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塵芥のレゾンデートル  作者: ガリアンデル
2/5

第一幕

 夜と朝にある少しの逕庭。

 そこを女は走っていた。ぼろぼろの外套を纏う影が、街を疾走していく。

 女は【探索者】であった。

 古来より存在する異形棲まう迷宮。

 それに挑む者達の事を探索者と呼ぶ。

 彼らは自らの死と栄光の道を奔走する。

 だが……女は違っていた。


 女は探索者だが、探索者では無かった。

 辛うじてその資格を有しているだけの探索者くずれであり、今は一党(パーティ)にも属していないはぐれ者であった。

 迷宮(ダンジョン)への潜行には二人以上の“一党”でなければならない。つまり女は探索者という迷宮に挑む者でありながらにして迷宮に挑む資格を持っていなかった。


 それでも女は走っていた。迷宮へと向かって足を動かしていた。

 迷宮の入り口は街の外縁にあったが、その周囲は分厚い石の壁に囲まれており、背後には巨大な山脈が控えている。それは誰しもが入れる場所ではない事を物語っていた。

 

『資格無き者、この門通るべからず』


 迷宮を囲う壁と門にはこの言葉が刻まれている。女はそれを目にして一瞬足を止めた。


 迷宮への許可なき侵入は犯罪だ。

 陽を拝める日は二度と来ないかもしれない。

 しかしそれはこのまま地べたを這いずり燻っていても同じ事だ────まともに生きては行けない。もう覚悟は決めた。


 女が迷宮の門へと向けて再度走り出そうとした時、かすかに声が聞こえた。


「……だ」


 あまりに小さな声。掠れており、空気が抜けた様に発されている。もし、街に賑わいのある時間帯であったら女はおろか、誰一人として気付く事は無かっただろう。

 女の決心が鈍った。こんなにも簡単に揺らぐものだったのかと女は自分を恥ずかしく思ったが、それより声の主の姿を探し周囲を見回すも見える範囲にその姿は無かった。


「こ……だ…?」


『ここだ』。

 女にはそう聞こえた。

 そして声はすぐそばの路地から聞こえてきていた。暗く、湿った裏通りの奥から囁く声。

 何かの導きか、それとも悪魔の誘惑か。

 確かめる為、女は裏通りへと足を踏み入れる。


 街の影────表通りから一歩外れるだけで街は迷宮(ダンジョン)の様相を見せる。

 月明かりすらまともに届かず、視界の一尺先には闇。女の目の前にあるのは建造物の壁と壁に挟まれた一本道見えるが、更にその奥は街の成長と共に複雑し肥大化した裏路地の集合体が広がっていた。

 成長に取り込まれた部分には街の仄暗い部分が眠っている。暗殺者、犯罪組織、売春婦……これまで女には関わり合いの無かったものだ。

 以前までなら気付かぬ振りで通り過ぎていただろう。先程一つの決心を付けたせいで吹っ切れてしまったのか、躊躇する事なく女は進んでいった。


 暗い。

 不覊暗渠(アビス)に潜ったのはもう随分と前

だ。暗所でも効くはずだった自分の目は既に地上での生活に慣れ切ってしまっていた。

 だがまだ壁伝いになら進める。

 迷宮での経験で“道”の輪郭だけは捉える事が出来ている。問題はこの先に何がいるのかが分からないこと。

 ……幸い、と言っていいのか、人らしい気配を感じない事から破落戸まがいの探索者みたいのもいないだろう。

 更に一歩、女は踏み出したその足に違和感を覚えた。


 ぬる────。


 微かに滑る地面。

 油でも撒かれているのか、やけに足の裏に張り付く液体が女の足元には広がっていた。

 視界は優れないが、臭いで分かった────


『これは血だ』

 

 しかも人間の血だった。

 女には“覚え”があった。


 脳裏に浮かぶのは真暗い回廊の奥。

 そこから這いずり現れる────かつての仲間の亡骸が腐り果て──ただ一人生き残った自分を

憎み、呪い……羨んでいる。 

 

「────はっ……!」


 呼吸が乱れる。鼓動が早まる。

 女に迷宮が与えた“呪い”

