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【改稿版】コフィン・イン・ザ・フォレスト  作者: 園村マリノ
第一章 図書室の美少女
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05 妖怪厚化粧ババア

 その後も丸崎の機嫌が直る事はなかった。


「何? 何喋ってんの?」


「いや……その」


「うるさいんだけど」


「……すいません」


 些細な私語には必ず突っ掛かり、相手が謝罪するまで授業を進めようとしなかった。


「これ答えは? はい佐藤(さとう)


「……わかりません」


 質問に答えられないと露骨に溜め息を吐き、


吉田(よしだ)


 棘のある声で、次の生徒を呼び捨てで指した──普段なら男子生徒は君付け、女子生徒はさん付けだというのに。


 ──早く終わらないかなあ。


 麗美は小さく溜め息を吐いた。いつ指されてもいいように授業に集中しているつもりでも、しっかり身が入っていないのは自覚していた。無意識のうちに頬杖を突き、右手でシャーペンをクルクルと回す。静か過ぎる教室内には、丸崎がチョークで黒板に書き込む音──やはり必要以上に大きい──がよく響いている。

 麗美はふと、新しい友人を思い出した。

 望月絵美子。麗美が知る限り、最も美しい少女。

 絵美子は今日、丸崎の授業は受けただろうか。真面目に集中するタイプだろうか。それとも、机に突っ伏して居眠りしたり、話を聞かずに友達と喋っていたりするのだろうか。運動や絵画、演奏は得意だろうか。


 ──もし苦手な事があっても、あの子は笑って許されるんだろうな。だって可愛いから。


「ちょっと」


 麗美はギクリとして手を止めた。慌てて顔を上げると、丸崎とバッチリ目が合った。


 ──ヤバッ。


「さっきからさ、話聞いてんの?」


 血の気が引いてゆくのがわかった。蛇に睨まれた蛙のように、ただ黙って丸崎の視線を受け止める事しか出来ない。


「大楠。眠いんだったら家帰って寝たら?」


 丸崎の標的は、麗美の二つ前の席の健斗だった。机に右肘を突き、掌を額に当てた状態で俯いている。


「……あ、いや、その……」健斗は顔を上げた。「ちょっと頭が痛くて」


「いつから」


「えっと、授業始まったくらいからです」


「へえ……」丸崎は片眉を吊り上げた。「それってつまり、私が原因って事?」


「え──」


 声にならないどよめきが広がった。複数の生徒たちが顔を見合わせ、苦笑を浮かべたり、不快感を露わにする。


「え? だってそうなんでしょ?」


「いや……違います」


「タイミングが合ってるじゃない」


「でも違います」


「じゃあ何で」


「……そんな事言われても」


 健斗も苛立ってきているのがわかった。丸崎は挑発するように、無言でゆっくり首を傾げる。


 ──いやもう、何なんだこのおばさん。


 自分が標的でないとわかった麗美には、いくらか余裕が生まれつつあった。もっとも、未だ体を硬直させたままではあったが。


「先生、あの!」


 るりかが声を上げた。麗美を含め、教室内のほぼ全員の視線が彼女に集中する。


「今日の先生、ちょっとおかしいですよ!」


 ちょっとどころではないのだが、この状況で突っ込もうとする者はいなかった。


「先生に何があったのかは知りませんけど、わたしたちに八つ当たりするのはやめてください!」


 ──よく言った!


 麗美は心中拍手喝采した。

 無言でるりかを睨み付けていた丸崎だったが、まるで何かイタズラでも思い付いたかのように、不敵な笑みを見せた。


「新田さあ、あんたよく私にそんな生意気な口利けるね? 成績悪い癖に」


 るりかは目を見開いた。


「この間の中間テスト、何点だったっけ? いや、この間に限った話じゃないわね。あんた一年の時から、下から数えた方が早かったじゃない。しかも政経だけじゃなくて、他の教科も酷いみたいじゃない?」


「っ……」


「彼氏君とイチャイチャしてるヒマがあったら、もっと真面目に勉強したら? そもそも、高二なんてガキの分際で彼氏だの付き合うだのっておままごと、あんたたちは本気でも、大人からしたらお笑いなんだよね」


 教室内は完全に凍り付いた。誰もが唖然とし、勝ち誇ったような顔をして仁王立ちする丸崎を見やっている。


「……そんな事……関係ないじゃないですか……」


 るりかの声はか細く、震えていた。そして、今にも泣き出しそうな表情。るりかのこんなにも弱々しい姿を、麗美は初めて目にした。


〝朝比奈さんじゃん、おはよ〟


 今朝、るりかは後ろから声を掛けてくれた。無視して通り過ぎたって良かったのに。

 今朝だけではない。るりかはいつも愛想良く接してくれる。麗美が他の生徒にいきなり話を振られ、どう応えるか困っていた時、さり気なくフォローしてくれた。

 そんないい子が、大勢の前で意地悪な女に泣かされそうになっている。


「酷いね、これは」公彦が呟いた。「完全にイジメだよ」


 麗美の丸崎に対する不信感と嫌悪感は、怒りに取って代わった。


「ふざけんなよ、あんた──」


「い、いい加減にしなよ!」


 健斗が抗議の声を上げながら立ち上がりかけたのとほぼ同時に、麗美は声を張り上げていた。丸崎に集まっていた視線が、健斗を通り越して一気に自分に集中しても、不思議と気にならなかった。


