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028 棺の中で夢を見ている

 



 アングラズの斬撃が空を切り、床を砕いた。


 明日香の姿はシルキィの前から消え、彼の背後に移動した。


 そして赤い右腕を振りかぶり――




「クアァァアアッ!」




 それより先に、アングラズが斧槍を後ろに向かってぶん回す。


 明日香は攻撃を中断しとっさに後退したが、穂先が制服の胸元を裂いた。


 彼女はわずかに裂けた肌に触れると、少し驚いた様子で彼を見つめる。




「敵は俺だぜ、怪物女」


「邪魔だな」




 シルキィに向けた穏やかな表情が失せ、嫌悪でも憤怒でもなく、明日香の感情が凍りつく。


 必要がない――というより、捨てなければここまで人として生き残ることができなかった。


 最後まで残った一つが、繭に向けた想いだったのだろう。


 彼女が右腕を前にかざすと、ぐにゃりと変形し、アングラズに向かって伸びる。


 一方で彼は床を強く踏み砕き、前進した。


 刃と赤い肉が重なり、火花を散らす。


 すかさず肉の隙間から伸びる赤い腕。


 修学旅行を綺麗に終わらせるため――同級生はみな協力的だ。


 アングラズは斧槍をくるりと回しながら引き、絡みつく“赤”を解いて、すかさず素早く刺突する。


 ヒュオッ! と空を裂く音と共に、鋭い穂先が明日香の傾けた頬の真横をかすめた。




「シャアァァアアッ!」




 本能からあふれ出す声を吐き出しながら、続けざまに素早い突きが明日香を襲う。


 彼女はそれを避けながら、右腕から赤い液体を垂れ流す。


 意思を持つ液体はアングラズに近づくと、その足元で飛び上がり、手首に絡みついた。


 さらに、明日香の腕からは枝分かれした肉の触手が無数に伸び、彼に殺到する。




「邪魔だあぁあぁあアアッ!」




 触手に噛みつき、食いちぎるアングラズ。


 だがそれで対処できるのは一本だけ。


 残りは彼の手足を貫く。


 しかし薬物により極度の興奮状態にある彼の肉体は、痛み程度で動きが鈍ることはない。


 むしろ怒りにより力が増す。


 手首に絡みつく液体をもう一方の手で引き剥がすと、その勢いを利用して一回転しながら、渾身の斬撃を放つ。




「うおぉぉおおおおおおッ!」




 技も魔法も無い、ただ極限まで威力を高めただけの一撃。


 それは己に絡みつく触手を引き裂き、さらに衝撃だけで明日香の体をよろめかせた。


 アングラズはその隙に得物を振り上げ、二撃目を振り下ろす。


 刃は肩に突き刺さり、そのまま脇腹付近まで沈んだ。


 本来なら体を分断できているはずなのだが――つまり明日香の肉体は、腕以外も頑丈だということだろう。


 彼はそこで斧槍から手を離し、明日香に急接近する。


 そして斬撃のダメージで動けない彼女の胸部に拳を叩き込む。


 無言で吹き飛ばされ、壁に衝突する明日香。


 アングラズは彼女に突き刺さった斧槍が自分の横を通り過ぎる瞬間、柄を掴み引き抜く。


 そして飛び上がると、瓦礫に埋もれた敵に向けて、ハルバードをハンマーのように叩きつける。




「だらあぁぁああアアアッ!」




 言葉として意味をなさない咆哮とともに、必滅の強撃が繰り出される。


 それは相手を破壊するどころか、建物全体も大きく揺らし、シルキィがよろめき、フウカに支えられてしまうほどの威力だった。


 もちろん壁には大穴が空いている。


 吹き込む早朝の風が血の匂いを運び、シルキィは吐き気に似た不快感を覚えた。




「滅茶苦茶だわ……」




 ずっと黙り込んでいた四人だったが、ようやくルーシュが口を開く。




「どっちが化物かわかったもんじゃないし」




