017 赤い瞳が見つめる先は
ギュオールの屋敷の前まで来ると、先にアングラズが中に入っていった。
シルキィとフウカは、門番に睨まれながら手前で待つ。
しばらくすると彼が戻ってきて、二人に「入れ」と声をかけた。
「思ったより早かったな」
「もっと警戒されると思ってた」
小声でそう話しながら、屋敷に上がる。
その先には茶色のカーペットが敷かれた玄関ホールが広がっており、シルキィが「さすが領主様の家」と思わずつぶやいた。
アングラズはさっさと前に歩いていく。
後ろをついていくシルキィたちだったが、彼は特に二人を見張っている様子も無かった。
信用された――というわけではないのだろう。
ひとまず敵では無くなった、という程度の話だ。
だが同程度に、おそらく彼はギュオールのことも信じていない。
だからこそ、シルキィとフウカを簡単にここに連れてこれたのだろう。
「ここだ」
アングラズはとある部屋の前で足を止める。
この先にギュオールが待っているらしい。
「失礼の無いようにな、とは言わないんだな」
「誰より俺が失礼だからな。人に言えた立場じゃねえ」
「言われてみれば……アングラズさん、雇われてるんだよね?」
「ああ、だがギュオールもそれを承知の上だ。無駄話はこれぐらいにして、とっとと入るぞ」
中にいたのは、鼻の下に立派なひげを生やした初老の男性だった。
髪は半分ほどが白髪である。
スーツとジャケットを着こなした、いかにもなジェントルマンである。
そんなギュオールは椅子に座り、優雅にお茶を飲みながら三人を待っていたようだ。
先頭で入ってきたアングラズ、そしてシルキィとフウカに順番に目を向ける。
「驚きましたよ、あなたがたが自分から会いたいと申し出てくるとは」
テーブルの上には、例のペンダントが置かれている。
アングラズがどこまで彼に事情を説明したのかはわからないが、最低限、シルキィとそれが関係していることは伝わっているようだ。
だからこそ、ギュオールの視線はフウカよりもシルキィに向けられている。
「好きに座ってくれて構いませんよ。急なことでしたので、お茶ぐらいしか用意できませんが」
シルキィはフウカと顔を合わせ、目で意思疎通を行うと、ゆっくりと、遠慮がちに椅子に腰掛けた。
アングラズは座る気が無いのか、壁にもたれて立ったままだ。
「彼から話は聞きました。シルキィ――いや、マユ・クロカワ。あなたがあの施設の生き残りだったとは、こんな偶然があるものなのですね」
「ギュオール……さんは、施設のことをご存知なんですか?」
「ええ、オーグリスのこともね」
「それを知るためにアングラズを軍から引き抜いたわけか」
「いえ、それ以前から調べていましたよ。先の戦争でオーグリスは活躍し、現在の王とアザルド軍は地位を確固たるものにした。ですが一方で、あの研究は危険すぎたのです。そう、つまりウィークポイントでもあった」
ギュオールは、謀反を企んでいる――アングラズが言っていた言葉は事実らしい。
わざわざ弱点を探しているのだから。
「だからこそアザルド軍はオーグリスの存在を抹消し、今度こそ戦後に不良在庫にならない兵器を生み出そうとしました」
「シルキィたちがいた施設と私がいた施設は同一なのか?」
「あんな気が狂った研究所、そういくつもありませんよ」
その言葉を聞くと、フウカはふいにテーブルの下でシルキィの手を握った。
まるでその温もりと形を確かめるように。
シルキィはなぜ今そうしたのかよくわからなかった、とりあえず握り返しておく。
「なあギュオール、ひょっとしてあいつが死んだ原因もその施設にあるのか?」
話の節目に、アングラズがギュオールに問いかける。
「あいつって誰?」
二人にしかわからないやり取りに、シルキィは首をかしげた。
「彼の友人ですよ。元アザルド軍の兵士で、ちょうど2年ほど前に兵舎内で自殺しているところを発見されました」
「だが本当は自殺じゃなかった。俺は正しい事実を突き止めるために、証拠を集めて殺した人間を探し当てたんだよ」
「それが、不運なことにアングラズ君の上司だったんです。もちろん彼は構わずに告発しましたが――」
「人が死んでるんだよね? だったら上司の人が捕まって終わりなんじゃ」
「捕まりはしなかった。降格されただけだ。そして俺は軍での居場所を失った」
「そんな、おかしいよ……」
