005 導く光
その日も、シルキィは黙々と穴を掘り続けた。
掘り進めるほどに効率も上がっていき、すでに3メートルほど奥まで進んでいる。
(私のこの穴掘りが『逃亡者』のスキルのおかげだとして――じゃあ逃げるために穴を掘ってるうちに、ジョブのレベルが上がることもあるのかな)
ジョブのレベルを見るには、教会やギルドに行く必要がある。
だが実際、彼女のレベルは10から12に上がっていた。
そして『逃走確率100%』の他、『逃走時身体能力向上』、『逃走経路確保』のスキルも付与されている。
しかしこれらスキルは、レベルが上がったことにより習得したものではない。
例えばクリドーのジョブ『勇者』の場合、2レベル、もしくは3レベル上がるとスキルが増える。
習得数の多い『勇者』ですらこのペースなのだから、2レベル上がった程度で『逃亡者』が2つもスキルを覚えるわけがないのだ。
これは『逃亡者』の特異な性質によるものであるが――シルキィがそれを知る由もなかった。
とにかく今は、穴を掘って逃げることで頭がいっぱいだ。
(この調子で行けば、あと少しで、どこかに出られそうだけど)
この頃には、水の流れる音がはっきり聞こえるほど大きくなっていた。
――間違いない、この先には空間がある。
彼女はそう確信する。
そこが外に繋がっているかはわからないが、牢獄から別の場所に出ることはできそうだ。
「シルキィ、そろそろ見回りが来るぞ」
穴の入り口付近で、フウカが呼びかける。
「わかった、すぐ戻るね」
そう言って、シルキィは最後の一振りを壁に突き刺した。
すると――
「……あ、通った」
わずかだが、向こうの空間と穴がつながる。
さらに素早く何度かスプーンで叩くと、開いた穴がさらに広がっていく。
「急いでくれ、シルキィ!」
フウカが若干焦った様子で呼びかけた。
シルキィはひとまずスプーンをそこに置いて、牢屋に戻る。
そしていつものように、寝たフリで兵士をやり過ごした。
「さすがに危なかったぞ」
「ごめん。でも穴の先がどこかに繋がったの」
「本当か!?」
「あと少し広げたら抜けられると思う」
フウカは心から嬉しそうに頬をほころばせた。
「おめでとう。いつ気づかれるかわからないからな、早く脱出したほうがいい」
自分のことのように喜び、シルキィを送ろうとするフウカ。
だがシルキィは、やはり彼女がここに捕らえられていることが納得できていなかった。
「ねえフウカ……一緒に行かない?」
「私のことは考えなくていい」
「もしかしたら、家族もどこかで生きてるかもしれないし!」
「……なぜそれを」
「寝言で言ってたから。未練が無い人はあんなこと言わないよ」
どんなに自分に言い聞かせたところで、ごまかせない感情はある。
もう無理だと、諦めたと言ったところで、心のどこかでは奇跡が起きることを期待しているのだ。
「もう2年も同族に会えていないんだ。どんなに私が望んだところで、無理な話なんだよ」
「だからって死ぬことはない……ううん、売られたら死ぬよりもっとひどい目に会うかもしれないよ?」
「構わない」
「そんなの私が嫌だ」
「わがままだな……だったら、一緒に母を探してくれるのか?」
試すようにフウカは言った。
その視線は冷たく突き放すようでいて、どこか寂しげでもある。
シルキィは胸に手を当て、真っ直ぐに彼女の目を見て答えた。
「うん。私も探しものがあるから、旅しながら一緒に探そう」
そう言って、枷が付けられた手を差し伸べる。
かっこつかないな、とシルキィは思ったが、フウカには響いたらしい。
彼女は不安そうに目を揺らして、再び聞き返す。
「本当にいいのか? 私は人喰い鬼だぞ?」
「違うって信じてる」
「たった一日でよく信じられるな」
「そうだね。フウカは信じられないぐらい美人さんだから、一目惚れかも」
「なっ、どういう理由だそれは!」
「ふふふっ、冗談だよ。でも信用できるって思ったんだ、私の勘がそう告げてる」
あまりにあてにならない勘だという自覚はある。
だが今回ばかりは、それに賭けてみたくなった。
そんな何気ないシルキィの選択は――しかしフウカにとって、大きな救いとなったらしく。
彼女の綺麗な瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。
「っ……本当に変なやつだな、シルキィは……」
「そ、そんな泣くほど変!?」
「はは、これは違う。嬉しいんだ。ずっと……人間扱いされたことが、なかったから。シルキィみたいな人に、出会えたことが……」
