上、忘れっぽい少女と優しい幼馴染み。
全2話構成の短編です。
よろしくお願いいたします。
いつかの記憶で誰かが言ってた。初恋は実らない、と。
そりゃそうだ、考えてみれば当たり前のことじゃないか。運動だって、勉強だって、ゲームだってそうなのだから。初めてやることが上手くいくことなんて滅多にない。だからこそビギナーズラックなんて言葉がある訳だし、最初から何でも出来たのなら天才なんて言葉は生まれてこない。そして、そういった考えは恋愛においても通ずるものなんだろう。
でも、それでも。
「――立ち止まる理由にはならないでしょーが!!」
私は叫ぶ。傍に人は居ても、この言葉に返事はいらない。だって別に誰かに向けた言葉じゃないから、ただ無性に大きな声で、不合理な世の中が生み出した鬱屈へと自分の中に生まれた反論を投げ掛けたかっただけだから。
煮えたぎった想いが籠もる吐息。それは乾いた唇から出た途端、一桁の気温によって冷やされ、真っ白な水蒸気となって赤く染まった空へと消える。学校からの帰り道、山の中腹に建てられた展望台。思いっきり自分の秘めたる想いを吐き出した私は、薄汚れている冷たいベンチへと腰掛けた。
「あの子を好きになっちゃうなんて、数日前の私にだって分からないじゃんか。まさか女の子が恋愛対象だなんて」
恋愛は男女で行うべきもの。それはこの社会の中では絶対だった。だからこそ同性愛は禁断の背徳として好まれ、創作の中で楽しまれてきたんだと思う。
ならば、こうして同性を好きになってしまった私は紛い物なのだろうか。一つこの想いを口に出せば笑い者にされるか、指をさされるような想像が優に思いつく。自分たちとは異なる別の生き物かのように虐げられる可能性は充分にあるんだ。
「だけど、今なら大丈夫だよね。同性婚だってしている人はいるみたいだし」
世界は常に変化を繰り返している。気付けばここ数年で同性愛を認めるような風潮が生まれていて、これまでとは違う男女差のないジェンダーレスな社会へと世の中は変わりつつあるんだ。
だから私にもきっとチャンスはある……とはいえ相手の意思はどう足掻いても分からないから、今はそう自分に言い聞かせるしかなかった。
「はぁ……明日、大丈夫かな……」
考えれば考える程に思考は蜘蛛の糸に絡め取られ、結論が出ることはなく。白い絵の具が点々と滲む空を見つめながら物憂い溜め息を零していると、隣からガサガサと小袋を破く音が聞こえた。それと同時に耳に入ったのは……至極楽しそうな笑い声で。
「ふ、ふふふっ。すごく震えてるけど、そんなに緊張してるの? 香織」
優しく鼓膜を揺らすハスキーな声音。それは私の荒れた心を落ち着かせてくれるが、それと同時にまた荒波を作らんばかりに掻き混ぜていく。不満を隠すこともなく頬を膨らまし隣へと目を向ければ、夕焼けに照らされた馴染みある少女がニヤけた笑いを浮かべながら、好物であるレモン味の飴を舐めていた。
「べ、別に緊張とかしてないからね? 本当だから、私もう気合い入りまくってる……そう、これは無茶震いだから!」
「武者震いね。まったく、相談があるって言うから何かと思えば……まさか貴女から恋の話を聞けるようになるなんてね」
「親が見守ってるみたいな暖かい眼差しを向けるなっ。だって、幼馴染みの凪だけには話しておきたくて……でもそう思った私が馬鹿だった」
腰まで伸びた長い黒髪を揺らしながら、厳しそうな性格を思わせるツリ目を細めて微笑む姿は、一言で伝えるなら妖艶だ。彼女は座っていても分かるくらいに背が高いし、石膏像のように整った顔だから何をしても似合う……それが例え私をちくりちくりと挑発する厭らしい笑みだとしてもね!
「あらあら、これでも祝福してるのよ? 大切な幼馴染みである香織の成長を。厳しい厳しい私たちのクラスの委員長を好きになったドMな貴女を」
「どう聞いても煽ってるだろ!? あーもうっ、お前はいつもいつも……」
彼女、凪はずっと昔からそうだった。詳しいことはあまり覚えていないけど、こうして手玉に取られ続ける関係であることは私たちの間に根付いてしまっている。こいつはいつも大人振っていて、学校でも冷静沈着で、勉強も学年一桁を維持するくらい出来て、毎回テスト前にはマンツーマンで教えてくれて……ってどうして私は褒めてるんだ!?
