025 全自動無差別殺戮兵器
形を変えた己の右腕を見て、シルキィは思い出す。
2年前、施設で研究員に言われたあの言葉を。
意味なんてわからなかった。
結局、それが明かされる前にシルキィは施設から逃げ出してしまったからだ。
ただ自分が普通ではないことは、何となく理解していた。
なぜなら、彼女より前に同じ部屋に連れて行かれたクラスメイトは、誰一人として生きて戻ってこなかったからだ。
生死すら定かではなく、一人ずつ消えていく恐怖に、誰もが震えた。
そしてシルキィはその部屋で、化学準備室の人体模型のように、あるいはホルマリン漬けのように、内臓を剥き出しにして飾られている同級生の姿を見つけた。
あれが自分の未来の姿だと、死を覚悟した。
だが――彼女は目覚めたのだ。
どうやらそれは研究員にとっても想定外の出来事だったらしく、彼女は驚きと歓びの入り混じった表情で、施術台に横たわるシルキィを見下ろしながら語った。
『戦ったら負けなんです。貴女は逃げることしかできない。万が一、戦おうなどと思えば――みんな死にます。敵も、味方も、貴女自身も』
オーグリスを圧縮して作られたというオーグメント。
その適合者になったという明日香。
そして、そんな彼女と似た形状の腕を持つ自分。
唯一違う部分と言えば、その腕は、自分の意思と関係なく動こうとしているところだろうか。
「この化物めえぇぇっ!」
クリドーは尻もちをついたまま、手のひらから火の玉を連続して放つ。
するとシルキィの右腕は勝手に動き出し、それらを軽く跳ね飛ばした。
「やめてっ! 止まってえぇええっ!」
思わず彼女は叫んだが、クリドーを敵と認識したことで、むしろ激しく波打ち暴れだす。
『殺せ』
『殺せ』
『殺せ!』
憎悪に満ちた怨嗟の声が、シルキィの脳内に響き渡る。
さらに腕は太さはそのままに長く伸び、彼女の体を引きずりながら後ろに振れた。
クリドーからは、まるでオーグメントが自分に飛び込むために助走を付けるように見えた。
そしてそのイメージ通りに、今度は彼に向かって鞭のようにしなりながら迫る。
その途中で建物の外壁に衝突したが、障害物側が簡単に砕かれるだけで、まったく減速しない。
むしろ遠心力で加速しながら、クリドーに襲いかかった。
「うおぉぉおおおっ!」
幸い、大ぶりだったので直前で飛ぶことで回避に成功する。
空振ったオーグメントは別の建物に激突し、ズドンッ! と衝撃音をイニティ中に響かせた。
建物全体が揺れ、傾き、倒壊する。
「あ……ああ……ダメ。止まらない、私の体なのに、思うように動かないッ!」
立ち込める砂煙の中、クリドーは頬を引きつらせながら後ずさった。
「じょ、冗談じゃねえ……あんなやつの相手してられるかよ!」
シルキィに背中を向け、逃げ出す。
しかしすかさずオーグメントから触手が伸び、クリドーの足首に巻き付いて転ばせた。
「やめろよぉ! お前ら化物の戦いに僕は関係ないだろぉ! ああぁぁあああっ!」
ズザザザザッ! と地面に擦れながら引きずられるクリドー。
シルキィの近くまで引き寄せられると、彼の体は浮き上がり、そこで触手は足首から解けた。
結果、彼は放り投げられた形になり、勢いはそのままに路地に置かれていた樽に衝突する。
「が……あ、うぅ……」
樽は砕け、クリドーは瓦礫に埋もれたまま呻く。
これで収まればいい。
だがオーグメントはなおもシルキィの頭の中に呪詛を撒き散らしながら、周囲の建物を壊し暴れまわる。
『死ね』
『殺せ』
『壊せ、壊せ、壊せ!』
ただでさえパンクしそうな脳にどす黒い感情が溢れて、シルキィは吐き気を伴う強い頭痛に襲われていた。
空いた左手で頭を抱えながら、ふらつく両足でなんとか体を支える。
「やめて、もうやめて! 気持ちはわかるけどっ、憎いだろうけどっ! 私の中で、暴れないでえぇえっ!」
シルキィが感じる痛みは頭痛だけではない。
人間の体とオーグメントの境目――右肩付近からは血が流れている。
まるで彼女の体内に封じられた何かが、出口を引き裂いてでも外に溢れ出そうとしているようだ。
『何もかも、全て、壊してしまえ――!』
そこには明確な“意思”がある。
シルキィにはわかる。
これは、アザルド軍により生きたまま兵器に変えられたオーグリスの恨みだ。
オーグメントを制御するとはすなわち、こういった感情を抑え込むことなのだ。
明日香の右腕やペンダントに宿ったあの赤い同級生たちは、それを奪われていた。
おそらくは、数に限りのあるオーグリスで実験を行う前に、人体でそれを試したに違いない。
だが、シルキィの場合は違う。
研究員自身が“想定外”と言っていたように、そもそも適合するはずないものが、彼女の体に宿ってしまったのである。
「あぁっ、が、頭が……割れるっ……ぐっ、あああぁああああっ!」
だから、周囲にあるものを全て喰らい尽くすまで誰にも止められない。
そして当然、シルキィ自身もその“捕食対象”に入っている。
(止めなきゃ、止めなきゃ、止めなきゃっ! 私は死ねない! だって、フウカが――ああ、そうだ、フウカ! フウカは無事なの!?)
