009 出席確認in異世界
目を覚ますと、まだ外は暗いままだった。
イニティは温暖な気候ではあるが、さすがにこの時間は涼しい。
もっとも、ここには柔らかい布団はおろか、体を覆うタオルケットすらない。
そんな中で、シルキィは自分に抱きついて眠るフウカの体温が、心地よくて仕方なかった。
(まつ毛長いなあ……肌も綺麗だし。私なんて荒れ放題なのに)
睡眠も食生活も不安定な毎日。
おかげで適応力と体力はついたと思っているが、代わりに失ったものは多い。
(落ち着いて暮らせるようになったら、フウカはもっと綺麗になるのかな。そうなったら毎日血を飲ませちゃいそう)
ふいに昨日の吸血姿を思い出して、シルキィはフウカの体をちょっと強めに抱きしめた。
「んぅ……」
するとわずかにフウカが呻く。
シルキィは『私のせいで起こしちゃった?』と不安になったが、実際はとっくに目覚める直前だったのだ。
薄っすらと開いた瞳が彼女に向けられる。
寝起きのフウカは気の抜けた笑みを浮かべると、滑舌の甘い発音で「おはよ」と告げた。
その無防備な表情に、シルキィはどきっとする。
(リラックスしすぎだって。こんな表情、私以外に見せたら大変なことになるよ?)
彼女は心の中でそう文句を言ったが、それはお互い様である。
◇◇◇
その後、すっかり目が覚めた二人は何か使えるものが無いかと、小屋の物色を行った。
廃屋ではあるが、家具の類は放置されている。
もっとも、棚に入っているのは割れた食器だったり、破れた衣服だったりで役に立つものはほとんど無いのだが、中には使えなくはない掘り出し物も残っていた。
「フウカ、そっちは何かあった?」
「錆びているがナイフを見つけた。念の為持っておくか?」
「そだね、丸腰よりはそっちのほうがいいかも」
シルキィは武器としてではなく、旅での必需品の一つとしてナイフを持ち歩いていた。
それがクリドーに利用され、殺人の濡れ衣を着せられてしまったわけだが。
さらに物色を続けていると、シルキィは顔ほどの大きさの板を見つけた。
「わっ、これギルドにあるやつだ」
「ジョブスキャナか。ここの家主は冒険者ではなかったようだが、それ以外にも欲しがる人間は多いからな」
最も重要視されるのは戦闘職だが、非戦闘職のジョブも将来の仕事を決める際に重要な要素となる。
ゆえにジョブスキャナは民間人でも保有していることがあった。
さほど値段が高くないことも、普及している一因だろう。
シルキィは試しに板を握ったまま、魔力を流してみた。
流入した魔力を解析し、文字へと変換、それを表面に浮かび上がらせるという仕組みだ。
【ジョブ:逃亡者】
【レベル:20】
【習得スキル】
『逃走確率100%』
『逃走時身体能力向上』
『逃走経路確保』
『絶命回避』
『』
『』
シルキィの背後から抱きつき、フウカもそれを覗き込む。
「レベルも上がってるし、スキルも増えてる!」
「やはり穴を掘ったり、光が見えると言っていたのは『逃亡者』のスキルだったんだな」
「でも前まではレベル10だったんだよ? そんな急激に上がるのかな」
「脱獄とアングラズから逃げたことが大きかったんだろう。しかし……妙な空白が二つあるな」
「ギルドで調べたときも同じこと言われたよ。たぶん不具合だろうって言われたけど」
「こんな使い古された魔法に不具合が起きるとは思えないがな」
「私も違和感はあるんだよね。レベルが上がったからスキルを覚えたっていうよりは、必要に応じて使えるようになったような気がするっていうか……ほら、アングラズの攻撃を逸らしたことあったでしょ?」