 暗闇の向こうには死があり、かつての仲間たちはそこにいるのだという幻覚を見てしまう。

 幻覚だと分かっていても拭いされない女の抱く罪悪の根源。

 足元に広がる血は彼らのモノなのか。

 血は暗闇の奥へと続いていた。


 これは、幻覚だ。何もかも幻覚だ。

 また一つ足を進める。

 仲間の幻影を振り切るが如くに女は一歩ずつ進んでいった。


「誰……?」


 辿り着いた先、そこで女が見つけたのは見た事の無い鎧を見に纏い、3尺はあろう曲刀を大事に抱えている満身創痍の男だった。

 男の身体からは未だに血が流れている様であったが、息はあるのか微かに呼吸をしている。さながら眠っているかの様に落ち着いた呼吸で。


 女はここに足を踏み入れた時点で、今夜迷宮に忍び込む事は諦めていた。そして今は別の思惑が浮かんでいた。


「あの、生きてますか?」


 おかしな質問だと自分でも言ってから気付いた。死んでる者は返事をしたりしないのだから。


「血スゴいですが……」


 以前男からは返事は無い。

 もしかすると死んでいるのかもしれない。もしくはもうすぐ死ぬのかもしれない。

 それなら……。


 女は男が抱える大曲刀へと手を伸ばす。

 これを持って他の一党に行こう。持参金として渡せば一党に入れて貰えるかもしれない。

 ……いや、そんなのは駄目だ。

 自分は一体どこまで落ちぶれれば気が済むのだろうか。浅ましく醜い思考ばかりが浮かぶ自分に嫌気が差す。

 女は思い直し、今度は男の側に近寄ると久しく口にしていなかった“言葉”を唱える。


「『精霊よ、導きの月の精よ。かの者の血肉を癒し賜え』」


 呪文。

 他者を癒す力を有す職手(クラス)である【精養士(スピリット・メンター)】の扱う精霊術の中位呪文であった。

 女は唱えながら自分が精養士であった事を思い出していた。

 呪文を唱えるのも随分と久しぶりだった。しかし頭に刻まれた呪文を間違える事は無く、男の身体は問題なく治療されていた。


「これで、傷は治ったはずだけど……」


 男は反応を示さない。

 呼吸だけはしている様だが、目を覚まさない。


「この人、どうしよう……」


 とりあえず宿にまで運ぼう。と考え、男を背負おうとしてみたが、女の体躯、ましてや戦士職の様な腕力も無いのではどう頑張っても不可能だった。

 一通り試した所で女は一つの方法を思い付いた。


「アレなら──」



 ◇



 一度宿に戻った女は薄汚れた布切れを手にして再び男のいる路地裏へと戻ってきていた。


「これに入って貰えば何とかいけそう。それに引きずってもそんな痛くないだろうし……」


 女が持ってきたのは“死体袋”だった。

 当然まだ未使用のモノではあったが、死体袋に生きている人間を入れるのは気分の良いものではなかった。


「よし、これで────」


 男を何とか袋に収め、路地裏から戻ろうとしたところ女の耳に近付いてくる足音が聞こえた。

 がちゃり、がちゃり。

 音からして鎧を纏った人間だと分かった。

 しかし鎧を着込んでいて、路地裏に入ってくる人間は限られている。

 女は瞬時にそれが“善く無い者(イビル)”だと察した。

 “善く無い者”とは、当然“善き者(グッドネス)”では無い。されど完全なる悪では無い。あくまで探索者としての在り方(スタンス)に対するモノの評価である。

 特に路地裏は無法の領域であり、彼ら“善く無い者”の棲まう場所であった。ここでは彼らがルールであり女に権利は無い。

 もし襲われたとしても今の女には抵抗する手立ては無かった。


「……女だ」

 低い声が先に響いた。

「はァ? 日照り過ぎて幻覚でも見てんのかァ?」

 先の声の後に大きな蛮声が続いた。

 どちらも男であり、低い声の方は大男で板金鎧を纏っている事から戦士職と思われ、蛮声の方は男に比べて小さいが痩身で黒い革鎧を纏っており盗賊の様な身なりをしていた。

 

「マジじゃねぇか。おいおい、やったな」

 盗賊の方が言って板金鎧の背を叩いた。

 男達は女を見つけて舞い上がっている。それがどういう意味か分からない女では無かった。


 このまま袋に入れた男を置いて逃げればチャンスはあるだろうか?