赤い視界、血走った目で辺りを見回すシルキィ。
彼女は何とか、瓦礫に埋まったフウカを発見した。
頭上から落ちてきた石礫で出血している。
当たりどころが悪ければ死んでいるかもしれない。
少なくとも、意識を取り戻して動いた様子はない。
(確かめないと……そして、せめてフウカだけでも……ッ!)
シルキィは、ゆっくりとフウカに向かって歩みを進めた。
耳鳴りがひどい。
体もうまく言うことをきかない。
我ながら、まるで壊れたロボットのような動きだと思った。
だが、それにしたって順調に進みすぎではないだろうか。
さっきまでは、右腕に引きずられることすらあったのに。
「……あれ?」
そこでシルキィは、オーグメントの動きが止まっていることに気づく。
何がきっかけで、いつからこの状態だったのかはわからない。
だが好機である。
「フウ――か?」
フウカに駆け寄ろうとしたシルキィの腹部から、鋭い刃の先端が飛び出す。
冷たい感触が背中から彼女の体を貫き、少し遅れて熱い痛みがやってきた。
「か、ふっ……ぁ、え……」
口からごぼっと鮮血があふれ出す。
彼女の手のひらが、何かを確かめるようにお腹に触れようとすると、ずるりと刃が引き抜かれた。
支えを失った人形のように崩れ落ちるシルキィ。
「は……ははは……」
うつ伏せで倒れた彼女は、頭上で笑うクリドーの声を聞いた。
「やったぞ……やってやった! 僕が! 化物を倒したんだ! 見たか、これが『勇者』の力だ! ははははははっ!」
クリドーは血まみれの剣を手に、勝ち誇り笑い声をあげる。
シルキィはそれを聞きながら、どろりとした熱が、体から抜け落ちていくのを感じていた。
もしこのまま死んだら、フウカはどうなってしまうのだろう。
明日香もそうだ。
ただ、自分の右腕から生えたその異物を見ていると、いっそこのまま消えたほうが楽な気もしてきた。
2年前、シルキィにオーグメントを埋め込んだ研究員は言っていた。
戦ってはいけない、と。
つまり、シルキィの戦意がオーグメントを呼び起こすということだ。
思えば、タムガル救出の時点ですでにその兆候は出ていた。
要するにシルキィは前向きになってはいけないのだ。
どんなに理不尽なことが起きて、誰かを憎んでも、逃げ続けることしか許されない。
そんな有様で、アザルド軍に一矢報いて、元の世界に戻る方法なんて探せっこない。
永遠に『逃亡者』であり続けるしかない。
そんな人生に、一体何の意味があるというのだろうか。
数多に犠牲を払い、ただ“生き続ける”だけの人生に――
「ん? まだ生きてるのか。いいだろう、ならば今度こそ完全にとどめを刺してやる!」
クリドーは完全にハイになっていた。
剣を高く掲げ、地面に倒れたシルキィに向かって振り下ろす。
そして――
「くたばれゴミ野郎がぁぁぁああああッ!」
「お、ごぉっ!?」
ブチギレたフウカの拳が、クリドーの腹に突き刺さった。
彼は体をくの字に曲げながら、口から大量の血を吐き出し、吹き飛ばされる。
そしてボールのように地面で跳ね、回転しながら突き当りの壁にぶち当たり、そのまま動かなくなった。
フウカはクリドーの生死すら確かめずに、シルキィに駆け寄りその体に触れる。
「この傷、刺されたのか――クソッ、私が意識を失ってしまうから! 待っていろ、すぐに血を止める!」
最終的にはルーシュを呼ぶことになるだろうが、フウカは応急処置による止血を優先した。
腹部の傷口に手をかざし、治癒魔法をかける。
(ああ……温かい……)
出血により落ちていた体温が、舞い散る光の粒によって温められる。
(でも……見られちゃった。フウカに……私の、こんな体……)
シルキィのこの腕を――同族が潰され、苦しめられた挙げ句に作られたオーグメントを見て、フウカは何を思うのか。
いや、それ以前になぜ見た上で普通に助けてくれているのか。
不思議で仕方ない。
シルキィは首を傾け、自分の右腕を見た。
(……あれ?)
そこには、普通の人間の腕があった。
クリドーに焼かれた傷さえ残っていない。
(戻っ、た? あんな状態から、普通の、腕に……?)
つまり、フウカはシルキィのあの腕を見ていないのだ。
一度解き放てば、もう戻らないと思っていた。
だが――安心はできない。
右腕の異物感はまだ残っている。
そこには間違いなく、オーグメントが眠っているのだから。
「どうなってやがる……」
すると破壊されつくした路地に、アングラズが現れる。
あれだけの騒音が響いていたのだ、彼が来るのは当然のことだった。
「おい、こりゃ一体何なんだよ!」
「オーグメントだ」
「戦ったのか」
「ああ、名前はアスカと言う。シルキィの……昔の友人らしい」
少し事実とは異なるフウカとアングラズのやり取りを聞きながら、訂正できぬまま、シルキィの意識は沈んでいった。
面白い、先が気になると思ったら、↓の☆マークを押して作品を評価していただけると嬉しいです。
 