「昨日のあれだな。驚いたぞ、素手であの重い一撃を受け流すとは」
アングラズも驚いて当然である。
素人同然だと思っていた相手が、一切のロスなく完全に攻撃の軌道を変えたのだから。
「あれもね、振り下ろされる直前に光が見えたの。『ここに手を置け』って」
「あの瞬間、スキルが目覚めたということか」
「それが『絶命回避』なんじゃないかな。文字の雰囲気からして、死ぬときにしか使えないみたいだけど……」
確かにアングラズの攻撃をまともに受けていたら、シルキィの体は左右真っ二つに割られていただろう。
「『逃走成功率100%』というスキルは、最初から覚えていたのか?」
「それだけはね」
「まるでそのスキルの文言を成立するために、他のスキルが生まれているみたいだな」
「そういうこと、なのかな?」
『逃亡者』というジョブの詳細はわからないし、調べたって出てくるものではない。
もしフウカの言葉通りの能力だとするのなら、レベルが上がるほどに空白が増え、窮地に対処できるということになる。
だからといって、いつ、どんな形で習得できるかわからないスキルに、命を預ける気にはならないが。
「……お?」
そのとき、不意にフウカが声をあげる。
どうやら何かに気付いたらしい。
シルキィは不思議に思い、彼女の目線を追った。
「あ……レベル21になってる」
「上がったのはたった今だ」
「今も逃げてるから上がったのかな」
「つまり手配されている限り、シルキィは逃げ足が早くなっていくと――」
てっきりそう思い込んでいた二人。
だが、レベルが上がった原因は別にあった。
「このあたりで間違いないんだろうな?」
「見失った位置と目撃情報からして、おそらくは」
「無人の建物に隠れてるのかもしれねえ。しらみつぶしに探すぞ!」
「はっ!」
突然、外からシルキィたちを探すアングラズの声が聞こえてきた。
相手が隠れているとわかっているのに大きめの声で話すあたり、かなり冷静さを失っていると見える。
「そういうことかぁ……」
シルキィの口角がひきつる。
二人は息を殺し、建物の裏口へ向かう。
「空気の流れで脱走に気づく男だ、ドアを開くのも慎重にな」
「うん……声は遠ざかったよね」
「表の入り口の方へ向かったようだ」
「今なら――」
キィ、と僅かにきしませながら古い木製のドアを開く。
出た先は、ありふれた道。
左右を確認――早朝のため人影はない。
それが逆にまずかった。
おそらくは人が動いた空気の流れから察知したのだろう――遠ざかっていたアングラズは、猛スピードでシルキィたちに接近してくる。
彼からしてみれば、これが彼女たちでなくとも問題はないのだ。
不穏な気配がしたので、逃げられる前に様子を見に向かう、ただそれだけで。
そしてダンッ、と強く大地を蹴る音で二人はそれに気付いた。
(逃げなきゃ。道標はどっちに――)
シルキィの瞳に移る、光の道。
それはなぜか、前方の家の上へと向かっていた。
(嘘じゃん……飛べってこと?)
どうもそういうことらしい。
他に逃げ道は無いのかとスキルを恨むも、相手はアングラズだ。
突拍子もないルートでないと逃げられない――そういう判断を下したのだろう。
シルキィは『ついてきて』と目でフウカに伝える。
そして駆け出すと、建物の前で膝を落とした。
(もうっ、なるようになれッ!)
その瞬間――空白になっていた『逃亡者』のスキルが目覚める。
『逃走時跳躍力上昇』。
身体能力向上だけでは不可能な、地上から数メートルの高さまでの跳躍が可能となる。
(ひえぇええっ、飛んでるっ! 本当に私、飛んでる!)
