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「私もそれは言ったんだ」
信那ちゃんも言ってくれた。
「彰子ちゃんは強い子だし、私だって彰子ちゃんを守るって言ったんだ。だけど、鈴木君が……」
「ありがとう。上泉。本当におまえはいい友達だ」
翔太はまた微笑を浮かべて言った。
「だけど、今回のことで思い知らされたんだ。赤神先生はまともじゃない。この後で、俺と彰子と上泉が親しくしていると逆恨みして、どんな行動に出るか分かったもんじゃない。彰子だけじゃない。上泉にも危害が及ぶかもしれない」
「あの……」
お母さんも問いかける。
「やはり今回のことは赤神先生の問題でしょう。ペナルティーを加えて、遠隔地の学校に転任させるとか出来ないんですか?」
上泉先生は大きな溜息を吐いてから答えた。
「実はそれは校長から赤神先生に二学期からの人事異動の内々示を言い渡してあるんです。そうしたら、赤神先生が言ったことが……」
聞きたくもないけど、聞かない訳にはいかない。ちくしょう。
「『俺は殴られた被害者なのに、俺だけ人事異動なんて納得がいかない。そんな内々示は拒否する。俺は二学期からもこの学校に居続ける』と」
さすがにお母さんも顔色を変えた。
「そんなことが出来るんですか?」
上泉先生はもう一度、大きな溜息を吐いた。
「正当な事由がないのだから通らない話です。だけど、強硬に居座り続けると無責任なメディアも面白半分に飛び付いてきて、赤神先生を悲劇のヒーローにまつり上げることもあり得る。そうなると鈴木と北関にもっと深い傷がつく」
お母さんも大きな溜息を吐く。
「それで?」
「それで鈴木が自主退学することで、赤神先生を納得させて、事態の穏便な幕引きを図る……と」
「やっぱり、絶対、おかしいですっ!」
あたしは再度立ち上がった。
「そんなのおかしいっ! 非があるのは赤神先生の方じゃないですかっ! 何でそんなに赤神先生に気を遣わなきゃいけないんですっ?」
「北関の言う通りだ」
上泉先生もあたしの目を真っ直ぐ見据えて言った。
「校長ですら、これはおかしいと言った。だが、鈴木は校長にも言って、譲らなかった。自分が自主退学することで北関を守りたいと」
「翔太っ!」
あたしはまた翔太に飛びかかりそうになった。
「翔太はそれでいいのかっ! こんなのっ! こんなのっ! おかしいよっ!」
◇◇◇
ポン
お母さんが静かにあたしの右肩に手を置いた。
「彰子、落ち着いて。まずは翔太君の気持ちを受け止めて。ところで、上泉先生」
「はい」
「翔太君は自主退学してそのままじゃないでしょう。その後のことは決まっているのですか?」
「ああ、はい。おい、鈴木」
上泉先生は翔太の方を振り返る。
「はい」
翔太は笑顔のまま答える。
「『自衛隊』に入ることにしました」
◇◇◇
自衛隊? 驚くあたしを尻目に上泉先生は続ける。
「鈴木のお母さんもご存知でしたが、北関先生、覚えてらっしゃいますか? 竹上万太郎」
「え? 竹上君? 覚えてますとも。『昭和の番長』。年中ケンカしちゃあ、うちの整形外科に来てましたもの。鈴木さんもご存知でしたか」
翔太のお母さんも笑顔になる。
「私、昔、高校の学生食堂に勤めてたんですよ。竹上君、ケンカ好きでごつい顔してるくせに、目だけは可愛くて、あの目で『ご飯、大盛りサービスにしてよ』と言われると逆らえなくてね」
私のお母さんも笑顔になった。
「いい意味での『昭和の番長』でしたよね。ケンカ好きだけど、正義感が強くて、弱い者イジメは大嫌いなの」
上泉先生は苦笑い。
「自分の教え子はああいう奴が多くてね。竹上も大学推薦をエサに女子生徒に交際を迫った教員を殴って、中途退学して、自衛隊入ったんだ。今回のこと、竹上に言ったら、『先生、そういう奴なら、俺欲しいよ。鍛えがいがある。上には俺が言うから、俺のところにくれ』って」
「そうかあ、竹上君のところに行くのかあ。あ、でも……」
お母さんが思い出したように言う。
「竹上君のいるところは『北海道』だったんじゃあ」
◇◇◇
北海道? ここは関東だ。そっ、そんなっ! 翔太が遠くに行ってしまう? あたしの気持ちをちゃんと伝えてないのに、急すぎるよ。
翔太はお母さんの言葉を受けると、真摯な顔つきに変わった。
「はい。竹上さんのいるのは北海道の千歳駐屯地です。急に遠隔地に行くことになったのは申し訳なく思っています。だけど、上泉先生のご紹介で、竹上さんと話して、どうしてもこの人のところで自分を鍛えてみたくなったんです」
上泉先生も神妙な顔つきになる。
「竹上を紹介した自分にも責任がある。言い訳になりますが、向こうに慣れたら、こっちに転勤要望も出せるし、転職してもいい。元自衛官なら再就職もしやすいし」
あたしの頭の中はグルグルだ。翔太っ! あたしに告白しといて、遠くに行っちゃうなんて。いやっ、いやいやっ、それは違うっ! 翔太は自分の生きる道を見つけただけだ。あたしが今まで翔太に甘えていただけだ。どうする? どうする? あたしはどうする?
次の瞬間、あたしは叫んでいた。
「あたしは『北海道』の大学に行くことにしたっ! いやっ! 絶対に行くっ!」
場の空気は思い切り凍った。話題が「北海道」だけのことはある。きっと「真冬の北海道」だろう。




