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029 命を愛しく思うからこそ

 



 明日香がシルキィに語りかけている間に、ルーシュはファムの手を掴み部屋からの脱出を試みる。


 明日香の視線は動かなかったが、左腕がその背中を追った。


 ルーシュは自己強化の魔法をかけ、それを弾き飛ばそうとしたが、そこにフウカが割って入る。




「させるかあぁああッ!」




 魔力を込めた渾身の蹴りが繰り出される。




(く……この重さ、まるで巨木のようだ!)




 見た目と釣り合わない圧倒的なパワーに驚きながらも、歯を食いしばり、限界まで力を込める。


 明日香の腕はルーシュをかすめ、壁に激突した。




「早く逃げろ!」




 命の危機を前に一瞬だけ放心状態になったルーシュだが、フウカに急かされ、ファムと共に廊下を駆け抜けた。




「逃げられた。まあ、後でいいかな」


「あの二人は関係ないはずじゃ……」


「これでもオーグメントは軍の機密事項だから。私を見た人間は全員殺せって先生に言われてるんだ」




 先生が誰のことなのか、聞こうという気分にすらならなかった。


 だがどうやら、ここでシルキィが自ら身を差し出しても、フウカやルーシュ、ファムが助かるという結末にならないことは理解できる。




(まずは……あれを試すしかない)




 アングラズは死に、シルキィたちは最大の武器を失った。


 だが、まだできることはある。


 シルキィの目には、建物の外に続く光が見えているのだから。




「じゃあ殺すね」




 明日香の右腕が振り上げられる。


 隙間から現れた顔たちが、嬉しそうに「黒川さん」「繭ちゃん」「待ってたよ」と湧くのが聞こえた。


 そしてその腕を、シルキィに向かって叩きつける。


 幸いことに、その速度は目に見えないほどではない。


 シルキィを潰す感触を堪能したかったのだろう。


 だが視認できてしまった以上――たとえ相手が怪物だろうと、『逃亡者』の力は発動できてしまう。


 彼女が伸ばした手がわずかに明日香の腕に触れ、まるで水のように受け流される。


 そしてズドン、と床を叩き砕いた。


 シルキィはその隙に横に飛ぶと、フウカと共に部屋を飛び出す。




「今の……繭ちゃんが? はは、すごい、すごいよ繭ちゃん!」




 一人残された明日香は、目を輝かせながら無邪気に喜んだ。


 愛する親友の勇姿を、誰よりも近くで見られたことに。


 そしてすぐさま、虫のような四足歩行でシルキィを追いかける。




「そうやってこの世界で生き延びてきたんだね。ねえ繭ちゃん、私、ずっと心配だったよ。知らない世界で、魔物なんて化物もいる場所で、どうやって繭ちゃんが生き延びていくのかって。2年も経ったら、変わり果ててるんじゃないかって」