自分で飛んでおきながら、その高さが怖い。
フウカはシルキィのジャンプ力に驚きながらも、魔力消費で脚力を強化し、後に続いた。
そして屋根の上に着地すると転がり、奥に移動する。
その場で二人、息を潜めてアングラズの様子を伺った。
「誰もいねえだと……」
現場に到着した彼の前にあったものは、無人の道と、開いたドアだけ。
「足音もしねえ。どこに逃げやがった」
そんな彼の元に、置いていかれた部下が駆け寄る。
「隊長、急に走り出してどうしたんですか」
「二人分の怪しい気配がしたんだよ。どうやらこの建物の中にいたらしいな」
「手配犯がいたということですか?」
「おそらくな。ドアの中を見てみろ、新しい足跡が残ってる」
そう言って、彼は扉を開き、部下と共に建物の中に踏み入れる。
そのタイミングを見計らい、シルキィとフウカは別の建物の屋根に飛び移り、無事に逃げおおせた。
◇◇◇
「シルキィには驚かされてばかりだな」
「私もびっくりしたよぉ! あんな高さまで飛ばされるなんて!」
自分で飛んだくせに涙目になるシルキィを見て、フラウは「ははっ」と声を出して笑った。
そんな穏やかな会話を交わす二人だが、現在進行系で目的地に向かって走っている途中だ。
目指すはクリドーが宿泊している宿。
幸い――と言っていいのかわからないが、屋根の上を飛んで移動することもできるようになってしまったので、表からではなく人の少ない裏口に直で向かうことができるようになった。
時に見回りをする衛兵から身を隠し、時に横を通り過ぎるというスリルを味わいながら、どうにか宿の裏に到着する。
そしてフウカが扉に耳を当てた。
「話し声は聞こえないな、まだ寝静まっているようだ」
「ドアは鍵かかってるよね?」
「おそらくは――」
彼女はドアノブをひねる。
すると何の抵抗もなく扉は開いた。
「……開いてるな」
「不用心だなあ。それともこのあたりでは鍵をかけないのが普通なの?」
「裏口ぐらいは閉めていると思うが。幸運だったと思おう」
まんまと宿に忍び込んだ二人。
どうやら裏口は宿の主人の居住スペースのようだ。
生活感漂う部屋を抜け、次の扉を開くと、今度は広めの部屋に出る。
並べられたテーブルと椅子――宿に併設された酒場だ。
といっても規模はあまり大きくなく、食事も軽食を提供する程度らしい。
ここにも人の気配は無い。
シルキィが先導し、クリドーの部屋の前まで移動する。
再びフウカが耳を当て、中の様子をうかがった。
「こちらも声はしない――それどころか寝息も聞こえてこない」
「もう逃げてるのかもね」
「調べるだけ調べてみるか」
無人の部屋には鍵はかかっていなかった。
中はベッドが一つだけ配置された、よくあるワンルームの宿だ。
ベッドや棚の上には、クリドーの私物らしき荷物が放置されている。
部屋の奥には窓があったが、開くとすぐに隣の建物の壁があるという欠陥っぷりだ。
ひょっとすると、外から見えないという意味でクリドーにとっては都合が良かったのかもしれないが。
「慌てて逃げたようだ」
「私に復讐されることを怖がってるのかな」
「オーグリスも一緒だという情報が流れているからな。それは怖いだろう」
「ああ、そういうのもあるんだ……」
「怯えないのはシルキィだけだと言ったろう? 名前だけで震え上がるよう、この国の人間は子供の頃からオーグリス絡みの怖い話を聞かされているんだ」
人喰い鬼の伝説――それはおとぎ話にするには、あまりに都合のいい題材だ。
アザルド国にとっても、自分たちの非人道的な行為のいい隠れ蓑になってくれる。
国中に広まるのも当然といったところだろう。
「しかし……さすがに貴重品は持ち出しているようだな」
「あっ、これ!」
「何か見つけたか?」
シルキィが引き出しの中から発見したのは、綺麗に手入れされたナイフだった。
「私の使ってたナイフ! でもカバンに入ってたのは押収されたはずなのに、なんで……」
「貸してもらっていいか?」
フウカはシルキィからナイフを受け取ると、柄をまじまじと観察する。
さらには指で触れ、使われている革の材質を確認したようだ。
「本物だな」
「偽物とかあるの?」
「ああ、アザルト中で流通している。本物は有名な工房で作られた品だからな、それなりに値が張るんだ。シルキィが買ったときはどうだった?」
「冒険者になりたての頃、最初に所属したパーティで、道具はケチらないほうがいいって言われたの。だから奮発して買った覚えがあるかな」
「ならこのナイフがシルキィの持ち物だ。おそらくクリドーは同型の贋作で犯行を行い、本物と入れ替えたんだ」
