夢の中で
ケロ様は薬湯に入ったあと、私とお喋りしているうちに寝入ってしまった。
転がり落ちないように、桶に布を広げた簡易ベッドの中に寝かせてあげる。
「ご当主様、ケロ様、おやすみなさい」
カーテンを閉め、灯りを消して寝室をあとにした。
あとは待望の夕食である。レンズ豆のスープがいい感じに仕上がっていた。これにエリスから貰った白いパンを合わせていただくのだ。豪華な夕食である。
トマトをたっぷり入れた酸味のあるスープはレンズ豆のほくほく感が絶妙で、とろとろになるまで煮込んだ野菜もおいしい。
このスープにパンを浸そうと思ったが、まずはそのまま一口。生地はふっかふかで噛めば甘みを感じる。
「うう、おいしい、最高……。!」
思わず独り言を言ってしまう。エリスのおかげですばらしい食卓となった。感謝しかない。
今日も一日、いろいろな出来事があったので疲れた。
寝台のフレームにブランケットを広げて寝転がり、ワンピースを上から被って目を閉じる。
あっという間に眠りに落ちていった。
夢の中で、すっかりお馴染みとなった黒い靄を発見する。
今日ははっきり人の姿が目視できた。
すらりと背が高く、手足が長い男性のシルエットである。
私はすぐさま声をかけた。
「あの、ご当主様ですか!?」
そう問いかけると、反応が返ってきた。
『ソウ……ダ』
「!!」
喋りはカタコトで途切れがちだが、初めて聞き取れる返事があった。
嬉しくなって続けざまに話しかける。
「私はご当主様の新しい妻であるオデット。オデット・ド・シャルトルと申します」
『知ッテ……イル。オマエ……声……ズット……聞コエテイタ』
「わっ、そうだったのですね!」
独り言のつもりでヴェルノワ公爵家のご当主様に語りかけていた言葉を、しっかり本人に聞かれていたなんて。恥ずかしくなる。
『ナゼ……逃ゲナ……カッタ?』
「逃げる?」
『コノヨウナ……結婚……普通……デハナイ』
「たしかに、そうかもしれませんが、政略結婚ですので」
『政略結婚……デモ……オカシイ』
なんでもヴェルノワ公爵家のご当主様はずっと、私にここから逃げるように訴えていたらしい。
舌先すらままならない状態で、何度も私に語りかけていたようだ。
『ソレヲ、オマエ……隙間風……言ッタ!』
「も、申し訳ありません!!」
なかなか意思の疎通ができないので、ヴェルノワ公爵家のご当主様は魔法を用いて、私の夢に意識を飛ばしたようだ。
自由が利かない手を必死に動かし、血をインク代わりにシーツを使って魔法陣を描いていたようだ。
私がシーツの替えがどうこうと言い出したときは、せっかく描いた魔方陣を洗い落とすのではないかとヒヤヒヤしていたらしい。
初日に姿が見えず、言葉も不明瞭だったのは呪いの力が強かったからだそうだ
石版を修繕したおかげで、どんどん魔法の精度が上がっているという。
「あ、そうそう! 呪いをかけたのはご先祖様ではないそうですが、その辺の情報は何かご存じですか?」
『……ワカラナイ。記憶ガ、不完全……』
ケロ様同様に、ヴェルノワ公爵家のご当主様の記憶も欠けている状態のようだ。
ただ、このように対話ができるようになっただけでも大きな進歩だろう。
『オマエ……私ガ、恐ロシク、ナカッタノカ?』
「恐ろしい? どこがですか?」
『見目モ……呪ワレテイル……コノ身モ、オゾマシイ、ダロウガ』
「いいえ、そうは思わなかったのですが」
人型の黒い靄が見えるようになっただけで、表情などはいっさいわからない。それなのに、信じがたいと言いたいような視線を向けられているような気がした。
「戦場に長い間身を置いていたからでしょうか? たくさんの兵士を看病して、看取って、遺品を整理して……。そんなことを繰り返していたら、ご当主様がどんな状況であれ、生きているだけでもありがたい、と思ってしまうのですよ」
『アリガタイ? 政略結婚……相手の命……ナゼ、アリガタガル?』
「孤児だった私に家族ができたんです。ありがたいと思うのはおかしなことでしょうか?」
ヴェルノワ公爵家のご当主様はしばし黙りこんだあと、私の家族はどうしたのかと聞いてくれた。
「私が十二歳のときに、馬車の事故で二人とも亡くなってしまったんです」
両親は駆け落ちをしていた身で天涯孤独だった。貴族である祖父母と再会したのは最近の話で、顔を合わせたのは片手で足りるほどの回数。家族だと思うほうが難しい。
「家に帰ったら誰かいるというのは、かけがえのないものなんですよ。たとえ相手が呪われていて、五十八歳の年の差があっても」
『ン?』
「どうかしましたか?」
『何カ……引ッカカッタガ……何カハ……不明ダ』
「記憶が戻ったら、わかるかもしれないですね」
ひとまず石版の欠片を集めたら、ケロ様だけでなくヴェルノワ公爵家のご当主様の記憶も戻るだろう。
ヴェルノワ公爵家の未来は私にかかっているというわけだ。
最後に質問を投げかける。
「あの、ご当主様のお名前をお聞きしてもいいですか?」
『名前?』
「はい」
いつも義弟などから聞きそびれてしまうのだ。いったいどんな名前なのか。ドキドキしながら待ったが、返ってきたのは「ワカラナイ」の一言だった。
『名前……記憶……ない』
「ああ、そうだったのですね」
義弟家族から聞き出すのは簡単だが、こうなったら直接本人から聞きたくなってきた。
「頑張って石版の欠片を集めて、ご当主様のお名前が思い出せるよう、頑張りますね!」
ここで夢から覚めてしまう。あっという間の一晩だった。




