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鬱陶しいと思ったが、相手は先生。しかも翔太のいるボクシング部の顧問とくれば、そうそうむげにも出来まい。あたしは名乗ることにした。
「あ、三年二組の北関彰子と言います。話が後になって申し訳ありませんが、ボクシング部を見学していいですか?」
「おおっ、見学なんて言わずに女子マネになってよ。俺、昔から女子マネに憧れてたんだ。こんな黒髪ロングの清楚な子が女子マネになってくれるなんて、やっと俺も青春が来たな」
ちょっと待て。女子マネになるとは一言も言ってないぞ。
「いえ。見学をさせてください」
「…… まあ今日のところはいいか。それより何組だっけ?」
「三年二組です」
「ああ、上泉のじじいが担任か。つまんないだろ? 古典なんかやっててさ。昔のことなんかやって何が面白いんだかなあ」
え? 呼び捨て? 先生って同僚の先生のことは何々先生って呼ぶんじゃないの? 上泉先生、あんたより随分年上だよね。
「……」
「やっぱり若い女の子はさあ、古典なんかやってるじじいより、俺みたいな若くて明るいスポーツマンがいいよね」
すまん。あたしはスポーツマンが嫌いという訳ではないが、古典をやる人は好きだ。それにあんた、若いと言っても三十代半ばだろう。あたしの倍の齢だよ。分かってんのか?
「……」
「俺さあこう見えて、インターハイのボクシングで優勝してるんだぜ。頼りになるぜ。守ってやるよ」
それは凄いですが、あんたに守ってもらわなくても、あたしは……
「…… あの、いろいろ教えていただいてありがとうございます。ごめんなさい。ちょっと集中して見学したいんですが」
「おう、そうかそうか。ならばなあ」
赤神先生は周りを見回した。
「おう。鈴木! リングに上がれっ! いっちょ揉んでやるっ!」
◇◇◇
「はいっ!」
元気よく返事した翔太だが、次の瞬間固まった。
理由は言うまでもない。あたしの姿を視認したからだ。
「鈴木っ! 何してやがるっ! とっととリングに上がれっ!」
「は、はい」
赤神先生に怒鳴られ、翔太は我を取り戻した。
すまん。翔太。
◇◇◇
「見てろよお。彰子ちゃん。俺のかっこいいとこ見せてやるからな」
うわお。もう「ちゃん」かよ。 赤神先生。本気、背筋に寒気が走ったよ。
「行くぞっ! 鈴木っ!」
赤神先生は翔太に突進すると次々とパンチを繰り出した。
うわっ、変なスイッチが入っちゃってるみたいだわ。翔太、大丈夫?
ところが翔太。派手さはないが、着実といった感じで回避していく。
正直、見惚れた。今まで知らなかった翔太の魅力を見てしまった。
この点については、ボクシング部を見学に来て良かったと思った。
「どうしたっ! 鈴木っ! かわしてばかりいないで打ち返して来てみろっ!」
そう言いながらパンチを繰り出し続ける赤神先生。翔太はその言葉に動ずることなく、着実な回避を続ける。
(かっこいい)
ちょっとそう思ってしまった。
「だからっ! 打ち返して来いって言って……ぶっ!」
翔太のパンチが赤神先生の顔面を捉えた。
「まっ、待てっ! ぶっ!」
続いて、二発三発と捉える。
赤神先生はしゃがみ込んで、怒鳴る。
「待てと言ってるだろうがっ! 鈴木っ!」
翔太はそのまま立ち止まり、赤神先生はゆっくり立ち上がる。
「どうも今日は調子がよくない。俺はこの彰子ちゃんを送っていくから、おまえは練習続けてろっ!」
何それ? 何だ、そのぶっ飛んだ話は? この先生、マジ危険だわ。
「いやー、ごめんなさいっ! あたし急用思い出したわっ! すぐに帰らないとママンに怒られます。お世話様でした。さようならっ!」
「あっ、あっ、待ってっ! 彰子ちゃんっ!」
あたしはわき目も触れず、ボクシング部の扉を開けると廊下を全力疾走した。
赤神先生はしばらく追いかけてきたが、振り切ることに成功した。小五までのサッカー少女としての遺産が少しは残っていてくれたらしい。
「それにしても……」
あたしは息を切らせながら思った。
「翔太にはまた悪いことしちゃったな。それに危なくてもうボクシング部には近づけないわ」
◇◇◇
あたしと翔太は帰宅経路の途中にある公園で落ち合った。あたしがLINEでここで会おうと伝えたからだ。
ハラハラしながら待っていると……来たっ! 翔太がっ!
あたしは翔太に向けて、突進した。
翔太は一瞬ギョッとした表情を見せたが、何と翔太もあたしに向かって突進してきた。
そして、同時に頭を下げると言った。
「「ごめんなさいっ!」」と。
◇◇◇
あたしと翔太は思わず顔を見合わせた。
翔太は、へ? という顔をしている。多分、あたしもそうなんだろう。
何だか笑いがこみ上げて来た。翔太も笑っている。
そして、しばしの間、二人で大爆笑した。
その上で、お互いがお互いに問うた。
「「何で謝るの?」」