ともあれ、彼女はいつも私で遊んでくる。こっちが真剣に悩んでいるというのに、幼馴染みなんだからもっと親身になってくれもいいと思うんだけど。
「ずっと言おうと思ってたけどね! お前は昔から――」
「あら、忘れっぽい貴女が昔のことを覚えてるなんて……明日は雨かしら?」
「老人扱いしないでくれますかね!? 私もお前もまだ十七歳だから!……というか明日は告白するんだから、そんな不吉なこと言わないでよっ」
告白の日に雨なんて降ってみろ、映画だったら絶対に悲劇が起こるじゃないか。
「冗談よ。でも、貴女が忘れっぽいのは事実でしょう? 昨日の晩ご飯は?」
「え、あー……お、お味噌汁?」
「はぁ……貴女の家庭ではほとんど毎晩出てるでしょ。メインを答えなさい」
「……わ、分かりません」
「ふふっ、素直でよろしい。因みに正解は鯖の塩焼きよ」
「そういえばそうだったような……ってどうして知ってる」
長年培った癖と言うべきか、やはり彼女に言いくるめられてしまう自分がいる。しかしこういった会話を掛け替えのない日常として気に入っていて、彼女に罵られる日常を心地よく思っているのも確かで……はっ、決してマゾ体質とかではない……ないはずだ!
「あーもう! お前と話してると緊張してるのが変に思えてきたよ……」
「なら良かったわ。貴女、身体が強張ってたらいつも失敗するんだもの。これでちゃんと全力を出せるでしょう?」
まさか、それを見越して……? 厳しくも優しく私のことを考えてくれている、腐っても幼馴染みということだろうか。
「な、凪ぃ……お前ってやつは、私の為に……!」
「まあ、楽しさ八割だけど」
「返せよこの感動」
ケラケラと楽しげに笑う彼女を横目に、溜め息を吐きながらグッと背を反らして見上げれば、夕空に幾つもの灰色が混ざっていくのが見えた。まさか本当に明日は雨じゃないよね。ジメジメしてる中で告白するのは成功率悪そうで嫌なんだけど。
一応タイミングは放課後の誰もいなくなった教室でと考えていたけれど、雨天だと校舎には人がいっぱい残っているんじゃないだろうか。ならどうすれば……と思考の渦に飲まれていた私を。
「あいたっ!?」
一発のデコピンが我に返らせた。
「何すんのさ! 痛いじゃんかっ」
「しょうもないこと考えないの。貴女らしくないわよ」
凪はまた私の内心を汲んで、思索のループから助けてくれたのかもしれない。でも痛いことには変わりなく、恨めしさを込めたジト目の視線を向けるが何のその。彼女は優しい笑みでこちらを見詰めていた。
「成功しても失敗しても、貴女は貴女。もしも振られたら慰めてあげるから、悔いの残らないように頑張りなさい。そうすればきっと大丈夫よ」
「……うん」
「貴女は忘れっぽいからね。ちゃんと告白の台詞を考えて、覚えておくのよ」
「わ、分かってるから。そんなお母さんみたいな心配しなくてもいいから!」
「それでも香織は忘れるんだから仕方ないじゃない、昔からそうだもの。今度の誕生日にメモ帳でも買ってあげましょうか?」
「記憶力について弄りすぎじゃないかなあ!?」
そうかしら? と首を傾げる凪、何とも絵になる光景だ。思わず見蕩れそうになるものの、そうしたらまた行動の揚げ足を取って弄ばれるに違いない。なのでつーんと顔を背け、私は展望台から見える日暮れの景色に目を移した。
遠くで飛ぶカラスか何かを見詰めて思う。もしかしてまた凪との約束、知らない内に忘れちゃってた? それで実は内心怒ってたり……? そんな存在するかも分からない悩みすらも見透かされたのか、私の頭上へと柔らかい指が触れた。
「ふふっ。相変わらずね、香織。貴方のそういう所、嫌いじゃないわ」
小さくて冷たい手のひら。私の髪をやや乱暴に撫でた後、凪は静かに立ち上がる。チラッと彼女の方を見ると、そこには少し寂しそうな表情を浮かべたまま、曇りつつある夕焼け空へと大きく伸びをしている姿があって……まるで青春ドラマのワンシーンのようだ。
「あら、私に見蕩れちゃった?」
「うるさいっ。さっさと帰れ!」
「はいはい。それじゃあまた明日ね、香織」
小さく笑いながら手を振って去って行く。しっしっと払うように彼女に手を振った後、また私は一日の終わりが近付く空を見上げた。
……ほんと、黙っていれば美人なのに、私を玩具のように扱うのはどうにかならないものか。まったく大変な幼馴染みを持ったもんだ。女の子を好きになった私が言うのもなんだけど。
「……よし。明日は告白するぞっ」
大事な親友からエールを貰ったんだ、気合いを入れて頑張ろう。これまでも彼女の言うことに外れはなかった。だから私はその言葉を信じて前へ進めるんだ。
「私は私。悔いの残らないように頑張る!」
凪が言うんだから大丈夫。私なら出来る。だってこの好きという気持ちはきっと本物だと思うから。そう言い聞かせながら土を踏み込んで立ち上がり、冷えて白くなった頬を両手で強く叩いた。