 壁や床を砕きながら、猛スピードで迫る明日香。


 フウカとシルキィは、一心不乱に前に向かって走った。


 ルーシュとファムはすでに脱出を終えている。


 二人も出口までもうすぐ――というところで、赤い液体で胴体と繋がった首が、ぬるりと一瞬で追い越し、目の前に現れる。


 口が裂け、舌が伸び、不揃いに並んだ牙を見せつけるように、シルキィに食らいついてきた。


 彼女は再び『逃亡者』のスキルで受け流そうとしたが、




「でえぇぇぇええいッ!」




 それより先にフウカの踵落としが頭頂を叩く。


 その衝撃で勢いよく口が閉じ、外にでろんと伸びていた舌が千切れた。




「ひどいな。私は繭ちゃんのかっこいい姿が見たかっただけなのに」




 攻撃を邪魔され、少し落ち込んだ様子で胴体の元まで戻る明日香の頭部。


 そしてようやく、シルキィたちは外への脱出に成功した。


 血の匂いがしない、綺麗な空気を肺に取り込み、体が少し軽くなった気がする。




「フウカ、こっちに!」


「ああ!」




 二人は真正面の建物に向かって走り、高く飛び上がって屋根の上に登った。




「本当にかっこいい……繭ちゃんっ、素敵だよ。嬉しいの、変わらないでいてくれて! 私の大好きな繭ちゃんが、変わらないまま成長して、そこにいてくれて!」




 瞳に涙を浮かべる明日香は、さらに彼女たちより更に高く飛び、頭上から押し潰す。


 シルキィとフウカは前に向かって飛び込んで避けると、転がりながら地面に降りた。


 そしてすぐさま走りだす。




「あいつは……本当に正気なのか」




 明日香の声を聞いて、フウカも次第に理解する。


 そこにあるのは狂気だとか、憎悪ではない。


 純粋な好意だ。


 確かに戦闘中に話すようなことではないし、知らない人が聞けば気が狂れたと思われるかもしれない。


 だが、フウカには理解できる。


 それが、彼女がシルキィに向けるものと同種の感情なのだと。


 そして――シルキィ自身も、それを理解している。


 走りながら苦しげに顔をしかめているのは、体力の限界が来ているからではない。


 本当は明日香の主張が正しいのではないかと思い始めているからだ。




「シルキィ、まさか諦めようとしているのか? 頼むよ、死を受け入れないでくれ。一緒に生きるって言ったじゃないか!」


「でも……でも私がもっと早く命を差し出していれば、アングラズさんは」


「戦士はいずれ戦場で死ぬ、あの男は強者との戦いで命を落として後悔する男ではないッ!」




 フウカが言っていることもわかる。


 “だが”、“それでも”と、シルキィの感情は素直にそれに従おうとはしない。


 目の前で知人の死を目の当たりにしてしまったから。


 そして、自分の中にあるものの“在り方”を、今の明日香の姿を見て知ってしまったから。




(あの腕を見られたら、なんてものじゃない。フウカは、私の本当の姿を見たら、絶対に……)




