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暁の歌、響け世界に2 《空の巻》  作者: John B. Rabitan
第5部 農業バイト
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6 苦節三十年

 数日後の別の機会の時は、「ハウス」の中の食堂で昼休憩の時にもおじさんはその境遇を語ってくれた。


「あの土地はなあ、ずっとメロン畑だったんだけどよ、毎年毎年強い農薬と化学肥料を使い続けて、もう何も作物は育たねえってくらいやせた土地になってた。農薬を毎年使うと、年々土が硬化して、ある年を境にもう作物は育たなくなる。それでも当時は化学肥料とか農薬とかを大量に使うことを国を挙げて推奨していたし、それが常識だと思われてた。そこで俺が目をつけたのが有機農法で、ちょうどこの土地を買った頃に国もそのガイドラインを制定し始めた。それでもまだ、風当たりは強かっただ」


 聞いている俺たちは皆、息をのんでおじさんの言葉をかみしめていた。ここでも話しているおじさんの目は遠くを見ていた。


「とにかく土がカチカチだった。それを何とか耕したもんだ。でも最初はこの今の広さ全部を耕すこともできねえで、そのごく一部から作付していったけれど、当然作物は全然育たねえ。近所の農薬や化学肥料使ってる畑の作物はみんな青々と茂ってるから、本当にこれでいいんかと挫折感ばかりが強かっただよ。でもそんなときにな、日本全国が冷害のために米がほとんどとれねえ年があったんだ。江戸時代だったら大飢饉で、たくさんの死者が出ただろうね」


「あ、平成米騒動ですね。日本史の時間に習いました」


 俺が口を挟むと、おじさんは苦笑した。


「俺にとっちゃついこの間のことなんだがねえ、それが日本史か。天明の大飢饉も平成米騒動も同じ扱いなんだな。でも、平成の時は天明の飢饉の時のような死者は出なかった。それはなぜだ?」


「米を外国から輸入したからですね」


 谷口さんが答えた。


「んだ。貿易があるから救われた。だどもなあ、そんでいいのかって俺は疑問だった。サラリーマンだった頃から思ってた疑問、もっと日本は食料を自給できるようにしなきゃいけねえんだ。自給自足の食料流通システムなんつうと大げさだけんども、とにかく俺は発奮した」


「でも、風当たりは強かったんですよね」


 今度は最年長の根岸さんが言う。


「んだ。国はようやく有機農法の研究を始めたとはいっても、世間はまだ農業には農薬と化学肥料というのが常識だった時代だ。おらほうの作物が全くできないのを見た近所の農家は、『農薬も化学肥料も使わずに作物が育つわけねえ』ってあざ笑うしよ、頭おかしいんじゃねえかって完全に馬鹿にされてた。今でこそ国挙げて有機農法を推進し、スーパーには有機農法の作物の商品が並んで、消費者も競ってちょっとくらい高くても有機農法の作物を購入しようという時代にようやくなったけんど、そこまでの道のりは長かった」


 またみんな、無言でおじさんの言葉を見つめた。


「作物は育たねえ。育っても全部虫が食っちまう。そこで俺もいろいろと試行錯誤したさ。それでいろいろ調べてたんだ。今のようにネットなんかねえから、足であちこち歩き回って、研究書とかも手に入れて読んで、それでいろいろ試したりして気が付いたのは、堆肥をまだ完熟していないうちに土に混ぜていたってことだ。やはり有機農法の基本は土作り、土作りは堆肥作り、そして作業する俺自身のあり方、つまり人造りだ。さらには堆肥を入れるために掘る土の深さが、世間一般で言われている深さでは全然だめだってこと。普通は二十センチくらいしか掘らねえけんど、俺は四十センチ掘って堆肥と混ぜた。それでようやく作物の収穫高も徐々に上がっていった」


「人造りってどういうことですか?」


 俺がまた、質問をした。


「俺は最初、人間が作物を育てるっちう不遜な考えだった。でもそうじゃねえんだ。自然が作物を育てる。人間はその手助けをさせていただくんだ。そう思いが切り替わったのも、ちょうど作物の収穫が増えていったきっかけかもしんねえ。そういう考えの人を作る、人造りだべ。だから俺は作物には愛情を注ぐ、畑にも土にも微生物さんにも感謝を忘れねえ。愛とまことで言葉をかけるようにしたんだ」


「虫さんに食べられていたってことは、農薬を使わないでどう解決したんですか?」


 初めて佐藤君も聞いた。たしかに今作業している畑では、作物が虫に食べられているという様子はなかった。


「いい質問だ。午後の作業の時に、いいものを見せてあげよう」


 果たして午後の作業では最初に、俺と大翔君と佐藤君の三人だけ畑の隅の一角に連れて行かれた。そして俺はそこで見たものに驚いて「あっ」と声を挙げてしまった。

 その五メートル四方の一角の作物は見事に葉が虫に食われて、すべてボロボロだったのだ。


「最初にこの畑のすべての虫さんに大声で声をかけたんだよ。『虫さん、虫さん、もしここの作物の葉や根を食べたければ、この一角に虫さん用の野菜のコーナーを設けましたから、ここの作物を食べてください。でも、それ以外の作物は食べないでください』ってね。それを一日三回、一ヶ月ほど続けたら、見事に虫さんたちはこの虫さん用の作物だけを食べて、ほかは食べなくなった」


「ええっ」


 この話を初めて聞く俺と佐藤君は思わずまた声を挙げた。そんな魔法のような不思議なことがあるのだろうかと思う。

 戻りがてらにおじさんは、キュウリが巻き付くべき棹を求めてツルを伸ばしているところに出くわした。


「見てろ」


 おじさんは俺たちにそう言ってから、そのキュウリに向かって自分の人差し指を伸ばした。


「キュウリさん、まずはこの指に巻き付いてけろ」


 すると驚いたことに、すぐにキュウリのツルはおじさんお指に巻き付いた。俺はもう開いた口がふさがらなかった。こんなことがあるものかと思う。でも、あった。


「もういいよ、キュウリさんの巻きつくのはこの棹だ」


 するとまたキュウリのツルはするりとおじさんの指から離れて、その棹に巻き付いた。


「おじさんは魔法使いなんですか?」


 佐藤君がきょとんというので、おじさんはまた大笑いをして歩きだした。


「とにかく、この畑でまともな収穫ができるようになるまで十年かかった。そして今の広さにまで作付を広げるのにまた十年。確実な流通経路を確保するまでまた十年。長い道のりだったよ。俺の頭もすっかり白くなっちまった」


 おじさんは立ち止まった。そして畑の方を見た。そして首を傾げた。


「でもまだ、何か足りねえ。無農薬と無肥料、有機肥料に愛情と言葉がけ、でもまだ何かあるだろう。そう思っていたら」


 そして大翔君をおじさんは振り向いてみた。


「何やら毎朝、佐藤君と二人でこの畑におまじないをしてくれているね」


 ハッとした顔を模したのは、二人同時だった。


 大翔君が頭を下げた。


「知っていたんですね。ごめんなさい、勝手なことをして」


「いや」


 おじさんはまた笑った。


「もしかして足りねえものって、それだったんじゃないかという気がしたんだ」


 話に取り残されている俺は、ただ首をかしげていた。

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