3 陽光輝く農園
朝の作業は早い。
まずは早朝六時からひと仕事、それが終わってから朝食で、朝食の後もまた作業。ただし午前の作業は十一時に終わるというので、そのとは休憩と昼食。また昼休みは長く、午後の作業は二時から。それが五時までだという。すると実働七時間だ。
時給九百円で×七、×週六日で単純計算で月約十五万以上になる。しかも、その間の食費が不要なのだから、行き帰りの新幹線代含む交通費を差し引いてもまあまあなところだと思う。さらには日常的にお金を使う必要がない、いや使いようがないのでたまる一方だ。
最初はそんなことを計算しながらこの仕事に入った俺だったけれど、翌日からはさっそく作業が始まった。
ただ驚いたのは、朝の作業の始まりに、従業員一同畑の縁に整列し、おじさんを先頭にしてまぅは大声で畑に挨拶するのだ。作業はそこから始まる。
横一列に並んだ俺たちから見て、畑の向こうははるか遠くだ。そんな向こうにまで聞こえるくらいの大声で叫ぶ。もちろん周りに民家はないから、どんな大声で叫んでも近所迷惑などということは一切ない。
「畑さん、土さん、その中の微生物さん。そして作物のキュウリさん、トマトさん、レタスさん、そしてもろもろの虫さん、おはようございます」
おじさんのその言葉に続いて、俺たちが声を合わせて同じ言葉を繰り返す。
「いつもありがとうございます。今日も作業をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます」
それから作業に入る。
折しも俺たちの背後から朝日がさっと畑全体を照らし、まさしく陽光に照らされた農園って感じで畑が光って見えた。
まずはキュウリとトマトの収穫だが、それよりも先に収穫後の土地にすぐに使えるように堆肥作りから先にしておくのだという。収穫作業はそれからだ。
おじさんはまず畑に入る前に、俺たち三人の短期作業員を自分のそばに呼んだ。先輩の長期作業員はもう自分の作業に入っている。あの人たちの朝食前の朝の作業はハウス内作業が主流だそうだ。
「まんずは、畑に入るときの心得を言っておくから、よく覚えてけろ」
おじさんはゆっくり話し始めた。
「とにかく畑さんにも作物さんにも、感謝と愛情を注いで作業をする。畑に入るときは一切の悪想念は捨てること」
「悪想念って何ですか?」
佐藤君が質問をする。おじさんは笑って答える。
「つらいとか、疲れたとか、暑いとか、早く終わんねえかなあなんていう不平不満、それから作物さんに対しても、こりゃ生育がよくねえな、だめだななどと思うこと、そういうのが悪想念。つまりは感謝と愛情以外の想念はすべて悪想念だ」
「ええ? 思うだけでもいけないんですか?」
「よくねえな。作物によくねえ影響を必ず与える。まして言葉に出したりしたらなおさらだ。キュウリさんもトマトさんもいじけてしまうだべ。だから、心に悪想念が生じたときは、とにかく急いですぐに畑から出ること。これがひとつ」
大翔君が大きな声で「はい!」と返事をするので、俺と佐藤君もそれに倣った。
「あと、畑の中でも畝は作物さんの家だ。畝を踏んだりあるいは跨ぐだけでも失礼だべ。決して畝は跨がねえこと」
「「「はい!」」」
こうして大きな声で返事をすると、すがすがしいものだ。
「ではさっそく堆肥作りの場所に移動」
俺たちはおじさんについて畑の中央付近にある、あの木の囲いがいくつかある場所に行った。ここは作物は栽培しておらず、堆肥のためだけの広場のようだ。
「この木の囲いの中はいい匂いがすっぺ。この中の堆肥はもうほとんど完熟していて、すぐにも使える。でもあと少し今から作っておく必要があるんだ」
おじさんにそう言われて初めに俺たちがとりかかったのは、全く新しく一から作る堆肥だ。その広場にはすでに大量の干し草が積まれていた。
「大翔、そこの猫で牧場からボロもらってきてくれ。みんなも一緒に」
「はい」
大翔君は近くにあった手押しの運搬用一輪車の取っ手を持った。猫とはこの一輪車のことのようだ。これが猫車、略して猫というらしい。
俺と佐藤君も猫を押して大翔君の後に従った。まだ空だからすいすい進む。
畑を出たところの木立の合間の小道を抜けると、隣接して牧場があった。たくさんの馬が放牧されている。その小屋へと大翔君は声をかけた。
「おはようございます、今日もお願いします」
すると、作業着の若い男性が笑顔とともに出てきた。
「ああ、おはよう。おや? 新顔?」
俺と佐藤君のことのようだ。
「はい。一人は僕の友達で、もう一人は大学生のアルバイトさんです。二人とも今日が初日です」
大翔君はこのお兄さんとはすっかり顔なじみのようだ。そのあと、木造の小屋に入っていった。そこは事務所が片隅にあるけれど、大部分が馬を飼育する場所だ。
「ああ、ここ、馬小屋なんだね」
俺がつぶやくと、大翔君は笑った。
「ま、そうですけど、馬小屋とは言わないですね。厩舎っていうんです」
そして、作業着のお兄さんに大翔君は言った。
「今日もボロ、お願いします」
「ああ、よろしく。助かるよ」
ボロって何だ? と思っていると、その厩舎の隅に積んであった悪臭を放つ茶色い物体の山……つまり馬糞が積んであるところへと猫を押して大翔君は行った。そしてなんと素手でその馬糞をどんどん猫車に積み始めた。
「新司、おまえもやれ。山下さんもお願いしますよ」
佐藤君の下の名前は新司というらしい。俺たちがためらっているのを見て、大翔君は笑った。
「汚くはないですよ。馬は藁しか食べてませんからね。しかもこのボロはもう乾燥してますから」
ボロって何だろうと思っていたら、どうも馬糞のことのようだ。
俺は恐る恐るそのボロを手で抱えて、猫に積み始めた。佐藤君もそうしている。
猫がいっぱいになったら、それを押して戻る。今度はかなりの重量で取っ手を持ち上げたらよろめき、まっすぐに進めるまで時間がかかった。やはり慣れが必要のようだ。
進むのもかなり力が必要で、しかもちょっと油断をすると猫ごと横転しそうになる。
堆肥広場に着くとおじさんは広げた干し草の上にそのボロをまくように言った。
これが、この農園に来て俺が最初にやった仕事だった。




