9 「四大迷信」
婆様は終始柔和に微笑みながら、さらに話を続ける。
「イェフディムは長い歴史の中で物質面を開発してきました。物力は他のどの民族にも勝る。そしてこの国は霊の元つ国です。イェフディムの物力とこの国の霊力を十字に組めばエデンの園が顕現します。これまで全然違う歴史を歩んできた二つの民ですけれどそれは役目を分かち合っていただけで、どちらが選民ということもありません。二つの民は合わせ鏡なのですよ」
「わかります。ですから、我われエッセネ白色同胞団の流れを汲む世界スメル協会は、この国の民と手を組まなければならないのです。そのために私は命がけで来たのです」
普通なら飛行機に乗って寝ていれば着く国だから命がけというのは大げさなのだけれど、エーデル姫が遭遇した出来事を考えると本当に命がけであった。
「本当によくいらっしゃいました。でも、エデンの園の復活の前には、人類は大いなる試練を経験するでしょうね」
「はい。そのための因縁の魂を私は探さなければなりません。それが任務です。これまではただ漠然と『因縁の魂を探せ』というつかみどころのない指令を受けていただけですけれど、ようやくその意味がほんの少し分かった気がします」
「最初はほんの少しでいいのです。あとはだんだんと分かればいい。あなたが最初から『全部分かった』などという人でしたならば、私は信用するのを躊躇したでしょう。そして私の使命は世界を一つにすること、そしてその力を与えることなのです。私一人でそのような大それた使命を敢行することはできません。そのためには多くの因縁の魂が必要です。しかも決して宗教教団や政治結社を作ってはならないという高次元からのメッセージなのです」
たしかにそれは難しい。多くの因縁の魂を集めしかしながらそれらを組織化することなく力を与えていかねばならないということになる。エーデル姫は考えた。考えながらも不思議な現象に気づいた。婆様の話は、彼女の語学力からすると当然理解できる範囲ではなかった。それなのに胸にどんどん響いてくる。もちろん婆様は普通にこの国の言葉で話しているにもかかわらず、だ。
すると婆様は、懐から小さなバッジを出した。上が平らで中央が膨らんでいる盾の形をしたバッジで、中には日輪のある太陽が描かれている。
「これは太古のムーの国の国章です」
そのバッジをエーデル姫に渡しながら、婆様は言った。
「まずはこれを持っている者が因縁の魂。でも、私が直接渡したものもいれば、彼らの並行世界でこのバッジを手に入れたものもいます。もちろんこのバッジの所有者だけが因縁の魂ではなく、多くの因縁の魂は今でも全世界の野に、山に、町に埋もれて普通の生活をしています。でもまずはこのバッジを持っているものを探すのがバロメーターになるでしょう」
ムーの国とは一万二千年前に大洋に沈んだといわれている伝説の国であることは、エーデル姫は知っていた。だがそれが実在したかどうかは歴史学や海洋地質学合わせても学術的にはまだ証明されておらず、否定する向きも多い。
「でも、高次元からのメッセージでは、ムーは確実にあったのです」
「ヤハドゥートゥは、キリスト教もそうですが、人類の歴史は六千年前に始まったと言っていましたけれど、今は学術調査で人類がそんな新しいものではないことは分かってきていますね」
「その通りです。六億年前の人類の足跡の化石も出ています。宗教上いわれている歴史は大まかには迷信であり嘘であることが分かってきています。でも、人類が類人猿から進化し、道具を使い、二足歩行し、原始文明からだんだんと進化して現生人類になったというのもまた嘘であり迷信ですね。太古には今よりもはるかに高度に発達した科学文明が栄えていた時期もありました」
不思議な話を聞くものだと、エーデル姫は思っていた。だが、この婆様は嘘は言っていないという確信を。彼女はその霊智で感受していた。
「今の世の中には毒矢が射こまれています。あらゆるものが毒化しています。そうなると邪霊の活躍も活発化して火と人に影響を与え、凶悪犯罪や挙句の果てには戦争もあちこちで勃発します」」
婆様の声が一段と高くなった。
「そして大迷信時代です。六千年くらい前から人類の文明が始まり、それ以前は原始時代だったなんて大迷信です。これが『歴史迷信』。宗教も自分たちの信じる教えのみが真実でその他は邪教などという大迷信もあります。実際はすべての教えの元は一つなのです。それも知らずに宗教対立する、これが『宗教迷信』。そして科学が発達したのは素晴らしいことなのですけれど、科学万能とうぬぼれ、科学で証明できなければそのようなものはないと断定する、これが『科学迷信』。そして医者や薬が病気を治すという迷信、これが『医学迷信』。今の人類会にはこの四大迷信が蔓延しています。毒気が蔓延すれば自然界には風・火・水・雷のクリーニング現象が起きます。引いては地震や火山の噴火、津波などの大災害にもつながる。あるいは、人類が予想だにできないような大災害が待っているかもしれません。因縁の魂はそういった毒気を消除し、また四大文明を打破していかねばなりません。あなたはそのような人々を探すのです。大変な使命ですよ」
婆様はにっこりと包み込むように笑った。エーデル姫の目からは涙が止まることを知らなかった。
そしておツル婆様は言った。
「二、三日、ここに泊まっていきなさい」
※ ※ ※
朝の陽ざしがカーテンから漏れて、俺の目をくすぐる、
もうすっかり梅雨も明けたと思う。
目を開けてもよく知っている見慣れた天井で、狭い下宿のアパートの部屋があるだけだ。
俺は熱さで足元に丸めてしまっていた毛布をもう一度かぶって二度寝を決め込もうとしたけれど、目覚まし時計のスムース機能がそれを許さない。
おまけにスマホまで鳴りだした。
「はい、もしもし」
「康ちゃん、今日学校行かないの?」
チャコの声だ。そういえば今日から大学の語学の前期試験で、遅刻してはいけないからとチャコと待ち合わせしていたのだ。
「いまどこ?」
「もう来てる」
俺は慌てて飛び起きると窓を開けて、その二階の窓から路上を見た。チャコがスマホを耳に当ててこちらを見上げている。少しふくれ面だ。
「今行く!」
なんとも無害でささやかな俺たちの日常が、今日も始まろうとしていた。
(「第2部 バイオ・フォトン」につづく)