 別にフウカが悪いわけじゃない。


 誰だってそうなる。


 要は、原因はシルキィの体にオーグメントが埋め込まれていることにあるのだ。


 それが解決しない限り、シルキィは素直に自分の命を肯定することができない。




「あの人、アングラズっていうんだ。ああいう生き方も、一つの正解だよね」




 明日香が再び高く飛び上がり、今度は頭上から無数の触手を伸ばす。




「チッ、この量は――」


「多すぎる、捌ききれない!」




 フウカは力ずくで振り払い、シルキィは光の導きに従い、触手に触れて動きを変えながら、隙間を抜ける。


 だが雨のように降り注ぐ触手を前に、完全な回避は不可能だ。


 致命傷は避けたものの、体には無数の傷が刻まれる。


 切り傷などという甘いものではない。


 その触手は、触れた部位の肉をえぐり取っていくのだ。


 さらに、そのまま明日香は二人の前方に着地し、道を塞ぐ。




「特に、私たちみたいな命にはね。そうだよね、繭ちゃん!」




 彼女は両腕を重ね、巨大な一つの肉の塊に変える。


 赤い血の糸で繋がったそれを頭上で振り回すと、勢いそのままにシルキィたちに向かって叩きつけた。




「フウカ、右ッ!」




 二人は同時に高く飛び上がり、またしても建物の上へ。


 直後、その民家の壁に肉塊は衝突し、建物そのものが崩れ始める。


 傾く屋上を必死で駆け抜けるシルキィたち。


 無事に向こうの道に飛び降りられる――そう思った瞬間、シルキィのつま先が屋根のくぼみに引っかかる。




「シルキィィィィッ!」




 フウカは必死で彼女の手を掴むと、引き寄せ、抱き上げ、高く飛び上がった。


 腕の温もりの中で、シルキィは、遠心力で速度を増し迫る明日香の脚部に気づく。




「危ない!」




 すぐに声をあげたが、時すでに遅し。


 フウカは腕でのガードが精一杯だった。


 生身で受け止めた結果、シルキィの目の前でフウカの腕がありえない方向に曲がる。


 そして二人はそのまま吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。


 砂埃を巻き上げながら転がるフウカ。


 シルキィはその腕の中で守られ、最小限の傷しか負っていない。




「フウカぁ……ごめん、私のせいで!」


「これしき、問題は……ないッ!」




 腕はだらんと垂れ下がり、口の端と鼻から血を流しながらも、すぐにフウカは立ち上がる。


 そして歯を食いしばりながら、今までと変わらぬスピードで走りだした。


 シルキィは彼女の身を案じながら、隣を走る。


 砂埃は結果として二人の身を隠し、わずかながら明日香との距離を離す猶予を与えた。


 その隙に、シルキィたちは周囲の民家よりも一回り大きな建物の前にたどり着いた。


 二人は同時に飛び上がり、平らな屋上にあがる。


 そして飛び降りようと向かいの縁まで到達したとき、ようやく明日香が同じステージの上に上がってきた。


 改めて外で見ると、胴体から切り離された手足が、赤い血のような糸で繋がれてる姿は異様だ。


 体には制服を身につけているし、顔も変わらず明日香のままなものだから、滑稽さと恐ろしさの狭間にある、狂気めいたものを感じさせる。


 彼女と向かい合うシルキィとフウカは、体中傷だらけで、互いに支え合うように身を寄せ合いながら、肩で呼吸をしていた。




「少しずつ、繭ちゃんの心が私のほうに傾いているのを感じる」


「渡すものか」




 フウカは前に出て、両手を広げた。




「連れて行かせはしない。シルキィは私のものだ!」


「大胆だなあ。もし私があなたみたいな人間だったら、もっと早くに繭ちゃんと付き合えてたのかな」


「仮定の話など意味はない。お前がシルキィの幸せを望むというのなら、大人しく見逃してくれ! 殺したって幸せになんてなれない!」


「なれるよ。ううん、むしろ私たちには、死ぬ以外に幸せになる方法なんて無いの」


「なぜ言い切れる」


「だって、本当はこんな世界にいるはずないんだもん。歪んでるんだよ、私たちの存在は」




 アザルド軍は、この世界の勢力図を塗り替えるために、他の世界の人間を求めた。


 元々、この世界は、この世界にあるものだけで満ち足りていたのに、そこに余分なものが加われば――必ず歪みは生じる。




「だから、終わらせなくちゃならない。オーグリスだってそうだよ、本来この世界に存在しないものから生まれたんだから、いずれは歪みに呑み込まれて、奈落の底に落ちていく」




 そう言って、明日香は自らの右腕に視線を落とす。


 今はただの肉の塊。


 けれど彼らも、以前はフウカと同じ用に人の形をしていたのだ。




「だったら消えるしかないよ。それ以外に方法なんて――」


「それは違う」




 フウカは、明日香が2年間で見つけた“真実”を、真っ向から否定する。




「違う世界なんて関係ない。歪めているのは人の悪意だろう! 違う世界の人間や、オーグリスを苦しめて、お前をそんな姿に変えて、シルキィを追い詰めて、それをやっているのは全てアザルド軍だ! 世界の歪みだとか何だとか、そんな立派なものじゃないんだよッ!」


