第三幕 巡る栄光と死
「術まだかッ!?」
盾と右手に長剣を携えた戦士風の男の怒号が奔る。その盾は今まさに“敵”からの攻撃を抑えている最中であり、術士の援護を待っていた。
一拍遅れて球形の炎が飛来して、戦士風の男を襲う“敵”を直撃すると爆風と熱を伴って“敵”と男の距離を引き離した。
次いで、その間を埋める様に別の男が入り込み空に手印を切る。
「偉大なる主よ──我が苦難、我が信仰、我が道程を力ある光で照らし賜え────」
それは聖なる言葉。信仰によって力を得る修練騎士の使用する簡易祈祷である。
「『聖打!』
唱えた男の正面に白色光の塊が形成され、“敵”へ向けて放たれた。
飛翔する小さな太陽は“敵”へと衝突したと思われたが、以前“敵”は健在。闇を背に、悠然と構えていた。
ここは──不覊暗渠。
闇に支配され、暗闇が這いずる迷宮。
言わば怪物の領域。挑む者にとっては多くの障害が存在している。
その一つが、今男達の“一党”が直面している、迷宮が怪物の正体を覆い隠してしまう【暗澹】という力であった。
「死損者でも回死者でも無いか」
呼吸を整え戦士の男は呟き、隣に立つ銀の鎧を纏った修練騎士の男を目の端で捉え、問いかける。
「判明ったか?」
その問いに対して騎士風の男は首を横に振って、闇の中に浮かぶだけの敵影を凝視した。
暗澹とは、迷宮が怪物にのみ与える正体不明の力、あるいは対峙している“敵”の正体が分からないが故に陥る探索者達の錯覚とも言われている。
……だが暗澹を纏っている怪物は、確実にその脅威を増すのだ。
ただの斬撃が力ある呪文の如き破壊力を有しているかに知覚してしまう。
正体不明と戦うのは、この場所では“闇”そのものと対峙している様なモノである。
故に、戦闘開始と共に“一党”は敵の正体を見破る事を最優先に行動するのだ。
次の手を探る内に一党と“敵は、互いに様子を伺う形となった。
だが、戦士の感が『あと少し』だと告げていた。あと少しで“敵”の暗澹は晴れる、と。
──須臾の沈黙を挟み、戦士と修練騎士、二人の背後から声が上がった。
「判明! 敵は【幽霊騎士】一体!」
声を上げたのは男達の背後にて後衛を務める三人の内の一人である【詠唱術士】の男であった。
暗澹が看破されたと同時に前衛の戦士と修練騎士の二人にも“敵”の実態が認識出来る様になる。
しかし術士の口から出た“名前”はまだ出会した事の無い怪物の名前であり、前衛の二人は息を呑む。
暗闇に浮かぶその姿は、全身鎧に身を包み、左手に赤黒色の西凧盾、右手に意匠が施された暗銀の長剣を携え、そして何より最も特徴的なのは、大口を開けた悪魔を模した兜だった。
看破され、暗澹が晴れたところで、その怪物はあいも変わらずに騎士然として一党の前に立っている。
一党の誰もが思った。この怪物は強い。
間隙を突いて先に仕掛けたのは、戦士だった。左手に鉄の円盾、右手に対魔の力が施された銀の長剣。
幽霊騎士との距離は四間程。その距離を戦士は一息に駆け、疾風の二撃を浴びせる。
しかし、幽霊騎士は盾だけでその攻撃を受け流す。その際に、戦士は自身の剣を欠けさせられたのを見逃さなかった。
この時点で戦士は、この幽霊騎士の技術が自分を上回っている事を思い知る。
「ぬうう……!」
戦士が呻き声を漏らす。その間に幽霊騎士が盾の背後で構えていた稲妻の如き刺突が放つ────!