素直に反応するシルキィを見て、アングラズは少し意外そうな顔をしていた。
素性不明の冒険者なら、表面をどう取り繕おうとも、とっくに中身は腐っているものだと思っていたのだろう。
何せ、あの監獄からスプーン一本で脱獄してみせるような女なのだから。
「その降格人事のあと結局、彼は元よりも上の地位まで上り詰めていますからね。当時の処分はガス抜きに過ぎなかったのでしょう」
「……で、どうなんだ? 俺が調べてもあいつが殺された理由まではわからなかったんだ。知ってるなら教えてくれ」
「彼はアザルド軍の行っている研究を知ってしまったようです。あなたに似て正義心が強かったのでしょう、反感を抱き行動を起こしてしまった。施設に潜入し、工作活動をしていたようですね」
「その内容を知りたいんだよ」
アングラズに睨まれても、ギュオールは慣れた様子で表情を変えない。
むしろ一番大きな反応を示したのはシルキィだった。
「もしかして……」
「心当たりがあるのか?」
「私たちが脱走したとき、通気孔の蓋が緩んでたり、警備の兵士がいない場所があったり……偶然にしては運が良すぎるな、ってことがあったの」
「実験対象の管理は厳格に行われていたはずですから、不自然ではありますね」
「あいつ……囚われた人間たちを逃がしたから殺されたのか。他人のために自分の命を捨てるなんて、とんだ馬鹿野郎じゃねえか!」
罵倒しながらも、むしろそれに気づけず、救えなかった自分を責めるアングラズ。
そして、友人が救おうとした相手こそがシルキィだとも知り、さらに自責の念は強くなる。
「それじゃあ俺は、あいつが救った命を殺そうとしてたってわけか……あいつ以上の馬鹿野郎だな」
彼はシルキィの前に移動すると、膝を折り、地面に頭を擦り付けて謝罪した。
「すまなかった、シルキィ!」
それは彼女への贖罪というよりは、友人を裏切ったことへの後悔によるところが大きい。
「いいよいいよっ、一番悪いのはクリドーだから! 私に謝るより、あいつのこと怒ってほしい!」
「そうか、ならそうさせてもらう。次に見かけたら全力で潰してみせるさ」
また知らぬところで、新たな敵が増えるクリドー。
ギュオールは二人の会話が一段落したところで、話題の軌道修正をはかる。
「そろそろ話を研究内容に戻しましょう。潜入させた兵士の報告によれば、あの施設ではオーグリスを“道具”として扱う研究を行っていたようです」
「聞いただけで気分が悪くなるな」
吐き捨てるようにフウカが言った。
「ここから先はより気分を害すでしょう。ですから、その前に一つ確認させていただきたい」
不穏な前置きをして、彼は品定めをするような目でシルキィとフウカを見る。
「私は王国に対抗するため、あなたがたを保護したいと考えています。協力していただけませんか?」
それはむしろ、シルキィたちが申し出ようと思っていたことだ。
だが、逆にあちらから提示してきたことで、胡散臭さを感じる。
悪夢のような研究を表沙汰にすることで、王への求心力を落とすことはできるだろう。
だがそれだけで国をひっくり返せるかといえば、答えはノーだ。
結局は軍に比類するほどの力が必要になる。
そのとき、果たしてギュオールは、シルキィとフウカを戦力として利用せずに、安全地帯で守ったりするだろうか――
「保護って、具体的にどうするんですか」
「軍の研究結果を解析するために、私たちを解剖でもするつもりか?」
「最初はそのつもりでフウカさんを捕まえていました」
ギュオールの正直な答えに、二人は顔をしかめる。
しかし、“今は違う”と彼はこう付け加えた。
「ですが、代わりとしては十分すぎるものが手に入りましたから」
そう言って、彼は手に持ったペンダントを見た。
「腹を開かずに済む程度に、我々に協力していただきたいのです。その代わり、身の安全は保障しましょう」
この言い方――間違いなく、シルキィたちが望まぬ形で利用されるだろう。
だが一方で、彼女もまたギュオールを利用することは可能だ。
少なくとも、『逃亡者』というジョブがある限り、意思を無視して囚えることは難しい。
「私たちとしても、後ろ盾はほしい」
「二人だけでアザルド軍に対抗するのも、無理があるから……」
シルキィたちは慎重に、結論を口にする。
「では、受けていただけると?」
「危ないと思ったらすぐ逃げるから」