「じゃあ殺した時点で、私に罪をなすりつけるつもりだったんだ……」
偽物とはいえ、見た目はほぼ変わらず、重さも同じだ。
パーティを追い出されたのは急なことだったし、シルキィが気づかないのも仕方がないことだった。
「とっさに押し付けられても嫌だけど、用意周到なのはもっと嫌だなぁ」
「小賢しい男だ。しかし、どこに消えたのか手がかりは残っていなそうだな」
「なら先に、はっきりわかってることから確認しよっか。クリドーは偽物のナイフをこの街のどこかで買ったはず、その商人に話を聞けば無実を晴らす物証が見つかるかも」
「偽物……闇市か」
イニティの街は、お世辞にも治安がいいとは言えない。
アングラズのような乱暴者が必要になったのも、それが理由の一つかもしれない。
中でも特に治安が乱れているのは、各地から売られてきた人間が働く風俗街。
闇市もそこから遠くない場所にある。
領主から許可を得ずに商人たちが営業する闇市は、まさに無法地帯であり、贋作以外にも盗品や怪しい薬品なども扱われているという。
定期的に取り締まりは行われているが、衛兵に賄賂を渡せば見逃されることも多い。
「と言っても、私は詳しい場所まで知らないんだけど」
「問題ない、何度か世話になったことがある」
闇市は、偽物をぼったくり価格で掴まされる危険性がある一方で、素性の知れない相手にも商売をしてくれるという利点がある。
できるだけ顔を隠して取引がしたいフウカにとっては、好都合な場所である。
「そうだ、シルキィもこの宿に泊まっていたんだろう? 荷物が残ってるんじゃないか?」
「それは大丈夫、大事なものは持ち運ぶようにしてるから……捕まったときに取られちゃったけど」
二人は小声で言葉を交わしながら部屋を出た。
そして外に出ようとした瞬間、フウカは足を止め、前に出ようとしたシルキィを手で制した。
フウカは廊下を覗き込む。
視線の先には、暗闇の中で左右に揺れる人影があった。
「誰かいるの?」
「ああ、私たちに気付いた様子はないが……この部屋、窓から出られないのが厄介だな」
クリドーがここにいれば、逆に逃げ道を塞げたのだが。
ひとまず立ち去るのを待つ二人。
だがふらふらと揺れるばかりで、その女は動こうとしない。
それから数十秒――じっと息を潜めて機を待ち続けていると、付近の扉が開く。
「そんなところにいたのか。こんな朝っぱらに起きてどうしたんだよ」
出てきたのは、同室に宿泊していた男のようだ。
彼は立ち尽くす女性の肩に手を置いた。
彼女はゆっくり男のほうを振り向くと――
「は……うわあぁあああっ!」
男はなにかに驚き、飛び上がるように女から距離を取った。
その拍子に背中を壁に打ち付け、尻もちをつく。
女はそんな彼に覆いかぶさると、顔を近づける。
「くっ、来るな! 来るなあぁぁああああっ!」
叫ぶ男。
そこでようやく、二人は後ろ姿しか見えなかった女の横顔を捉えることができた。
赤い。
女の顔――正確には輪郭より内側が、赤い何かで構成されている。
絵の具を塗られているわけでもなければ、血で汚れているわけでもない。
筋肉がむき出しになってもいない。
顔がくり抜かれて、そこに顔の形をした別の何かが詰め込まれているのである。
「わ、私の妻をどこにやった! お前は誰なんだ!」
「だれ……だれ……?」
男の問いかけに、女――否、化物は動きを止める。
左右にカクカクと首を振りながら、「だれ? だれ?」と繰り返す。
奇妙なことに女性の体だというのに、その声は男のものだった。
そして首を何往復かさせたあと、急に右手をまっすぐ上に伸ばす。
「はい! 市りつおお熊こぅとお学校1年しー組から来ました! 長谷川ト申します!」
はきはきとした声でそう告げた化物は、伸ばした腕を振り下ろし、男の顔を鷲掴みにする。
そのまま体ごと頭を持ち上げた。
「あ……あがっ、が……っ」
男は足をばたつかせ抵抗するが、ビクともしない。
やがて指がずぶりと頭蓋骨に沈むと、化物は素早く腕を後ろに引いた。
「お世わになりマす、よろしくおネがいします!」
顔が引きちぎられる。
声もなく床に打ち捨てられ、絶命する男。
シルキィとフウカは、信じられない光景を目の前で見せつけられ、戦慄していた。
割り込んで助けようという考えすら浮かばない。
それほど異常だったのだ。
ただし――二人が抱いた恐怖は、それぞれ“理由”が異なる。
「何だ、あの化物は……」
フウカは、突如として現れた異形に、まっとうに恐れおののく。
一方でシルキィは――
「嘘だ……あれが、長谷川くん……?」
それが見覚えのある顔だと気づき、魂の奥底から怯えていた。