5 富士神都
「あなたの言う『トーラー』というものに『神は七日にわたってこの世界と人類を創造された』という記述は、キリスト教の『旧約聖書』と同じですな」
「はい、同じものです。『トーラー』とはキリスト教の『旧約聖書』の最初の五つの書物、モーセ五書のことです」
「そうですか。そしてその七日ですけれど、こちらの古文献では七代の神様という表現です。つまり天地初発の天之峯火火神様から『天高火男神』様、『天高地火神』様、『天高木比古神』様、『天草男神』様、『天高原男神』様、『天御柱比古神』様の七柱の神様、実際には奥様の神様がいらっしゃるから合計十四柱七代の神様の世を天の世七代とされています。その期間は八百二十年」
七代を七日に置き換えても、その期間は一日が百二十年弱となる。しかも、どうも高次元界における天地創造の記録とはかなり違って、まさしく人間の歴史という感じだ。
「その神様たちは、どこにおられたのですか?」
「はっきりとは書いていません。須弥山不二蓬莱山ということですけれど、今の研究ではこの富士山ではなく、どうも中央アジア、メソポタミアあたりのことではないかと」
そうなると、ノアの洪水のアララト山やアブラハムの故地と一致する。だが、どうも違和感を感じてしまう。なにしろその神々の名前は『古事記』にも『日本書紀』にも全く出てきていない。
「それから天之御中主神様がお出ましになって、その御代は十五代、約千八百四十九年続きました」
宮内さんはその神々の名前をほとんどそらんじていて一気に話したが、やっと古事記で読んだことがあるような気がする神の名前も出てきた。天之御中主神こそが、『古事記』で最初に出てきた神名である。
そして次の、国常立尊というのが、『日本書紀』で最初に出てきた神名だ。
「次の時代からいよいよ舞台はこの国の、しかもこの富士山麓の高原へと移るんですよ」
エーデルは話し続ける宮内さんの顔を、じっと凝視していた。
「その高天原天神七代の世は五百七年続きまして、その最後が『古事記』で有名な伊邪那岐の神様なんです。そのあとの歴史は『古事記』にも書かれている歴史が、より詳しく、よりリアルに展開します。ただ大きく違うのは、その舞台が天上の高天原ではなく、この富士の北の麓のこのあたり一帯が主な場所でして…」
そうなると、やはりこの文献にかかれている歴史は神の世界の話ではなく、この地上の人間の歴史ということになる。登場するのは「神」という名はついているけれど、すべて肉体を持った生身の人間のようである。
しかも、どう見てものどかな田舎とカントリータウンがあるだけの自然豊かなこの土地がかつては世界の中心で、高度な文明が栄えていたというのもどうにも想像するのが難しい。
「何もかもが富士山の噴火が押し流してしまったのです。かつての神都も今では土の下で、その上に一面い密林が覆っています」
「一つ聞いてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「どうして『古事記』にも『日本書紀』にも、この富士のお山の麓の神都のことは書かれていないのですか? 富士のお山も全く出てきませんね」
宮内はしたり顔でうなずいた。
「それはわけがあるのですよ。実は『古事記』では今の神倭朝の初代人皇の神武天皇の一代前の神皇を『鸕鶿草葺不合尊』というお一方の神様にしてしまっていますが、本当は五十一代続いた一つの王朝なんです。こちらの文献では『宇家潤不二合須国世という名称になってますけれど」
「はい」
「それで、その時代に神都は九州の高天原とこの富士の高天原とに分裂する事態となりまして、そして人皇の時代、いわゆる神倭朝になる直前に激しい戦闘も行われました。結局、都を大和の橿原に移すということで世も収まり、そこから今の歴史が始まるのです」
エーデルはその話に、いつしか時がたつのも忘れていた。
「先ほど、この文献は書き写したものということでしたけど、いちばん最初はだれが書いたかわからないのですか?」
宮内さんはゆっくり首を横に振った。
「わかりません。ただ、この開闢に関する部分、つまり神話の部分は、この国に昔あって今は使われなくなっている神代文字で書かれていた文献を、徐福という人が漢字に直したのだという伝説があります」
「徐福?」
エーデルは首をかしげた。
「いつ頃の人ですか?」
「紀元前ですね。その時の皇帝に不老不死の薬を求めるよう命じられて、おびただしい数の船団を引き連れて東方に船出して二度と戻らなかったという記述が『史記』にあるんです」
「ちょっと待って。話が難しい」
たしかに隣国の固有名詞はこの国の発音で聞いたのでは、エーデルには分からないだろう。
「その時の皇帝とは、紀元前に多くの国に分かれて戦っていた戦国時代を勝ち抜いて、初めての統一王朝を築いた最初の皇帝、エンペラです。その時代のことを書いた歴史の本が『史記』です」
「おお! The first emperor! So, Qin Shi Fuang ですね。歴史の本は Si Ma Qian という人が書いた Records of the Grand Historian ですか」
そう言われたら、今度は宮内さんの方が分からずにいるようだった。
「まあ、そういうことでしょう。ところで、『史記』にはそういうふうに徐福という人物が東へと船出して消息不明ということなったと書いてるあるんですけど、その徐福の一団がたどり着いて定住したのがこの富士山北麓なんです。そしてここで古代の驚くべき記録に接した徐福は、それを何とか後世に伝えたいと神代文字を解読して漢字に直した。それがこの文献なんです」
エーデルは畳の上に広げられた本の文字の列をもう一度見渡した。
「お話しできることはこれくらいですね」
宮内さんは本を閉じた。
「ありがとうござます」
「で、せっかく来られたのですから、さきほどの神社の古宮、つまりもともとあった場所にご案内しましょう。今は小さな祠があるだけですけれど、そこがまたすごいパワースポットなのです。ただ、神聖な場所なので、そのパワースポットがどうたらで興味本位で行くところではありませんけれどね。お時間はだいじょうぶですか?」
「だいじょうぶです。そこは遠いのですか?」
「歩いて行けばニ十分くらいかかりますけど、車で行けば二、三分でしょう」
「ぜひ連れて行ってください」
宮内はにっこりと笑った。
「その前にもうお昼ですから、食事をしませんか。この近くに名物のうどん屋がありますから」
エーデルも松原も、その誘いに呼ばれることにした。