「強打!」
修練騎士の声と共に、戦士の体が刺突の線上から外れて地面へと転がった。
「すまん!」
強引な方法だったが、助けられていなければ死んでいた。戦士は転がった状態で修練騎士に礼を述べた。
「礼よりもまずは立って下さいッ!」
言われて、戦士は立ち上がり後方に目をやる。
後衛は詠唱術士、女修道士、盗白浪の三職手。
やれる事は限られてくる。
「聞いてくれ……剣が欠けた」
息を整えながら戦士は修練騎士へと告げた。
「もう一度あの盾で受けられたら俺の剣は確実に折れる。次の作戦で決めるしかない」
聞いて修練騎士は頷き手印を切る。
「撃てます──!」
後方では、術士が詠唱を終え、“呪文”を放つ準備に入ったのと同時に戦士が声を上げた。
「二手ののち、【稲妻】! 盗白浪との合わせで片を付けるぞ!」
修練騎士が大盾を構えて飛び出す。その背について戦士も駆けた。
「聖唱────【付与術:聖】!」
掛け声と共に修練騎士の片手槌と戦士の長剣に鈍い白色光が宿ると同時に幽霊騎士の前へと二人が辿り着く。
次いで修練騎士が片手槌を振るった。
それは先程の戦士の様に容易く幽霊騎士の盾に防がれ、修練騎士は苦い笑みを浮かべる。
既に幽霊騎士から放たれた刺突が修練騎士の眼前に迫っていたが、修練騎士の背後から飛び出した戦士が、即座に幽霊騎士の鎧の継ぎ目を狙って腕ごとその剣を落とした。
「下がるぞッ!」
戦士が叫び、倒れる様に幽霊騎士のそばから飛び退くと、直後に暗闇に眩い、赤黒の閃光が奔った。
「稲妻!」
後方で術士が叫んでいた。
閃光は幽霊騎士に直撃すると、赤い雷光を炸裂させ、鎧の破壊へと至る。
「なんという耐久力だ……!」
戦士が喫驚し思わず声を漏らした。
焦げ付き、武器すら失った幽霊騎士はそれでもまだ動いており、盾を前方に突進の構えを取った。
戦士と修練騎士は体勢を立て直すのが間に合っていない。いくらただの突進とは言え、相手は怪物。その威力は計り知れないものがある。
だが──幽霊騎士の突進が始動する直前で黒い影がその背後に現れた。
「奇襲」
影に潜み、幽霊騎士の背後を取っていた盗白浪の短刀による奇襲が成功した事で幽霊騎士動きに遅れが生じ、その間に戦士と騎士は体勢を直すと、即座に両者は武器を振りかぶる。
幽霊騎士の防御も間に合う事のない絶好のタイミングが盗白浪の奇襲によって生まれた。
「うおおおおおッッーーー!!!」
片手槌と長剣が幽霊騎士の頭部に直撃し、特徴的な兜は無惨にひしゃげ、ぐらりと幽霊騎士の身体が揺れた。
それと共に戦士の剣が半ばから折れた。
折れた剣により、かつぜんと鳴り響いた金属の音。
それが戦闘終了の合図となった。
◇
「全く恐ろしい怪物だった──」
額の汗を拭って戦士は幽霊騎士の残骸を睥睨していた。
第五層の玄室で出会す怪物の中でも最上位に分類されるのが幽霊騎士と呼ばれる怪物である。
「何度冷や汗をかいたでしょうか……」
先の戦闘では特に出番の無かった修道女が疲れ切った表情を見せる。
「ぎりぎりでしたね」
年若い詠唱術士は表情は崩していなかったが、声音からは疲れが出ていた。
「まぁみな無事に済んだ。あとは財貨箱だが……」
修練騎士が言って視線を移した先には、玄室の中央に不自然に置かれた大きな箱と、その前に座り込んで黙り込んでいる盗白浪が居た。
康寧とした空気が広がっている様に見えて、その実一党の間には緊張感が漂っていた。
それと言うのも財貨箱には罠が付いて回るモノだからだ。
玄室の怪物を倒すと超自然的に出現する箱だが、中に眠る宝物が無条件に手に入る訳では無い。
そして、罠の解除は原則、一党の盗白浪の仕事である。
