2話 真宮 直哉
――真宮 直哉――
昼食後に否応なく迫り来る眠気に、俺は大きな口をあけて「くあ…」と欠伸をする。窓から差し込む春の陽気が、俺を夢の世界へ誘ってくれる。
「それじゃあ、前回のテストを返すぞー」
そんな俺の微睡んだ意識を無理矢理現実に復帰させてくるのは、40代半ばあたりの数学教師。ただ、完全に体育会系の熱血よりで、肌は黒く焦げてガタイが気持ち悪いほどがっしりしている。ラグビー部とかあれば絶対そこの顧問をやってる。そんな感じだ。
テストというのは、なにも定期テストの話じゃない。この教師は毎時間毎時間必ず授業の初めに小テストを行う。このテストというのはそれのこと。ちなみに、この小テストにはクラスの全員が辟易しているようで、腹いせに「頑固」と見た目のイメージを掛け合わせて「岩窟魔人」なんてわけのわからないアダ名をつけられている。本人としては職務を全うしているだけだろうに、ご愁傷様である。
「今回も満点は一人だけだった。まぁ、いつもの通り、真宮、お前だ。よく勉強しているな。こっちに取りに来い」
「うぃっす」
はじめの頃はこうやって名前が呼ばれることに優越感を感じて、クラスの女子にアピールしていたのだが、もうそれも意味がないことだとわかったのでこんなテストで満点を取ったところで嬉しくもなんともない。大体、高2までの範囲は中2で全てマスターした。今更こんなところで躓いているわけにもいかんだろ。
「次も満点、期待してるぞ」
「うっす…」
そんなハードル上げられてもな、まあどうせしょうもない問題しか出ないだろうからどうでもいいか。俺は一応丁寧に解答用紙を受け取り、そのまま真っ直ぐ席に戻る。少し前まで、ここで注目されることに鼻の下を伸ばしていたが、今はがやがやしてくれるほうが気が楽だ。惨めな俺をあまり見ないでくれ。
岩窟魔人は、俺が席に着いたのを見届けると、残りの解答用紙を返却するべく、残りの生徒の名前を呼び始めた。俺はようやく騒がしくなった教室の中で、ただ一人のんびりと欠伸をして机に突っ伏して眠り始める。前までならすぐ女子のところにいって絡んでいたが、冷静に考えると、この後の部活に備えて体力を少しでも回復しておかないといけない。
そんな俺の変化を、周りは異物を見るような目で見ていたが、そのうち落ち着くだろう。たかが一月のイメージだ。この恥ずかしい黒歴史が消えるまで、俺はじっと我慢する。
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「直哉、お前、なんか悪いもんでも食ったか?」
「あ…? なんの話だよ」
怪訝な表情で俺に失礼な事を言うこの男は、雨宮 徹。こいつとはこの高校に入ってから友達になったが、あんな俺の黒歴史を見ていても友達でいてくれるいいヤツだ。
「いや、なんか今日の直哉は…おとなしい?って言うかさ…なんかもっと違ったじゃん?」
「ああ…いや、それはただその時の俺がおかしかっただけだ。今は現実を見て生きてるよ」
「ふーん…まぁ、直哉がそれでいいならいいけどさ」
「俺はこれでいい…ってか、こうするべきなんだよ」
徹は俺の言葉を少し頭で逡巡させるように唸った後、「やっぱよくわかんねーわ」とけらけら笑った。
「わかんねーならいいよ。じゃ、俺部活行くから」
「おーう、頑張れよー」
といつものように徹に手を振って部室へ急ぐ。部活っていうのはサッカー部だ。なんでサッカーかなんて、理由は簡単。モテそうだからだ。バスケと悩んだが、なんとなくサッカーの方がちやほやされそうな気がしたからサッカーを選択するという、そこはかとなくしょうもない理由である。
ま、それは今までの話。しっかり現実と向き合った俺は、少しこの部活動に本気になってみようかと思ったわけだ。女じゃないにしても、なんかマシな青春がある…はず。
俺は部室でそそくさと着替え、誰よりもはやく準備をして一人でも練習を開始する。本気になるにはまず形から、それが俺が中学で学んだことだ。中身はあとでちゃんと着いてくる。
その後始まった練習でも俺は誰よりも積極的にボールに関わり、試行錯誤を重ねた。まずはレギュラーを勝ち取ること、それが俺の当分の目標。俺ならできる。なんせ、俺だからな。要は気の持ちようってことだ。
練習後、先輩たちや同級生らが楽しく会話しているのを尻目に、俺は黙って身支度をする。すると、俺を気にかけてくれた先輩が話しかけてくれた。
「真宮ー、この後みんなで飯食いにいくけど、お前もくるかー?」
大変嬉しい申し出ではある。でも、俺にはやるべきことがある。
「すいません、俺ちょっとこの後用事があって…また今度、俺からお誘いします。もちろん、そんときは俺の奢りっすよ」
「はっはっ、いいよ、そんな気遣わなくて。だったら、また今度誘うよ」
「……あざっす。じゃあ、お先に失礼します」
俺は丁寧にお辞儀をしてその場を後にする。俺はサッカーってもんに本気で向き合うって決めた。じゃあどうするかなんて自明だ。チームメンバーと同じことを同じだけやったって仕方ない。だから、自分で考えて自分で行動して自分をより高める。そうやって俺は、ここまでやってきたんだ。ま、結果は散々だったけどな。
ただ一人、誰もいなくなった真っ暗な公園でボールの感覚を足に染み込ませる。こうして、俺の1日は終わりを迎えていく。