 続けてファムはそう言った。


 彼女の視線の先には、ハルバードを持ち上げ、肩に担ぐアングラズの姿がある。


 彼の体には太い血管が浮かびあがり、筋肉が限界まで膨れ上がっているのが見てわかった。


 目つきも完全にイカれており、『近づいてはならない』と警告していた意味がよくわかる。




「やったのか……」




 フウカの言う通り、明日香はなかなか立ち上がってこない。


 圧倒的な存在感を放つアングラズがいるためか、フウカはうまく瓦礫の中から気配を察知できないでいた。


 だが――シルキィにはわかる。




「まだだよ」




 そこに、生きた明日香がいることが。


 シルキィがそう言った直後、瓦礫を持ち上げながら白髪の少女は立ち上がる。


 朝日を受けて髪が輝き、なぜだかその姿は神々しく見えた。




「すごいね、人間でもこんなに強い人がいるなんて」




 彼女は体中から血を流していたが、苦しむ様子はない。


 肩から腹部にかけてが大きく裂け、腕が垂れ下がって今にも千切れそうだというのに、それをダメージだとは認識していない様子だった。


 拳を受けた胸部にしたって同じだ。


 完全に骨が折れ、内臓が破壊されたはずだ。


 実際、口から血を吐いている。


 しかし、それに対する反応が一切無いのだ。




(まるで、自分の体に価値が無いって言ってるみたい)




 シルキィはそう感じた。


 明日香は、繭の幸せのために彼女を殺すと言った。


 だが、そのあと自分はどうするのか聞いていない。


 繭の幸せが自分の幸せだと言っていた明日香は、その幸せの源が消えたらどうするつもりなのか――


 その答えは、深く考えるまでもなくわかりきっている。


 しかしその一方で、“それだけ”では、あそこまで自分の体に無頓着にはなれないとも考えられる。


 シルキィを殺す前に自分が死んでしまったら、何の意味もないのだから。




「1年C組、全員起立」




 明日香が指示した瞬間、肉の隙間から無数の顔が現れる。




「クラス一丸となって、一生懸命練習しました」




 アングラズは、今までどんな戦場でも感じたことのない“悪寒”を感じていた。


 相手を屠る手応えはあった。


 技術面でも自分が上回っている。


 だが明日香と対峙していると、なぜか勝てる気がしないのだ。


 まるで底が見えない崖を覗き込んでいるような――深淵そのものが、肉体を得て歩いていると言ってもいい。


 だから彼は焦った。


 何かが“成される”前に殺さねば、自分が殺されると、本能的に感じて、明日香が言葉を発すると同時に再び前に踏み込んだのである。


 咆哮もない。


 喉が震え、音が鳴るより速く、斬撃は明日香を裂いた。


 腕を斬り落とし、脚を斬り離し、首を斬り飛ばし、胴を斬り刻む。


 刹那の世界にて、人体の限界を超えた速度でハルバードを振り回す。


 限界を超えた肉体の酷使に、筋肉はちぎれ、血管は破れる。


 おそらくその動きは、“理性”が少しでも残っていたら引き出せないスピードだった。


 本能的な恐怖が、火事場の馬鹿力を引き出したのだ。




「私たちの合唱、聞いてください」




 刎ねられた首が、喉なんて無いのに饒舌に語った。


 合唱コンクールを思わせる文言。


 実際は、明日香は前に出てそんなことを話す役では無かったが――聞こえてきた不協和音の歌は、当時と同じ曲だ。


 記憶の再現(アンコール)だ。


 過去の思い出を、現在の友情を、未来への夢を、いっぱいに歌い上げる生徒たち。


 それはあまりに虚ろで、あまりに虚しい絆の歌。


 まるで、バラバラに切り刻まされた明日香の体を繋ぐ赤い糸のような――




(こいつ、斬っても斬っても死なねえ! とっくに心臓は破壊してるってのにッ!)




