006 死中に逃げ道を見い出せ
用水路の中はひたすら暗く、じめっとしており、漂う臭いも相まって、長時間居座りたい場所ではない。
それでもいつ殺されるかわからない牢屋に比べれば、遥かに心休まる場所だった。
「さすがに明かりが無いのは厳しいな」
「足元気をつけてね」
フウカはシルキィの上着の裾を握り、ゆっくりと歩いている。
かつて整備に使われていたのか、魔力で灯る明かりが点在している用水路だが、古いためかところどころで光源が途切れてしまっている。
そういうところは、シルキィのスキルに頼って歩くしかなかった。
「しかし……私を連れ出して本当によかったのか?」
「フウカこそ、私みたいな凶悪犯によく付いてきてくれたね」
「それは濡れ衣なんだろう?」
「そう信じてくれるフウカだから、一緒に行ったら何か良いことありそうだなって思った」
「何となく……か。そうだな、私もシルキィと話していると、そんな気がしてくる」
「気が合うね。この街から抜けたら、行き先はどうしよっか。フウカの家族の手がかりとかってあるの?」
「無い……というより、限りなく死んでいる可能性が高い」
フウカはそこから、オーグリスが滅びた理由をぽつぽつと語り始めた。
「私たちオーグリスは、できるだけ人を襲わないように、山奥で暮らしていたんだ」
「魔力が欠乏しても、それ以外で満たす方法があるの?」
「人間同様に時間が経てば自然回復できる。あとは互いの血を分け合ったり、魔物の肉を食べたりだな」
「血以外は人間の魔力回復と変わらないんだ」
「だからオーグリスだけで生活は完結していた。だがある日、集落にアザルド軍が攻めてきて、私たちを全員拉致してしまった」
「拉致? 何でそんなことを」
シルキィは狩られたと言っていたものだから、てっきりその場で殺されたと思っていた。
だが実際の事情は、もっと複雑である。
「そもそもオーグリスは、元は普通の人間だったんだ」
「えっ、そうなの? だった、ってことは……」
「アザルド軍は戦力を求め、魔力が優れたとある民族を拉致し、その魔力の放出量を向上させる器官を埋め込み兵士を作った」
空いた方の手で角に触れるフウカ。
どうやらそれが、魔力を強化する器官らしい。
「しかし激しすぎる魔力消耗の副作用として、人食衝動が生じてしまった。アザルド軍はそれすらも戦略に組み込み、手術を受けてオーグリスとなった人間を、敵国の国や基地に投入して破壊活動を行わせていたんだ」
「じゃ、じゃあオーグリスは、この国が生み出したってこと?」
「そうだ、だが強すぎる力は戦争が終われば不要になる。私たちの大半は処分され、わずかな生き残りが人里離れた山に逃げ込み、ひっそりと暮らしていた。人里に戻ろうにも、人喰い鬼の噂はとうに国中に広まっていたしな」
ここまで聞いて、シルキィはフウカが言っていた『二世代目』という単語の意味がわかってきた。
オーグリスに改造された人々同士で子を成し、生まれてきたのがフウカだったのである。
「で、暮らしていたところを……軍がわざわざ攻め込んで、連れて行っちゃったんだ」
「オーグリスが生み出された施設と同じ場所にな」
「まさかまた、戦争に利用するために?」
「強力な戦力を手に入れ、国王の地位を確固たるものにするため、と私は予想している。ここ何年か、イニティや周辺を治める貴族の動きがきな臭いと噂が出ているからな」
「フウカのお母さんたちは、その施設で……」
「別の部屋に収容されたから、どうなったかはわからない。私が集めた情報では、彼らは非戦時中でも問題なく保持できる戦力を求めていた、とのことだが……」
戦争に食人衝動を利用しておきながら、戦後に邪魔になったので、今度はその問題点を解決した兵器へと作り直す。
これが道具ならまだわかる。
だが相手は人だ。
とてもではないが、人間がやる所業だとは思えない。
シルキィは強く拳を握り、怒りをあらわにした。
