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父は黙々とご飯を食べる母・兄・姉に問いかけた。
「なんてこった。彰子がこんな頑固者だったとは…… 一体、誰に似た?」
「「「お父さん」」」
それは見事にハモった回答だった。
「絶対譲らないところはお父さん似でしょう」
「今までの事象を冷静に解析すれば、お父さん似」
「彰子の頑固なところと髪の毛が真っ黒で針金みたいに硬いのはお父さん似」
父はしばらく怒りに震えていたが、質問を変えて来た。
「彰子が医者になるつもりがないなんて初めて聞いたぞ。みんなもそうだろう?」
母・兄・姉は一斉に頭を振った。
「よく漫画雑誌のコンテストのコーナー見て一喜一憂してたからね」
「普段の言動と行動を鑑みれば医者になるつもりがないという解が導き出される」
「小六の頃から今の時代平安貴族にはなれないから、それを描く漫画家になるって公言してたよ」
「うおおーい。何てこった」
父は頭を搔きむしった。
「だがな……だがな……俺は認めんぞ。彰子よ。医者だ。医者だ。おまえは医者になるのだ」
母曰くそれは古の「タイガーマスク」というアニメのパロディなんだそうだ。
◇◇◇
そうこうしているうちに、月日は瞬く間に過ぎ、高二の春休み。四月からは高三という時まで来た。
ある日、私は母に呼ばれた。
「彰子。国文学科志望は変わらないの? 医者になるつもりはないの?」
「変わりません。医者になる気はありません」
母はふうと小さな溜息をつくと続けた。
「分かっているでしょうけど、お父さんは絶対引かない人だから、このままじゃ学費出ないよ」
「あたしの志望校は全部給付型奨学金制度があります。受給できるだけの成績は取れています。親の援助は要りません」
母は今度は、はあと大きな溜息をついた。
「絶対譲らなくて、それでも何とかしちゃうところは本当にお父さんそっくりだわ。あたしも兄も姉もあんたがそこまで言うならと思っている。でもね」
「……」
「出来たらお父さんとケンカ別れじゃない形で進学先を決めてほしい」
「!」
「どんな形でもいいけれど、二人とも納得して、進学するようにしてほしい。お父さんにも頼んでるけど、これがあたしたち三人からのお願い」
母の言葉は私の心に刺さった。私だって父が嫌いな訳ではない。そして、きっと父だってそうだろう。高校卒業まであと一年ないのだ。
そして、翔太とのこともそうだ。翔太と過ごす時間は心地よい。平安文学や漫画の話も興味深そうに聞いてくれるし、翔太の話してくれるボクシングの話は分かりやすく、楽しい。信那ちゃんとの関係も尊重してくれている。
距離は縮まっている。あたしは翔太のことがきっと好きなのだ。でも、確信が持てない。
これも期限は後一年を切った。高校こそは翔太が中学の先生を感涙させるほど頑張ってくれたので一緒になったが、きっと大学は別になる。
信那ちゃんだって大学は別になる。彼女の志望は我が国の最難関帝都大学の文科三類。目指すは漫画の描ける国文学者だ。
いろいろなものに決着を付けなければならない。それが高校三年生なのかもしれない。
◇◇◇
高三の春。あたしと父の掛け合いは相変わらずだったが、少なくとも父の考えに反発するばかりでもなくなってきた。
父はあたしが医者になれば、自分の経験を伝授でき、自分の力であたしを守ることも出来る。それが正しいと思っているということなのだろう。少なくともあたしの漫画家志望を意地悪で否定している訳ではない。それはあたしも分かってきた。
そして、きっと父も私が何となくで国文学科を志望しているのではないことは分かっていると思う。
だけどお互いあと一歩が踏み出せないのだ。
あと一歩が踏み出せないと言えば、翔太とのこともそうだ。
そう思ったあたしは翔太のいるボクシング部を見学してみることにした。
信那ちゃんは付き添ってもいいと言ってくれた。でも、あたしはこのことは自分で決着を付けなくてはならないことだから、一人で行きたいと言った。
信那ちゃんは笑顔で頷き、バンとあたしの左肩を右手のひらで軽く叩くと言った。
「頑張れ」と。
◇◇◇
あたしはボクシング部の練習場の扉を叩いた。二回。
「何だっ!」
怒号のような男性の声がしたが、構わず引き戸をゆっくりと開けた。
次の瞬間、三十代くらいの男性と目が合った。顧問の先生だろうか。
視線が合った後、一瞬、時間が止まった。相手の男性が固まったからだ。
そのまま三分経過。ボクシングだけにか。相手の男性が口を開いた。
「驚いた。こんな可愛い子がうちの学校にいたのかよ。まあまあ、こっちに来て」
あたしは勧められるままにパイプ椅子に腰を下ろした。ざっと見回すと翔太は奥でサンドバッグを打っていた。どうやら夢中であたしが入って来たことに気付かないらしい。
「ねえ、君。名前は? あ、俺はボクシング部の顧問の赤神。この四月にこの学校に赴任して来てさ。正直、ブスばっかで外れだったなと思ってたんだけど、こんな可愛い子がいたとは、ラッキーだったぜ」