 否。逃げ切れないだろう。

 片方は盗賊と思われる為、全力で走っても無理だ。まして彼らの勝手知ったる路地裏(バックアレイ)だ。不可能だろう。


どうする、などと考えるまでも無く女は自身の得物である(ワンド)を剣の様に構えて二人組を見据えた。


「おお? やるみたいだぜ、この女ァ!」

 盗賊の蛮声と共に、板金鎧の男が背負っていた鉄棍(アイアンクラブ)を手にし、地面を叩く。その衝撃、威力は叩かれた石畳が凹み、砕け散り、細かな破片が女に降ってきた。


「先手をやるよ、どうせ何も出来んだろうがな」

 板金鎧の男が兜の奥でくぐもった声で笑う。杖で板金鎧を砕くなど女には出来ない。

「顔はやめろよォ~? 後で萎えるからな」

 盗賊が蛮声を上げて野次を飛ばしている。


 何にせよ女はもう引くことは出来ない。やるしか無いのだ。


「わああぁぁぁ────!」

 力一杯踏み込んで杖を板金鎧に向けて振り下ろす……がん、という大きな音が響くだけ。女の攻撃を受けた男はやにわにその腕を掴み軽々と女を宙吊りにした。


「おうおう、先に手を出したのはお前だからなぁ。何されても文句言うんじゃねぇぞ?」


 板金鎧の男の手が女の外套へと伸びる。

 その時、女は自分の愚かさを呪った。

 いつもこうだ。一つ乗り越えた所で更に悪いことが起きる。

「見窄らしい格好してるかと思えば意外に良い身体してるじゃねぇか」

 まるで運命が告げている様に思えた。

 お前はここで終わりだ、と。この先へは進めない。いつまでも“行き止まりの道”で喚いているだけの存在が自分だ。

 いくら歩き出そうと前にあるのは壁。進む道なんてどこにも有りはしない。


『停頓』


 それはつまり死んでいるのと同義だ。

 進んでいく者達に置いていかれ、過去に埋もれいつしか忘れ去られていく。

 死んでるとしか言いようが無い。


『────無いじゃないか!!』


 堰を切って女は泣き出した。

 板金鎧の男達はそれを見て嘲笑った。

 男達は、女が嬲られ慰み者にされる事を嘆いて泣いているのだと思っているのだろう。

 女は今更その様な事で泣いているのでは無い。

 悪い事に際限が無い事を女は知っていた。あの四階層での経験を勝る苦しみは地上に戻ってきてから今の一度も無い。

 泣いているのは生きながらにして死んでいる自分の運命を呪ってのモノだった。

 『死』よりも強い、生ある者の『呪』の声。

 

 それを聞き届けるのは神か、それとも悪魔か。


 ただ一つ、それ(、、)だけが聞いた。


「騒々しいな。()れは死んだのでは無いのか」


 くぐもった声が女の背後から聞こえた。


「誰だァ!?」

 板金鎧の男が声に驚き周囲を見回す。そして女の背後に転がる“死体袋”に気付く。

 まさか死体が蘇ったのか、と板金鎧の男は勘ぐるがすぐに回死者(リビングデッド)で無いことに気付く。

 回死者が発するのはせいぜい呻き声程度であり、明朗な言葉を発する様な事は無い。


 ならあの死体袋の中身は……。


 ズ──────


 袋の内から薄く伸びた刃が生え、刃は袋を裂いていく。

 次に腕甲を身に付けた腕が飛び出してきた。

 黒い腕は地面に手を着き、やおら立ち上がり、とうとう女と板金鎧の男達の前にその全貌を露にした。


 三尺はあろう長大な湾刀を携え、東洋のモノと思われる軽めの甲冑を纏った戦士────この街でも珍しい職手(クラス)


