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暁の歌、響け世界に2 《空の巻》  作者: John B. Rabitan
第6部 富士の霊峰
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4 古代神皇伝

 畳の部屋で、座布団の上に正座して、エーデルは宮内さんと対坐した。


「なんでもおツル婆様の話では、この町に伝わる古文献に関心がおありの外国の方が見えられるとのことでしたけれど、まあ、こんなお若い、おきれいな方とは思いませんでした」


 さっそく宮内さんはそう言って笑ったが、どこまでも上品な感じのする老人だった。いや、老人と呼ぶのはちょっと早いかもしれない。


「あらためまして。宮内と申します。まあ、先ほども申しましたように、この町にはあちこちに宮内はおりますけれど、先ほどの神社の宮司とは親戚筋に当たります。例の古文献を研究するグループがこの町にはありまして、そのメンバーです。今はもう退職しましたけれど、かつては大学で教えておりました」


 元大学の先生だったらしい。教授だったのかどうかはわからなかいけれど、エーデルはそこまで聞くのは失礼だと思ったのか聞かずにいた。そして、あえて別の話をした。


「私は『コジキ』と『ニホンギ』を読みました」


「ほう、古事記と日本書紀ですな。あれが読めるとはかなりの語学力で」


「いえ、英語に翻訳されたものです」


「そうですか」


「はい。それで最初の方の、世界と人類の創造の物語に興味を持ちました。私の民族の聖典の『トーラー』にも似た話があります。でも、古事記の神話はずいぶん簡単ですね。婆様のお話では、あれはダイジェスト版で、もっと詳しい文献があるということで本になったのを見せていただきましたけれど、私には難しい。読めません」


「まあ、普通のこの国の人でも読めないでしょう」


 笑いながら宮内さんは立ち上がった。


「少しお待ちを」


 しばらくして戻ってきた宮内は、一冊の大きな本を抱えていた。

 表紙には朝日をバックにし、湖に影を落とす富士山のシルエットの写真が全面に広がり、「現代語訳・古代神皇伝」というタイトルも書かれていた。新しそうな本だ。

 それをエーデルの目の前に置くと、ゆっくりと最初のページを開けた。

 

「あなたはもうおツル婆さんのところで、富士古文献の原本の印影本、つまり、ッ写真に撮ったったものを製本したものを見たとのことですけれど、これがその内容の現代語訳です」


 たしかにこの本は手書き文書の写真版ではなく、普通の活字だ。しかも古代語ではなく現代語に直されているというけれど、やはりまだエーデルの手に負えそうもなかった。


「古文献は今から一世紀ほど前にその内容のダイジェスト版が活字で出版されたんですけれど、もう絶版になりました。その時のタイトルが『神皇伝』で、これは、そう、二、三十年か前に現代語訳されて出版されたのがこれです。その前にあなたがご覧になった例の写真版が出ましたけれど」


 写真版は、この国の人でも見てもさっぱりわからないだろう。


「この文献は古事記のようにひと続きの物語ではなくて、いろいろな資料が集められたものです。先ほど行った神社の宮司さん、そこも宮内ですから我われは『本家さん』と呼んでますけど、その本家さんに代々伝えられていたもので、箱に入って天井の梁に固定されて、とても大切な宝物だから何か有事の時には何をおいてもこれを持ち出すよう、そして箱の中は決して開けないようにときつく言い渡された上で代々伝えられてきたものです」


「でも、今は開けられたのですよね」


 そうでないと、この文献の内容は世に伝わってはいないはずだ。


「百五十年ほど前に本家さんの家が火事で焼けましてね、言い伝え通りその時の家族が箱を持ち出しまして、そしてその時点ですでにこの国は近代国家になっていましたからもう昔の迷信は信じる必要ないと、みんなして箱を開けたら古文献が出てきたということでしてね」


「その時の箱は?」


「本家さんのお屋敷の庭にそれ専用の小さな蔵を建てましてね、その中に納められています」


 エーデルは話を聞きながらも、目の前の本のページをめくった。やはりぱっと見ではいくら活字でも、そして現代語でも、何が書いてあるかわからない。

 わからないまでもエーデルは興味深げにしみじみと、その活字の列を見ていた。


「まあ、しかしこの古文献は、偉い先生方の研究によって、近代になってから書かれた偽物だってレッテルを張られてしまいましてねえ」


 宮内は目を伏せて苦笑した。


「乱暴な話です。すべての古記録は現物ではなくて今の世に伝わっているのは書き写したものです。昔は印刷はありませんから、文書はすべて手で書き写して広めたものです。源氏物語だって、枕草子だって、平家物語だってみんなそうですよ。書いた人の筆跡による原本なんて残っていません。古事記だってそうです。この書物だってそうでしょう。それを、文法が口語文法になっているとか、近代の用語が使われているとかでニセモノ扱いですけれど、そんなのは書き写した人が間違えたり故意に口語に直したのだと考えればいいことではありませんか」


「つまり、この文書は書き写したもので、その元の文書があったということですね」


「そういうことになります。今はそれがどこにあるのか、全くわかりません。この富士神都が富士山の噴火や火災によって焼かれて消滅したときに失われたんでしょうな」


「富士山が噴火?」


「はい、富士山は火山ですよ。今は火山活動はしていませんけれど、昔は何度も大噴火をした記録があります。この文書にもそのことは記されています。富士山の北の麓には大きな湖と小さな湖の二つの湖があったと記載されていますけど、今は富士山の噴火の溶岩によってそのうちの大きい方の湖は四つに分割されて、今は五つの湖になっています」


「ほら、三か月前に」


 それまで黙って聞いていた松原が、沈黙を破った。


「初めて僕の車で見に行ったあの湖が、その五つの湖のいちばん西の湖です」


「ああ」


 エーデルは感慨深そうにうなずいた。


「ところで、富士シント……何ですか?」


「それについては、この文書にかかれている内容をお話ししないとお分かりにはならないでしょう。お読みになることは難しいと思いますから、私がお話ししてもいいですか?」


「はい、お願いします」


 もともと、エーデルがここへ来た目的はそれなのだ。


「少々お時間をいただきますけれど」


「だいじょうぶです」


「あ、足はお楽になさってください」


 たしかにかなりしびれてきて、足の感覚もなくなりかけていたエーデルだったので、この一言はありがたかった。そこで少し足をずらして、横座りにした。


「お読みになった『古事記』では天之御中主神あめのみなかぬしのかみから始まって、高御産巣日神たかみむすびのかみ神産巣日神かみむすひのかみと次々に神々様のお名前だけが記されて、そして伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミの神様の代になって初めて具体的にこの国がどのように生まれたかが記されていたでしょう?」


「はい。だいぶ簡単ですね。私の民族の『トーラー』では、唯一絶対の神が七日にわたってこの世と人類を創造されたとありますけれど、一日一日の記載はもう少し詳しいです」


「そうでしょう。でもこの文書によると、その伊弉諾の神様よりも前がものすごい分量なのですよ。とても詳しく書かれています」


 エーデルは息をのんで、思わず身を乗り出して、宮内の次の言葉を待った。

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