「そんなの許せない。アザルド軍は身勝手すぎるよ!」
「私もシルキィと同じ気持ちだ。だが――一人ではどうしようもない。私はただ、母を弔いたいだけなのだが」
「でも、二人ならできるかもしれない」
先ほどからシルキィが、そうやって『力になる』と言ってくれるたびに、フウカは胸にきゅっと締め付けられるような感触を覚えていた。
誰かが味方になってくれる。
ただそれだけで、こんなに心が暖かくなるものかと思い知らされる。
「さっきから私の事情ばかり話しているな。シルキィにだって旅の目的があるんじゃないのか? 『逃亡者』は戦闘職では無さそうなのに、冒険者をしているぐらいだ」
「まずは濡れ衣を晴らすところから、だよ。クリドーに会って真相を確かめないと」
「そのあとは?」
「んー……故郷に帰りたいって気持ちはあるかな」
「遠いとは言っていたが、戻れない事情があるのか? その……夢にうなされているとき、『生き残ってごめんなさい』と言っていたようだが」
フウカは気まずそうに言った。
どうやら寝言を聞いていたのはシルキィだけではなかったらしい。
「そんなこと言っちゃってたんだ。実を言うとさ、私とフウカって境遇が同じなんだよね」
「アザルド軍に連れ去られたのか?」
「うん、友達と一緒にね。それで施設に閉じ込められてた、実験材料にするために」
「では同じ施設に……!」
「それはわからないけど、そこから逃げ切ったのは私だけ。他のみんなはどうなったのかわからない」
「逃げたのは、いつ頃なんだ?」
「二年ぐらい前かな。すごい偶然だよね、時期もフウカと同じなんだから」
そう言ってシルキィが笑うと、フウカが足を止める。
彼女は服の裾を握ったままだったから、シルキィも一緒に止まることになった。
「フウカ?」
彼女はしばらく黙り込んだかと思うと、ふいにシルキィの手を握る。
「もしかすると……私たちが出会ったのは、運命なのかもしれない」
そして、急にそんなことを言い出した。
大真面目な顔をして。
「運命かなぁ。似た者同士だとは思うけど」
「私はそう思うことにした。この出会いを神に感謝するよ」
シルキィは「大げさだなぁ」と笑い、再び歩きだす。
なぜか手は繋いだままだったが、服を掴もうが手を繋ごうが大差ないので、気にしないことにした。
◇◇◇
しばらく歩くと、ようやく外の光が見えてくる。
「出口だー!」
思わず声をあげて喜ぶシルキィ。
しかし鉄格子の扉には板が打ち付けられており、彼女の力で開くのは難しそうだ。
彼女は申し訳無さそうにフウカのほうを見る。
「お願いしても……いい?」
「力仕事は任せてくれ。ただし、あまり力を使うと……」
「血がほしくなる、だよね。いいよ、私の血ならいつでも吸って」
そう言ってシルキィは首筋を見せ笑う。
するとフウカはほんのり頬を染め、そこに立ち尽くした。
「……フウカ?」
フウカは慌てて顔をブンブンと左右に振り、頬をぺちぺちと叩いた。
そしてシルキィの肩に両手を乗せると、力強く言い聞かせる。
「そんな言葉、私以外に言ってはいけないぞ? 大変なことになるからな!?」
「う、うん……血を吸わせるのはフウカだけだから、フウカ以外には言わないよ?」
「そういうのがまずいと言っているんだ!」
「はあ……わかった」
なぜフウカが興奮しているのか、シルキィはさっぱりわからない。
無自覚ゆえの暴力的色気とでも呼ぶべきか――とんでもない言葉を、さも当然のように明るい表情であっさり言い放つその落差に、フウカの心臓は高鳴ってしまったのだ。
運命めいたものを感じた直後なだけに、さらに威力が高まっている。
高ぶる感情を落ち着けようと、彼女は扉に近づき、釘で打ち付けられた板をべりべりと剥がす。
「二年も一人旅だったというのに、あれでよく無事だったな……」
ぶつぶつとそんなことを言いながら。
全て剥がし終えると、錆びついてガタガタになっていた扉は、ギィと音を立てながら勝手に開いた。
