3話 花柳 詩織
――花柳 詩織――
私は今、マネージャーの仕事もろくにしないで、たった一人の部員の動きを食い入るように見ていた。
ありえない。つい先日までは荒削りで運動神経に物を言わせたようなプレイしかしていなかった彼が見違えるような動きをしている。
「うっそ……」
まだ入部して一月。そんな彼を誰も止めることが出来ない。ボールが足に吸い付いているかのように軽やかにドリブルをし、巧妙なフェイントで鮮やかに抜き去っていく。
今年の1年にはめんどくさいのがいるとは聞いていた。女の子を過剰に意識して、やたらぐいぐい話しかけてくる奴。能力はあるんだろうけど自慢話ばかりで皆辟易していた、私もその一人。でも、今の彼はどうだろう。まるで人が変わったかのように真っ直ぐ前を向いている。あれだけの人を抜いたにも関わらず驕った態度も見せない。
なにが彼に変化をもたらしたのかは分からない。けれど、ただひたむきにそこに向かい、自分の力を過信せず驕らず取り組む姿はやはり……
「……カッコイイ……」
「花柳先輩、ボトルもらっていいっすか?」
「え!? あ、はっ、はい! ただいま!」
し、しまった! ぼーっとしてたせいで真宮くんがこっちきてたの気付かなかった!
「…? 花柳先輩、なんか顔赤いですけど、大丈夫ですか?」
「っ!? だ、大丈夫! 気にしないで!」
「それならいいんですけど、もし体調悪いようなら誰かに伝えてくださいね。あ、ボトルありがとうございました」
「ちょ、ちょっと待って! 真宮くん!」
「…? なんすか?」
「あ、あの…今日の練習の動き…見違えるようだけど、なんかあったの?」
「ん…? ああ、別に大したことじゃないっすよ。ただ単純に現実を見ただけっていうか…まあ、本当、大したことじゃないっす」
それだけ言って真宮くんは練習へと戻っていってしまった。私の頭には現実を見ただけという言葉がぐるぐると回る。え、なに、現実って。現実見るとサッカーって上手くなるの? えっえっ、しかもそれ大したことないとか言っちゃうの? あんだけ上手くなってて大したことないの!?
それ以降も彼はただ前を見て、たまに自分のプレイを振り返っているのかブツブツと何かを呟いてはまた凄まじいプレイを見せてくれる。私はあっというまに真宮 直哉というプレイヤーのファンの一人になっていた。
彼のプレイは圧巻の一言。一切倒れない。軸がブレない。そのくせ冷静な判断力でパスも正確で有効なところに送ってくる。決定力もピカイチなので自分で攻めてもそれが決定打になる。小さな試合形式のゲームとはいえ、全て把握して言葉も最小限で完璧にコントロールしているのが私ですらわかる。
「あ、ありえない…」
私は開いた口そのままにぽつりと呟いた。
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私は練習後、誰より早く支度をして出て行ってしまう真宮くんを慌てて追いかけていた。同級生の男の子に「詩織? どこいくんだよ!」と声を掛けられたが「ちょ、ちょっと用事が!」なんて大分苦しい言い訳をして飛び出してきてしまった。明日はなんて用事があったと言い訳するべきか…
真宮くんは私の数メートル先を早足で歩く。てか、歩くの早すぎて私はちょっと走っている。まるで追いつけやしない。て、ていうか、なんか私これストーカーみたいじゃない!? と思ったが、今は考えないようにした。彼の強さの秘密を見つけ出さなくては、このモヤモヤは取れないだろうから。
「ただいまー」
彼は一軒の家で立ち止まり、中へ入っていった。
「あれ…? 普通に家に帰ってただけなの?」
最近は用事があると言ってすぐに帰ってしまうから、この後のなにかに秘密があると思っていたのだが違ったのだろうか。
…なんか、拍子抜けした。帰ろ。
私は落胆した気持ちそのままに、くるりと踵を返して歩き始める。すると、再び彼の声が聞こえてきた。
「いってきまーす」
パッと振り返ると、彼は動きやすそうなジャージに着替え、自前のボールを持って家を出てきていた。私はすぐに近くの電柱に隠れて、彼のストー……つ、追跡を開始した。
しばらく歩いて(私は走って)5分程、私は肩で息をしてうっすら汗をかきながら、誰もいない遊具もなにもない公園に入っていく彼を見ていた。彼はここで一体何を…まさか、あのメニューこなした後で自主練なんて…ね。
そんな私の甘い考えは、すぐに覆されることになる。
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「な、なにあれ………」
彼は、部活のメニューがお遊びに見えるほど厳しいメニューを自分に課していた。絶え間なく動き続け、ことあるごとに自分の動きを修正。遂にはスマホのカメラを使って、スロー再生でもしているのだろう。食い入るようにその動画を見つめてはまた同じ練習を繰り返す。
彼の汗が顎から滴り、膝に手をついて肩で息をする。しかし、その彼の横顔は常に真剣にそのもの。
私は思った。彼があれほど上手くなったのは、やっぱり現実を見たからでもなんでもない。彼自身がそう変わって、ひたむきに努力を始めたからだ。なにが大したことないのか。こんなことができる人間がそんなにいてたまるものか。
私はただその場に立ち尽くして、彼が近くのベンチにドサっと座り込んでその自主練が終わるまで、ぼけーっと彼を見続けていた。
ハッと我に帰った私はくるりと体の向きを変え、自宅へと歩き出す。明日は、差し入れでも持ってきてあげよう。うっすら頬を染めながら、私はそんなことを考えた。