侍女の耳飾り
褐色の髪をきっちりまとめ、薄化粧をし、地味な色のシンプルなドレスをまとい、装飾品といえば、祖母の形見の真珠の耳飾りだけ。
ヘーゼルの瞳もあまり主張しないし、なんというか、とにかく顔立ちそのものが地味。
これが、いつものドリス・グレイ。いつもの私。
言いたくありませんが、今まさに婚期を逃している真っ最中の十九才です。
なお、実家の子爵家は弟が継ぐことになっておりますので、私が結婚しなくともどこにも不都合はありません。
「さあ、おじょうさま。れんしゅうのとおり、ごあいさつなさいませ」
私の背後から声をかけるのは、クリストフ公爵家の令嬢、シャーロット様。御年六歳。
けれど。
今日の私は、大変なことになっております。
お仕えする公爵令嬢シャーロット様の我がままで、服装を入れ替えているのです。
ふわふわの金髪に菫色の大きな瞳。
可憐なお顔立ち、輝くような笑顔、我がままさえ愛くるしい、そんなお嬢様とです。
いつも私が着ているような地味なドレスに、地味なまとめ髪さえ、お嬢様の魅力を隠せません。むしろ、気品を強調しています。
一方の私と言えば。
公爵夫人のご結婚前のドレスを着せられ、髪をふわふわにカールされ、大きなリボンまで付けられてしまいました。
装飾品だけは、いつもの真珠の耳飾り。
「だって、ドリスはその耳飾りが一番似合うのだもの」
このお嬢様の一言で、面白がった公爵夫人に宝石を付けられるのを回避しました。公爵家の宝石など付けられたら、緊張で心臓がどうにかなってしまいます。
そう、私の寿命はお嬢様に守られたのです。
お嬢様は天使。
間違いなく天使。
天使なのですが。
「わたくし、今日は侍女になります。ドリスがお嬢様役よ」
この一言が、私を窮地に追いやったのです。
お嬢様の侍女ごっこは、簡単には終わりませんでした。
王妃様のご招待を受けているというのに、お支度の時間だと申し上げても聞いていただけず、お出かけの時間になっても止まらず、頼みの公爵夫人さえ何も仰ってくださらず、けれども遅刻することは許されず、ついに仮装のまま馬車へ乗せられてしまったのでした。
このようなことがあるでしょうか。
馬車を降りてからの、すれ違う皆様の視線ときたらありません。
奇妙な姿で歩いていく私に、皆様驚いたお顔をなさり、後ろで得意げなお顔をなさるお嬢様を見つけては、ほっと表情を緩められるのです。
このルーチン、もっともなこととは思うのですが、少々私の心は痛みます。仕事より大事なものは無いと言い切れますが、少し、ほんの少しだけ、女として揺れるものもあるのです。できることなら、このような見苦しい姿を見られたくない方も――これから必ずお目にかかる方なのですが――あるのでした。
そしてついに、お茶会の場へと到着してしまいました。
これはきっと悪い夢を見ているに違いありません。
そして、最初に戻るのです。
お嬢様が、挨拶をするように私を促します。
そう、夢とはいえ、礼を失することがあってはなりませんね。
挨拶です。
「ほ、ほんじつは、おまねきいただきまして、こここうえいにぞんじますっ」
大失態です。
これは夢。
悪い夢……。
「ふうー」
私のたどたどしい挨拶に、背後のシャーロット様が、なんとも言えないため息をつかれました。
普段の私は、そのようなことをしていたでしょうか。
「おじょうさま、おはげみくださいませ」
駄目出しもされてしまいました。
けれど私は、そのように皆様にはっきり聞こえる大きな声でご忠告したことはございませんよ。
人の落ち度を指摘するときは、他の方に気づかれないようになさいませと、いつも申し上げてるではありませんか。
元はと言えば私の失敗なのですが。
さて。
お迎えくださるのは、王妃様。
お嬢様の婚約者、フランシス第一王子殿下の母君であらせられます。
さすがは貴婦人の鑑、謎の入れ替わりにも、動揺をお見せになりません。
現在無礼を働いている私の方が、ずっと狼狽えております。
「内輪の席ですもの、堅苦しい挨拶は結構よ。さあ、いらっしゃい」
ああ。王妃様の美しい微笑みが、さすがにぎこちないです。
お気持ち、お察しいたします。
いっそ指差して笑っていただきたい。けれど、貴婦人たるもの、心のまま人を笑ったりはなさらないものです。
王妃様の先導で、お茶のテーブルに向かいます。