全員が見守る中、がちゃり、という音が一つ鳴って盗白浪が振り返った。
「……成功だ」
その言葉を聞いて一党は「おお……」と歓喜の声を漏らした。
財貨箱の中身は金貨にして三百枚、それと判別不能な装備品が幾つかが有り、一党は歓喜の声を強めた。
加えて言えば金貨よりも、一党は装備品の方に歓喜を示していた。
「大収穫だな!」
戦士が言って全員が頷く。装備品は街に戻り、鑑定に出し判別しなければ、どんな業物や魔法の武器でも鉄屑に劣る代物でしか無い。だが鑑定品は深い階層ほどいいモノになる傾向がある。五層ともなれば、鑑定品には殆どの場合で魔法の武具が混じっている。
まだ見ぬ価値を有す財貨。
一党は確かな収穫を得た事で、ここが引き際だと見定め地上への帰路へと着こうとしていた。
「……と、その前に剣が折れちまったからな」
言って戦士は、先程戦った幽霊騎士の残骸から剣を拾い上げる。
暗銀の長剣の柄を握ると、ひたり、と手に吸い付く様に戦士の掌に馴染んだ。
戦士はその剣の素晴らしさに嘆息を漏らす。
「コイツぁとんでもない剣だな……」
「大丈夫なのか、ソレ?」
怪訝な目で戦士の持つ剣を見やり、修練騎士が言うも、戦士は聞いている様子は無かった。
「駄目だ。今すぐ捨てろ」
声は盗白浪のモノだった。
そして盗白浪は背嚢から蛤剣を取り出し戦士に差し出す。
「何があるか分からない。【鑑定】の資質持ちがいない以上、得体の知れないモノは持ち帰るべきじゃない」
強い口調で盗白浪が言う。
その言葉に修練騎士と戦士は押し黙った。
「分かったならこっちを使え」
そうして盗白浪は蛤剣を戦士に押し付けて、帰路の偵察へと出ていった。
「だがなぁ……もしかするとコイツが今日一番の収穫かも知れんぞ?」
そう言った戦士は悪そうな笑みを浮かべ、一党の先頭に戻っていく。
修練騎士は止めるべきか悩んだが『使いさえしなければ大丈夫だろう』とその背を見送り、「やれやれ……」と呆れた様子で続いた。
そして────……
一党は第三層にまで戻ってきており、しばらく歩いていると徘徊する怪物を見つけた。
二本足で立ち、革鎧に鉈と金属の円盾を持った亜狼人が二体。更にそれに守られる様に赤茶のマントを羽織り銅の錫杖を持った亜狼君主が一体。
迷宮の怪物は、先に発見すれば暗澹に隠される事は無い。
「三層ならそこまで危険な怪物はいない。不意を突いて一気に片付けよう」
戦士の提案に全員が頷き、全員が怪物の背後へと回り込んだ。
奇襲作戦の初手は盗白浪の一撃から開始された。
「【背突】」
盗白浪の短刀による致命的な一撃が亜狼人の一体を仕留める。続いて修練騎士の【聖打】がもう一体の亜狼人の頭を砕いた。
残るは亜狼君主のみ。
戦士が大きく踏み込み、斬り掛かった。
しかし──……その刃は本来斬るべき亜狼君主では無く、修練騎士へと向けられていた。
「なっ──!」
修練騎士は喫驚で身体が硬直し、反応が遅れ────瞬間、その首は宙を舞う事となった。
意味不明な状況に全員の思考が一瞬停止する。
すぐに落ち着きを取り戻したのは盗白浪であった。同時に戦士の手に握られているのが、自身が注意した筈の暗銀の長剣である事に気付いた。
「なにしてるんだ……!」
盗白浪が怒りと驚きの混じった表情で戦士を見据えていた。
しかし、戦士から返事は無い。
戦士の意識は既に得体の知れない何かに乗っ取られているのだと盗白浪は察する。
だが盗白浪を除いて、残った一党の誰も何が起きているのか理解出来ていなかった。
残っているのは盗白浪である自身と詠唱術士、修道女の後衛職である三人。
敵は亜狼君主と呪われてしまった戦士。
──どう切り抜ける?
