誤解
それからケロ様は目覚めることなく、ぐうぐうと眠り続けていた。
ヴェルノワ公爵家のご当主様が生きているのか死んでいるのかわからない寝姿だったので、豪快に寝息を立てて眠るケロ様の存在はありがたかった。
石版の欠片は明日、ケロ様と一緒に修繕に行こう。そう思って隠しておく。
夕方、扉がドンドンドン! と忙しなく叩かれた。
おそらくエリスだろう。そう思って玄関扉を開くと、思っていたとおり彼女だった。
「エリスさん、いらっしゃい」
「生きていたようですわね」
「この通り! あ、昨日のお菓子、とってもおいしかったです。ありがとうございます」
一度で食べずに大事に取っていると言うと、腐るから捨てるように言われた。
「カビが生えてなかったら大丈夫なんですよ」
「どこの世界の決まりなのですか!?」
教会ルールである。食べ物が貴重な教会では、カビさえ生えていなければ食べても大丈夫、と判断するのだ。
「今日はどうしたんですか?」
「これを持ってまいりました」
目の前に差しだされたのは、美しい絹のハンカチに包まれた白パンだった。
「わあ、白いパン! 大好きです!」
祖父母の家で初めて食べて感激したのを思い出す。この世にこんなに白くてふわふわで甘いパンがあるなんて知らなかったのだ。
「ありがとうございます。本当に嬉しいです。でも――」
ここに食べ物を運んでくるのは止めたほうがいい、と釘を刺しておく。
「もしや、石を食べるから大丈夫とか言うのではないですよね?」
「まさか! 石はもう食べません」
一度も食べたことがないのだが、念のため偽装工作は続けておく。
「実はフレデ様がここに監視にやってくるんです。今日も食べ物を隠し持っていないか探し回りまして」
「お父様が?」
「ええ」
「どうしてそこまでなさるのでしょう? 食べ物を与えなければ死んでしまうというのに」
きっと私が思ったような態度に出ないので、躍起になっているのだろう。
「エリスさんはフレデ様のやることすべてに賛同しているわけではないのですね」
「それは……まあ、そうですわね。けれどもわたくし達はお父様に逆らえませんの」
親子関係にあるのに支配されているというのか。恐ろしい男である。
「実はあなたのこと、とんでもない悪女だとお父様から聞いていましたの。財産目的で、ヴェルノワ公爵家を乗っ取ることを考えていると」
「わあ、そうだったのですね」
虫けらを見るような眼差しを向けていたのは、事前に義弟から嘘を吹き込まれていたからだったようだ。
「実際にやってきたあなたは、なんというか、悪女には見えなくって」
「このとおり平々凡々な、どこにでもいる女です」
「石を食べるようなお方がどこにでもいると言われても困るのですが」
「たしかに」
いじわるなことを言ってしまった、と謝罪を受ける。
まさか私がこのような目に遭っているとは思っていなかったらしい。
私もエリスのことをよく知らずに、いじわるな子だと決めつけていた。その点は謝っておく。
誤解が解けたところで、問題解決とはならない。
「エリスさんが食べ物を持ってきているとフレデ様にバレたら、叱られると思うんです」
「それはそうでしょうね」
「私はもう大丈夫ですので。実は御者のおじさんにお願いして、王都に買い物に行ったんです」
「あら、ジェイクに頼みましたの?」
「はい」
あの御者はジェイクというらしい。なんでもエリスが生まれる前からヴェルノワ公爵家の御者として働いているようだ。
「ジェイクを巻き込んでいたなんて、呆れましたわ」
「命の危機だったんです」
「ジェイクはお父様によく思われていませんの。あなたが王都にこっそり行っていることが露見したら、きっと解雇されてしまいますわ」
たしかに私を王都に運んでいることが義弟にバレたら、酷い目に遭いそうだ。
「だったらどうすればいいんでしょう?」
「ジェイクは御用聞きの仕事もしているので、買い物があれば頼めばいいのでは?」
「そっちのほうが安全ですよね」
「あとでジェイクに伝えておきますわ。何か急を要する必要な品はありまして?」
「あ――布団一式を街で買ってきていただけたらな、と」
「布団?」
「ええ、実はここに私の分の布団がなくって」
「では、これまで布団もなしに眠っていましたの?」
「ええ……」
あまりにも酷い仕打ちだ、とエリスは義弟の所業を非難していた。
「わかりました。ジェイクに頼んでおきますので。今晩はその、難しいかもしれませんが」
「大丈夫です。ブランケットが一枚ありますので」
エリスのおかげで、より安全にお買い物ができそうだ。
「ああ、そう。お母様はわたくしよりもお父様に逆らえないので、注意が必要かと」
同じように支配下にあっても、義妹は義弟を絶対に裏切らないという。
「わかりました。フレデ様とウラリー様には弱みを見せないようにしておきます」
「お願いしますね」
その言葉を最後に、エリスと別れたのだった。




