4 愛情と言霊
こうして何回か往復するうちに、なんとなくコツはつかみかけた。でもまだ慣れない。
でも、きついとか重いとか臭いとか、そんな悪想念を出してはいけないと、すでにくぎを刺されている。
厩舎に積んであったボロを回収し終わると、ようやくその作業は終わりのようだ。
「ほかの牧場は、ボロは金払って処理業者に持って行ってもらってる。ここはうちが使わせてもらっているんで、おら方にとっても向こうにとっても双方の得だっぺ」
おじさんは高らかに笑っていた。
「ほかには牛糞を使うところもあるし、ここでもボロに鶏糞を混ぜる」
「人間のはダメなんですか? 昔は肥溜めとかあったって聞きますけど」
江戸時代とかは人間の排せつ物を流さずに溜めておいて、肥やしとして畑にまいていたなんて話も聞いている。
「ああ、ダメダメダメダメ。人間は何を食べてっかわかんねえから。昔はまだ自然のもの食べてたけど今は加工食品とか添加物とか農薬いっぱいの野菜とか、そんな毒まみれの人間の糞なんか畑には使えねえ」
またおじさんは、さらに高い声で笑った。
運搬作業が終わったからといって、作業は終わりではない。
今度はそのボロを藁に混ぜ合わせ、さらにもみ殻と鶏糞を混ぜる。そうしてホースで少し水をまいて湿らせ、堆肥用の先が爪となっている鍬で積み上げていく。
しかも驚いたことに、何か作業を始める前には使用する農具をまずは地においてそれを囲み、例えば今から使うのが鍬なら、その鍬に大きな声で言葉をかける。
「鍬さん、いつもありがとうございます。これから使わせていただきます。よろしくお願い申し上げます」
ちょうど畑に入るときに畑と作物に挨拶をするのと同じだ。そうしておじさんはまず見本にと、鍬で馬糞の混ざった藁を積み上げていく。
「こうしてだな、何ヶ月かに何回か切り返したら木の囲いを作っだ。切り返すたびにバクテリアなどの好気性の菌が繁殖して熱を帯びてくる。そうして半年ぐらいで完熟してくるかな。最初は臭いしハエさんもたかるけど、だんだん完熟するうちにいい匂いになってきてミツバチさんや蝶々さんが集まってくる」
たしかに、木の囲いの中の完熟したという堆肥からはいい匂いがした。
「完熟した堆肥を土に混ぜると、土の中のものすごい数の微生物さんたちが堆肥を食べ、土を分解して熱を発して土が柔らかくなる。そこへ作物が根を張るだよ。でも、その堆肥と土を混ぜる時に土を耕す作業は、人の手でやんなきゃなんねえ。今の耕運機は爪の長さが足りなくてせいぜい二十センチしか掘れねえ。本当に作物が根を張る四十センチほどの深さまでは掘れねえんだ。だから手作業で掘っていって、堆肥と混ぜる」
それが、これから俺たちがやる作業の一つにもなるのかなあと、俺はぼんやりと考えていた。
「今の農家はどんどん農薬をまいたり化学肥料を使ったりして、虫さんだけでなくてありがてえ微生物さんや土を耕してくれる自然の力であるミミズさんまで殺してしまう。ミミズさんが作物の根を食べるなんて、とんだ迷信を信じてるやつもいる。ただ、ミミズが多ければいいってわけでもねえので、その辺は難しいとこなんだが」
いろいろとおじさんはレクチャーしてくれるが、鍬で草を積み上げながらの作業をしながら聞いているから、八割くらいしか頭に入らない。
「まあ、今覚えなくてもいい。作業を通してだんだんと身についていくから」
おじさんはまた大声で笑った。
「そろそろ朝食にすんべ」
堆肥になる草と馬糞を積み上げる作業がひと段落したら、おじさんはビニールハウスの方の作業員の方にも声をかけた。もう日も高くなっている。六時から始まった作業だが、今は八時だ。
ビニールハウスからは先輩作業員たちが引き揚げてきたけど、驚いたことにみんなはだしだった。そのあと畑の脇の蛇口で足を洗って手ぬぐいで足を拭き、ようやく靴下と靴を履いている。
先輩たちは俺たちが寝泊まりしているロッジのようなおじさんの家をも「ハウス」と呼んでいて、その「ハウス」へとぞろぞろと引き上げていった。
食事は昨日と同じ食堂で。おじさんの奥さん、つまりおばさんの手作り。でも、昨夜の夕食もそうだったけれど洋食ベースだ。今朝もトーストにゆでたまご、そして新鮮なサラダだった。
朝食の時間は優に一時間とってあり、くつろぐことができた。そして、九時からは俺たちも畑での作業となった。
早朝と同様に畑さんに大きな声で挨拶してから畑に入る。そしてその時、大翔が俺と佐藤君に小声で言った。
「そういう指示があったわけではないけれど、先輩たちはみんな自発的に靴を脱いではだしで畑に入るんですよ。僕たちも倣いましょう」
そんなやり取りをおじさんが聞いていた。
「はだしになるとな、足が直接土に触れるから土の気を吸収することができる。健康にもいいぞ」
そう言って、おじさんは笑う。なんだか一日中笑い続けているような明るいおじさんだ。
「まずは畝の草を抜いてくれ」
それがおじさんからの指示だ。
「雑草を抜くんですね」
農薬を使わないだけに、雑草の除去も人の手なんだろう。
「雑草なんて草はねえぞ」
これまでと同じ笑顔だけれども、おじさんの声は幾分厳しさがあった。
「雑草なんて人間の都合でそう呼んでっけど、そんな名前の草はねえだろ。生物学者だった天皇陛下もそうおっしゃってた」
今の天皇陛下が生物学者だなんて聞いたことがない。おじさんが言う天皇陛下とは、おそらく昭和天皇のことらしい。
「どんな草もみんなそれぞれに名前があるし個性があるんだ。でも作物以外の草さんには、作物を、例えばキュウリさんならキュウリさんを作るため申し訳ないけれども抜かせてもらいますから、別のお役で役に立ってくださいって愛情たっぷりに声をかけて、感謝の心で抜かせていただくんだよ」
「草に言葉をかけるんですか?」
「大事なことだ。例えば畑で元気のないキュウリさんがあっても、これはもうだめだと思ったら本当に枯れてしまう。つらいけどがんばれよって言霊をかけてあげると、だんだんと元気になっだ。これは俺の体験だけど、今度は自分で体験してみるといい」
「言霊?」
「言葉には力がある、そしてその人の想いが乗る。そして相手に影響を及ぼすんだ。だから、畑の中では悪想念を出さないのとともに、悪い言霊も禁物だべ」
なかなか厳しい世界でもあるようだ。
靴を脱いではだしになると、暑いけれど足の裏がひんやりとして気持ちがいい。暑いといってもこのへんの暑さは、湿気が少ないせいかすがすがしい暑さなのだ。考えてみれば俺は、たとえ靴を履いていたとしても、普段の生活で土を踏むなどということは全くない生活をしていた。ほぼアスファルトの上しか歩いたことはない。
こうして昼までキュウリの収穫作業をし、長い昼休みをはさんで、午後から夕方までは収穫したキュウリの梱包と「ハウス」の隣の倉庫への収納という作業だった。俺たち三人と先輩の作業員の合同での作業だったからかなりの量を収穫したけれど、畑の広さに比べればまだ全部の収穫にはあと数日かかりそうだった。
それが終わったらトマトだという。
最初の一日はこうしてあっという間に過ぎた。
おそらくこれからも一日一日があっという間に過ぎるだろうと、俺は感じていた。




