1 友達か彼女か
俺の大学は前期・後期の二期制ではなく、第1から第4までの四つのタームによる四期制だ。
七月の最終週が第2タームの期末試験だが、語学などは最終授業の日が試験になることも多い。
いずれにせよもう夏休みの足音が近づいている。高校よりも夏休みに入るのが遅いけれど、その分夏休み明け、つまり第3タームの授業開始は九月末だ。
この日も陽ざしが容赦なく降り注ぐ暑い日だった。
いつもなら自転車を飛ばしていくところだけど、今日はチャコが迎えに来てしまったので、仕方なく一緒にバスに乗った。乗車時間はほんの数分だ。
バスはそのまま大学の構内にまで乗り入れる。その正門の内側のバス停からは、俺たちの学部の校舎はすぐだ。
「どう? できそう? 英語」
隣に立っているチャコが聞いてくる。
バスは駅から乗ってくる学生でほぼ満員で、途中から乗った俺たちなど当然のこと座れない。
「受験時代だったらできてた問題も、どんどん忘れていくよな」
「そうそう、単語とかも『あ、この単語の意味、覚えた』ってことは覚えてるんだけど、肝心のその意味が思い出せない」
「それな」
車内はかなり混んでいるので、俺とチャコの半袖から出た腕が時折触れ合うくらいに密着している。
でも相手がチャコなら気にならないし、チャコとて同じように気にしていない。それにまだ朝だから、互いにそれほど汗はかいていない。
チャコだからというよりは、女の子だから…かもしれない。
あの大規模同人誌即売会では、汗だくの男オタクとすれ違うたびにはだけた腕の肌がべっとり触れ合うなんて日常茶飯事で、あれだけはどうしても不快だ。
でも汗だくの男ではないだけにチャコの腕など触れても何の問題もない、いや、むしろうれしい。
大規模同人誌即売会といえば、今年もまた間近に迫っている。当然のこと、今年も参戦するつもりだ。
去年も受験生であったにもかかわらず、これだけは外さなかったのだ。しかも今年は去年よりもずっと会場が近くなった。だからこの即売会が終わるまでは、俺は帰省するつもりはない。
「チャコは帰省するんか? って、帰省しようもないな」
言ってしまってから俺は苦笑する。チャコは大学の仲間の中でも珍しく自宅通学だ。だが、そんなに近いわけではなく、毎日JRを乗り継いで片道一時間半かけて通学している。一限から授業がある日などは、七時前に家を出ているそうだ。
今日などは駅から学校までのバスをわざわざ途中下車してくれて、俺のアパートに寄ってくれた。だからもっと早く出ただろう。
「そうしないと康ちゃん、また遅刻するでしょ。普段も遅刻、得意なんだから」
「たしかに。でもモーニングコールしてくれって頼んだだけで、来てくれとまでは」
「スマホ、マナーモードにしてたら起きないじゃん」
バスを降りると、むっとした暑気が襲ってくる。そんな時、同じバスに乗っていたらしい仲間の佐久間があとから降りてきて、俺たちをつかまえた。ひょろっと背が高い男だ。
「よ、朝からラブラブだな」
佐久間はそう言ってニタニタ笑う。
「いいな、公認カップルは。俺も彼女が欲しい」
「あのねえ」
校舎までのキャンパス内の道路をほかの学生の群れと一緒に三人で歩きながら、構内の樹木からは蝉の声がもう始まっているのを耳にした。
「彼女じゃないって。友達」
「そうかあ? おまら、いつも一緒にいるじゃん。今日だって一緒に来てるし」
チャコは黙って笑いながら歩いている。そんなチャコに聞こえないように彼女の反対側に来た佐久間は、俺の耳元で囁いた。
「おまえら、バス、途中から乗って来たよなあ。あそこ、おまえのアパートがあるところだよなあ。いつもチャリ通のおまえが今日は朝倉と一緒にあそこからバス……ああ、なるほど、そういうことか……」
また佐久間はニタッと笑う。
「違うってば。ガチで今日チャコは朝に俺を迎えに来てくれただけなんだってばよ。俺が寝坊して遅刻しないように」
「そうかそうか、今日のところは騙されといてやろう」
「やべえ、間に合わねえぞ」
俺はわざと話をそらして、腕時計を見た。
「あ、まじでやべえ」
佐久間もスマホの画面の時刻を確認して、三人で走り出した。
たしかに俺も、チャコは俺の何なんだろうと思う。
友だちであることは間違いないし、俺の中ではほかの男の友達と気持ち的に何ら区別はない。いわば「仲間」の中の一人だ。
異性であるということはほとんど意識はしていない……と思う。
でも確かに、あの正面衝突という衝撃の出会い以来、いつも俺のそばにはチャコがいる。
授業の時はたいてい男同士、女同士で固まって座るものだけど、俺の隣はいつもチャコだ。
日曜なども一緒に遊びに行くことも多い。もちろんいつも二人きりというわけではなく何人かでということも多く、その中にチャコもいるという感じだ。ほかの女子がいることもある。
でも、二人きりで出かけることも、考えてみたら結構あった。
俺として、例えば佐久間などを誘うのと同じような感覚でチャコを誘っている。
動物公園や遊園地にも行ったし、アウトレットパークでの買い物にも付き合っている。鉄道博物館や公園を二人きりで散策することも多い。
昼食も毎日一緒だ。そして夜もLINEのやり取りや時には昼間ずっと一緒にいたのに長電話したりする。
「そういうのをカップルっていうんだよ」
佐久間やほかの仲間の声が聞こえるような気がする。
でも、俺たちはどちらかがコクって、「付き合ってください←OK!」なんてやり取りは一切していない。互いを恋人だとは意識していない。俺もチャコを彼女だとは思ったことないし、チャコも俺を彼氏とは思っていないだろう、たぶん。
だから、縛られているということは全くない。
実家の隣に住んでいる幼馴染で後輩の富永裕香なんかは受験生のくせにしょっちゅう電話かけてくるし、その友達の宮﨑愛菜と俺をくっつけようという目論見はまだあきらめていないようだ。
夏に帰省したら納涼祭である「さくらがわサマー童里夢フェスタ」の花火大会に俺を連れだしてそこで愛菜と引き合わせようとしてるらしい。そのへんの情報は妹の美羽もLINEで知らせてくれる。
俺は実は迷惑どころか、ひそかにそれを楽しみにしていたりもするのだ。
もちろんそんなことも、何ら隠すことなくチャコに話しているし、チャコも機嫌よく聞いてくれている。もしチャコが俺の彼女だったら、そうはいかないだろう。
たしかにチャコと一緒にいると楽しいというのは事実だ。
でもそれだけで、チャコに対して特殊な感情は持っていないし、これからも持たないだろうと思う。
別にチャコに異性としての魅力ないわけではない。めちゃくちゃかわいいとは思う。だけどもチャコと恋愛関係になるなんてことは、いちばんあり得ないと思う。
そういう状況のまま、でもそれでいいのだと俺は割り切って日々を暮らしていた。