 (サムライ)と呼ばれる者であった。


「なんでぇただのサムライかよ! 足は遅い、武器は鋭いが当たりにくい! 二人で掛かれば相手じゃねぇぜ」

 そう揶揄して盗賊の男が短刀(ダガー)を構える。板金鎧の男も女を離して鉄棍ではなく、腰に据えていた蛤剣(ブロードソード)を構えた。


 そして、盗賊の男が先に飛び出した。


 風の様に自然に、それでいて疾い。

 盗賊の資質(スキル)──〈速掛け〉だ。

 対して侍の男は構えすらしておらず、盗賊の男を待ち構えている様な素振りも見せていない。


『簡単に()れる!』


 侍の懐に飛び込んだ盗賊の男がそう思った矢先、腹部に違和感を抱き視線を落とす。


 湾刀の柄────?


 それを最後に盗賊の男の意識は遠のいた。

 侍は何事も無かった様に、じっと板金鎧を見据えている。

「なんなんだてめぇは」

 沈黙に耐え切れず板金鎧の男が侍へと投げかけた。

()れが“何者”か」

 呟く様に侍は質問を反芻し、静かに笑った。

 無論、板金鎧の男はそんな哲学じみた事を考えて問いかけたのでは無かったが、侍はその問いを自らの『存在理由(レゾンデートル)』を問われていると受け取ったのである。

「ただのサムライじゃねぇのは、分かったぜ。てめぇの動きは迷宮経験者のソレだ。だが、ソイツは俺だって同じ事よ! 最初から分かってりゃ油断なんてしねぇッ!!」

 答えを待たずして板金鎧の男が踏み出した。侍と男との距離は四尺程。大湾刀の射程距離(リーチ)は三尺もある。板金鎧の男が一歩でも踏み出せばそこは湾刀の距離であった。

 しかし……侍は刃を抜かずまた構えもせずに傍観している。侍は極めて怜悧(れいり)であった。この狭所での戦闘において三尺もある大湾刀を十分に振るう事は出来ないと判断したのだろう。


 女は両者の戦いをただ呆然と眺めていた。

 片や“善く無い者”、片や正体不明の侍。

 自分の運命の骰子(ダイス)は一体どこに転がっていくのだろうか────?


 決着は早々に着いた。

 無刀で待ち構える侍、そこへ蛤剣(ブロードソード)の切先を向けて前進する板金鎧の男。

 戦いの観測者である女は思った。

 侍の体格は板金鎧の男に比べ、細身で纏っている鎧も軽鎧の類である。だと言うのに武器である大湾刀だけはやたらと大きく長い。

 

 そして、侍に体術の資質(スキル)は存在しない。


「一つ誤解を解こう。己れの邦にも技を重視する者は居た。各々が手前勝手に名乗った“流派”を持っている。そうして剣術を学び士道を尊ぶ(さぶらい)となる。更にもう一つ、戦を求めるだけの徒輩がいる。其奴らは武士(もののふ)と呼ばれている。己れを呼ぶのであれば侍では無く、武士と呼べ」


 侍──では無く、武士の腕が蛤剣を握る男の手へと伸びた。同時に獣みたく姿勢を低くして刺突を回避する。


「がっ……! あァ────」

 武士は剣を握っている方の男の腕を捻ると、流れる様に男から剣を奪い、膝を着いた男へと切先を向けた。


「勝負有り、と言った所だと思うが」

 板金鎧の男は喉奥を鳴らし武士を見上げていたが、少し間を置いて諦めた様に「参った」と口にした。


「物分かりが良くて助かった。これ以上続けるのであれば己れの刀で切らねばならんところだった」


 聞いて、男は絶句した。

 この武士は始めから斬ろうと思えば自分を斬る事が出来たのだ。

 そうしなかったのはこの武士が状況を分かっていなかったからだろう。もし、自分達が犯罪者であれば容易く切り捨てられていたかもしれない。

 途端、抑えられていた恐怖が男の内に沸き上がり、早々に仲間の盗賊を抱えると去っていった。


「む。ここが何処か聞こうと思ったのだが……」


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