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帰宅

 真っ暗闇の中、角灯を手に進んでいく。

 虫がジーワジーワ、リンリンリン、ギーギーギー、とオーケストラのような鳴き声をあげていた。

 離れに戻ると、井戸の水で手と顔を洗い、ハンカチなんぞ持ち歩いていないのでエプロンで拭いた。

 続いて、霊廟から持ってきた石の欠片をその辺に転がっていた鉄製の桶の中でじゃぶじゃぶ洗った。

 酷く汚れていたようで、水は真っ黒になる。

 少しの間乾かしておこう、と下駄箱の上に並べておいた。

 ふとした瞬間にぐったりしてしまう。体の疲労というより、一日で多くの情報を詰め込まれたことが原因の疲れに違いない。

 休む前にヴェルノワ公爵家のご当主様の容態を確認に行こう。きっと問題ないだろうが、夫となった男性に挨拶しないまま一日を終えるのはどうかと思ったのだ。

 ヴェルノワ公爵家のご当主様は、部屋中に魔法陣が描かれた不気味な場所で眠っていた。

 眉間に皺が寄っているように見えるのは気のせいだろうか?

 呪いは体に酷く負担がかかりそうな発作に見えた。たくさん出血もしたようだし、心配である。

 そういえば、誰か体を動かしたり、按摩をしたりしているのだろうか?

 寝たきりで放置していると拘縮こうしゅく状態――関節が動かなくなってしまうのだが。


「えーっと、少し触れさせていただきますね」


 一言断ってから腕に触れてみたが、黒ずんだ肌はカサカサになっていた。見た目も触った感じも、死んでカピカピになった魚――干物のようだ。

 これまでさまざまな患者さんに触れてきたが、このような状態になった人に出会ったことがない。

 お風呂に入れたら血行がよくなりそうだが、残念ながら成人男性を一人で抱えることは難しいだろう。

 薬草茶の一杯でも飲んだら、顔色もいささかマシになるだろうに。なんて考えていたらピンと閃く。

 薬湯を作って、体を拭いてあげたらいいのだ。

 さっそく行動に移す。薬湯用の薬草なんて持ってきていないので、外に出て探すのだ。

 先ほど〝アニスヒソップ〟を見かけていた。開花の季節は秋までだが、季節外れの花が咲いていたのだ。


「あった!」


 枝先を摘んで鉄製の桶に放り込む。井戸の水を注ぎ、台所に持っていった。

 薪やマッチはあったので、火を熾すことに成功した。

 ぐつぐつお湯をたぎらせ、沸騰させる。すると、アニスヒソップの有効成分がお湯に滲み出てくるのだ。

 アニスヒソップの薬効は、精神安定、疲労回復、安眠など。

 ヴェルノワ公爵家のご当主様の心が穏やかになるよう、祈りを捧げた。

 冷ますまで時間がかかるので、薬湯を飲ませていただいた。温かい飲み物はホッとする。

 三杯くらい、続けてごくごく飲んでしまった。

 そろそろお湯が冷えたころだろうか。桶ごと寝室へ運んだ。

 清潔な布はなかったので、私の肌着を薬湯に浸けてよく絞る。


「ご当主様――」


 始める前に自己紹介をしていなかった、と気づく。

 意識はないように見えるが、声は聞こえている可能性があるのだ。以前、お医者様が話していた。


「申し遅れました。私はご当主様の新しい妻となる、オデットと申します」


 当然ながら反応はない。依然として、眉間に深い皺を寄せたままだった。

 早く体を拭いてあげよう。

 そう思って上半身にかかっていたブランケットを剥がす。

 寝間着などは纏っておらず、包帯が雑に巻かれているだけだった。

 包帯やブランケットには血がこびりついていて黒ずんでいた。吐いた血や流した血は魔法でなくなるが、こうして布に付着したものは残ったままなのだろう。

 このままではいけないと思って、包帯はナイフで切って外した。ブランケットは明日洗おう。


「清拭を始めますね」


 高貴なお方を私の下着で拭くことを許してほしい。これくらいしか、肌に優しい清潔な布がなかったのだ。


「――あら?」


 左手が拳を握っているのに気づく。なんとか開こうとしてみるも、びくとも動かない。

 何か握っているのだろうか? まあ、無理に剥がさないほうがいいのだろう。

 腕を拭いたあと、手首を掴んで手を握り、関節を動かしてみる。

 ぎこちない感じはしない。

 そういえば、先ほど私の手を握ったときも力強かった。

 通常、寝たきりの人は筋力が落ち、体を動かさなければ関節は固まってしまうはずなのだが。

 普通の患者と呪われた人の違いなのだろう。

 ただ、こうして体を動かすのは悪いことではないのかもしれない。

 現に、少しだけ肌に艶が戻ってきたように見えるから。


「ご当主様、今後も大変かと思いますが、頑張りましょうね!」


 ヴェルノワ公爵家のご当主様の返事はなかったが、代わりにぐううううう、とお腹が鳴った。


「はあ」


 明日こそは何か食べたい。作戦を考えないと。


「料理人達がゴミ捨て場に捨てたあと、探ってみようか……」


 それこそ、野良猫のようだと思ってしまう。

 食べ物を得る手段がそれしか思いつかないのだ。


 ひとまずもう休もう。これ以上起きていても、お腹が空くだけだ。


「ご当主様、おやすみなさいませ」


 挨拶をして、ブランケットを優しくかけてあげた。

 角灯を手に、部屋へと戻った。


 

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