「なら、軍を潰せば全てうまくいくの?」


「そうだ」


「私も繭ちゃんと一緒に幸せになれる?」


「お前とシルキィがそれを望むのなら」




 明日香の視線がシルキィに向けられる。


 彼女はフウカより前に出ると、明日香に向かって手を差し伸べた。




「私にとって、明日香は今も、これからもずっと大切な人だよ。世界が変わったって、その気持ちは変わらない」


「私も同じ」


「どんな体でも、どんな姿でも、明日香が生きてくれてるならそれでいい! 一緒に行こう、明日香」


「繭ちゃん……」




 明日香の瞳に涙が浮かび、ほろりと一滴、こぼれ落ちた。


 姿は違えど、そこにいるは人と人だ。


 同級生たちは完全に違う何かになってしまったけれど、明日香はまだ人として、そこにいる。


 だからこそ――




じゃあ(・・・)、無理だね」




 人と人は、すれ違い続ける。


 生きているからこそ、明日香には譲れないものがあった。


 それを成すべく――彼女はシルキィに高速で接近した。




 ◇◇◇




 その頃、一足先に詰め所から脱出したファムとルーシュは、屋上で向かい合うシルキィたちを観察できる場所に身を潜めていた。


 特にファムは双眼鏡を片手に明日香の様子を注意深く見つめている。




「様子はどう?」


「なぁんか話してるみたいだし。シルキィちゃんと知り合いらしいから、積もる話もあるんだろうね」


「話が通じる相手なの?」


「意外と長話してるから、知性とかは残ってるんじゃない?」


「ふうん、よくできてるのね、アザルドの兵器は」


「あー……でも決裂したっぽい」


「だと思った」




 話を終え、シルキィに襲いかかる明日香。


 その様子を見ていたファムは、意地悪い笑みを浮かべる。




「まずは前菜から」




 ◇◇◇




 明日香は、足元に熱を感じた。


 “罠”の存在に気付いた彼女は飛び退こうとしたが、起爆のほうが早い。


 ドォン! と大砲のような音が轟くと同時に、爆炎が明日香を包み込んだ。


 前もって罠の存在を聞いていたフウカとシルキィは、爆発直前に屋上から飛び降りる。




「ぐ……ぅっ」




 着地すると、フウカが苦しげに呻く。


 彼女の傷は深い。


 シルキィはいつもとは逆に、フウカの体を抱え上げた。




「フウカって軽いね」




 『逃亡者』の能力で身体能力が向上しているとはいえ、軽々と抱えて走れてしまう。


 逃げている間はまともに食事も取れなかっただろうし、そもそも身長だってそこまで大きくないのだ。


 豪快な肉弾戦を見ていると勘違いしてしまうが、彼女は角が生えているだけで、シルキィとさほど歳の変わらぬ少女なのだ。




「すまない……」


「気にしないで、逃げてる間は力持ちだから」




 そう話しながら、全力で明日香から距離を取るシルキィ。


 いや、正確には“あの建物から”と言ったほうがいい。


 明日香が現れる前、ファムは一人で街に繰り出し、とある施設を訪れていた。


 それは火薬庫だ。


 ギュオールは将来的にアザルド軍との戦いを考えていたためか、国境でもない街にしては多すぎるほどの兵器を溜め込んでいた。


 そのうちの一つが、倉庫に納められた火薬だ。


 屋上で爆発したのは、そこから拝借したごく一部に過ぎない。


 一つ目の爆発は明日香の足止めの役割も果たしたが、本来の目的は――“誘爆”である。


 シルキィは建物の影に身を隠し、フウカを地面に下ろす。


 そして二人は地に伏せ、耳を両手で塞いだ。


 その直後、倉庫は内側から膨らみ(・・・)、爆ぜる。


 衝撃波が一帯に広がり、わずかに遅れて炸裂音が鼓膜を震わす。


 周辺施設の窓ガラスが砕け散り、屋根が吹き飛び、さらに遅れて、どこからともなく住民の悲鳴が聞こえた。


 焦げ臭い匂いが辺りに広がる。


 立ち込める黒煙が、空高く舞い上がる。




(明日香……“じゃあ”って何なの? 生き延びる道があったとしても、やっぱり私たちは死ななきゃならないの?)




 未だ明日香の真意が見えないシルキィ。


 ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だ、誰よりも明日香のことを理解している自信があった。


 2年という月日が経っても、根っこの部分が変わったわけではないことはわかっている。


 ならば、それでもわからないということは――まだシルキィの知らない“何か”が残されているということ。


 爆発が落ち着いたのを確かめて、ゆっくりとシルキィとフウカは立ち上がる。




「早くここを離れなければ」


「うん……まだ、明日香は死んでないからね」




 気配を察知したわけではない。


 だが、シルキィにもそれがわかる。


 あれだけの量の火薬だ、いくらアングラズが殺せなかった相手とはいえ、無傷では済まない――そう考えるのが普通だろう。


 しかし彼女は普通ではない。


 あの黒煙の中、燃え盛る炎にさらされながらも、おそらく明日香はまだ無傷だ。


 いや、しばらく足止めをする程度に肉体を破壊することは出来たかもしれないが、それは彼女にとって“傷”と呼べるものではないのである。




(あの子を殺す方法は……たぶん、一つしかない)




 もう、シルキィが取れる手段は残っていない。


 彼女は決意を胸に、隣を走るフウカの手をきゅっと握った。




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