そこにはフランシス殿下が――おられません。代わりに、普段の殿下のようなお召し物を纏われ、真っ赤な顔をなさった、護衛役の近衛騎士ケインズ伯が。普段の制服姿と違う、貴公子然としたお姿も、とてもお似合いです。
それに引きかえ、私ときたら。このような姿、ケインズ伯にだけはお目に掛けたくありませんでした。恥ずかしさで顔から火を噴きそうです。いっそ消えてしまいたい。
いいえ、繰り言はもう止しましょう。
今は仕事中なのです。
落ち着いて、室内の状況を確認します。
本物の殿下は、少し下がったところで、近衛の制服を纏って控えておいでです。
ようやく納得いたしました。
殿下とお嬢様が、示し合わせて入れ替わりごっこをなさっているのですね。
公爵夫人もお人の悪いことです。
お茶会の趣向を知らなかったのは、私だけだったのでしょう。
ともあれ、薦められるまま、席に着きました。
「殿下」
シャーロットお嬢様が、侍女ごっこを忘れて、笑顔で殿下に駆け寄ります。殿下のお顔にも、優しい笑みが広がりました。
未来の国王ご夫妻の睦まじいご様子、民として喜ばしい限りです。
でも、お嬢様、お部屋の中で走ってはなりません。
「うまくいったね、シャーロット」
「はい、殿下。ドリスのリボンは、わたくしが結びましたの」
「上手にできているね」
確かに、上手に結んでいただきました。でも、このリボンにとどめを刺された気も致します。
「でも、ケインズはどうしたのだろう。下を向いて、黙ったままだ」
「今日のドリスは、とても可愛くしているので、きっと照れているのですわ」
「逆効果だったのかな」
「ぎゃくこうかでしたか」
ケインズ伯がどうしたとおっしゃるのでしょう?
ひどく喉が渇きますが、お茶に手を付けることさえできません。カップに触れたら、手の震えが皆様に知られてしまいそうなのです。
緊張のあまり、いつもはこっそり楽しみにしている、窓からのお庭の景色さえ目に入りません。
「憧れの真珠の君だからね」
「しんじゅのきみ。どういう意味ですか?」
「名前を呼ぶのが恥ずかしいから、その人の目印で呼ぶんだよ」
「そうなのですね。私も真珠を見るとドリスを思い出します。では、きみ、は?」
「君、は、この場合は、ええと、何て言えば良いのだろう。その人を尊敬してる……?」
「そんけいって、大好きってことですか?」
そろそろ私の心臓が限界を迎えようとしたところで、王妃様が口を開かれました。
「それで良いのですよ、シャーロット。この場合は、ね」
ケインズ伯が、お茶にむせて咳き込まれました。
「大変だ、殿下をお助けしなくては」
フランシス殿下が、ケインズ伯のもとに颯爽と駆け付けて、背中をさすって差し上げます。
それは護衛騎士のお仕事には含まれないかと存じますが。
一方のお嬢様も、殿下の真似をなさって、私の背をさすってくださいます。
何という天使。
「おじょうさま。せっかくのおちゃかいでございますよ。もっとおはなしなさいませ」
大きな声でお嬢様が仰います。
さらに王妃様が追い打ちをおかけになりました。
「お茶はもう十分のようですね。二人でお庭で遊んできてはどうかしら。さ、騎士と侍女は、二人が困らないように見守っておあげなさい」
殿下とお嬢様が元気なお返事をなさいます。
本物の騎士と侍女も腹を括るよりありません。
ぎこちなく差し出された腕に手をかけ、庭へ出ます。
何か話したほうが良いでしょうか。しかし、一体何を?
「貴女は――」
「何をして遊べば良いのでしょう」
しまった。
私としたことが、ケインズ伯がお話しなさるのを遮ってしまいました。
「大変失礼いたしました、あの、どうぞ」
お詫びすると、伯爵は深く息を吸い込まれました。朗々と、力強い声が響きます。
「貴女は真珠のような、いや、優しく清らかな、真珠のように美しい方だと、かねがね思っておりました」
「言った!」
殿下の可愛らしい声が、すぐ後ろからしました。お嬢様の声が続きます。
「おじょうさま。がんばるのです。わたくしも、おしたいしております、ですよ」
「私も、貴方を、お慕いしております、ケインズ伯爵」
とうとう言ってしまいました。
それに応えてくださったケインズ伯の声は、きっと幼い方々の歓声でかき消されたことでしょう。
ですからそれは、偽物の王子と令嬢だけの秘密とさせていただきます。
ご覧いただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
 