「ありがとっ」
フウカの気も知らず、無邪気に礼を告げるシルキィ。
こうして二人は用水路から脱出した。
そして外に出た彼女たちを待っていたものは――
「やっと出てきたか。お散歩は楽しかったかい?」
ハルバードを担いだアングラズだった。
彼は即座に二人に向けて刃を振るう。
「外の空気は十分吸っただろう。観念して死ねよなぁッ!」
殺意に一切の迷いは無い。
その鋭い斬撃は、フウカはともかくシルキィは視認するだけで精一杯である。
だが勝手に体が動いた。
腰を抜かしたと言ったほうが正しいかもしれない。
しかし過程はどうであれ、結果的にアングラズの攻撃は当たらず、空を切る。
「また避けやがったか、強盗殺人女!」
「その言い方はひどいよっ! それに何でこの場所が!」
「古い地図を引っ張り出して調べたんだよ! あと口答えすんじゃねえ!」
続けて二撃目。
今度は完全にシルキィに狙いを定めた攻撃だった。
「やらせるものか!」
フウカはアングラズに向かって飛び込み、拳を振るう。
彼は攻撃を中断し、それを回避した。
「邪魔するな、化物が!」
そして体勢を持ち直すと同時に、今度はフウカを狙った横薙ぎの一閃。
彼女が後ろに避けたところで、穂先による鋭い刺突を放つ。
(こいつ、やはり見た目以上に動きが疾い!)
フウカは体をひねり、避けるので精一杯だった。
余裕が失われた。
それはつまり、シルキィを守れないことを意味する。
「もらったぜ。断罪は俺の手で行う! 今、この場でな!」
振り上げられる斧槍。
陽の光に照らされた刃をシルキィは見上げる。
それは彼女の首を刈り落とすべく、勢いよく落下し――
「シルキィッ!」
フウカの声が響く。
シルキィはその瞬間、死を覚悟した。
それと同時に、“光”を見る。
先ほどまで、自らの逃走経路を導いてくれたあの光だ。
それが、接近するハルバードの先端付近で曲線を描いているのだ。
(そこに触れればいいの?)
導かれるまま、シルキィは手を伸ばした。
斬撃に自ら腕を捧げるような、明らかな自殺行為だ。
だからこそアングラズは戸惑う、何が狙いだ――と。
そして指先と刃が接触する。
鋭く磨かれた鋼鉄は、少女の指をそのまま斬り落とすかと思われた。
しかし、滑るように軌道が変わり、避けていく。
その様は、まるでハルバードがシルキィから逃げているようであった。
「何ィッ!?」
驚愕の声をあげるアングラズ。
彼の渾身の一撃は、その威力の全て――100%を受け流され、石畳の地面を砕きながら突き刺さる。
思いっきり振り下ろしたその反動が彼の体を襲い、大きくバランスを崩す。
すかさずフウカが接近し、
「もらった、でやぁああッ!」
腹部に膝蹴りを叩き込んだ。
アングラズは「ご、ぶっ」と口から飛沫を散らしながら吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「さあシルキィ、今のうちに!」
地面にへたりこんだままのシルキィに、手を差し伸べるフウカ。
「う、うんっ!」
二人の手はすぐに繋がれた。
シルキィは引っ張られる形で立ち上がり、彼女たちは並んでイニティの町並みに消えていく。
(今のも『逃亡者』のスキル? 威力を“逃した”ってことなの?)
スキル『衝撃逃避』――いつの間にか、そんな能力がシルキィに加わっていたらしい。
というよりは、『逃走成功率100%』を成立させるために、必要に応じて“目覚めた”と言うべきか。
「待ち、やがれ……人殺しどもがぁ……ぐ、うぅ……」
オーグリスの膝蹴りをまともに食らったアングラズは、腹を押さえたまましばらく立ち上がれない。
彼は遠ざかっていく罪人たちの後ろ姿を、ただ睨むことしかできなかった。
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