 アングラズは、己が感じた恐怖の正体に気づく。


 それは“死”という概念の希薄さ、そしてその所在の曖昧さだ。


 何をしたら死ぬのか。


 どうなれば勝ちなのか。


 対峙していて、それがまったくわからない。




「ありがとう、私の器を壊してくれて」




 彼女の左腕が、鎖で繋がれたハンマーのように、アングラズを真横から強襲する。


 速度は大したことが無い、十分にハルバードの柄で防げる速さだ。


 だからそうした。


 だが次の瞬間、彼の体は壁に叩きつけられていた。


 ハルバードも折れている。




「アングラズさんっ!」




 思わずシルキィが声をあげる。


 それを聞いて明日香が微笑む。


 その笑みのまま口を裂けるほど大きく開くと、中にびっしりと無数の牙が生えてきた。


 彼女はそれで、立ち上がろうとするアングラズに噛み付く。


 折れた斧槍を手にした彼は、刃の部分で牙を受け止める。




「く、おぉぉおおおッ!」




 軍にいた頃から愛用してきた逸品だ。


 特に刃は、アングラズの力にも耐えられるほど強固に作られているはずなのだが――ヒビが入り、ついには噛み砕かれる。


 そして明日香は彼の腕に食らいついた。


 一瞬で篭手を貫き、皮膚を裂き、骨まで牙が食い込む。


 さらに彼女が荒々しく首を左右に振り回すと、シルキィたちの場所にまでブチブチという音が聞こえた。




「こいつ……ぐ、が、ああぁぁあああああッ!」




 必死でもう一方の腕で引き剥がそうとしたが、むしろそれが逆効果となり、アングラズの右腕が千切れる。


 ゴリュ、ゴキッ、グチュッ、ブチュッという明日香の咀嚼音が響き渡る。


 それはシルキィにとっての、“真の地獄”の入り口だったに違いない。




「あ……あぁ……」




 彼女の体がガタガタと震えている。


 ここ数日で何度そんな気分を味わったかわからないが、今日は今までの悪寒とは段違いだ。


 幼馴染の体が、切り刻まれ、さらには見る影も無いほど変わり果てていく。


 そして短い間とはいえお世話になった男性が、目の前で、食い散らかされている。




「んぁ」


「クソッ……やめろ……ぎ、ぐああぁぁあああッ!」


「あむっ」




 右腕が終わったら次は左腕。


 だが明日香の体は頭だけしか動かないわけじゃない。


 左腕が足首を掴む。


 力いっぱい引っ張って、膝から下が千切れてしまう。




「ぐうぅ……う、お前ら……は、はは、見ての、通り、だ」




 異形の右腕は、ドリルのような形になると、アングラズの腹部にあてがわれた。


 そしてその場で高速で回転を始め、ぐじゅるるるっ、と肉を撒き散らしながら腹に大穴を開けていく。


 さらにその傷口から“同級生”たちが体内に入り込むと、毛虫のように這いずり回り、内側から肉体を破壊していく。




「逃げ、ろ。ごふっ……こいつには……勝て、ねえ……」




 最後に、両足が万力のようにアングラズの両こめかみを挟む。


 そのまま、ミシミシと頭を押しつぶし――




「たた、かう、な……」




 ばちゅんっ、と弾けた。




「あ……アングラズさぁぁぁああんっ!」




 思わず叫ぶシルキィ。


 残ったのは、貪られるだけの肉の塊。


 ファムも、ルーシュも、フウカも、誰一人として割り込めなかった。


 なぜなら、自分がアングラズより弱いことを理解しているからだ。


 “割り込むな”と言われても、いざとなれば、ちょっとした手助けぐらいはできるんじゃないかと思っていた。


 しかし、先ほどの戦いはあまりに次元が違いすぎる。


 そして、そのアングラズが勝てなかった。


 なら、それより強い明日香に太刀打ちできるはずがない。


 恐怖の理由は、あまりに単純だった。




「なんで……なんで、こんなこと……!」




 膝から崩れ落ちるシルキィ。


 感情に任せて吐き出した言葉に、明日香は変わらず優しい声色で告げる。




「だからお別れしてって言ったのに。死んだほうが幸せだって言ったのに」




 彼女は一貫して、警告を繰り返してきた。


 それはこうなることがわかっていたからだ。


 たとえイニティの戦力を総結集して、地形を利用し、罠を準備した上で明日香に奇襲をかけたとしても――おそらく、勝ち目は無いだろう。


 もっとも、薄々はこうなるのではないかと思っていた。


 なぜならシルキィには“希望”があったからだ。


 明日香や“同級生”たちとは違う、現在進行系で芽吹こうとしている、未来を照らす希望が。


 とはいえ、あまりに強大な力の前には、そんなものは無力なのだと知っていたのだが。


 だが、もう心配はいらない。


 “終わり”を見せられた。


 百聞は一見にしかずと言うように、今の明日香の姿を見れば、嫌でもシルキィは理解するだろう。


 希望なんてまやかしだということに。


 死こそが救いだということに。




「生きてたって無駄だってこと、今の私を見たらわかってくれると思う」




 明日香はアングラズの死体をシルキィたちの前に投げ捨てた。


 そして両手両足で四つん這いになると、いつかのクリスマス、『ずっと一緒にいようね』と約束したときとほぼ同じ笑顔で告げる。




「これが私たち(・・・)の行き着く先だよ、繭ちゃん」




 シルキィは、自分の体の中でオーグメントが蛆虫のように蠢いたような気がした。




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― 新着の感想 ―
[一言] 明日香がモグモグしてる所に正直ちょっと興奮しました。日本人のオーグメントでこれなら、オーグリス製はどれだけ貪欲になってしまうのか‥。
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