ただ一人状況を把握している盗白浪が思考を巡らせるが、戦士は容赦なく襲い掛かってきた。
「くそ……やるしか無いッ! 術を使え!」
後方の術士へと盗白浪は怒号を飛ばすも、術士はまだ困惑しており、盗白浪の指示を聞けていなかった。
最中、修道女だけはまだ大きく様子が変わっていないのを見て、盗白浪は僅かに安堵する。
そこへ戦士の剣が盗白浪の肩を掠め、シャツに血が滲んだ。
正面切っての戦闘において盗白浪が戦士に勝る事は無い事は探索者なら誰でも分かる。
「陣形を維持しろッ! 一度気絶さえさせれば何とかなるッ!」
……しかし、盗白浪の叫びを聞いている仲間はいなかった。
唯一聞いていたであろう者は敵である亜狼君主のみ。
──どうして誰も動かない!?
盗白浪の内で疑問と焦りが大きくなっていく。
すると、まともであったはずの修道女は何故か陣形を崩して前に飛び出していた。
『何をしてるんだ!?』
そんな疑問が盗白浪の脳内を占めた。
「ああぁぁぁ……!! どうしてェ!? なんでぇぇぇぇええ……!!!」
聞くに絶えぬ悲鳴と嗚咽を上げながら修道女は修練騎士の首へと駆け寄っていた。
瞬時に盗白浪は“意味”を理解した。
『コイツらそういう関係だったか──……!』
その致命的な要素に気付いた盗白浪は再度術士に叫んだ。
「早く唱えろッッ!!」
「あ……あぁぁぁぁぁ……!!」
だが術士は絶望的な状況に崩れ落ち、呪文を唱えようとしない。
……その間に修道女が亜狼君主の錫杖で殴殺され、状況は更に悪化していく。
「くそがッ!」
苛立ちばかりが募る。
その時、盗白浪は一瞬目を瞑ってしまった。
『しまった────』
脳裏に浮かんだ言葉。
それが致命的なミスであった事に、盗白浪自身も理解していた。
“死”はもうすぐそこまでやってきていた。
とんっ。
軽い衝撃が首に奔り、盗白浪の視界はぐるりと回った。
その様を見ていた術士は自分も同じ様になると漸く理解した。
「ひぃぃぃあぁぁぁぁッッ!!」
残された術士は絶叫し杖を戦士へと向ける。
されど術は放たれない。
当然だろう。
呪文を唱えていないのだから。
とんっ。
術士もまた、その場に首から下だけを残し崩れ落ちる。
直後仲間を皆殺しにした戦士は自らの胸を、仲間達を殺したその剣で貫いて自死した。
──そうして一党は壊滅した。
彼らの死因は手に入れた財貨に陶然し、帰路でその驕りを見せた事と、強敵に勝った事で慎重さを損なったが故に招かれた。
戦士が手にした幽霊騎士の剣。
それは見る者が見れば、紛れも無い呪いの品である。
幽霊騎士とは、その全身を呪いの武具で武装している怪物である事を彼らは知らなかった。
……もし彼らにあと少しの知恵、慎重さがあれば結末は変わっていただろう。
自らの死と栄光の道を走る者、探索者。
また一つ死が巡り、栄光が潰えた。
それは終わりなく巡る。
不覊暗渠の底に辿り着く者が現れるまで────。