすると言って義弟の部屋に残り、石版を回収できたと報告する。
『おお! 石版の欠片を見つけることができたゲロか!?』
「ええ」
『さすがオデットゲロ! 賢いゲロ!』
「えへへ」
まさか義弟への要望が通るとは思えなかった。思っていた以上に、義弟は疑い深かったから。
『よく言い分が通ったゲロな』
「しつこく食い下がったのがよかったのかもしれません」
教会には口が達者な先輩シスターがたくさんいたので、彼女達と舌戦を繰り広げた経験が活かされたのかもしれない。
目を乾燥させて流す涙も、シスター時代に習得したものだった。
『次はどのような状態になるのか楽しみゲロ。今度こそ、ブレスが出せるようになるかもしれないゲロな』
「ブレス、今度こそ出せるといいですね」
ケロ様も義弟にやられてばかりでモヤモヤしたことだろう。景気よくブレスを放って、すっきりしてほしい。
今日は早めに霊廟へ向かった。モルタルが入ったバケツを片手に、ケロ様と一緒に地下へ下る。
『へ、へくちゅん!!』
「あらあら、昨日、池に浸かったので風邪を引かれたのですか?」
『そうかもしれないゲロ。逆に、我よりも長く池の中にいたオデットはなぜ風邪を引かぬ』
「不思議ですよねえ、子どものときから頑丈なんですよー」
その昔、父が盛大に風邪を引いたとき、母はパン粥を作っていた。それが食べたくなって冷たい湖にダイブしたこともあったが、風邪を引かなかったのである。
『パン粥ごときで湖に飛び込んだゲロか』
「成長期の食欲って恐ろしいですよね」
なんて言ったもののシスター時代も似たような出来事があった。あれは十八歳くらいのときだったか。喉を痛めたときに舐める蜂蜜が羨ましくって、真冬の雪かき係を買って出たのだが、他の人が次々と風邪に倒れる中、一人だけピンピンしていたのだ。
『頑丈なのはいいことゲロ』
「ですねえ」
風邪とは無縁だったおかげで、薬代や診察代などの出費はなかったのだ。
「お得な人生でした」
なんて会話をしているうちに石碑がある空間へ到着する。
今回もケロ様が戻れと命令すると、石碑の欠片は元々あった場所へと移動してくれた。
「ここですね。了解ですっと」
石版の欠片が他よりも大きいので、剥がれないようにモルタルをたっぷり塗ってくっつけた。
すると石碑に魔法陣が浮かび上がり、ケロ様も光に包まれる。
『おおおおおおおお!!』
次はいったいどのような変化があるのか。ドキドキしながら見守る。
光が収まったあと、そっと瞼を開く。
『オデットよ、我は元の姿に戻っているだろうか?』
「いえ……すごく……」
カエルです、と口にしようとしたが、喉から出る寸前にごくんと飲み込んだ。
危ない。義弟に続いて、ケロ様をカエル呼ばわりするところだった。
「お姿や大きさなどはそのままに思えます」
『ふむ、そうか。いったいどこが変化したのか』
「今度こそブレスでは?」
『なるほど、やってみようぞ』
そう言って威力が小さいブレスを放ってくれたようだが、出てきたのはカメレオンのような長い舌先。わかりやすいほどの不発である。
『むう、ブレスではないのか』
「何が変わったんでしょうねえ」
『ぜんぜんわからぬ! 大きな力が戻ってきた感じはしたんだが』
「見た目の変化ではありませんし、ブレスでもないですし」
『記憶も違うしな。うーむ、気になる』
「気になります――あ!!!!」
ようやくケロ様の変化に気づいた。
「ケロ様、喋り方が元通りになっております!!」
語尾のゲロがなくなっているのだ。
『本当だ! あの厄介な語尾が消えている!』
ケロ様は喜んでいたものの、ゲロと付ける喋りはかわいかったので、少し寂しくなりそうだ。
何はともあれ、ケロ様は元の状態に戻りつつある。
ヴェルノワ公爵家のご当主様にも何か変化があるだろう。