「どう考えたって、あんたが悪いでしょ! 機嫌悪いからって関係ない人間に八つ当たりして、悪口まで言って! いい年齢(とし)して恥ずかしくないの? それでも教師?」


 丸崎の顔から一緒で表情が消えた。スイッチのオン・オフで切り替わったような機械的な変化に、麗美は不気味なものを感じた。そして同時に、柄にもなく大胆に反抗してしまったのだと自覚し、怖気付いた。


 ──ヤ……ヤバい?


「朝比奈の言う通りだ」健斗は座り直しながら、静かに、しかし怒りに満ちた声色で言った。「るりかに謝れよ」


「だよな」


「マジであり得ねーよ」


「教師っつーか、人としてアウトだろ」


 健斗と仲の良い、数人の男子生徒たちも続いた。すると、他の生徒たちからも次々に不満が噴出し始め、教室内は打って変わって騒然となった。更に一部では謝れコールまで起こり、徐々に大きくなっていった。


「凄いや、二年四組一致団結」心なしか弾んだ声で公彦が言った。「朝比奈さんのおかげかな」


「黙りなさい! ……黙れ!」


 丸崎は拳で黒板を叩くと、苦々しげに唇を歪めて麗美を睨み付けた。


「朝比奈ぁ……あんたも結構言うわねえ? 普段は影が薄い、地味な芋姉ちゃんの癖にねえ!」


 グサリと心臓を突き刺され、顔を中心に体中がカーッと熱くなる感覚。普段の麗美ならば、このまま何も言い返せず、唇を噛み締めるだけで終わっていただろう。そして帰宅後、屈辱感から自室で一人泣き腫らす。

 しかし今は違った。久し振りに頭に血が上り過ぎていた。ここまで腹が立つ思いをしたのは、一体何年振りだろうか。


「悪かったね、地味でブスで歯並び悪くて存在感なくて芋で!」


 ──どうせわたしは可愛くない。彼氏も出来ない。名前負けしてる。


「でもあんたなんかより、わたしの方が圧倒的にマシなんだから! こんの、妖怪厚化粧ババア!!」


 僅かな間を置いてから起こったのは、爆笑と拍手だった。


「言っちゃった! 朝比奈さんが(すげ)ぇ事言っちゃった!」


「ネーミングセンス絶妙!」


「朝比奈さんマジ最高!」


 我に返った麗美は、自分に向けられる視線と称賛の声にどう反応していいものかわからず、目をキョロキョロとさせた。


「……ぁぁあああああああっっ!!」顔を真っ赤にした丸崎が叫んだ。「ああああああんたたち! 全員覚えとけよ! タダじゃ済まさないからなあああ!!」


「ふうん、例えばどんな?」公彦が挑発するように尋ねた。「どんな意地悪な仕返しをするつもりです?」


 丸崎は答えず、デスクの上の自分の持ち物を引ったくるようにして取ると、大股で教室を出てゆき、乱暴にドアを閉めた。


 バタァンッッ!!


 そのけたたましい音は、廊下中に響き渡った。


「……行っちゃったね」


「覚えておけ、だってさ」


「まだ残り一五分もあるけど、どうするよ」


〝全員覚えとけよ! タダじゃ済まさないからな!〟


 ──あー……やり過ぎたかも……。


 麗美は頭を抱えた。もしも丸崎があの捨て台詞(ゼリフ)通りに、四組の生徒全員に制裁を加えるような真似をしでかしたら。


 ──そうしたら、わたしが皆に恨まれるかも……。


「おい、どうしたんだ」 


 隣の三組で授業をしていた四組担任の秋山(あきやま)が、異変に気付いて顔を覗かせた。


「あー……その……」


 健斗ともう一人の男子生徒が掻い摘んで事情を説明すると、秋山は「あちゃー」と呟き、頭を抱えた。


「確かにお前たちの言う通り、丸崎先生の態度は酷いな。実はあの人、朝からだいぶ様子がおかしかったんだよ。理由は俺も知らないが。

 でもな、流石にお前たちも言い過ぎ、やり過ぎだ……特に朝比奈」


「は、はい……」麗美は消え入りそうな声で答えた。


「ちょっとこの件は、帰りのSHR(ショートホームルーム)で、また詳しく聞かせてもらうからな」


 そう言い残し、教室を去ろうとした秋山だったが、ふと思い出したように足を止めた。


「それにしても……フフッ、妖怪厚化粧ババア、か……ヘヘヘヘッ!」


 ポカンとしたまま秋山を見送った生徒たちだったが、健斗が吹き出したのを皮切りに爆笑が起こったのだった。

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