04 妙な違和感
麗美たち四人が教室に戻ったのは、五時間目の授業開始の約五分前だった。
──……ん?
友人たちに続き、後方のドアから一番最後に教室に入った麗美は、妙な違和感を覚えた。
見渡した限り、大きな変化やトラブルがあった様子はない。しかし、図書室に向かう前とでは、何かが違うような気がしてならなかった。
「どうしたの麗美ちゃん」
麗美が立ち止まったままだと気付いた亜衣が心配そうに言うと、七海と千鶴も振り向いた。
「……ううん、何でもない」
そう答えたものの、それで違和感が消え去ったわけではない。まるで、難易度の高い間違い探しのようだ──それも、出題者不明の。
「じゃあ千鶴ちゃん、やっぱりヤバそうだったら、早めに言った方がいいよ」
「そうそう、無理は禁物ね」
七海と亜衣が優しい口調で千鶴を労った。麗美も何か声を掛けようとしたものの、咄嗟に気の利いた言葉が出て来なかったので、二人の言葉を肯定するように何度も頷いておいた。
「はい。皆、有難うございました」千鶴は小さく頭を下げた。
四人はそれぞれ自分の席へと戻った。
「向井さん、もう大丈夫そう?」
麗美が腰を下ろすと、後ろの席から石田公彦が声を掛けてきた。
「うん、多分大丈夫じゃないかな……と」麗美は振り向いて答えた。
「ああ、それなら良かった。倒れた時、顔真っ白だったからさ」
公彦とは、千鶴と同じくこの四月に初めて同じクラスになった。中肉中背で、黒い刈り上げマッシュヘアー、おっとりとした印象を与えるタレ目。決して目立つ方ではないのだが、気付くとクラスの中心となっていたり、意外と毒舌な一面を覗かせる事もあったりと、独特な魅力を持っている。人見知りの麗美だが、公彦との会話では、亜衣たち三人の友人相手と同様にスラスラと喋れるし、初めて言葉を交わした時も不思議と緊張しなかった。
「朝比奈さん、次は政経だよ。そろそろ準備した方がいい。目を付けられたら面倒だからね」
「え?」
公彦は、麗美の方へ身を乗り出すようにした。
「朝比奈さんたちがいない時に、五組の杉浦君が来て皆に教えてくれたんだけどね……丸崎先生、今日は何故か物っっっ凄く機嫌悪くて、ヤバかったらしい」
公民教師で政治経済担当の女性教師、丸崎芳美。推定四〇代後半で独身。一七〇センチ前後の長身に、腰付近まである真っ黒く染めたストレートヘアー、そして少々厚化粧気味のはっきりした顔立ちと、夕凪高校教師陣の中では目立つ容姿をしている。
公彦の話は、にわかに信じがたいものがあった。丸崎は常に明るく気さくだ。少なくとも麗美は、怒ったり苛立っているところを見た事もなければ、生徒たちの間で悪く言われているのを聞いた事もない。
「それ本当なの?」
「うん。普段なら何も言われないような事でも、今日はいちいち文句付けてきて、喋り方もめっちゃ怖かったって」
「へえ……?」
「それと、いつも以上に厚化粧らしい」
麗美が小さく吹き出すと、公彦はニッと笑った。
始業チャイムが鳴り始めたのとほぼ同時に、丸崎が現れた。
──……あ。
丸崎は無言かつ無表情のまま教卓の前まで来ると、手にしていた出席簿や教科書などを、必要以上に大きな音を立てて置き、数人の生徒をビクつかせた。どうやら杉浦の話は事実だったようだ。それまで騒がしかった教室内は、しんと静まり返った。
「号令」
たった二文字の言葉だけでも、室温がだいぶ下がったように感じられた。日直の男子生徒が号令を掛けると、二年四組の生徒たちは、普段よりもずっと大きくはっきりとした声で挨拶をした。
──うわあ、ヤだなあ……。
麗美の中で、丸崎に対する不信感と嫌悪感が、ふつふつと湧き上がってきた。機嫌の悪い原因が何なのかは知らないが、いい年齢した大人が、直接関係ないであろう他者に対して取るような態度ではない。
「やれやれ」
公彦の微かな呟きに麗美はドキリとしたが、幸いにも丸崎の耳には届かなかったようだった。