8
あたしの心中は伝わることなく、中松警部はそのまま続けた。
「普通に考えれば『正当防衛』で話は終わりなんだが…… おいっ、北関先生はお見えになったか?」
え? 北関先生って、まさか……
後方で「はい。そちらにご案内します」と返事がして、部屋に入ってきたのは……
お母さんだった。
◇◇◇
お母さんはあたしの方をチラリと見ると、中松警部に向き直った。
「中松警部。お久しぶりね。そして、今回はうちの娘がお世話になったようで」
「いえっ、いえいえ。北関先生。お忙しいところ、わざわざご足労いただきまして、まことに有難く……」
ちょっと、中松警部。さっきまでの威厳はどうしたの? デレデレしちゃって。
それに比べ、「北関先生」は知性を感じさせ、きりっとしてして、ちょっとかっこいいと思ってしまった。いかんいかん。あれはマイマザーだぞ。
「で、どうです? 北関先生。赤神の容体は?」
あれ? 「赤神」って呼び捨てなんだ。
中松警部の問いかけにお母さんは軽く首を振り、答える。
「容体ってほどのものではないわね。本当に軽い脳震盪よ。後遺症も残りゃしないわ。もう元気そのものよ」
「そうでしょうね。あ……」
中松警部はここでやっとあたしのことを思い出し(遅すぎだよ)、説明を始めた。
「北関さん。びっくりしたよな。いきなりお母さんが来ちゃ。でもな、北関先生は県内でも一、二を争う整形外科とスポーツ医学の権威で、事件や事故があった時、緊急搬送しても、嫌な顔一つせず、診てくれる。警察にとっても、本当に有難い方なんだ」
「そんな。どうってことないわよ」
その時にお母さんときたら、ドヤ顔する訳でもなく、まさに究極の知的クール。同じ女の目から見てもかっこいいって、だから、あれはマイマザーだってえの。
「それで、北関先生。赤神は何て言ってます? 今回のこと」
「どうもこうもないわよ」
お母さんはクールなままあきれ果てたという顔をする。
「鈴木君が彰子に性的暴行を加えようとしたのを、体を張って止めようとしたら、自分は殴られた。不意を突かれて失神したと言い張っているわ」
「「なっ」」
あたしと翔太は思わず同時に声を出した。そして、あたしは立ち上がり、思わず大声を出した。
「そんなこと絶対ありませんっ! あたしを守ってくれたのは翔太ですっ!」
「分かっているさ」
中松警部があたしの言葉を継ぐ。
「どう考えても殴りかかったのは赤神の方でしょう。北関先生」
「中松警部の言う通りね。どう見てもカウンターを喰らっての失神だわ。刑事事件としては起訴できないでしょう。『正当防衛』だもの」
「そういうことですね。全く赤神の奴」
「あ、あの」
あたしはずっと疑問に思っていたことを口にした。
「中松警部と赤神先生はお知り合いなんですか?」
「ん……。高校の同級生だよ。俺は剣道部。赤神はボクシング部だった」
「あ、あの」
今度は翔太が疑問を口にした。
「赤神先生がボクシングでインターハイ優勝したって、本当ですか?」
「何? 赤神の奴、そんなことも言ってたのか?」
翔太は頷き、中松警部は大きく溜息を吐いた。
「あいつがインターハイに出たのは本当だよ。当時、ボクシング部は県内でも俺たちがいた学校にしかなくてな。しかも、あの年モスキート級はあいつ一人しかいなかったから、自動的に県代表になった」
「それで優勝というのは?」
「元世界チャンピオンで今タレントやってる具志川さんって知ってるだろ。あの人が沖縄代表で出てて、一回戦で当たることになったんだ。その時、具志川さんがサンドバッグ叩く音聞いて怖くなって、急な腹痛になったと言って棄権したんだ。だから、優勝はしていないよ」
「……」
あまりの話に絶句した。それで「優勝」は見栄の張り過ぎだろう。せめて、あの元世界チャンピオンの具志川さんといい勝負したくらいにしとけ。
この後、中松警部はお母さんに向き直ると言った。
「ともかく刑事事件としては成立しませんので、後は鈴木君と赤神の示談になります。申し訳ないですが、これから先は我々は関与できない」
「そうだね」
お母さんはクールに頷いたが、赤神先生のことを考えると前途多難は容易に想像できた。
◇◇◇
そうこうしているうちに、翔太のお母さんが翔太を迎えに来た。
謝らなくちゃと思い、立ち上がったあたしに先んじて、翔太のお母さんは思い切り翔太の背中を叩いた。
「翔太っ! 女の子を守って、警察の世話になったって。偉い! よくやったっ!」
後ろでは中松警部が唖然としている。恐らく「息子さんは女の子を守ったんです。叱らないでやってください」くらいのことは言ってくれたのだろう。だが、さすがにこの言動には驚いたらしい。
しかし、あたしは唖然としてばかりはいられない。元はと言えば、あたしが考えなしにボクシング部をいきなり見学しようとしたことがことの発端だ。謝っておかねば、自分が落ち着かない。
「あ、あの、おばさん、お久しぶりです。今回はいろいろとご迷惑を……」
あたしの声に、おばさんが振り向いたその顔は「笑顔」だった。
「あらあ、彰子ちゃん。すっかり美人さんになって。あのね、彰子ちゃんが悪いなんてちっとも思ってないよ。それよりおおごとにならなくてよかったよ」