シルキィは、そう特別なことをしたつもりはない。
悪人に投獄された二人が、正当に外に脱出しようとしているだけなのだから。
だが同時に、きっとこの行動は、ここで暮らす人々にとっては“ありえない”ことなんだろうと理解もしていた。
ぐしぐしとフウカは手で涙を拭う。
そんな彼女を見て微笑むシルキィ。
そして二人の元に近づく、男の足音――
「感動話か? 俺も混ぜてもらいたいものだな」
フウカは真っ赤な目で彼を見上げる。
「アングラズ、何か用か?」
「いや――大したことはない」
そう言って、アングラズは背負ったハルバードを両手で掴み、構えた。
「ただ少し“風の流れが変わった”のを感じただけだ」
彼は斧槍をその場で振り回す。
「おぉぉおぉおおおッ!」
「シルキィ、危ないっ!」
フウカはシルキィに向かって飛び込み、そのまま抱きかかえて牢屋の奥まで移動した。
その間に、アングラズが起こした刃の嵐は、鉄格子をバラバラに切り刻んでいた。
「どんな方法を使ったか知らねえが、穴ァ空けやがったな。逃げようったってそうはいかねえんだよ!」
「嘘……気付いたの? 見てもないのに!」
「あの男は普通じゃないんだ、それよりシルキィ!」
フウカはシルキィの手枷を、素早い手刀で破壊し取り外す。
先に逃がそうとしているようだ。
だがシルキィはより確実に逃げるため、あえて先頭を譲る。
「フウカが先に行って、急いで穴を広げて!」
意図を理解し、返事もせずに急いで穴に飛び込むフウカ。
それに続くシルキィ。
「逃がすかよ! 死ねェ!」
「ひっ!」
振り回された斧槍が、とっさに仰け反ったシルキィの鼻先をかすめる。
(偶然――いや、反応して避けやがった!?)
ただの性悪女――そう思って舐めていたアングラズは、その動きに少し驚く。
その間にもシルキィは穴に飛び込んでいた。
前を行くフウカは、一番奥までたどり着くと、オーグリスの力を使って両手で出口を砕き開く。
「く、おぉおおおおッ!」
野性味のある声をあげ、人が通れるサイズまで広がった穴から脱出する。
前が開いたのを確認すると、続いてシルキィも前進した。
「どこに行きやがる! 罪人は罪を償ええぇッ!」
アングラズの腕がシルキィの脚に向かって伸ばされる。
彼女は必死に足を動かし振り払い、出口の淵に手をかけた。
だが同時に、彼の手がシルキィの指を掴む。
「シルキィ、私の手を!」
先に脱出したフウカが手をのばし、シルキィの腕を掴む。
そして力ずくで引っ張った。
「行かせるかあぁぁぁあああッ!」
雄叫びをあげるアングラズ。
「く、ああぁぁぁあああッ!」
シルキィもまた、指を握りつぶされ、骨を砕かれる痛みに耐える。
そしてようやくフウカのいる空間に出ることができた。
彼女たちは一緒にバランスを崩し、地面に尻もちをつく。
「いっててて……ありがと、フウ――ひっ!?」
その瞬間、穴の向こうからズボッとハルバードの柄の部分が頭を出した。
「クソが、なんでこんなに穴が狭いんだよ! 行くんじゃねえ、殺したんなら正当な罰を受けろぉおおお!」
怒り狂ったアングラズの声が聞こえてくる。
もちろん彼の体躯でこちらに出てこられるはずがないのだが、その執念はシルキィに恐怖を植え付けるには十分だった。
「フウカ、早くここを離れよう」
「そうだな。歩けるか?」
「なんとか……うん、歩くだけなら問題ない」
激痛は走るが、この程度の怪我なら冒険者にとっては日常茶飯事だ。
シルキィは足を引きずるようにして、フウカと共に歩きはじめる。
牢屋から脱出した先には筒状の通路が延々と広がっており、床には水が少し流れていた。
アングラズの声が聞こえなくなったあたりで、フウカが口を開く。
「用水路のようだな」
「古いね……」
「すでに使われていないのかもしれない。まさか掘った先にこんなものがあるとは」
「用水路ってことは出口もあるだろうし、そっちに向かおう」
「方角がわからないんじゃないか?」
「それは大丈夫」
今のシルキィには、道が“視えて”いた。
スキル『逃走経路確保』のおかげだ。
「私にはわかる。たぶんこれ、逃げるために必要な経路が、光になって視えてるんだと思う」
「『逃亡者』のスキルということか?」
「どうしようもないジョブだと思ってたけど、初めて持っててよかったと思ったかも」
それが最大限に発揮されるのが、犯罪者になったおかげだから、というのが喜べないポイントだが。
こうして二人は、静かな地下水路をひたすら出口に向かって歩いていくのだった。