帰宅してからの一仕事
御者が正門を開いてくれたので、スムーズに離れに帰ることができた。
なんでも彼は一日に数回王都と屋敷を行き来しているらしい。使用人を乗せる他に、御用聞きの仕事を担っているようで、義弟一家の使いっ走りもしているようだ。お買い物に行きたいときは乗せていってくれるという。御者に感謝したのは言うまでもない。
離れに戻ると、まずヴェルノワ公爵家のご当主様のもとへ向かった。
「ただいま帰りました!」
寝間着と新しいブランケットを買ってきたという報告をする。
「じゃーん! 見てください。この寝間着、キルトニットといって、とっても暖かいそうですよ。ブランケットは羊を織って作ったものらしく、フワフワしていて肌触りがいいんです!」
と紹介したあと、あることに気づく。
「うわ、私の寝具を買うのを忘れてた!」
あの荷物の量だったので、今日購入するのは難しかっただろう。
やりたいことが山のようにあるので、しばらくは木のお布団で我慢するしかない。
「まずは清拭をしてから着替えて――あ、新しいシーツも必要でしたね」
ヴェルノワ公爵家のご当主様のシーツくらいは支給があってもいいのではないか。
そう思ったが、拒絶されたら時間の無駄になってしまう。次、王都にいったときに買えばいいのだ。
今日のところは新しい寝間着とブランケットで我慢してもらおう。
「少し待っていてくださいね。薬湯を用意しますので」
外にレモングラスが生えていたので、それで薬湯を作ろう。昨日は疲れていて、レモングラスが生えているのに気づけなかったようだ。
レモングラスは血行促進効果がありいい匂いもする。今のヴェルノワ公爵家のご当主様にうってつけというわけだ。
さっそく買ってきた鍋に水を張り、ちぎったレモングラスを煮込んでいく。
今回も有効成分が抽出されたものを飲ませていただいた。疲れた体に染み入るような、爽やかな味わいである。
鉄製の桶に薬湯を移したあとは、スープ作りに取りかかった。
精肉店で購入した鶏の骨を野菜の皮と一緒にぐつぐつ煮込んでいく。
食堂で食べた野菜スープがおいしかったので、同じようなものを食べたくなったのだ。
そうこうしている間に薬湯がいい湯加減になった。寝室に運び、ヴェルノワ公爵家のご当主様の体を清拭する。
昨晩は疲れていたので上半身しかしなかったが、今日は全身を拭いていく。
戦場で屈強な兵士相手に何度もやったのでもう慣れっこである。成人男性の体の向きを変えるのも難しいことではなかった。
ヴェルノワ公爵家のご当主様の見た目はミイラみたいにしわしわだが、しなやかな筋肉がついていて、八十歳のわりにはがっしりしている。
これまで体に気遣って暮らしてきたのだろう。まるで若者のような体つきだった。
レモングラスの薬湯で全身を拭いたあと、新しい寝間着を着せてあげた。
少し大きいかな、と思っていたがサイズはぴったりだった。
続いて、全身の関節という関節を動かしてあげる。
昨日同様、体に硬さはない。必要ないかもしれないが、念のため毎日動かしておいたほうがいいだろう。
手に触れたとき、わずかに握り返してきたように思えた。
「ご当主様?」
顔を覗き込んだが反応はない。
ただ、昨日あった眉間の皺がなくなっていることを発見できた。
もしかしたら少しだけ快適になったのかもしれない。
意識がない相手だが私にもできることがあるのだろう。
「ご当主様、またあとでやってきますね」
そう声をかけて寝室をあとにした。
まだ鍋は煮込む必要があるだろう。その間に、離れの外で薬草を採取しよう。
一見して草むらにしか見えないが、よくよく見たら豊富な薬草が自生しているのだ。
ローズマリーにラベンダー、タイムにセージ、カモミール、オレガノなどなど。
他に月桂樹、エルダーフラワーの木など、薬効のある植物がたくさんあった。
これだけあれば、薬湯や薬草茶の材料に困らないだろう。
これらは乾燥させて保存する。
続いてヴェルノワ公爵家のご当主様が使っていた、血が付着したブランケットを洗う。
石けんを使って、ごしごし擦って洗うと水が真っ赤に染まった。
いったい何回出血したのかと心配になる。
他、私が着ていたワンピースや下着なども洗った。今日は天気がいいので、夕方になるまでには乾くだろう。
台所に戻って調理を再開させる。白濁になったスープから鶏ガラを取って豆を入れる。塩、コショウで味付けしたら野菜スープの完成だ。
我ながらいい仕上がりである。昼食が楽しみだ。
さて、次は何をしようか、と思っていたら、ガタガタバタン! という物音にギョッとする。
もしかしてヴェルノワ公爵家のご当主様のお目覚めか、と思って寝室へ走ったが、静かに眠っている状態だった。
ならば私の部屋からの物音だったのか。
侵入者かもしれないと思い、鍬を握って向かった。
扉に耳を当ててみたが、物音や人の気配はしない。
ドキドキしつつ扉を開いた。
中には誰もいない。けれども机に置いていたはずの石の欠片がすべて落ちていた。
それだけでなく、淡く光っていたのだ。
「え!?」
突然の出来事に呆然としてしまった。