「私はともかく、シルキィはその気になればすぐに脱走できるだろう。『逃亡』のスペシャリストだからな」
「逃げられずに済むよう、不自由はさせないと約束しますよ。何せ王が隠したがっている研究の生き証人ですからね、私にとっての切り札とも言える」
交渉が成立し、ギュオールは少し上機嫌になった。
ひとまず、これでイニティの衛兵にフウカが追われることは無くなった、と考えていいのだろう。
「それでは快い返事が聞けたところで、話の続きをしましょうか」
「気分を害すと言っていたな」
「具体的な研究内容の話ですから。ですがマユさんもフウカさんも知りたいでしょう、残った仲間たちがどうなったのか」
シルキィは生唾を飲んだ。
すでに彼女は、あの赤い顔の化け物と遭遇している。
あれがクラスメイトの末路だとしたら、ここから先の話は――前置き通り、凄惨かつ不快極まりないものになるだろう。
だが、いくら『逃亡者』だからといって、その現実から逃げることはシルキィ自身が許せない。
ギュオールはその沈黙を肯定だと捉え、話をはじめた。
「先ほど、アザルド軍はオーグリスを道具にしたがっていると言いましたが、その方法は単純でした。彼らは“圧縮”したのですよ」
「どういうことだ?」
「このペンダントをご覧ください。赤いでしょう? これは圧縮された人間で出来ています」
彼がさらっと言った言葉に、シルキィは大きく困惑する。
「人間が……圧縮? え、えっと圧縮って、潰され……て?」
「ええ、しかも生きた状態で」
血の気が引いていくのを感じた。
これで何度目だ、と思うほど頻繁にこの状態になっているが、決してシルキィが弱いだけではない。
真実は掘り進むほどに、より残酷になっていくものだ。
「この中に入っているのは、およそ四人ほどの人間だと思われます。内通者の報告によると、巨大な筒のような装置に入れられ、上から落ちてくる天井に押し潰され、元の形がわからぬほど肉体を破壊されるそうです。ですが施された特殊な処置により、彼らは潰された状態でも生きています」
シルキィの脳裏に、施設の光景が浮かぶ。
確かにそんな形の器具があった。
まだ使われた形跡は無かったが、何をするためのものなのか、見ただけで体が震えたことを覚えている。
実際、彼女だって恐ろしい目にはあった。
そう、体の一部を麻酔もなしに切り落とされて、再び縫合されて――生き残ったのは奇跡だった。
あの檻から連れ出されて、戻ってこなかったクラスメイトだって何人もいたのだから。
もちろん2年間、知らない世界で一人旅をしたときも、辛いことはたくさんあった。
だから、別に、シルキィが悪いわけではないのだ。
彼女が外に逃げて、楽をして、幸せに生きた――そんなことはない。
だが、それでも。
「ペンダントを耳に当てると、『助けて』という声が聞こえてくるんです。調子がいいと、離れていても聞けますよ。それに意思も残っているのか、鍵のついた箱にでも入れない限り勝手に動いて出ていってしまうんですよ」
それを聞いて、自分を責めずにいられる人間が存在するだろうか?
「どこに向かっているのか不思議に思っていたんですが、ようやくわかりました」
それを聞いて、絶望せずにいられる人間が存在するだろうか?
「このペンダントは、あなたに助けを求めていたんですね、マユさん」
ギュオールがペンダントをテーブルの上に置いた。
彼が言ったとおり、それはひとりでに動きがはじめ、少しずつシルキィに近づいてくる。
そして距離が詰まると、徐々に声が聞こえてきた。
「黒川さぁん……」
声はか細く、震え、恐怖に満ちていて。
「繭ちゃん」
動いて、近づいてくる様はまるで縋り付くようで。
「黒川ぁ」
赤い宝石をじっと見つめると、その内側に顔が浮かび上がったような気がする。
「なあ……繭ぅ」
誰も彼女を責めちゃいない。
ただ純粋に――
『たすけて』
この苦しみから解放してくれと、ただ一人、まともな人の形で生き残った繭に求めている。
それが、余計に苦しくて。
「ごめん……ごめんねぇ……」
シルキィはペンダントを胸に抱きしめると、ぼろぼろと涙をこぼしながら、謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。
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